(三十五)黒騎士団
おばさんはラリゼルの考えを読んだように薄く笑った。
「大人のあたしがここにいるのが理解できないのね。この村は、リングマスターに仕える者たちの住み処で、私たちは召使いなのよ。黒騎士の生活の世話をしたり、魔法では作り出せない物を作ったりもしているの。わずかだけど、農作物も育てているわ。今は黒騎士はいないから、今のうちに、早く戻りなさいな」
ドアが大きく開けられた。ラリゼルはすばやく角度を変え、室内を覗いた。大きな暖炉に火が燃えている。暖炉の上には鹿の頭の剥製と一振りの長剣が飾られていた。床に敷かれたモノトーンの絨毯やソファなどは貴族趣味だが、剣の飾りは騎士の家のようだ。
「残念だったな、姫君」
背後で男の声がした。おばさんは顔色を変え、いきなりドアを閉めてしまった。
ラリゼルが振り向くと、黒い馬に乗った若い騎士がいた。肩に掛かる黒髪、目も黒く、彫りの深い顔立ちは猛禽の美しさを連想させる。黒い衣服の胸には金色の獅子の紋章が刺繍してあった。マントの左肩に留めた金と紅玉のブローチで、彼の身分が判った。
「あなたは、黒騎士団の団長」
団長の素顔がこのような若者だとは! 遊園地で会った時は喋り方などから、何十年もの経験を積んだ古強者という印象だった。だから、黒騎士団は年配のおじさんたちの集団だとすっかり思いこんでいた。
「よくここまで歩いてきたものだ」
騎士団長は妙に好ましげな口調で言い、すぐ冷笑に切りかえた。
「だが、ここは我我の駐屯地だ。村人は我らの召使いゆえ、姫を助けることはできぬよ」
おばさんは青ざめて家の中へ走り去った。ラリゼルは脚が震えてその場にへたり込みそうだったが、敵に弱みを見せたくない一心で勇気をかき集めた。
「あの人たちも誘拐してきたのね」
「外から雇われた者もいれば、あの女のように余計なことを知りすぎてここへ放逐され、歳を取らされた者もいる。この島にいる者は殺さないのが、リングマスターの方針だ」
騎士団長はラリゼルが話しかけるのを面白がっているようだ。
「あのおばさんも遊園地に連れて来られた子どもなのね。なんてひどいことを!」
ラリゼルは気分が悪くなってきた。
騎士団長は、クッ、と笑いを噛み殺した。
「同情してどうなるのだ、姫よ。この島に囚われた運命は、そなたも同じだろうに!」
騎士団長の言葉はラリゼルのプライドを打ちのめした。顔面が熱くなった。きっと顔は真っ赤だ。何か、相手を一言で打ちのめせるような酷い言葉を叩きつけてやりたかったが、血が上った頭では罵り言葉一つ浮かんでこない。
「あなたもリングマスターも…………――――今に正義の裁きが下るわ。多次元管理局はあなたたちを、必ず逮捕するわ」
ラリゼルは震える声でやっとそれだけを言い切った。
騎士団長は一笑に付した。
ラリゼルが黙り込んで数秒後、騎士団長が口を開いた。
「さて、気が済んだなら、我が家の門前にこれ以上の長居は無用だ。姫君は丁重に扱えとの王の沙汰ゆえ、外が明るいうちに馬で、匠の館まで送って進ぜよう」
騎士団長は黒い仮面を着けると、ラリゼルを鞍の前に乗せた。
山を越える途中、馬に乗った黒騎士たちが茂みや木陰から影のように現れた。黒装束には影にとけ込む魔法でも掛けられているのだろうか。彼らは団長に会釈して、順に付き従った。騎士団長も騎士たちも、ラリゼルがここに居るのに驚きもしない。だとすると、匠の館を出たときから見張られていたのだろう。
黒い騎馬は隊列を組んで山を越えた。すばらしく統制のとれた騎馬集団だ。これだけの騎士団ならば闇の仕事をせずとも境海世界でいくらでも稼ぐ道はあるだろうに。それに魔術の心得がある魔導騎士だという。だったら、なおさら、境海の悪魔と取引をする危険はよく知っているはずだが――――?
「信じられないことばかりだわ。邪悪な恐ろしい所業を知っているのに、リングマスターと魔の契約をするなんて。お金のためじゃないわね?」
ラリゼルはほんの思いつきを口にしたつもりだった。
すると騎士団長は、仮面の奥から、これまでにない強い視線をラリゼルに注いだ。
「ほう、……それは非常に個人的な質問だな。我らにそんな問いかけをした子どもは、そなたが初めてだぞ。しかし、それを聞いてなんとするつもりか?」
騎士団長の声は冷ややかだった。ラリゼルはちょっと怖くなったが、同時にいいところを突いた、という手応えも感じた。黒騎士団がリングマスターに忠誠を誓う理由とは、この島の重要な秘密にも関わるのだ。それを知れば脱出の助けになるかもしれない。
「いいえ、なにも出来はしないわ。でも、境海の悪魔との契約はいずれあなた方に確実な破滅をもたらすわ。魔術師ならば知っているはずよ。なのに立派な騎士のあなた方が、それすら無視して契約したくなるなんて、リングマスターはどんな条件で誘惑したの?」
しばらくは馬の蹄が土を踏む音だけがした。
ややあって聞こえた騎士団長の声からは、からかうような響きは失せていた。
「なんとも聡明な姫君よ。その勇気に免じて真実を差し上げたいところだが、あいにく、契約内容は秘されている。だが、この冒険の代償に、手掛かりを与えてもよい。リングマスターは、今宵の舞踏会でそなたに我らと同じものを与えるつもりだ。そのとき、我らの契約が何であるかを、そなたも理解できるだろう」
やさしい話し振りだった。契約の内容とやらを理解すれば、ラリゼルも彼の仲間になれるらしい。そう思わせる説得力があった。だが、言葉の裏には、色に喩えれば真っ黒で、ひどく邪悪な何かが潜んでいる。
ラリゼルは頭をぐっともたげた。
「それが何であれ、わたしは理解できない方が良さそうね。リングマスターにはいつかふさわしい罰が下るでしょうよ。ありがとう騎士さま、おかげであなた方の破滅も確信できたわ」
わざと皮肉っぽい言い方をしたのに、背後からは愉快そうな低い笑声がした。
「なるほど、それで溜飲は下がったかな?」
そなたの言うことなど歯牙にもかからぬ、この島からの脱出はあり得ないのだ。騎士団長からは、そんな自信が感じられた。
「……ええ、ほんの少し」
ラリゼルはそう答えたものの、皮肉を言ってやったというわずかな勝利感すらも残らなかった。
匠の館の前で、ラリゼルは待ち受けていた二人のピエロに引き渡された。彼らは館のなかへ丁重にラリゼルを送り込み、外から静かにドアを閉めた。
ラリゼルは一人、玄関ホールの薄闇に取り残された。廊下の向こうに小さな灯りが点っている。トイズマスターの作業場だ。
ラリゼルは暗い廊下を歩き、小さくノックしてからドアを開けた。
オレンジ色の光があふれ出した。
暖炉には炎があかあかと燃えている。室内にはお茶の良い香りが漂い、交わされていた会話には友人同士の親しみがこもっていた。その客人が振り向く。
「こんばんは、ラリゼル姫」
不思議探偵のリリィーナが、トイズマスターの向かいに座っている。
ラリゼルは駆け寄り、夢中でリリィーナの頸に抱きついた。気がつくと、頭をなでられながら涙をボロボロ流していた。




