第二十一話 初陣は馬鹿になれ
「あんの、馬鹿娘があぁぁぁぁ!!」
歴戦の兵士達をすくみ上らせたその怒声は、岩槻城攻めの準備を整えていた本多忠勝の陣から聴こえて来た。
嫡男である忠政が恐る恐る顔を覗き込む。
「あの……まさか、また姉上が何か」
「また勝手にいなくなったと、傅役が文を寄越しやがった。しかも二郎も一緒にだとよぉ!」
「父上、落ち着いて下され。兵達も恐ろしがってございます」
周りを見渡すと、側近達が口を押さえて棒立ちになっている。忠勝はオホン、と咳払いをすると、文書を握りつぶした。
――まさかとは思うが、碓氷に行ってねぇだろうな……。
『家康に過ぎたるもの』、戦における勘の鋭さは一級品であった。つまりその不安はまさに的中していたのである。
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信繁は揺れていた。兄は自分を見捨ててはいなかった。今まさにこの戦で必要としてくれていた。
秀吉に言われた事を思い出すと、身の毛もよだつ。
『松井田城攻めに加われ。お前の兄が成功しなかった時は、前田と上杉に頼んでお前に手柄を立てさせてやるわ。そしてゆくゆくは、『豊臣信繁』が真田を継ぐのだ』
つい先程まで、自分が兄に取って代わる瞬間を心のどこかで待ち望んでいた。だが、自分の本質が『信繁』である事を、信幸の檄によって気づかされた。
――真田を継ぐなど、兄上を出し抜くなどと……。
信繁が恐れるのは、その動きが信幸に悟られていないかという事だった。
「弁丸、入るぞ」
信繁の陣に兼続が入って来る。
「御家老、もう弁丸ではございませぬ」
「ふん。関白からの命を貫き切れぬ貴様が、大人であるものか」
「む……」
兼続は目に見えて不機嫌であった。信繁が上杉を出て行ったことだけでも憤慨しているのに、信繁は軍議でも信幸に賛同してしまった。予定では信幸を単独で出撃させ、城を落せず世間や諸大名の不興を買う、という絵が描かれていたのに、である。
「あの男を追い落とせば、貴様は真田を継げるのだ。大名となれば、東北の平定で如何様にも武名を立てる事ができるのだぞ」
「しかし、兄上は」
「あのな、戦国の世は一族、兄弟の契りさえも容易く捨て去る。そんな者こそを愛するのだ」
兼続は信繁の頬に両手を当て、顔の方向を強制する。じっと目を見て話すその話術は、不思議な魔力すら感じられそうだった。
「景勝様は義理の兄弟を蹴落とした。利家殿に至っては長兄から家督を簒奪したお方だ。それが今やどうだ、百万石に届こうかという大大名ではないか」
「某は、石高など欲しくはない!」
「貴様の意志など関係は無い。貴様は『豊臣信繁』なのだ。忘れるな、真田を継ぐのはお前だ」
兼続は陣を去って行く。明日はいよいよ碓氷峠から松井田城へ向かう算段になっている。
大好きな信幸と一緒に戦場を駆けることが出来る。しかも待ちに待った初陣なのである。昔二人で赴いた戦見聞の時の様に、気分は高揚するかと思っていた。
だが、気持ちを天に昇らせるには余りにも邪念が多すぎた。豊臣秀吉から、直江兼続から、そして真田昌幸から背負わされた物は、あまりに心を窮屈に変え過ぎた。
「兄上ぇ……」
いつか尊敬する兄の役に立ちたいと、それだけを考えて生きて来た幼年期だったはず。兄の為に動ける自分はもういない。
自分で考えて動けていない事。それは即ち子供である事の証明であった。
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朝が来る。雀の鳴く頃には、信幸と信繁は馬を並べて歩いていた。
気持ちの整理が出来ていない信繁にとって、兄の真横は辛い特等席である。
「『源次郎』、如何した」
「いえ」
「先程から俺と目を合わさぬではないか」
「いえ」
「緊張しておるのか?初陣とはいえ、お前はいくつだと思うておるのだ」
「いえ」
「……」
言葉を交す事さえ怖かった。兄は昔から、自分の全て……心からの敬愛以外は、全てを見抜いてきた。きっと、隙あらば嫡子の座を奪い取ろうとしている事さえも、お見通しなのだろう。
嫌われるのが、恐かった。今更ながら、大人になる事が、弁丸から源次郎信繁になる事に恐れを抱いた。
「ほら、二郎!もっと近寄って見なければせっかくの緊張感が台無しだぞ」
「恐ろしうございます、姉上ぇ」
「阿呆!それでも武士か!」
「痛いッ」
その微笑ましい会話に反応して信繁が高地に目をやると、野次馬か戦見聞か、少年少女が戯れていた。
『兄上が天下をとれば、日ノ本は平和になりまする』
『阿呆!弁丸』
『痛ッ』
懐かしいあの日々も、今となっては足枷に過ぎない。信繁の表情は一層暗くなった。
その様子を見飽きた信幸は、ふぅ、と溜息をつくと、笑いダケでも食したかの様に笑い出した。
「フッ、フハハハハハ!」
「あ、兄上?如何なされたので」
「ハッ、弁丸よ。あの姉弟、昔の俺達そっくりではないか」
「兄上!私はもう弁丸では」
「良いではないか。初陣が済むまでは弁丸と呼ばせてくれ。兄の頼みだ」
「う、まぁ……それなら良いですが」
「それにしても大柄な娘だな。俺やお前と同じくらいか」
「流石にそれはないのでは……」
信繁の心のつっかえが、音を立てて外れた。
「弁丸よぉ。初陣と言う物は、一生に一度しかないのだ」
「存じておりまする」
「子々孫々まで語り継いでいかねばならん。お前、今の自分にそんな戦が出来ると思うか?」
信幸の眼は鋭くなっていた。信繁の邪念は全て見抜かれている。
「思いませぬ」
「俺も思わん。お前は初陣の小僧っ子の分際で、背負いすぎているからな」
「さっきと仰っている事が違う様な?」
「豊臣だ、真田だ、上杉だなどと言うのは、俺や父上が後から考えてやる。後悔しない様にこの初陣だけは、自分の好きな様に暴れ通せ」
「よ、よろしいので?」
「その結果、俺やお前がどうなろうと恨みっこ無し。思い切り武名を上げて来い」
「は、はっ!」
丁度山影を抜け、陽射しが二人の体を温めていく。信繁は体から邪気が抜けていく事を体感した。
――戦える。今日だけは、思う存分兄上と戦える!
信幸は吹っ切れた信繁の顔を見て、思わず顔を逸らした。分かっていたのだ。これが、兄弟の最初で最後の共闘になるかもしれない事を……。
******
「才蔵、佐助。斥候を頼めるか」
「「御意に」」
信幸と信繁は、昌幸の命で物見に出て来ていた。碓氷峠を百の真田兵と共に降りていく。
「物見なのに、さらに斥候を放つのですか?」
「物見だからだ。機動性に重きを置くために、ほとんど非武装で来ているのだぞ?伏兵がいれば終わりだ」
「なるほど」
紙に書き留めておきたいほど、信幸の行動はタメになった。初陣の信繁には宝物の様に嬉しい事であった。
信繁は周りの兵士を見渡す。信幸の持つ実績からか、寡兵であるにも関わらず泰然とし、かつ油断が無い。これだけでも信幸の訓練が如何に厳しい物か分かると言う物だった。
と、感心して呆けていたその時である。一瞬で信繁は緊張に包まれた。弓矢を放たれながら才蔵と佐助が戻って来るではないか。
「若殿ぉぉ!」
「才蔵、報告せよ」
「申し訳ございませぬ!与良与左衛門以下八百名、伏兵を招き入れてしまい申した」
「はぁ~。やってしもうたか」
「面目次第もございませぬ」
「聞いたか弁丸、八百だと。八倍だ八倍」
「い、如何致すので!?」
「佐助、来い!」
信幸は佐助を呼ぶと、後方に控えている昌幸の本隊に応援要請を頼んだ。
「若殿はどうなさるので?」
「無論、迎え撃つまで」
「む、無茶でございまする!敵の数が」
「お前が戻ってくるのが早ければ、助かるやもしれんなぁ」
「あぁもう!若殿、信繁様、どうか御無事で!」
佐助を見送る信幸はケタケタと笑っている。その様子を見て、浮つきかけていた真田兵は落ち着きを取り戻す。
「さぁて、信幸軍名物・大物喰い。初陣の源次郎に見せてやろうではないか?」
「オオォォォ!」
「兄上、無茶では!?」
「阿呆!」
信幸は弟の頭を兜の上から叩く。両者ともに、とても懐かしい感覚に包まれた。戦場であるにも関わらず、である。
「これはお前の初陣であろうが。馬鹿になれ。どうせ冷静になれっこないのだからな」
「馬鹿に?」
「そうだ。つまりいつも通りやれば良いのだよ。ほれ、槍だ」
信幸は信繁に十字槍を投げ渡す。
「来るぞ!どちらが多く首を取れるか、勝負といこうではないか!」
「なっ……の、望むところ!」
「吉田、分かり易く突っ込んで来る大将を狙うぞ。鉄砲隊、高地へ移動して狙撃準備、速やかに!」
「御意!」
家臣の吉田政助が敵陣中央の大将・与良与左衛門に向かって行く。その後ろから負けじと信繁が追いかける。
――大将首、取ってやろうぞ!
その信繁の姿を見つめながら、信幸は滝の汗を流していた。兵と、そして弟の指揮を上げるために強がってはみたものの、野戦において八倍の兵力差は不味い。一か八か、鉄砲隊の狙撃に賭けるしかなかった。
真田兵八十が北条の前陣とぶつかり合う中、突出しながら指示を出している与良与左衛門を見つけ出した。
「与良殿、御首頂戴仕る!」
「何を、真田如きにくれてやる首は無いわ!」
吉田と与良が小競合いを始める中、信繁は周りの武者に猛威を振るっていた。
「きえぇぇぇ!」
「怯むな!相手は一人ぞ!」
信繁は三人に囲まれてなお、その気勢を削がれていなかった。槍の切先を三人の正中線に構えながら、ジリジリと距離を詰め、隙を待つ。日々の鍛練で想像している通りの隙を。
――パァァン!
鉄砲隊の狙撃の音で、信繁と対峙していた三人がすくみ上った。その瞬間を信繁は逃さず、一気に間合いを詰める。
「もらった!」
ギュブッ、という音と共に、信繁は三人の内一人の喉笛を突き刺した。
「ぐふっ」
――プッシャー……。
黒いような赤いような、生暖かい液体が降り注いだ。
「ひぃぃ!?」
逃げる二人を他所に短刀で首を狩る。
「こ、これで某も……」
童貞を捨てるその瞬間、この首を狩ったら、自分はこの先どうなってしまうのだろうという不安があった。殺生をする事に葛藤があった。
「阿呆、弁丸!はよう首を取らんかぁ!」
それを振り払ってくれたのは、やはり兄の怒声であった。弁丸は目を瞑って、刃にかかる肉の感触に震えながら首を狩った。
信繁は初陣にして首級をあげたのである。
同時に、北条軍の戦線が下がりだす。信幸の用意した鉄砲隊が、指揮官である与良与左衛門の狙撃に成功したのである。
「与良様が討ち取られた!退け、退けぃ!」
「弁丸、追撃するぞ!今なら討ち取り放題だぁ!」
「あ、兄上!?いつの間に」
気づけば信幸は、信繁の真横にいた。信幸の育てた鉄砲隊の鮮やかな一点射撃に感心する暇もなく、二人は与良勢を追撃していく。
信繁は嬉しかった。夢にまでも見た展開である。兄と共に肩を並べて、大数の敵兵を掃討している。
「フフッ」
「フッ、フ」
「ハハハハハ!!」
二人は同時に笑い出した。子供の頃、吾妻川で一緒に鍛錬したあの頃の様に、全力で走り、懸命に槍を振りながら。
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「あ、あ、姉上ぇぇ……あの二人、声をあげて笑っておられますぞ……戦場で、信じられない!」
鉄砲隊とは逆側の高地から眺めていた本多姉弟はそれぞれ違う感銘を受けていた。
二郎に言わせればその光景は不気味であった。笑いながら掃討する二人は、客観的に見て異常者そのものである。戦場でケラケラと笑いながら首を取っているのだから当然の事であった。……が、稲姫の感想は一味違う物であった。
「ああ、いいなぁ……」
「あ、姉上?」
「凄いなあいつら、槍と狙撃であの兵力差を覆した。あの勇敢さ、大胆さ。格好……いい……」
「あぁ、また始まった」
二郎は顔を覆う。稲姫はゾクゾクと鳥肌を立てながら二人の追撃を見つめている。昔から父の活躍を隠れて身に行っては、この現象を引き起こしているのだ。
「まるで父上の様ではないか、あの二人。何とも格好良く、羨ましいよ。あの姿こそ武士だ!ああ、こうなったら私も行くぞ!」
「駄目!それだけは絶対駄目でござる!」
「えぇい放せ二郎!私も戦うぅ!」
結局、昌幸の本隊が合流した頃には、八百人いた筈の与良勢は四散していた。そこにいたのは二人から伝染したのか、勝鬨代わりに馬鹿笑いを起こしている真田の兵達だけであった。
真田源次郎信繁、二十二歳。後世まで伝わる、堂々たる初陣であった。




