第十三話 それぞれの誤算
「大殿!鉄砲隊同士の打ち合いは膠着状態に入った由」
「何?膠着状態だと……」
櫓の昌幸は囲碁を打つ手を一瞬止めるが、すぐさま二重の意味で最善手を探し当てた。
「退かせろ」
「は?」
「鉄砲隊を後退させろ」
「さ、左様な事をすれば敵が二の丸に」
「言ったぞ。伝えなければ貴様は磔じゃ」
「ひぃっ!」
鉄砲隊が下がった事に寄り、徳川軍は息を吹き返す。再び快進撃を開始したのである。
「止まれと言っておるだろうがぁぁぁぁ!」
鳥居元忠の必死の静止も、兵の怒号で届かない。
全ては信幸の挑発と敗走 (のフリ) のせいである。神川、三の丸、二の丸と確実に兵数が減っているにも関わらず、侵攻する兵達は勝利を疑っていない。勢いで自分達が優勢であると錯覚を起こしているのだ。
真田の兵は、一人も減ってはいないというのに、である。
対する徳川は当初七千だった兵力のうちの千余りを、死傷者が占めていた。それでも戦功という宝の山を前にしては、骨折や出血多量を押して突き進む。機能性を落とした役に立たない兵で前線が溢れかえっているのである。
「さて、志摩よ。儂はそろそろ本丸へゆくぞ」
「おおっ、お、大殿!ようやく指揮をお執りになるのですね」
「まぁのぉ。二の丸まで来たら、さすがに不味いだろうからのう」
「では、某も」
「馬鹿者!囲碁を片付けるな!」
「はっ!?」
「後で続きをするのだから、そのままにしておかんか。貴様、さては自分の負け分を誤魔化すつもりであろう?」
「……!」
ここで志摩の闘志も燃え上がった。昌幸が本気で勝利を疑っていない事を肌身で確信し、迷いを消したのである。
昌幸は、体の何処も震わせてはいなかった。震えているのは、心拍数が通常の三倍になっている心臓のみである。
恐怖に準ずる生理現象である震えを抑え込む程に、心が燃え滾っていた。
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「さて、そろそろ良いだろう」
「若殿?出陣でござりますか?」
「そうだ。全軍、数刻は休めた上に腹ごしらえもすんだのであろう?」
「しかし、大殿には援軍は無用と」
「『援軍を寄越すな』という事は『自由に動いて良い』という事だ。貴様は言葉の裏も読めんのか?」
「さ、さればどうなさるおつもりで?」
「上杉の……否、頼康の陣中まで赴くぞ。兵に出陣を告げろ」
「はっ!」
「それと、『旗印は捲いておけ』と持ち手に伝えろ」
「旗印を?」
「聞いたら行け」
「はぁ……」
昌幸が動くのとほぼ時を同じくして、信幸が動いた。まずは北方、一族衆の矢沢頼康が率いる上杉軍との合流を目指す。
伝令の情報から上田城の状態を思い浮かべる。数分後、既に頭の中では流れを想定し終えていた。
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「何だ?これは」
二の丸の守兵達の元へ到着した昌幸は、目下の徳川勢の様子に開いた口が塞がらない。
前線には、手傷を負って今にも死にそうな者、肩や腕がおかしな方向に曲がっている者……ようするに戦闘不能者でごった返していた。普通、そういう者は後方に回るはずなのだが……。
逆に後方には、破城槌を持った攻城兵がつっかえている。千鳥柵の効果もあるだろうが、それ以上に神川での一連の流れが生きていた。
「ふっ、フハハハハハハ!」
この昌幸の高笑いすら、徳川兵の怒号に吸い込まれていく。負傷兵にここまで気勢を持たせるとは、まるで陰陽師、魔術の類ではないか。そう思った昌幸の思考が、一つの懸念に行き当たる。その魔術を使ったのは……。
昌幸の笑いが止む。
――この戦は、儂の掌の上である。決して、源三郎ではない!
それを証明するのは、まさしく今この場をおいて他にない。昌幸は烈火のごとく燃え上がった。
「どけ。儂を前に通せ」
圧される、という言葉がある。闘気、即ち絶対の自信を持った人物が目の前に来た時、不安要素を一つでも抱える側は、押し黙る。
徳川勢の怒号が止んだ。
真田昌幸が真田兵を押しのけて、鉄砲隊の最前線に現れたためである。圧されていた。自分たちの立場を、ここでようやく認識させられたのだ。
当然だった。彼の眼は、明らかに蹂躙する側のそれであったのだから。
しかしそれは、余りにも遅すぎた。連続する勝利に勇み過ぎた前線の徳川兵は、鉄砲を防ぐ竹束を持っていない。
即ち……。
「鉄砲隊、打ち方用意」
昌幸が右手を上げる。
言われるまでもなく、練兵度の高い真田の鉄砲隊は玉を込め終わっていた。
そして振り下ろす腕に呼応して、殺戮が始まった。
「放てぇ!!」
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信幸は北方に配置されていた上杉軍と合流する。
「頼康、よくぞ兵を引き出してくれた」
「若!お元気そうでなにより」
「上杉の※軍監は?」
「こちらの山浦殿でござる」
頼康の監視役として使わされた上杉家臣・山浦国清に、信幸は挨拶に行く。
「真田源三郎信幸にござる。此度の援軍、上杉景勝公には恐悦至極の意」
「山浦国清でございます。真田の嫡男殿に左様な感謝をされるとは、誠に上杉の誉」
「ところで」
適当に感謝の意を伝えたところで、信幸は会話をぶった切る。時間との戦いであるからである。
武田の旧敵・村上義清の嫡男である山浦国清は、旧領である砥石城を奪った真田に対し不快感を持っていた。上辺だけの言葉を聞く時間は、信幸は持ち合わせていなかった。
「ここからの上田城の情勢は以下の二つに転び申す」
「二つ?」
「一つ、徳川全軍の敗走。二つ、徳川全軍による包囲戦。この二つ」
「は、はぁ?」
「上田の本丸は正攻法では落ち申さん。俺……某の見立てでは間違いござらん」
「それほどの堅城でござるか」
「父が守っております故。……あっ」
信幸は柄にもない事を言った事に気づき、少し眉を顰めた。
「どうなされた?」
「失敬。されば、上杉様には南下して包囲を防いで頂きたい」
「それは出来ませぬ」
「は?」
「上杉に出来るのはここで威圧をかける事。北方へ逃げてくる徳川勢を迎え撃つ事。逃げ行く徳川軍を掃討する事。これだけにござる」
「何だと!父・真田昌幸の指示なるぞ!」
嘘であった。これは信幸の独断である。
父の威光に縋る程に信幸は焦った。上杉の援軍を当てにしていたからだ。
――このままでは、父上が死ぬ!
「ここで動かずして、何のための援軍か!」
「御家老の指示でござります故」
「御家老?」
「直江兼続殿にござります」
「直江だとぉ!?」
上杉景勝の家老、御舘の乱の貢献者。信幸もその名は知っていたが……。今はぶん殴ってやりたかった。
弁丸がその様な男の側にいるという事だけでも腹が立つ。
本来は援軍を出してもらっただけでも法外の感謝が必要であり、全くもって筋違いの逆恨みである。だが、今の信幸は理屈など抜きに助けが欲しかった。
「……分かり申した。ただ、頼康をお貸し頂いてもよろしいか」
「それは良いですが、上杉に返さざれば同盟は切れますぞ。もう一人の人質が」
「黙られよ!分かっておる!」
信幸は怒鳴った。筋違いの怒りである事は分かっているが、手っ取り早い伝達法として採用した。これは上杉の加勢が無い事を、一瞬で周囲に認知させる術である。
上杉にはまだ謙信公以来の男気が残っている。何だかんだ言いながらそんな希望的観測をしていた自分に、一番腹を立てていたのかもしれない。
――俺が悪かった。直江兼続。貴様が正しい。
信幸は深呼吸し、反省して気分を切り替えると、上策(上杉の加勢による包囲防止)を諦める。中策の準備に取り掛かった。
「佐助!おるか」
「若殿、お呼びで」
佐助は昌幸が遣わした、弁丸・頼康付きの吾妻忍である。頼康の出陣に従って出兵していた。
「貴様の目分量で良い。敵方の斥候が上杉の現在の数。確認するまで幾らかかる」
「時でござりまするか?」
「そうだ」
「上田城からでござりますと、半刻(約一時間)ほどかと」
「よし。伝令!半刻の小休止を取らせろ」
上田城は正攻法では落ちないというだけで、包囲されれば他の城と同様に一溜りも無い。孤立無援になって兵糧が尽きるのがオチである。
信幸は苦肉の策を使う決断をした。わざと包囲させるという自殺行為を。
※戦の監視人の事。戦目付。




