(二十五)魔法玩具と役目
玄関の扉が閉まると、ラリゼルはトイズマスターの作業部屋へ走った。
部屋に入るなり、
「アリアドネ・フローラが死んじゃったの!」
顔だけラリゼルに向けたトイズマスターは、目を丸くして固まっていた。オモチャ制作の、それもかなりな精密作業の真っ最中だったらしい。右手に細いドライバーに似た工具を、左手に豆粒ほどの赤い貴石を持ち、その二つを胸の前で構えたポーズで静止している。
ラリゼルはポケットに手を突っ込み、震える手でしわくちゃのアリアドネ・フローラを差し出した。
「私のせいなの……ごめんなさい」
ラリゼルは、王城の中をさまよい、地下へ降りる階段で番人に遭遇したことや、リングマスターの召使いという老人に助けられて帰って来られたことを、一気に語った。話し終えると、こらえていた涙が、どっと溢れ出た。
「そうか、老人の召使いに助けてもらったのか……無事で良かった」
トイズマスターは工具を置き、しわくちゃの布を受け取った。
「ありゃりゃ、綿が抜けて、ぺしゃんこになっちゃったか」
布をつまみ上げ、指先で広げている。どこも破れたりはしていない。
「わたしのせいなの。わたしをバケモノから逃がすために、糸を吐ききってしまったの」
ラリゼルは一言喋るごとに、涙がポロポロとこぼれた。
「泣かないで、大丈夫だよ。ぬいぐるみだから、綿を詰め直せば治るんだよ」
「生き返るの? 元通りのアリアドネ・フローラになるかしら?」
「魔法のパペットだからね。中身が抜けて動けなくなっただけだよ」
トイズマスターはピンクの小さな布を作業台の上で、ていねいに広げた。
「うーん、同じ量の光を集めるには、手持ちの水晶の集光器を全部使っても三日はかかる。ここは太陽の恵みの弱い国だからね。それまでゆっくり休ませておこう」
ラリゼルはホッとした。安心したら、急にぐったりした。頭の中で王城の風景がよみがえり、無数の疑問がぐるぐると回り出す。
「王城は何のためにあるの? いったいここは何なの?」
「ここは夜の遊びの国で、きみが見たのは子供達の未来の運命であり、この国の象徴だ」
それはあらゆる疑問の答でもある。トイズマスターは話しながら、お茶を煎れてくれた。
ラリゼルはお茶を一口飲んだ。甘い香りとさわやかな酸味が口いっぱいに広がった。ガラスのティーポットには行茶の中にラズベリーの実が沈んでいる。遊園地には産しない物だ。毎日、匠の館の食卓にはいろいろな美味しい物が供されるが、新鮮な野菜や果物はどこから調達してくるのだろう。
ここは魔法以外にも謎だらけだ。
「遊園地も見てきたわ。アトラクションには、トイズマスターの作品もあるのね」
「彼らの貧困な想像力では、子供たちが喜ぶようなすてきなオモチャはイメージできなかったんだよ。半年前に私が来るまでの遊具やアトラクションは、そりゃあ、私には見るに堪えないくらい、ひどい物ばかりだった」
トイズマスターは頷いて、窓の方に遠い目を向けた。
ここからは観覧車や建物の上部分しか見えないが、現在の遊園地は間違いなくトイズマスターの作品だ。たとえ、真の創設者が境海の悪魔であろうとも。
「でも、トイズマスターがすてきなオモチャを用意すればするほど、子供はもっと遊園地に夢中になってしまうんじゃないかしら?」
すると、トイズマスターはひどく寂しそうな微笑を浮かべた。
ラリゼルはたちまち後悔した。
トイズマスターは優しく、この上なく善良な、オモチャの作り手だ。けれど、ここでリングマスターのためにオモチャを作り続ける限り、あのピエロ達と同じ魔界の仕組みの協力者だ。それはトイズマスターの罪ではない。なのに、ラリゼルは責めるような言い方をしてしまった。
「……そうだよ。私が力を尽くすほどに、子供たちが不幸になってしまうんだ」
トイズマスターはラリゼル作業台に向いたので、どんな表情だったのかは見えなかった。工具を持つ手が細やかに動いて止まる。
最後の仕上げだったらしい。
腕の隙間から、木目のきれいな寄せ木細工ふうの長方形の小箱が見えた。さっきの赤い貴石が蓋の中央に嵌め込まれている。
トイズマスターは布でサッと一拭きして蓋を開けた。
音楽が生まれ出た。水晶のベルにも似た音色が三拍子のメロディーを奏でる。昨日から作っていた小箱はオルゴールだったのだ。
首を伸ばして覗き見していたラリゼルは、すっかりそのオルゴールが気に入った。
箱の中は、右半分は赤いビロード張りの小物入れで、左半分がオルゴール装置が仕込まれた鏡の湖だ。その上に小さな踊り子人形が立ち上がる。銀の巻き毛に真珠色のドレスをまとった踊り子人形は、メロディーにワンテンポ遅れながらも、クルクル回って踊り出す。
踊り子人形の顔つきや髪型は、どことなくラリゼルに似ていた。
てっきりラリゼルへの贈り物だと期待していたのに、トイズマスターはオルゴールの蓋を閉じると、作業台の片隅に片付けてしまった。
ラリゼルはちょっとがっかりしてしまった。
「タンゲイトーの仕組みは実に巧妙だ。魔法だけではなく、本物のオモチャを利用するところが珍しい。境海に夜の遊びの国はひとつではないからね」
オルゴールを片付けたトイズマスターはもう一度ラリゼルの方へ向いた。
境海にはたくさんの世界があり、多くの伝説がある。夜の遊びの国も伝説だった。ずっと昔から、夜更かしする子どもに語られてきた怖いおとぎ話だ。
「果てしない境海のどこかには、特殊な魔法に満ちた世界がある……それがここなのね」
「そう、君は今、おとぎ話で語り継がれてきた永遠の夢の国の一つにいるのだよ」
この匠の館は安全だ。トイズマスターの側にいれば、いかなる危険もラリゼルには及ばない。だが、ラリゼルは率直に答えた。
「ここは最悪の魔界だわ。地獄といってもいいくらいよ。悪夢の向こう側にある場所……この世界に、終わりはあるのかしら?」
「物語の結末はいくつかある。最悪のものを知っているかい?」
「いいえ」
「怠け者はロバに変身するんだよ」
トイズマスターの言い方が穏やかだったので、それがとてつもなく邪悪な魔法の説明だとは思い至らなかった。けれど、知識を思い出す刺激にはなった。
「夜の遊びの国で遊び続ける子供達は、いずれロバに変身してしまう。愚か者への教訓だわ。でも現実では、変身の魔法を他人に掛けるのは難しいのでしょう?」
沼の底から泡が浮き上がるように、ラリゼルの記憶の底から古いおとぎ話の結末が浮かび上がる。
トイズマスターは鼻にずり下がっていた丸眼鏡をちょいと持ち上げた。
「人間の持つボディ・イメージは本来とても強固なもので、他人が勝手に壊すのは難しいが、持ち主の箍がゆるめば簡単なんだ。その人間が自分に対して持っているイメージに従って変化するような魔法を掛けてやると、魔法使いが使う魔力は少しですむし……」
トイズマスターの声は固い。それに、さっきから一度もラリゼルの方を見ない。
「変身した子どもたちはどうなるの?」
「その生き物の寿命に等しい年数を生き続け、需要に応じて売られていくんだよ」
トイズマスターの淡淡とした説明には、子供たちの運命を知りながら、何も出来なかった無力さと後悔が込められていた。
「美しい生き物もいたわ。一角獣や黄金の鳥や、銀色の鹿も」
「それは女の子かも知れないね。女の子の方がきれいなイメージを好むから、魔法の生き物に変身しやすいんだ。男の子はほとんどロバやら牛やら、身近な家畜への単純な変身が多いね。変身する基準はわからないけど……」
「元には戻せないの?」
「いくつかの方法はある、けど、ここではムリだね。そのための施設がない。なにより私たちには技術も、魔法も、時間もないからね」
トイズマスターは子どものオモチャ作り専門だが、一流の魔法使いでもある。この島に連れて来られた時から、島に満ちる魔法の気配はいろいろと読み取っていただろう。
では、変身する前の子どもを助けるのは、どうだろう?
「他の子どもを、この館に連れてきてもかまわないかしら」
まっさきに頭に浮かんだのは、白雪姫の顔だった。理解できない魔法の現象に怯えながらも生き抜こうとしている逞しい少女。彼女だけでもこの館で匿うことは出来ないだろうか。いいアイデアだと思えたが、トイズマスターは難しい顔で空を仰いだ。
「他の子には、この館は見えないんじゃないかな。遊園地の目くらましの魔法が掛けられているし、リングマスターは、私が子どもの運命に関わるのを良しとしないんだ」
「それも魔法の掟に組み込まれているの? わたしだって子どもなのに」
「ことさら明確な禁止事項ではないはずだよ。私が遊園地に出るのは自由だから、ある意味、子ども達の間に入っていると言えるからね。ただし、魔法で目をくらまされた子ども達には、私の存在は透明人間だろうね」
魔法は便利だが、限定すると融通が利かないところもある。
もしもトイズマスターが子ども達の間に入るのも絶対禁止と限定する魔法を掛ければ、たとえメンテナンスの時間でも、子どもがいるかも知れない遊園地には出られなくなってしまう。
ラリゼルは自由に匠の館を出られる。遊園地にいる子供と友達にもなれた。王城の中の禁止された場所へも入れた。白雪姫がラリゼルと一緒に匠の館へ入れるかどうか、試してみる価値はある。
「わたし、もう一度、王城へ行ってくるわ」
決心がつくと、居ても立ってもいられない気分になった。
一刻も無駄にしたくない。
「帰ってきたばかりなのに、なんでまた?」
トイズマスターが首を傾げている間に、ラリゼルは部屋から出て行った。




