荒れた竜舎/誰も乗れない竜
エルデンライヒ辺境州に入ると、風の匂いが変わった。土と、乾いた干し草と、微かな硫黄のような匂い。竜の匂いだ、とエリーゼは思った。腕の中のドランが、鼻をひくつかせ、小さく鳴いた。故郷の匂いを、覚えているのかもしれない。
馬車を降りたエリーゼを出迎えたのは、歓迎の言葉ではなく、遠くから響く低い唸り声だった。
案内された竜舎は、噂に聞いていたよりも荒れていた。柵の一部は壊れたままで、餌桶は空。竜たちは、一様に苛立った様子で、翼を強く畳んでいた。
「先代の竜匠が急逝してから、もう半年になる」
低い声に振り向くと、長身の男が立っていた。銀に近い髪、氷のような青の瞳。武骨な外套の下に、辺境竜騎士団の徽章が覗いている。
「団長のラインハルト・フォン・アイスフェルトだ」
「エリーゼ・フォン・アーレンブルクと申します」
ラインハルトは、エリーゼを一瞥した。値踏みするような視線ではなかった。ただ、興味がない目だった。
「馬車で来た貴族の令嬢に、何ができる」
ラインハルトの視線が、エリーゼの腕の中の小さな竜に留まった。団員たちの間にも、どよめきが走る。
「その竜は」
「ドランと申します。学院の夜会の夜、庭園の森で、傷ついているところを助けました」
「子竜を、自分で……」
団員の一人が、驚いたように呟いた。貴族の令嬢が、自ら竜を拾い、育てているという話は、辺境でも聞いたことがなかった。
「竜舎にお連れください」
エリーゼは、まっすぐに彼を見た。
「話は、それからでよろしいでしょう」
ラインハルトは、片方の眉を上げただけだった。答える代わりに、竜舎の奥へと歩き出す。
エリーゼは、その背を追った。
奥の柵の中に、ひときわ大きな影があった。蒼銀の鱗を持つ古竜。他の竜よりも二回りは大きく、その瞳には、明らかな敵意があった。
「フィリアスだ。先代竜匠が育てた最大の個体で、先代の死後、誰も乗せていない」
団員たちが、遠巻きにこちらを見ている。ラインハルトの声には、忠告の色があった。
「近づかない方がいい」
エリーゼは、答えなかった。ただ、柵に向かって、一歩を踏み出した。




