(四十三)幻影戦②
黒い騎馬は、砂浜の切れ目でリリィーナに追いついた。
ここから先は林という境目の場所で、リリィーナの正面に回った二騎のうち、右側の騎士がリリィーナの喉元に剣を突きつけた。
リリィーナはゆっくりと両手を上げた。
「よくぞここまで走った。だが、これまでだ」
黒騎士の黒いのっぺりした仮面は無個性だ。くぐもって聞こえる声は、彼が若いのか中年なのかも想像できない。
「どうやら上陸した海賊どもの中で、生きた人間はお前一人のようだな。我らが主は殺生を好まぬゆえ、おとなしく捕虜になるが良かろう。いずれは境海の奴隷商人に引き渡すがな」
黒騎士の仮面を、リリィーナは見据えた。リングマスターがこの島で人間を殺さないのは、殺人という行為そのものが、強力な負の力場を発生させる黒い魔術だからだ。その負のエネルギーは、遊園地を稼働させ維持している魔法とは正反対の性質ゆえに、魔法が乱れる原因となる。
だからリングマスターはけっして殺さない。
不要な者は島から連れ出される。魔法で護られているから、事故なども起こらない。病気も発生しないから、島で死んだ子供はいない。島内では死者はけっして出ない仕組みだ。
侵入者の撃退も、厳しく定められた手順がある。
海賊が幻だと看破した騎士団長は容赦なく幻影の海賊の首をはねたが、それまでいささか手間取っていたのは、島で殺せない以上、たとえ瀕死でも生きている状態で捕虜として島から連れ出さねばならないからだ。
船で運び出された捕虜の行方は杳として知れない。
ただ、タンゲイトーから少し離れた海の怪獣の棲むという海域で、リングマスターと関わりの深い船がしばらく停泊していたという目撃談を、多次元管理局は収集している。
「ほう、怯えもせぬか。さすがは一人で潜入してくる魔術師だ。その力、封じさせてもらうぞ」
黒騎士が剣を振るおうとしたとき、
「おい」
と、呼びかけたのは、彼の隣に馬を寄せてきたもう一人の黒騎士だった。
「なんだ?」
仲間に振り向いた仮面を、噴霧が包んだ。仲間の手には青い香水瓶が握られており、辺りには薔薇の芳香が漂った。
数秒後、薔薇の香りがすっかり風に散ってから、リリィーナは止めていた息を吐き出した。
「はい、おやすみ」
剣も放さず眠ってしまった黒騎士を馬から引きずり下ろし、近くの岩陰に放り出した。
「すごい即効性だね。しかし、局の支給品ではないな」
「トイズマスターに貰ったんだよ。君が持って行け。これから王城に潜入するから、ピエロ相手にはちょうどいいだろう」
その声はもはや黒騎士にあらず、黒騎士に変装した局員のブランシュだ。手の物を放り投げた。リリィーナは飛んできた青い香水瓶を受け止め、背広の左ポケットに入れた。
「ということは、君は、ラリゼル姫にも会ったのか?」
じろりと横目で睨むと、黒騎士ブランシュは肩をすくめた。
「ああ、もちろん、ちゃんと不思議探偵に変装して行ったから、話を合わせておいてくれ。と、その件で、悪い知らせがある」
「君が姫に会った以上に悪い知らせって、なんだろう?」
「最悪かも知れないよ。そのとき、トイズマスターが、リングマスターに入れ替わられたようだ」
「ニザエモンさんが?……その根拠は?」
リリィーナに問われて、ブランシュは、匠の館での出来事を簡潔に話した。
リングマスターの正体についての会話中に、トイズマスターは禁忌に触れて吐血した。それで血で汚れた服を着替えに隣室へ行き、戻って来たときには、体に付いていた香水の匂いがすっかり消えていた、と。
「この香りは強烈だ。わたしも手に付いたのを落とすのに苦労したからな。この島の禁忌に触れれば、リングマスターは必ず気付く。すぐに来て、トイズマスターと入れ代わったんだろう。わたしと姫君が話しているのを見られた。わたしの正体は知られていないが、君が黒騎士に変装していると思われているだろう。トイズマスターに会うときには、本人確認を怠るなよ」
「わかった。計画には修正を加える。じゃあ、ここの後始末を頼む」
リリィーナは黒い馬にひらりと跨った。
「黒騎士団の方は引き受けた。君こそ、ラリゼル姫をよろしく頼むぞ」
黒騎士ブランシュは片手を上げ、馬首を海岸に向けた。




