第十八話 日ノ本一の男達
その二人は、美丈夫とはとても言い難かった。片や半農から成り上がった、下剋上の象徴とも言える人物。片や美意識に無頓着な、機能性のみを求める人物。もし前情報無しに男と会ったとしたら、思い上がった武士であればどんな粗相をしてしまうか、想像に難くない。
だが、誰も勝てはしなかった。現状、いや下手をすれば歴代の日ノ本で最強と言っても良い存在……。
真田家次男坊・弁丸と嫡男・真田信幸は、それぞれに運命の出会いを果たす。
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初めてその男を目にしたのは、人質として大坂に来たまさにその日であった。
「其処もとが使者殿か?」
「へぇ。関白様がお待ちでごぜぇます。こちらへ」
迎えに現れたのは肌の薄黒い小男だった。手の形もなにやら奇形である様子で、一瞬不気味に思える怪人であった。付き添いの佐助も思わず愚痴をこぼした。
「斯様にみすぼらしい者を使いに寄越すとは、関白殿下は我らを信濃の田舎者と見くびっているのではござりませぬか?」
その言葉を聴いた瞬間、弁丸は兄・信幸が常日頃から言っていた事を思い出す。
『他家の関わる事は万事が戦。一瞬の油断を見せれば斬られると思え』
――もう、兄に見くびられたくはない!
弁丸はただその思いを念頭に置いて、実践を始めた。まずは佐助を叱りつける事からだ。
「佐助!無礼な事を申すな」
「はぁ、しかし若」
「我らは人質として参ったのだ。今この瞬間には、もうこの方も家族の一員ぞ」
「か、家族?」
「一心同体。絶対に裏切らぬ覚悟こそ、人質には必要であろうが」
「はぁ」
そして案内された広間の上座には、誰の姿もなかった。弁丸は下座に正座すると、薄黒男に尋ねる。
「関白殿下はまだお見えになっていないようですな」
「左様で。もう暫くでございましょう」
「おい、貴様は何も聞いておらぬのか」
佐助の荒い言葉使いに、薄黒男はムッとする……間も与えず、弁丸が叱咤する。
「佐助!関白様の使者になんという言葉遣い、改めよ!」
「しかし若、これは失礼と言うもの」
「こちらは無法を推して臣従を決意した身だと、父上が仰っておった。低頭で臨まねば真田は滅ぶ。今この瞬間に我らは真田を背負っているのだぞ!」
「なるほど、のぅ」
弁丸の体が震えた。薄黒男の纏う空気が、まるで獣に変化したかのように一変したからである。
薄黒男が着物を翻すと、裏地からは煌びやかな虎の刺繍が現れた。
「治部が『表裏比興』と例えた真田だが……なかなかどうして、根は純ではないか?」
「あ、あ……」
「低頭で臨むのではなかったのか?」
「は、ははぁっ!」
薄黒男改め秀吉は上座へ座った。小男に見えたその体躯が、自身の二倍にも三倍にも感じる事に弁丸は恐怖した。
「そちを人質に臣従を認めて欲しいと、『表裏比興』は言うて来たが、本当かえ?」
「さ、左様でござりまする!」
「ふむぅ。しかし、その佐助とか言うたか?その従者、いや忍か?態度が気に入らんでの」
「し、失礼をば致しましたぁッ!」
佐助は頭を畳に擦りつけている。作法も何もあった物ではないが、謝罪の意を伝えようと必死だ。
「まぁ、次男坊の殊勝な態度に免じて、臣従だけは認めてやろうかのぉ」
「誠で!?ありがたき幸せにござりまする!」
「ふふん、愛い奴よ」
弁丸も、佐助も背筋を凍らせた。
――もし、一連のやりとりで某が無礼を働いていたとしたら……!?
生きた心地がしなかった。日ノ本一の戦国武将の一撃は、今までのどの衝撃よりも重たかった。そして偉大な兄の教えの正しさを、身をもって体感した瞬間であった。
人生の中で絶対に敵わないと感じた二人の内の一人。この瞬間が、弁丸の人生を分けたかもしれなかった。
そして秀吉の中でも、弁丸に対する興味が湧きに湧いていた。
――こやつには、『豊臣』になってもらわねばならんかのぅ。
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初めてその男を目にしたのは、徳川家が豊臣に臣従した後であった。
「顔を上げよ、真田殿」
「ははっ」
昌幸と信幸は、駿府城の徳川家康との謁見を果たす。信幸は初対面である。
上田城での真田方の勝利によって、家康は豊臣との戦争計画を大いに変更し、遂には和睦、臣従の要因ともなった。つまり憎まれてしかるべきであった。
にも関わらず豊臣秀吉は真田は徳川配下として存続させる、という裁定を下してしまった。そのために駿府城に挨拶に来る必要があったのである。極端な話、ここで斬られても文句は言えないし、もし殺害されても秀吉は徳川家に軽い罰を与えるだけである事は、真田親子には容易に想像がついた。
故に、今の二人は場の空気を読み取る事で必死であった。殺気を感じたらすぐさま転進しなければならない。
「上田では、大層世話になった様だが……?昌幸殿」
「天運と息子に救われましてございます」
家康の詰問に昌幸はサラサラと答えて見せる。それも、不自然に信幸を持ち上げながらである。信幸は一瞬で父の狙いを看破した。
――俺を人質にするつもりか。
事前に聞いてはいなかったため、信幸は若干の不信感を露わにした。理屈は分かる。嫡男の人質はこの戦国では何よりの保証となる。
しかし真田昌幸と言う男は、その嫡男でも難無く切り捨ててしまうほどの冷徹さもを持つ事もまた、信幸には分かっていた。
「嫡男殿よ、近う」
「はっ」
信幸は低頭のまま、昌幸を横切って家康へ近づこうとした、そのときであった。
真横にいた陪臣の一人から、ただならぬ殺気を感じ、動きを止める。
「……如何なされた?嫡男殿」
「いえ、何も」
その瞬間であった。
「チェイィィィィ!」
殺気をそのままに、陪臣は信幸に向かって踏み込み抜刀した。信幸はその時、脳を急速回転させた。
真田信幸暗殺による利益。上田合戦の恨みを晴らせる。不利益。真田及び豊臣との同盟破棄……。
――斬らぬ!
信幸は咄嗟の判断を効かせ、動かなかった。そして予想通り、陪臣の刀は首筋の寸前で止まった。驚くべきはその寸止めの技術である。一体どれほどの鍛錬を積み修羅場を潜ればこの距離で止められるのだろうか。信幸の関心は既にそこへと移っていた。
そしてこんな芸当が出来る人物は、徳川家中でも一人しかいないだろうと予想できた。その熊と見紛う程の体躯と、鷲の様な鋭い目。噂に聞いた通りの見てくれであった。
――これが『家康に過ぎたる者』、本多平八郎忠勝か!
「た、忠勝殿、同盟者になんという無礼を!」
他の陪臣は慌てて忠勝を取り押さえるが、忠勝はそれらを力づく
「放しやがれ、ちょっとからかってみただけじゃねぇか」
「それがいかんと申しておるのです!」
「何故あなたは毎度その様な」
忠勝は納刀すると、信幸に非礼を詫びる。
「すまなかったな嫡男殿。殿に分かり易い様にあんたを値踏みさせてもらった」
「……」
「殿。真田の『嫡男は』信用できる。俺が保証しますぜ」
「そうか。ご苦労」
家康はそう言うと、自ら信幸に歩み寄って顔を覗き込んだ。
信幸は続けざまに背筋を凍らせた。
「なるほどのう。元忠がしてやられるわけじゃ」
「天運に恵まれただけにござりますれば」
「謙遜は良い。お主は、そしてそこに控える安房守殿も常在戦場……平和とは無縁の者という事か」
「平和?」
信幸はその言葉を、何故か初めて聞いたような錯覚に襲われた。平和という事は、戦の無い世の中になるという事だが……。
もはや信幸には戦場以外で生きる自分自身が、想像できなかった。心の平穏の連続する可能性が、想像できなかった。
結局、昌幸には引き続き信濃数郡を任せることとなり、北条に沼田を引き渡すよう要請して謁見は終了した。
「平八。真田昌幸、どう見るか?」
「信用できやせんねぇ。実際、あの男には手玉にとられたわけですから。それに、懐疑心が強い」
「何故、それが分かる?」
「鉄の匂いがした。奴は、鎖帷子をつけていましたぜ」
家康は苦笑する。自分達が如何に信用されていないかの現れである。
「源三郎信幸は、どうであろう?」
「あいつは……別の意味で危険だな」
「危険?」
「父親ほどの懐疑心はない。しかし一度牙を剥いたら、あいつは死ぬまで牙を研ぎますぜ」
「それほどまでか?」
「北条に勝ったのも徳川に勝ったのも、あれなら納得がいきましょうな。『常在戦場』。ありゃあ生粋の戦人ですなぁ。しかし……」
「見極めはまだ、か?」
「ええ。恐らく九州、関東、東北。何れかには駆り出されるはずでさぁ。もしそれを乗り切ったら真田は信濃の要となる。その時が友誼の結び時でしょうよ」
二人は昌幸の、信幸と徳川に関係を持たせるという狙いに気づいていた。
「真田昌幸の思い通りになるのは心苦しいが、『その時のために』信濃に味方は欲しいからのう」
「左様ですなぁ。『その時のために』ね」
そして忠勝は躍り出す筋肉を抑えながら、家康に笑いかける。
「嬉しくなっちまいますねぇ。若い衆に、まだあんな恐ろしいやつがいるなんざ」
「徳川の為に働いてくれるかは、まだわからんがな」
「俺は気に入りましたよ。あの男」
忠勝はケタケタと笑いながら呟く。
「稲の奴にだって、あいつなら敵うかもしれねぇなぁ」
海道一の弓取り・徳川家康と、東国無双・本多忠勝。真田信幸、二十歳。二人の義父との出会いであった。




