第十二話 不動の昌幸
「ならん」
「ご、御家老!そこを、何とかお願いし申す!」
「馬鹿か貴様は。何のための人質だと思うておる」
『御家老』の鉄拳が飛ぶ。
「痛ッ!」
「立場を弁えよ。その名の如く」
春日山城。二人の青年が並び立って南方を見つめていた。
上杉家家老、直江兼続・二十五歳。
真田家次男坊、弁丸・十八歳。
その視線の先には上田城がある。当然見えはしないが、二人は感じていた。勢力図に影響を及ぼす、計り知れない激戦の気配を。
「この俺の前に無許可で立つ事自体、無礼なのだぞ。貴様を閻魔の所に送ってやる大義名分を、まだ俺にくれるのか?」
「しかし御家老!兄の、真田の大事なのでございます!一世一代の戦、某はせめてこの目で見届けとうござる!」
弁丸は譲らない。兄が、父が負けるとはどうしても思えない。だが客観的に見ると、どう考えても真田に勝ち目はない。矛盾した二つの見解が、弁丸の中でせめぎ合った結果、現地へ行こうという欲求を抑えられなくなった。という経緯から、何かと世話をしてくれる家老・兼続に突撃し、便宜を図ってくれるようせがんでいるのだ。
「既に向かった頼康に上杉兵を持たせた。こちらの義は果たしたのだから、もう良いだろう」
「某も!どうか、某めも戦場へ!」
「貴様の事情など知った事か。良いではないか、その功名心。貴様の兄が死ねば存分に発揮できよう?」
「・・・・・・今、何と申された」
弁丸は怒気を発し始めた。しかし兼続はその威圧感に圧される事無く、淡々と言ってのける。
「何だ、図星ではないのか?」
「取り消して下され。いくら御家老と言えども」
「誤魔化しても無駄だ。貴様は兄のためと言っておきながら、本当は自らの戦場を欲している」
「左様な事は!」
「僅か一つしか歳が違わぬそうではないか。にも関わらず、兄は負け知らずの歴戦の将。弟は元服すら未だ叶わない青二才ときた」
「やめて下され!」
「不満であろうが。順序が逆なら、貴様は武功も名声も得ていたろうに」
「御家老!」
弁丸は人質という立場を踏み越えて、侮り続ける兼続に詰め寄る。だが兼続は涼しい顔である。
分かっているのだ。真に真田を想うならば、ここでの過ちは犯さない事を。
「心配は無用ぞ、弁丸。貴様の戦場は真田には無くとも、いずれこの上杉が用意してやる」
「……」
「扶持まで与えているのだ。働いてもらうぞ」
「…御意」
「ふっ、それでよい。貴様の資質に免じて、此度の無礼は不問としようぞ」
「ありがたく……存ずる」
兼続は、弁丸を見下ろしながら思惑を巡らせる。
真田は消えていく家。そう兼続は確信していた。引導を渡すのが徳川か、北条か、はたまたこの上杉かは分からない。だがいずれ無くなるであろうことは、ほぼ疑いようがない。
敵が多すぎるのだ。真田昌幸は蝙蝠の様に小手先で主を変えて生き延びてきたが、もう万策尽きているはずである。
弁丸ほどの男が、そんな家にいつまでも頓着していては困る。身も心もこの上杉の臣となり、尽くしてくれなければせっかくの大器をドブに捨てることになる。
――この侮辱は、その一歩だ。貴様はただ、本能のままに動けば良いのだ。
ニヤケながら満足げに去ってゆく兼続の後姿を、弁丸は三白眼で睨み付けると、目線を地に落とす。
あの男の言葉を、全ては否定しなかった自分がいる。才を買ってくれている恩人・直江兼続に、どこか引け目を感じたのか?それとも、自分は本当に……?
――某は、兄の死など……。
感情のやり場を必死に探し、弁丸は床の間の茶器を叩き壊した。ささやかな抵抗には、未だ子供らしさが残っていた。
******
「渡河が始まりましたぞ!」
才蔵が自ら伝令に走って来た。信幸は文字通り兜の緒を締め直すと、素早く下知を下す。
「よし、乗ってくれた様だな。横目から隊列の確認を」
「既に。敵の隊列は縦に伸びてございます」
「では、手始めに河を渡った者を討ち取る。数十が目安だ」
「それだけでよろしいので?」
「渡り切られては全軍を相手にする事になる。それは致命的だ」
「では?」
「川を渡り切って足並みが揃う前に軽く当たる。その後敗走を装って、父上の上田城へ誘き出すぞ」
「はっ!」
先頭の数百が渡河を終えた時を見計らって、信幸が号令する。
「全軍!好機ぞ、かかれ!」
選りすぐりの真田兵七百が、渡河を終えて膝に疲れの溜まっている徳川兵に襲い掛かる。
出浦盛清率いる吾妻忍はもちろんの事、信幸自らも槍を取って先頭に参加する。
瞬く間に五十人余りが討ち取られ、忽ち徳川兵数の先鋒百人は瓦解した。
「加勢を!」
しかし、忽ち岡部長盛以下、千を越える見方勢が渡河を終えて参戦し、呆気なく戦況は覆された。
歴戦の徳川軍の気勢は上がっていく。
「若、如何?」
「退け、退けい!」
頃合いと見て取った信幸が、退却の号令を発する。
「才蔵、俺の側を離れるな。殿の先を走るぞ!」
「若が危のうございます!」
「阿呆!さればこそ敗走に見えるのだろうが」
信幸は殿を務める二百の軍勢のすぐ先を駆けた。
この退き陣が、徳川の将官達には真田軍が大将を置き去りにして敗走を始めているように見えた。否、信幸軍の動きがそう見えざるを得ないほどに精密だったのだ。
「勝機ぞ!」
「弱兵どもを掃討せよ!」
「誇りを汚した罪を償わせるのじゃ!」
鳥居元忠が渡河を終えた頃には、またもや軍の大半が突出し、真田軍を追走してしまっていた。
「な、何故誰もおらぬのじゃ!?」
「掃討戦が始まった由」
「馬鹿な!呆気が無さすぎる!」
上田城へ一直線に走る信幸ら先人の軍を追いかけ、徳川軍七千はいとも簡単に城下の村に突入してしまう。
「皆の者、ご苦労であった。我らはこのまま、一旦砥石城に後退する!」
上田城の目前まで徳川軍の道案内を果たした信幸は、一気に徳川軍を引き離し砥石城へ全軍を引き払う。
この作戦において信幸軍の払った犠牲は、まさかの零であった。
「才蔵、手筈通りに頼む」
「ははっ!」
「死ぬなよ!此度のお前の役目は死と等価にはならん」
「承知。若も御無事で!」
才蔵以下、十数名の忍びを見送ると、信幸は馬の速度を緩めた。
「小休止だ。水と握り飯を持て!」
砥石城の待女達が駆けつける。一仕事終えた兵を持て成す様に支持を出すと、自らも床に腰を下ろした。
「ふぅ」
甲冑を外すと、滝の様に汗が零れてきた。信幸の瞳孔が開く。
犠牲は出なかった。兵を損なうことなく、想像通りの戦をやって見せた。
――にも関わらず体に残るこの疲労は、この膝の震えは何なのだ?徳川の重圧、これほどの物か。
改めて紙一重の戦であることを思い知らされた信幸は、上田城の方向を見やる。
もし、あそこから煙が上がったならば……。
******
「若様の働き、天晴でございました」
「左様か」
伝令から徳川勢が上田城目前に到着したという報せを受けた昌幸は、なんと近習・根津志摩と囲碁を打っていた。
櫓へ上って来た伝令は、その異様な光景に仰天しつつ、役割を果たそうと努めた。しかし。
「殿、下知を」
「無い」
「は?」
「無いと申しておる。深くまで入ったら報せよ」
「は、はっ!」
昌幸は伝令を前線へ返す。
この余裕を持った態度には、近習・志摩もついて行けない。囲碁の相手をしようにも、次の一手が思いつかない。自殺手を避ける事が精一杯である。
「どうした志摩。手が震えておるぞ?」
「お、大殿。何故前線で指揮をなさらないので……」
「未だ正念場にあらず。それだけじゃ」
「ごご、ご冗談を……」
「それほどまでに不安ならば、貴様が指揮をとれ」
「ひぃっ!?」
祢津志摩は信幸の乳兄弟であり、昌幸の信頼も厚い将であった。しかし、この時ばかりは昌幸の図太さ、心臓の強さに驚かされた。妖魔と見紛うほどの胆力であった。
「おい!大殿は何と申されたのだ!この戦況、何か策は無いのか!?」
「い、囲碁……」
「は?」
「囲碁を打っておられた」
伝令の軽口を境に、昌幸の余裕は真田軍全体に伝わった。
『大殿は囲碁を打っておいでらしい』
この事実は先鋒にも伝わった。額面通りにとれば、百戦錬磨の昌幸から見てまだ戦況は切迫していないという事である。その見解が何よりの激励と変わり、徳川の大軍を目にしてなお、真田兵の士気を下げずに踏みとどまらせた。既に三ノ丸に侵入を許していたにも関わらず、真田軍の足並みは依然揃っていたのである。
「鉄砲隊!構え!」
攻城戦に突入した徳川軍は鉄砲の音を聞かせることで真田の士気を落とそうと考えた。しかし、守る小山田茂誠が脇に軍勢を寄せると、事態が一変する。
「て、鉄砲隊、待て、待て!進むなぁッ!」
鉄砲隊を率いる大久保忠世は驚愕した。
壁が鍵型の道を形成しているため、脇にいる真田軍が死角となって鉄砲を仕掛ける事が出来ない。それどころか、後方射撃をしたら同士討ちになってしまうではないか!
「前へ出よ!」
それでも城兵の士気を挫くためには、鉄砲による脅しが必要不可欠である。平岩親吉ら徳川の将は、鉄砲隊を最前線に押し出す。
しかし真田兵は鉄砲に加え、予め持ち込んでいた石や熱湯を投げかけて反撃を行う。
これを見た鳥居元忠は決断する。
「鉄砲隊を下がらせよ。その後歩兵が※破城槌を使って、東門をこじ開けるのだ!」
突入してしまったからには犠牲は覚悟の上で城を落すしかない。元忠は正攻法に頼る事にした。
こうして徳川軍は瞬く間に二の丸まで攻め上る。
しかしそれでも、昌幸は動かなかった。そして砥石城の信幸も、伝令を逐一放ちながら一先ずは静観に徹した。
家臣からすると一見、二人には余裕がある様に見えた。しかし実際は昌幸も信幸も、心臓から汗を流し続けていたのである。
※打撃用の丸太の事。城門をこじ開けるための攻城兵器。




