(二十一)迷宮案内②
どのくらい祈っていたのだろう。
そっと、ラリゼルの手が掴まれた。
「……もう大丈夫よ。ありがとう」
白雪姫の身体からは、ほのかに花の香りがした。
ラリゼルの頬に触れる髪もサラサラだ。全身の雰囲気がお風呂上がりのようにさっぱりしている。この国に働く子どもを清潔に保つための魔法が、白雪姫にも効いたらしい。
「それで、今のは何だったの?」
ラリゼルは白雪姫から身をはなし、床にペタリと座り込んだ。
白雪姫はすっと背筋を伸ばした。
「ただの変身の兆候よ。ここへの拒絶が過ぎると、排除しようとする魔法が働き出すの。もう何度も起こっているけど、私はかろうじてとどまっているわ。自分の本心を誤魔化すのに成功できたから」
はきはきとした物言いに、ラリゼルの方がビックリした。先ほどとは別人のようだ。キリッとした表情も、とても頭の良さそうな女の子に見える。目の光は澄んでいた。食事の前みたいに混乱してはいない。訊くなら今だ。
「わたしはここへ、友達を捜しに来たの。王城の地下へ行く通路を知らない?」
ラリゼルを見つめる白雪姫の目に、かすかな戸惑いが揺れた。
「それは危険よ。禁止された場所には行けないわ。この城の魔法の掟なの」
目が潤んでいる。何かをひどく恐れているようだ。
この城は魔法で管理されているから、話す内容によっても、危険があるかもしれない。ラリゼルは無難だろうと思う質問に変えた。
「それじゃ、ピエロがどこから来るのか、知ってる?」
「あいつらは、いつのまにか来て、用が済めばいなくなるわ。女の子の世話は侍女がするから。ほら、その辺にたくさんいるでしょ」
白雪姫は食堂の片隅を指差したが、もとより、広い室内には他の人間の気配すらない。
「私には見えないわ。それも魔法の幻なのね。あなたが食べてた料理と同じ」
ラリゼルはテーブルを見た。もうテーブルは無かった。想像する主人が食べる気を失ったからだ。
白雪姫は素直にうなずいた。
「なにもかも、私の姿と同じ。魔法の仮装をしたものばかりなんだわ……」
その顔は、化粧をこそげ落としたように色褪せていた。
あまりに急激な白雪姫の変化に、なんと話しかけたものかラリゼルが戸惑っていると、
「ピエロは王城のどこかにいるらしいわ」
白雪姫がポツリと言った。
身を乗り出したラリゼルに、さらに続ける。
「この城には隠し扉や秘密の通路がたくさんあって、それを全部知っているのは青いピエロの姿をした王と、王に直接仕えている特別なピエロだけですって。王の白い仮面の下は、絶世の美青年だという噂よ。でも、舞踏会にもめったに来ないし、女の子は誰も素顔を見たことがないのに、変な話よね。……その王様に直接、訊いてみたらどうかしら。あなたはとてもきれいだし、王さまは、きれいな子には親切らしいわよ?」
コータローを連れて行くよう指示した青いピエロ。リングマスターと呼ばれていたあれが、この国の王だろうか? できれば二度と会いたくないが、ここにいる限り、避けては通れぬ存在だ。
「でも、教えてもらえるかどうか……」
思いっきり、無礼を働いた後だ。どんな寛大な王でも、慈悲の心は鈍るかもしれない。
「今夜は満月。月に一度の大舞踏会よ。王様も必ず来るわ。『コロンバイン』を選ぶために」
「それは何なの?」
「女王のことよ。王は『ハーレキン』と呼ばれているわ。ハーレキンは、女の子の中から自分と対となる女王コロンバインを選んで連れて行くの。月に一度、一人だけをね」
連れて行く、と言う言葉に、ラリゼルはドキリとした。
「どこへ?」
「知らないわ。帰ってきた子はいないもの。王が別の王国へ連れ去るとか、この国のどこかにある秘密のお城で一緒に住んでいるとかいう噂よ。もっとも噂の出所は、あなたには見えない侍女たちだから、真偽は怪しいけど、それくらいしかニュースがないのよ」
ラリゼルは頭がぐらっとした。毎夜の舞踏会と謎だらけの王さまと、いつの間にか失踪し、二度と戻らない仲間の女の子たち。なのに、贅沢な王城に残された彼女らはその現実をおかしいとも思わないのだ。みんな、夜の遊びの国にかけられた呪いの中にいる。
「……あなた、さっき、地下へ行きたいと言ってたわね。王城の中を移動する方法は、あるわよ。強く考えないのがコツなの」
白雪姫はすっくと立った。その顔は、輝くばかりの美少女に戻っていた。
「見えない魔法の番人にさえ気付かれなければ、禁止区域までは入れるのよ。見回りのピエロに見つかったら、そこで止められるけど。だから、何か、他のことを考えながら行くの」
「たとえば、どんなことを?」
ラリゼルはのろのろと立ち上がった。
白雪姫の話を聞いていたら、とても疲れた。
ここが夢の王国ではなく、改めて現実の悪夢だと認識させられた重さに、だ。
「自分が遊園地ではしゃいでいるところだとか、舞踏会で踊り狂っている姿とか、この遊園地に居つづけるのにふさわしい、当たり障りのない状態を想像するの。ようは、考え方ひとつなんだけど…………この意味、理解できるかしら?」
白雪姫はすこし心配そうに、ラリゼルの反応をうかがっている。
ラリゼルは、ハッとした。白雪姫の言い方では、魔法を知らぬ人間にはチンプンカンプンだろうが、魔法の知識を学んでいるラリゼルには察するところがあった。
「ええ、わかるわ。わたしも、それは正しい対処法だと思うわ」
ラリゼルが同意すると、白雪姫は嬉しそうに頷いた。
それはこの国に満ちた呪いから身を守る方法だ。
この国の呪いとは、夜の遊びの国に定められた魔法の掟だ。この国の魔法にどっぷり浸かった子ども達が、掟に反するような行いをしたり思考を持つと、自動的に呪いが発動し、罰が与えられる。
夜の遊びの国に住まう条件は、ただひとつ、子供であること。
至上の命題は遊んで暮らすことだ。
他は忘れねばならない。故郷も、家族も、何もかも。思い出し、懐かしむことさえ許されない。それは夜の遊びの国に対する反抗を意味する。
遊びを拒否し、自分の家に帰りたいなどというのは、もってのほかだ。
永遠に愚か者であらねばらならない国民が、愚か者の王たるハーレキンの定めた幸福な生活を疑うなど、在ってはならない危険思想だ。
そもそも、呪いによって子ども達はどうなるのだろう?
白雪姫は子供達が「消えた」と言った。
詳しい状況はわからないが、夜の遊びの国から異物を取り除く為の魔法だとすれば、納得できる結果だ。魔法の掟とは住人の行動に関する禁止事項の設定だ。魔法学の授業でも習った覚えがある。禁止されている特定の行動を取れば、その行動そのものがスイッチとなる。それを禁忌に触れるという。すると自動で魔法が働き始める。スイッチを入れた者に、定められた罰を与えるために。
なんらかのきっかけでその危険に気付いた白雪姫は、魔法を使えなくとも気をつける術を学んだ。要は禁忌にさえ触れねば、異端分子を排除する魔法は作用しないのだ。
「あなたは正しいわ。がんばって忘れていてね。そうしたら、私がきっと助けてあげるわ」
ラリゼルの変なはげまし文句に白雪姫は曖昧な笑顔で応え、でも真剣なラリゼルを見て少しは元気が出たようだった。




