(三十一)ハーレキンと黒騎士団
ラリゼルは匠の館の玄関を出て、王城へ向いて歩きかけた。
ちょうどそのとき、風が薔薇の香りを運んできた。
「どこへ行くの?」
からかうような男の子の、甘やかな声も。
青い道化服姿の少年がいた。年の頃は二十歳前。背はラリゼルより頭一つ分高いから、百七十センチちょっとくらい。肩幅も広くて、少年期をほぼ脱しているといっても良いくらいだ。青い衣裳のデザインは三本角のとんがり帽子までこの前に見た青いピエロと同じ。
だが、目の前の少年は素顔をさらしている。今を盛りと咲き誇る真紅の薔薇のような、信じがたい美貌にラリゼルは目を瞠った。
しかし、薔薇のような美貌の何かが――笑顔に隠されていた刺のように――ラリゼルを魅了から引き戻した。
「あ、あなたは誰なの?」
彼は青いピエロだけども初対面だ。コータローを連れ去った仮面の青いピエロの、氷の茨のような雰囲気とは、まったくの別人だ。
「ハーレキン」
素っ気ない答だった。
王の名はハーレキン……教えてくれたのは白雪姫だ。王が姿を現すのは王城の舞踏会くらいで、遊園地ではめったに会えないとも。
ラリゼルは用心しながら質問を続けた。
「ハーレキンって、ピエロの別の呼び方よね。あなたもここで働いているの? ずいぶん若く見えるけど、大人じゃないわよね?」
「僕かい? 十七、八才くらいかな」
ハーレキンは面倒臭そうな言い方をした。その美しい顔からふっと表情が抜けて、まるで仮面のようになった。かと思えば、ラリゼルの方へ向き直った一瞬には、さらなる魅惑の輝きをまとい直していた。
「ここでは年齢なんか気にしなくていいんだよ。だって、ここは、永遠の夢の国なんだからね」
彼が喋るたびに、あたりに薔薇の芳香が漂よう。香りは彼の吐息に混じっているようだ。香水でも飲んでいるのだろうか。
「ねえ、君、ラリゼル姫。僕が遊園地を案内してあげるよ。僕と一緒なら、どこでもフリーパスで通れるんだよ。さあ、どこに行きたい?」
とても親切な申し出だ。でも、ラリゼルは嫌な感じがした。ハーレキンが綺麗すぎるせいかもしれない。エメラルド色の目に見つめられると、なんだか全身の感覚がふわふわと頼りなくなってきて、夢の中を歩いているようなおかしな気分になる。仮面の青いピエロと同じ格好も、やっぱり気になって仕方がない。
「あの、前に会ったかしら?」
「まさか。今日が初対面さ」
間違いなく、別人だ。断固として断ろうとしたら、騒がしい音が近付いてきた。
馬の蹄が地面を蹴る音と共に、薄暮に包まれた遊園地のメインストリートを騎馬の一団がやってくる。全部で十二騎、馬も馬具もすべて漆黒だ。
馬上の騎士は黒いマントをなびかせている。その上衣には黒銀の獅子の紋章。頭巾の陰になった顔がこちらを向く。月明かりに黒い仮面が艶やかに光った。目鼻も凹凸も無い、つるりとした仮面だった。真っ黒なのっぺらぼう。夜道でいきなり遭遇すれば肝をつぶすこと必至だ。
「王よ、その娘は、トイズマスターが保護している姫君ではないのか?」
鋼のように力強い声が堂堂と問いかけてきた。生身の人間の声だ。
「そうだよ。見回りご苦労さま、騎士団長」
ハーレキンが騎士団長と呼んだ彼だけが、マントの左肩に金と紅玉のブローチを留めていた。他の騎士たちは何もかも黒一色だ。
「その姫君のことは、匠の館から出してはならぬと通達が来ていたのではないか。それがここにいるとは、なにか問題でも起こったかな?」
騎士団長の声音は仮面越しのせいかこもって聞こえたが、人を統率するのに慣れた年配者の重みがあた。
「ただの散歩だよ。トイズマスターは約束を守っている。僕が姫君を案内しているだけだ」
「では、王のそなたが、自由に行動する許可を与えたわけではないのだな」
「ラリゼル姫は初めから大切なお客様だよ。一人で島のどこを見て回ろうと自由だからね。対応は僕同様に、丁重に頼むよ」
ハーレキンの要請に、黒い仮面は快くうなずいた。
「承知した。だが、新月の夜だけは出歩くのをお控え願おう」
「それは、僕からよく言っておくよ」
「よろしくお願いする」
騎士団長が命ずると、黒騎士団は、あっという間にこの場を去っていった。すばらしく統制のとれた騎馬集団だ。
「あの黒い騎士たちは何なの?」
「もう何十年も前に、境海のどこかから連れてきた傭兵騎士団だよ。遊園地と島を見回る者も必要だし、たまに招かれざる外部の船が来たりするから、そいつらを追い払うために雇ったんだ」
ようは警備員みたいなものらしい。この国の治安維持のために、定期的に遊園地を含めた島全域のパトロールをしているという。
「どうしたの。あいつらは君には何もしないよ。子どもたちは知らない影の存在なんだ。逃げようとする子どもの管理もするけど、君は特別だ。この国のどこに行ってもいいんだよ」
ハーレキンは、黒騎士団の去った道を見つめるラリゼルに優しい声で説明した。
この島にはまだまだ秘密が隠されている。トップの『王さま』に安全を保証されても油断出来ない。
一刻も早く立ち去ろうとして、ふいに、ラリゼルは見たかった場所を思いついた。
「私は王城の地下にあるという船着き場に行きたいのだけど……」
すると、ラリゼルの顔色をうかがっていたハーレキンの表情が、たちまち明るくなった。
「君は船が見たいの? それなら、一緒においでよ」
ハーレキンは手を差し出した。
ラリゼルは一瞬迷った、が、すばやくハーレキンに手を掴まれ、グイグイ引っ張られて歩き出した。




