竜語の声/フィリアスとの邂逅
柵の前で、エリーゼは膝をついた。
フィリアスの瞳が、細くなる。喉の奥から、地を這うような唸りが漏れた。団員の一人が、一歩、後ずさった。
ドランに対して竜語の声が通じたのは、まだ幼く、エリーゼに命を救われたという恩があったからかもしれない。だが、この古竜は違う。誰にも心を開かず、先代の死後、誰一人として近づくことすら許さなかった、辺境で最も気難しい竜だ。
エリーゼは、目を閉じた。
母がまだ生きていた頃、夜ごと聞かせてくれた声を思い出す。歌でも、囁きでもない。喉の奥、胸の底から絞り出すような、低い響き。
竜語の声。
声を出す。喉が震える。フィリアスの唸りが、一瞬止まった。
もう一度。今度は、少し長く。
フィリアスは、唸るのをやめた。大きな瞳が、エリーゼをじっと見つめる。敵意の代わりに、そこにあったのは、戸惑いだった。
エリーゼは、手を、柵の隙間からそっと差し出した。指先は、まだ小刻みに震えていた。フィリアスは、しばらく動かなかった。それから、時間をかけて、額をエリーゼの手のひらに寄せてきた。
団員たちの間に、どよめきが走った。
「まさか……」
「先代でさえ、あそこまでは……」
エリーゼは、手を離せずにいた。フィリアスの鱗は、思っていたよりも温かかった。目眩に似た感覚が、頭の芯を締めつける。
肩に、大きな手が触れた。ラインハルトだった。無言のまま、崩れかけたエリーゼの体を支える。
「無理はするな」
低い声だった。
エリーゼは、震える息を整えながら、彼を見上げた。ラインハルトは、それ以上何も言わず、ただフィリアスを見つめていた。何かを知っていながら、言葉にしていないような沈黙に見えた。
エリーゼは、その沈黙の意味を、まだ知らなかった。
フィリアスが、低く一声鳴いた。まるで、エリーゼの覚悟を試すように。




