第十七話 救済の喜び
『弁丸を返せ。そ奴はもう上杉の家臣、勝手な引き抜きは如何に豊臣とて許さぬぞ』
直江兼続からの十度目の文が三成の元へ届いていた。
「俺に申しても仕方がないと言うのに……」
三成は辟易していた。先日の事件で弁丸本人に襲撃され、タダ者では無い事は分かっている。だが、タダ者でなければないほど、豊臣秀吉という男は頑なに手元に置きたがるものなのだ。例え友である兼続の言い分とはいえ、秀吉に真っ向から逆らえば三成の首も危うい。
「また、御家老からでございまするか?」
「ああ。弁丸はどうやら男に好かれる体質の様だな」
「何やら身震いがしまするな」
三成の屋敷に遊びに来た弁丸が軽口をたたく。大坂に来て一ヵ月、仕草や格好はまだまだ田舎くさいが、たちまち都会暮らしにも慣れてしまったようだ。三成が諸侯に文を書かなければならない時にもしょっちゅう邪魔をしにくる始末である。ポリポリと『干し飯』を噛みながら、庭で槍を振っている。
「御家老には申し訳ないと思っておりまするが……もうどうしようもない事でござる」
「お前、意外と割り切っておるのだな」
「……某は所詮、駒にすぎませぬ」
弁丸の目が突然虚ろになるので、三成は慌てて励ます。
「人質とて立派な役目。ただの人質では無い、お前は客将であるのだ。俺達家臣団と同格と思っても良いのだぞ」
「そう、でございましょうか?」
「そうだとも。秀吉様はいずれお前に官位を与えたいと思っていらっしゃるぞ」
「官位!?某にでございまするか?」
弁丸は目を丸くした。今年は前田利家、上杉景勝、そして直江兼続に官位が授けられたが、自分には決して手に入らない物だと考えていたからだ。
「今の殿は朝廷内でも頭にいらっしゃる。官位を自由に交渉できるのだ」
「なんと!」
「未だ九州攻め、そして北条・徳川攻めが残っている。お前だって出陣が許されれば、功があげられる。そうすれば官位だって思いのままなのだ」
「それは素晴らしきことにございますな!」
弁丸が元気を取り戻した様子を見て、三成は満足する。
この男の楽しみは、底にいる人間を救い上げる事である。茶坊主の時代から、人を喜ばせるために様々な工夫をしてきた。
上杉や前田、徳川の上洛の手助けもしたし、諸侯への手紙も欠かさない。三成の気配りは(少なくとも本人にとっては)完璧であった。
だが、それが周りに好印象を与える事もあれば、ゴマ擦りと見えてしまう事もある。武辺者の加藤清正、福島正則達はあまり三成を良く思っていない様であった。
「いずれ来る出陣に向けて、稽古に励まねば!」
「その前に元服を果たさねばな」
「ぐむ……」
三成と弁丸は、まるで兄弟の様に過ごしていた。軽口を言っては窘められていた、あの頃を……信幸を思い出しながら。
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「貴殿が真田の嫡男か。顔を上げられよ」
「はっ」
信幸は越後・春日山城に来ていた。言うまでもなく弁丸の件の弁明についてである。しつこく言い寄って来る(当たり前なのだが)上杉に対して、豊臣家・石田三成から直接弁明に行くように指示が出たのである。
使者を立てる事も考えたが、当初昌幸は自らがいくという考えを示した。弁明に本人が赴く事は異例であるため、家臣に引き止められた。結局妥協案として、信幸は自身の出張を提案するしか無くなった。
政治に関しては昌幸の方が断然上である。最初から経験を積ませる名目で信幸に行かせるつもりだったのだ。
信幸は平服している間にも、歯ぎしりをしていた。
「何故、この様な事をしでかしたのだ。真田よ」
目の前の右近衛少将・上杉景勝の圧力に耐えるのが精一杯であった。御館の乱を経て、自ら当主の座を手に入れた戦国大名は一味もふた味も違う。昌幸の威圧感に慣れている信幸でさえ、口を動かすのに倍の労力を払う必要があった。
「徳川と領地の接している豊臣家……これと結ばぬ事には、我らは踏みつぶされてしまいます故」
「そうされぬために我らと結んだ筈。お主らはこの上杉を信用していなかった、という事になるのではないか?」
「……」
「どうなのだ。真田信幸」
信幸は思案した。上田合戦の際も、その後の北条との沼田合戦の際も、上杉の助力はあまりに微弱だった。しかしその事に不満を漏らしてしまえば、この場で首を斬られても文句は言えない。
自分が死ねば、上杉も豊臣との同盟……否、従属を破棄することになる。先日滅ぼされた佐々成政と同じ末路を迎えるだろう。だが、それも辞さないという気迫が目の前の怪物からは読み取れた。
信幸は、自らが侮っていた上杉の大きさを知った。そして、気持ちを切り替える事にした。
――これは、外交ではない。紛れもない……戦である!
「信用しておりませなんだ」
「何!?」
「貴様、今何と」
「黙っておれ!」
信幸の言葉に呼応した近習が騒ぎ立てるのを、ものの一秒で景勝の怒声が沈めた。
「どういう事か、理屈次第ではここで貴殿の命を貰うぞ。兼続」
「承知」
信幸はその名に反応した。景勝の真横、ほぼ同じ上座に控えていた家臣が、憎き直江兼続であったらしい。何をするかと思えば……。
すぅっ、という清廉な音と共に抜かれた太刀を、勢いよく信幸の首に寸止めした。
瞬間、信幸は気迫の全てを腹に集めた。
――退くものか!
「ほう?微動だにせぬか」
兼続は素直に賞賛を述べた。だが、詮議はまだ終わらない。兼続が太刀を引っ込めていないためである。
信幸は焦った。背後に控えている才蔵が動く気配を感じたからだ。
「才蔵!動くな!動けば貴様、不忠にて『生かしては返さぬ』ぞ!」
才蔵は止まった。そして、その心遣いが信幸に力を宿した。
『生かしては返さない』。その言葉を発したお蔭で、身体に力が漲る。自分が攻勢にあると、勘違いしてくれたのだ。信幸の舌は潤った。
「ここから先は俺の雑感にござりまする」
「雑感?」
遜った『某』という一人称すら捨て去り、信幸は主張を始める。
「先の上田合戦のおり、上杉軍の山浦殿、まるで要請通りに軍を動かしてはくれませなんだ。徳川軍が敗走を始めるまで、ずぅっと後方で眺めているだけの体たらく」
「それで?」
「山浦殿は記憶違いでなければ、我が祖父、真田弾正の好敵手であった村上義清の御嫡男。信玄公を二度も下した名将の子息が、何故あの様な戦を致すのか……不思議でならなかったのであります」
「ほう、貴殿はその理由に見当が?」
景勝の使っている肘置きが、ミシリと音を立てた。力んでいる、猛っているのが信幸に伝わる。だが、これは戦。怯んだら殺される戦である。ヒヤリと冷える太刀先の温度も、信幸は無視して気勢を張る。
「この、上杉にござりまする!人質を奪われた程度でおたおたと、女々しく文官に抗議文を送り続ける、この体たらくのせいでござりまする!」
「貴様!」
「よい!言わせよ!」
景勝はまたも家臣を制する。信幸が驚いたのは、兼続の太刀が微動だにしなかったことである。つまり虚をつかれていない、兼続にとって予想の範囲内の発言であったという事であった。
――この男、底が知れぬ。
「左様に豊臣が、真田が憎いならば素直に軍勢でもって攻めて来ればよろしい。堅城上田で受けて立ちまする!」
「……兼続」
「はっ」
「えっ」
突然、信幸の後頭部に打撃が加えられた。信幸の視界がグルグルと周り、暗転を開始する。
兼続は太刀を引っ込め、信幸を足蹴にしだしたのだ。信幸の頭をこれでもか、という程に踵で蹴りつける。
才蔵は先ほどの信幸の発言で動けない。十度、二十度蹴り続けた後、兼続は信幸の髷を掴んで顔を上げさせる。
「落ちましてござる」
「そうかそうか。では、真田は不問とする。皆の者、本日は休養日じゃ、屋敷に帰って良いぞ」
「御意!」
信幸と才蔵を置いて、上杉家臣団と景勝は去って行く。一連の流れに満足した様子であった。
才蔵はすかさず信幸の容体を確認する。
「若!若、しっかりしてくだされ」
「半刻も経てば目を醒ますであろう。担いで帰られよ」
「貴様……!」
「おいおい、俺に怒りを向けるのはお門違いであるぞ?俺は真田を救ってやったのだ」
「救う、だと?」
兼続は扇子を開くと、信幸の顔に風を送りながら続ける。
「この男、この詮議の場を戦場に変えよった。あのまま進言を続けていれば家臣の憤りは暴発し、俺を押しのけてでもこ奴を斬っていただろう」
「しかし、これは……」
「ここまでやらねば、家臣も納得するまい。だが俺と殿が恐れているのは真田では無く、豊臣だ。勘違いをするな」
「……」
そう言うと、兼続は暫し信幸の腫れあがった顔を見つめた。
――なるほど、こいつは豪傑だ。
弁丸の言っていた事は、間違いでは無かった。それを確認した兼続は密かに舌打ちをした。
才蔵が信幸を担いで帰った後も、兼続はもやもやとした気分を払拭できなかった。
「忘れるな、真田信幸。貴様は俺に助けられた、救済われたのだ……」
弱者を助ける事。御館の乱でも、立場の弱い景勝についた様に。豊臣の家臣になる事を嫌ったように。それは兼続の喜びにつながるはずであった。
兼続は感じた。信幸は、自らの人生に渾なす存在かもしれないと。




