叙勲式/その日、明かされたこと
叙勲式当日、王宮の大広間には、王都中の貴族たちが詰めかけていた。
エリーゼは、竜騎士団の正装に身を包み、控えの間で開式を待っていた。隣には、同じく正装のラインハルトが立っている。
「緊張しているか」
「少しだけ」
エリーゼは、正直に答えた。だが、その声に、以前のような硬さはなかった。
大広間の扉が開かれ、エリーゼは、ラインハルトと共に歩み出た。
一歩進むごとに、ざわめきが広がっていく。
「あの……アーレンブルク伯爵令嬢……?」
「辺境で行方知れずだと聞いていたが」
「あの正装は……竜騎士団の……」
貴族たちの視線の中に、エリーゼは、見覚えのある顔を見つけた。ヨアヒムと、ヒルデガルトだった。二人はすでに正式に婚約していたが、その表情には、かつての余裕は見られなかった。ヒルデガルトが纏う夜会服は、流行から一歩遅れた仕立て直しの品で、ヨアヒムの指には、質に入れ戻したような、傷だらけの家紋の指輪が光っていた。噂によれば、ライヒェンバッハ侯爵家の財政は、依然として厳しいままだという。
この叙勲は、団長ラインハルト自らが王都に上奏した戦功書によるものだった。式典の前夜、「一応、目を通しておけ」とラインハルトが差し出した書状に、エリーゼは目を通していた。三度の防衛戦、いずれも土壇場で戦線を立て直したのは、竜語の声で竜たちを動かしたエリーゼの采配だった。自分はその功を、自分のものとして受け取るわけにはいかない。加えて、団長の任を自ら退き、後任にエリーゼを推挙する旨も、同じ書状に記されていた。そう、彼は書き記していた。
国王ゲアハルト二世が、玉座から立ち上がった。
「エルデンライヒ辺境州を三度にわたり救った竜語の使い手、エリーゼ・フォン・アーレンブルクに告げる」
大広間が静まり返る。
「その功績を称え、辺境伯の位と、境界の地の統治権を授ける」
大広間に、再びざわめきが広がった。国王は、言葉を続けた。
「加えて、団長ラインハルト・フォン・アイスフェルトよりの上奏を受け、エルデンライヒ辺境竜騎士団の団長職を、エリーゼ・フォン・アーレンブルクに引き継がせる。ラインハルト卿の長年の功に、王家として、深く謝意を示す」
竜を操る力だけでなく、この地を治める者、そして団を率いる者として、正式に認められた瞬間だった。エリーゼは、震える手を握りしめた。
拍手が沸き起こった。エリーゼは、深く一礼した。ラインハルトが、少し離れた場所から、黙ってその様子を見守っていた。その表情に、未練は見えなかった。ただ、誇らしげな光だけがあった。
拍手の中、ヨアヒムが、隣のヒルデガルトに向かって、小さく吐き捨てるのが、エリーゼの耳にも届いた。
「竜の世話係如きに、辺境伯とはな。所詮、成り上がりだ」
小声のつもりだったのだろう。だが、静まりかけていた大広間には、思いのほかよく通った。近くに立っていた貴族たちが、眉をひそめてヨアヒムを見る。国王の御前で、功績を称えられたばかりの者を公然と貶すという不作法だけで、ヨアヒムの評判は、すでに地に落ち始めていた。
叙勲を祝う祝杯が、居並ぶ貴族たちに配られていく。杯を重ねていたヨアヒムの傍らで、クルトもすでに顔を赤くしていた。先の一言で気まずくなった空気を取り繕うつもりだったのか、クルトは、酔いに任せて、思わず口を滑らせた。
「おい、あれは……お前が『竜の涙さえ手に入れば、ぽいだ』とか言っていた、あの女じゃないか」
誰もが、息を殺したまま、視線だけを二人に向けた。
国王の側近の一人が、怪訝な顔で問う。
「賭け、とは何のことか」
視線が、一斉にヨアヒムとエリーゼに集まった。エリーゼは、迷いのない足取りで、前へ進み出た。
「二年半前、私は婚約者だったヨアヒム様が、友人と交わした賭けの話を耳にいたしました」
会場が、水を打ったように静まる。
「私の家に伝わる首飾り――竜を鎮めるという家宝『竜の涙』を、三月のうちに、私自身の手で差し出させられるかどうかという賭けだったと記憶しております」
エリーゼは、胸元の首飾りに、そっと手を添えた。
「奪われずに済んだこの首飾りは、その後、辺境で三度、私と竜たちを守ってくれました。あなた方が手に入れそこねたものが、辺境を救ったのです」
ヒルデガルトの顔から、みるみる血の気が引いていった。
「私は、その夜のうちに、静かに婚約を解消いたしました。誰も傷つけず、騒ぎにもせず。おかげさまで、辺境で竜たちと出会い、今日ここに立つことができました。恨み言を申し上げるつもりはございません」
エリーゼは、ヨアヒムをまっすぐに見た。
「ただ――あなた方が、賭けの結果を、ようやく知りたがっているようでしたので」
そして、もう一言だけ付け加えた。声を荒げるでもなく、淡々と。
「そういえば、去年の誕生日にいただいたのは、庭先で摘んだだけの花束でございました。婚約者への贈り物は、それで十分だと、そうお考えだったのでしょう。その程度の扱いで十分だと思われていた女が、今、辺境伯の位を賜っております」
一拍の沈黙のあと、会場に、押し殺しきれない失笑が広がった。
ヨアヒムの手から、杯が滑り落ちた。硬い音を立てて床に転がり、葡萄酒の染みが白い床石に広がっていく。誰も、拾おうとはしなかった。
ヒルデガルトは、口元を手で覆ったまま、後ずさった。支えようと伸びたヨアヒムの手を、彼女は反射的に振り払った。
国王ゲアハルト二世は、しばらく二人を見据えていたが、やがて、氷のように冷えた声で告げた。
「先ほどの暴言、そして今の顛末、両方とも、しかと聞かせてもらった。功績を称えるべき場で、これほど見苦しいものを見せられるとはな。ライヒェンバッハ卿、そなたの家門については、追って沙汰する」
大広間の空気が、一段と冷えた。ヨアヒムは、何かを言おうと口を開きかけたが、言葉にならなかった。国王が視線を外した瞬間、それまで二人の周りに集まっていた貴族たちが、示し合わせたように輪を広げ、じわりと距離を取った。誰も、二人と目を合わせようとしなかった。
つい先ほどまでライヒェンバッハ家への融資話を進めていたという初老の男爵が、扇で顔を隠しながら、連れの夫人に何事かを囁き、そのまま逆方向へと歩き去っていった。ヒルデガルトが、縋るようにその背に手を伸ばしかけたが、届かなかった。
式典が終わり、大広間を出たところで、エリーゼはラインハルトに呼び止められた。
「辺境伯閣下、かつ団長閣下ともなれば、俺のような、ただの一竜騎士では、隣に立つのもおこがましいか」
「そんなことを気にする人でしたか、団長は」
「気にしないさ。ただ、聞いておきたかっただけだ」
ラインハルトは、片膝をつき、エリーゼの手を取った。
「俺と、生涯の契りを交わしてくれるか」
まっすぐに向けられたその瞳から、エリーゼには、迷いがないと伝わってきた。
「竜も辺境も、お前がいなければ立ち行かない。そう言えば、体裁のいい求婚になるんだろうな。だが、本当の理由はもっと単純だ。俺は、お前のいない明日を、もう思い描けない」
エリーゼは、彼の目をまっすぐに見つめた。
「――喜んで」
短い答えだった。だが、それ以上の言葉は、必要なかった。
窓の外、王都の空を、一羽の竜――フィリアスが、迎えに来たのか、悠然と旋回していた。




