(三十四)村と村人
目指す山麓へは、匠の館から歩いて十五分くらいで着いた。
道の幅は広く、大人五人が横並びで楽に歩けるほどだ。白く乾いた地面は楕円形の一部を切り取ったような模様で埋め尽くされている。馬の蹄鉄の跡だ。
トイズマスターの説明では、黒騎士団は昼と夜の交代制で島の警戒にあたっている。だが、子どもたちは黒騎士団の存在すら知らない。島を覆うリングマスターの魔法が彼らを完全に隠蔽しているからだ。
ラリゼルはなだらかな坂道を登り、二時間ほどで低い山の頂に着いた。
海が見える。水平線まで目の醒めるようなサファイヤブルーの海面が、真昼の陽光を浴びて金色に照り輝いている。島の南は引き込み型の湾であり、砂浜の海岸線の中央は、引っ込んだ白い三日月を描いていた。
内陸は森林地帯だ。山の麓までを濃い緑が覆っている。右手を望めば、平坦な大地は緑と茶の四角い格子縞だ。緑の作物と茶色は耕された畝だろう。赤や黄など、きれいな色彩は花畑か。その近くに建物の屋根が集合している。
「ここで暮らしている人がいるんだわ!」
道は集落まで一直線だ。ラリゼルは駆け出した。
家屋は平屋から、領主の館みたいに立派な屋敷もある。ざっと数えて三十軒以上。りっぱな村だ。微風に乗って、薔薇のすばらしい芳香が漂ってくる。道端にも薔薇がたくさん咲いている。赤や白や黄色やピンクや、目につく花は薔薇ばかりだ。
遠くで畑を耕していた人が、顔を上げた。確かにラリゼルと目が会った。すると、その人は、振り上げた鋤を放り捨てて、どこかへ走り去った。
「もしかして、わたしを見て逃げたのかしら?」
なにかが変だ。だが、ここで暮らしている村人を見つけた。子どもばかりの呪われた遊園地とは別に大人が暮らしを営んでいる村がある。
嬉しくなったラリゼルは、走り出した。
息を切らせ、村の入り口に近い建物の前に立つ。呼吸を整えながら、高い屋根を見上げた。なかなか立派な屋敷だ。村長の家だろうか?
期待しながら、ドアを叩くと「はい」と返事があった。子どもではない。やや年配の女性の声だ。
ドアが半分開いて、女性が顔を覗かせた。丸髷に結った灰色の髪、地味なブラウスに茶色いスカート、長いエプロンには古いシミ。ラリゼルの予想に反せず、農家の主婦らしいおばさんだ。
ところが、ラリゼルを見たおばさんの目が大きく見開かれた。
「あなたは……どうしてここにいるの」
ひどく狼狽して様子で、慌ててドアを閉めようとする。ラリゼルはすばやくドアの隙間に足をはさみ、左肩から上半身をねじ込んだ。
「おねがい、わたしの話を聞いて! わたしは誘拐されてきたんです。この島から脱出したいの。村に船はありませんか?」
おばさんは眉をしかめ、ドアを開けた。
「すぐに遊園地に帰りなさい。そして、気の済むまで、厭きるまで遊んでいればいいわ。何もかもが終わるまで……。それがこの国では、一番幸せな道なのよ」
ラリゼルはドアに手を掛け、右足だけ中へ踏み入れた。
「じゃあ、おばさんも、村の人たちも、この島の正体を知っているのね」
おばさんはうなずいた。灰色の目を輝かせてラリゼルの顔をしげしげと眺める。
「ええ、もちろん、知っているわ。匠の館にいる特別な姫君ね。ここはリングマスターが作った村よ。黒騎士に気付かれないうちに早くお戻りなさい」
声の張りはまだ若若しい。きっと四十代くらいだろうに、額や頬には深い皺が刻まれていた。髪の元の色は黒らしいが、白髪の割合が多いためにほとんど灰色に見える。暗い目だ。表情には生気が乏しい。ここでの生活に疲れ果てているのだ。
「黒騎士の見回りは夜ね。海岸には船が来ることがあると聞いたわ。なんとかそれに乗りたいの」
と、ラリゼルは食い下がったが、
「無駄よ」
おばさんはぴしゃりと言い切り、ラリゼルの目をじっと見つめた。
「まれに迷った船が近くに来ても、島にはけっしてたどり着けないわ。ここはリングマスターの魔法で護られているからよ。海賊船のなかには魔法使いを雇って島に上陸するのもいるけど、結局は黒騎士たちに皆殺しにされるわ」
あまりに驚いたので、ラリゼルは一瞬、息を止めてしまった。
この女人は島の真実を知りながら、なおも平気で暮らしているのか。
ここに住まう者はみな、境海の悪魔と契約を交わした者ばかりなのか?




