(三十)白い女神
リリィーナはバルディ船長と一緒に、多次元管理局の出張所に立ち寄った。
事務所でバルディ船長が局との契約書を読んで必要事項を書き込んでいる間に、リリィーナは奥の部屋で、ヒルダおばさんから局から回ってきた新しい情報の回覧書を受け取った。
「リングマスターの正体は、未だ不明か。ホリディから引き出せた情報は?」
「ホリディの前に現れるリングマスターは、常に青いピエロの姿をしていたそうよ。ホリディだって遊園地の迷子ですもの。リングマスターは使い分けが徹底しているわね」
「ここ数年はホリディがリングマスター代理の魔術師として、境海世界を立ち回っていたわけか。黒騎士団の騎士と騎士団長は?」
「そちらも調査中ね。リングマスターが仮の姿として利用する可能性は高いけど、ただ――――情報を総合すると、タンゲイトーのリングマスターは、島の外では媒体を必要とするタイプね。単独では動けないの」
ヒルダおばさんは数枚の書類を示した。それから、そうそう、と革の袋を金庫から取ってきて手渡した。
リリィーナは革袋の中身を改めた。境海の紋賞金貨がきっかり百枚。多次元管理局の経費は無限だ。発行しているのは多次元管理局だから、必要に応じていくらでも作れる。
「リングマスターの本体は、常に島に在ると?」
「あるいは不死の本質となる部分を、島に固定させているかよ。閉じられた魔界で必要なエネルギーを集束させて利用するには、それがもっとも効率が良いの。あの島そのものがリングマスターの『体』のようなものね」
ヒルダおばさんは珍しく眉を寄せ、厳しい声になった。
「リングマスターを捕らえるにしろ滅ぼすにしろ、タンゲイトーに直接乗り込むしかないということですね」
「そうなるわね。あまり無茶はしないようにね、リリィーナ。あなたは昔から無鉄砲なところがあるから」
ヒルダおばさんは魔法大学の教授でもある。リリィーナが一生頭が上がらない恩師の一人だ。
「ええ、気を付けますよ、ヒルダ先生。今回はラストの作戦に参加されますか」
「残念ながら、夜の遊びの国は、私とは力の性質が合わないから役に立てないわ。今回の一斉捜査では、ずっと後方支援よ。気を付けていってらっしゃいな」
局とバルディ船長との契約は成立した。リリィーナはバルディ船長に金貨の袋を渡した。
「あのヒルダおばさんってお人は、ただの人間じゃないだろう?」
出張所を出て港へ向かう道中、バルディ船長は訊ねてきた。
「彼女も多次元管理局員ですよ。余計な詮索は無用ですよ、バルディ船長」
リリィーナはやんわりと釘を刺したが、バルディ船長は好奇心旺盛だった。
「魔術師じゃない。魔法使いって感じでもないが、どこかの魔法の血統の一族かな。なあ、教えてくれないか。ここの出張所にはこれから世話になるんだから、手土産の一つも持ってこないとな」
バルディ船長はどうやらヒルダおばさんに好意を持ったようだ。
「なるほど。……わたしたちは女神のように慕っている方なので、マナーには気を付けた方が良いですね」
リリィーナの答を聞いたバルディ船長はギョッと目を剥いたが、すぐニヤリとしてうなずいた。
「局にはいろんな人材がそろっているんだな。契約しとけば、のちのち良いことがありそうだ。今後もよろしく頼むぜ」
白い女神号に乗り込んだときには、あたりはすっかり黄昏色に包まれていた。
昼間はエメラルドグリーンだった海は、薄墨に朱を流したような夕明かりの色に染まっている。限りなく直線に近い境海の水平線に、血のように赤い太陽が沈もうとしていた。
港の端から船が出航した。大きく帆をふくらませた三本マストの大型帆船が一隻、全速力で湾を出るところだった。
「やや、あれは海の道化号だぞ」
ロム・バルディ船長は白い女神号の艦橋に立ち、上着のポケットから小型双眼鏡を取り出し、目に当てた。
「ふむ、アル・レキノ船長がいるぞ。乗組員たちも落ち着いて作業している。あれだけ大騒ぎして、けっきょく放免かよ。あいつを逮捕したかったんじゃないのか?」
バルディ船長が、見るかい? と小型双眼鏡を差し出したのを、リリィーナは辞退し、右舷の手すりに肘を置いた。
「これでいいんですよ。私が取り逃がしたアル・レキノ船長は、当初の予定通り寄港地で商品をさばいたあと、再びタンゲイトーに戻ります」
太陽の最後のカケラが水平線に沈んでゆく。空と海が融け合う蒼の彼方へ、海の道化号が豆粒のように小さくなっていく。
「あいつらの航路を知っているようだな。その情報はどうしたんだい、探偵さんよ?」
うさんくさげに見るバルディ船長へ、リリィーナは笑いながら手すりに寄りかかった。
「アル・レキノ船長の逮捕に失敗した不思議探偵は欲の深い船長の船を雇い、魔の海へ探索におもむきます。目的は攫われたバスティア国の姫君の救出と、境海の指名手配犯に掛けられた莫大な懸賞金です」
リリィーナの説明を聞いたバルディ船長は、なんとも言い難い表情で空を仰いだ。
「欲深い船長ってのはオレのことかね。リングマスターは闇の世界の盟主のひとりだ。その罪は子供の誘拐や奴隷売買だけじゃないはずだぜ。いわば悪の組織の親玉だ。長い年月、誰も手が出せなかったんだ。不思議探偵が一人で乗り込んで、どうやってやっつける気だい?」
「境海の旅人亭での大騒ぎは、今頃あちこちで噂になっているでしょう。その話を聞いた人も、今の船長と同じ事を思っていますよ。きっとリングマスターもね。ここまでは予定通り、あとは島に着くまで企業秘密です。わたしは彼らよりも先に、タンゲイトーへ到着しなければならないんです」
「やれやれ、オレは見通しが立たない航海ってやつが、一番イヤなんだがなあ」
ますます渋い顔つきになったバルディ船長に、「これは追加分です」とリリィーナは境海の紋章金貨を渡した。すると、バルディ船長の嫌な気分はおおいに改善されたようだ。
「まかせろ、競争相手が海竜でも追い抜いてやるぜ!」




