第二十話 百万石の威圧
上田合戦の後も、男は戦い続けていた。真田家嫡男・信幸は父と共に十数度の合戦に負われた。徳川家、北条家、上杉家。家臣も、信幸自身もただただ、生き残る事に全てを賭けた。そして、今までの五年間――。
彼は、一度も負けなかった。
「らしいではござらぬか。その手並み、見せてもらいたく存ずるが……如何かな?」
「儂も、噂だけは聞いておる。不敗の将、『信濃の獅子』とまで呼ばれる信幸殿……是非、其方の戦を見てみたい」
信幸は、有無を言えなかった。目の前にいるのは北陸の大物・前田利家と、上杉景勝。この二家と共に真田が攻めるのは、北条家支城・松井田城……。
二人の石高は合わせて百万石以上。その圧力に真田家は圧されていた。信幸は上杉に啖呵を切ってしまった四年前を、激しく後悔した。
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数日前。
弁丸の元服に加え『源次郎』の名を聴き、信幸は若干の動揺を見せていた。信繁は信幸の後列で佐助や部下と談笑している。信幸は信繁の名乗りを思い出す。
『我が名は真田信繁!真田家の日輪なり』
あまりにもらしくない台詞だ、と信幸は感じた。弟は口では無く行動で示す人間だと思っていた。真田の男は例外なくそうであるのだから。
自分を見失っている事は明白であった。あんなに一途に武功のみを欲していた信繁の初陣だと言うのに、本人が舞い上がってしまっている。信幸は信繁の身を案じると共に、昌幸の描いた絵を考える。
信繁を豊臣に、自分を徳川に付けさせた事はわかる。この北条征伐とて、十割型豊臣が勝つ!とまでは言い切れない。北条と誼を通じている徳川に保険を置いておく昌幸の策は賢明であった。
が、信幸は実の所豊臣が勝つと確信している。理由は武田家滅亡時と同じ、包囲の外からの援軍が無いからである。唯一の頼みの綱である徳川が豊臣に着いた今、北条は秀吉に反逆を起こした時点で敗着の一手を打ってしまっている。
物量では、堺・京・大坂の支配者たる秀吉には敵わない。
つまり昌幸は、信繁を信幸よりも安全な場所に匿ったという事である。そして、信繁の優遇はそれだけでは終わらない可能性がある。
――廃嫡を狙っているのか?
信幸は首を振って邪念を振り払おうとする。そんなわけはない。現在の真田家における信幸の功績は測り知れないわけであって、いかなる理由があっても嫡男の、後継者の座から引きずりおろされる事はない。
ないのだが……、長尾景虎(上杉謙信)の例もある。景虎は守護・上杉定実の口添えで兄から家督を奪い取った。時の権力者の口添えと、それに足る功績があればあり得ることなのである。
同様の事を昌幸が、豊臣秀吉を利用して起こそうとしているとしたら……?
「信幸、いかがした?」
「いえ、何でもございませぬ」
珍しく顔色の悪い信幸に、昌幸が声を掛ける。信幸はそれを嫌って、笑顔を作って見せる。
間もなく二万の連合軍が、北条領に入ろうとしていた。
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そして数日後、冒頭の軍議で無理難題を押し付けられたと言う訳である。
「独力で、松井田城に当たれですと!?」
「碓氷峠から侵入して頂きたい。真田殿なら、能うであろう?」
「あれほど見事に我が上杉に啖呵を切って見せたのだ。ここでその手並みを拝見いたしたい」
「……」
上杉景勝は四年前の信幸との会見の態度について、ここで蒸し返してきた。やはり腹の底には遺恨が残っていた様である。信幸が意外だったのは、上杉とはかつて敵対関係にあったはずの前田利家までもが乗っかってきたことである。
「慶次郎や関白殿下より聞いておるぞ、東国では類を見ない智将であると」
どうやら、慶次郎との友誼が裏目に出た様であった。そして信繁にも一睨みをかましてやりたかったが、生憎後方に控えているらしい。
参った事に、この二人の大大名に言い寄られては松井田城攻めの先鋒は昌幸ではなく、信幸という事になりそうだった。目出度く前田・上杉軍は無傷で他の支城攻略に迎える、という訳である。信幸は進言した人物に大いに心当たりがあった。その人物は景勝の隣で笑いを堪えているに違いない。
――だが、これは……。
信幸はこの決定による利益と不利益を分析した。
利益。真田信幸という嫡子の働きを天下に示す事が出来る事。不利益。数の差からして真田方に損害が多数出る事は避けられない事。
――分が悪い。と言うより無駄死にではないか。ならば……。
「よろしいでしょう。この松井田城攻めは真田が単独で当たらせて頂く」
「何?本当に良いのか、信幸殿」
「先に仰られたのは少将様方では?」
「それは、そうだが……」
まさか信幸が受諾するとは思っていなかったらしい。利家・景勝両名とも困惑の色を見せた。
「お待ち下され、兄上」
昌幸も黙する中、信繁が一人諌める。
「如何に兄上と言えども、松井田城の城兵は約三千との報告。真田の兵数と同じではござりませぬか」
「それがどうかしたか?」
「兄上らしくもない、信玄公ですら城攻めは十倍で当たっていたそうではござらぬか」
「笑止。俺が手子生城で、何倍の兵力差を覆したと思っている」
「む……」
実績を出されては信繁も黙らざるを得ない。だが、その成功例に縋る事こそ信幸らしくない。兄が焦っているという事が信繁には分かった。
確かに今迄信幸は北条相手に勝ち続けて来た。だが今回の相手は、上田城に近い難攻不落の松井田城、十万石の大名に匹敵する相手である。守り手は北条随一の智将・大道寺政繁。信繁が不安になるのも無理は無い。が、次の一言が信繁の心を釘付けにした。
「ただし信繁。お前も一緒にだ」
「え?」
「お前と俺なら出来る。そう言っておるのだ」
「あ、兄上……」
「お前にその気があれば、の話だがな」
「ぎ、御意にございます!」
初めての共闘宣言に、信繁は感涙を流しそうになった。だが、これに慌てたのが上杉景勝、そして直江兼続である。
「待たれよ!信繁殿はこれが初陣。彼我の兵力差の無い乱戦に連れて行く事は不味い」
「こ奴とて真田の兵。覚悟は出来ておりまする」
「当然の事!兄上と一緒ならば」
「待たぬか信繁!」
兼続を始め強固な反対を見せる上杉家に、信幸はニヤリと笑う。この反応を見るに、上杉が関白から信繁の面倒見を頼まれている事は確実である。信幸はそこに付け込んだ。
――貴様ら如きに弟を操られて堪るものか。俺が一番、弟の事を知っているのだ。
信繁の本質は武者である。誇りを刺激してやれば、迷わず突貫する。昔と変わっていない底の部分を確認した信幸は少し安心した。
「上杉が兵を出してくれぬから兵力差が生まれぬのです。信繁も某も玉砕覚悟で城攻めを行うしかありませぬなぁ」
「貴様、足元を!」
「止せ、兼続。昌幸殿、貴殿は如何に見る?」
遂に景勝は昌幸に意見を求めた。信幸を睨んでいた昌幸は顔面を整える。昌幸とて、信繁が死んでは困るのである。とくれば、答えは一つであった。
「上杉、前田にご助力を。お願い申しあげる」
昌幸は頭を下げた。下げざるを得なかった。この要請を無視する両家ではない。本来なら当然の形なのだから別に損をした気にもならなかったらしく、すんなりと受け入れた。
「相わかった」
「前田も関白のため、全力を尽くす」
「ありがたき幸せ……」
昌幸は顔をしかめた。形式上は景勝と利家に下げたのだが、実質的には……。
こうして軍議は終わりを告げた。信幸の思い通りの結果であった。
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同じ頃、碓氷峠に二つの人影があった。まるで虚無僧の様に深編笠を被り、腰には刀を差している。その内の一人は何と薙刀を背負っているではないか。あからさまに怪しい格好をした二人組であった。
「姉上、この笠、チクチクいたしまする」
「む、そうだな。そろそろいいかな」
二人は深編笠を投げ捨てた。美丈夫と見紛うほどの長身・黒髪の少女と、まだ年端もいかない小柄な少年が現れた。
「姉上、本当に大丈夫なので……?」
「何が?」
「僧に変装して家臣を巻いてまで、戦場に。ああ、また父上に叱られてしまいまする」
「阿呆!」
「痛ッ」
少年の頭をポカリ、と殴りつける。少年は泣き出してしまった。
「ふえぇぇん!」
「泣くな、二郎!それでも本多家の男か」
「姉上が無理を言わなければ、某は今も留守番をしていられたのに」
「私だって忠政の軍に紛れてついて行こうとしたのを、父上にバレて留守番にされた。この十万の大戦を前に留守番なんて真っ平だ!大体、忠政の奴は私より年下の癖に」
「姉上は身勝手にございまする!おひとりで来ればよろしいのに」
「うるさい!」
もう一度頭を殴りつける。今度は吃逆を始めるほどに泣いてしまった。流石に悪いと思ったのか優しく抱きしめながら頭を撫でてあやす。
「ふぇぇん」
「そうは言うがな二郎、バレたとしても父上はきっと褒めて下さるぞ」
「なっ、なにっ、ゆえ」
「この戦見聞、決してお前にとって無駄ではないからさ」
「ふぐぅ」
「この地点は前田・上杉の二万の大軍が来ると父上は言っていた。凄い戦が見れるやもしれんとな。すなわち見に行けという合図にちが」「違いまする。絶対に」
吃逆が止まった隙に二郎が突っ込む。
「うるさいな、例え父上に怒られても私はしょげはしない。強くなって蘇るぞ、さながら稲穂の様に」
「ふぐっ」
渾身の力で二郎を抱きしめるこの勇敢な少女。本多平八郎忠勝が第一子にして長女・稲姫十六歳。
後に小松姫と名を変える男勝りの女性は、まだ七歳の次男坊を抱えて颯爽と戦場へやって来たのだ。ただ戦を見たいという欲望を、自らの足を使って叶えて見せた。
そしてこの二郎が後年、小田原合戦に負けず劣らずの大戦にその身を投じるとは、稲姫でさえも予想はしていなかった。




