(幕間)辺境の脅威/裂け目の異変
ラインハルトは、斥候から上がってきた報告書を、何度も読み返していた。
「裂け目付近での魔物の目撃数、先月の三倍――か」
執務机の向かいに立つ部下が、緊張した面持ちで頷いた。
「規模も、これまでとは明らかに違います。単独の個体ではなく、群れでの移動が確認されています」
ラインハルトは、地図を広げた。裂け目を中心に、赤い印がいくつも打たれている。目撃地点は、確実に、そして急速に増えていた。
「王都には」
「先月分の定例報告は、すでに送っています。ですが――」
部下は、言い淀んだ。ラインハルトには、その先が予測できた。王都からの返答は、いつも遅い。辺境の危機は、王都の宴の話題にすら上らない。
「報告書を、もう一度書き直す。今度は、緊急の増援要請として送れ」
「はい」
部下が退室しかけたところで、扉の外から、別の団員が駆け込んできた。
「団長、ご報告が。竜舎の裏手で、不審な男を捕らえました」
「不審な男?」
「王都から来たと名乗る男です。金を渡すので、竜語の声を持つ令嬢について教えてくれ、と団員の一人に持ちかけたところを、取り押さえました」
ラインハルトの眉が、わずかに動いた。
「誰の差し金か、吐いたか」
「それが――ライヒェンバッハ侯爵家に雇われた、とだけ」
その家名に、ラインハルトは、地図を睨んでいた目を上げた。エリーゼの元婚約者の家門だ。
「目的は」
「令嬢が、今も例の首飾りを持っているかどうか、確かめてほしいと。かなりの金額を積まれたと言っていました」
「男は」
「後日、あちらの領地の外まで、身柄だけ送り返しました。手荒な真似はしておりません」
「それでいい」
ラインハルトは、短く答えた。だが、腹の底には、静かな怒りがくすぶっていた。エリーゼが積み上げてきたものを、金で覗き見しようとする了見が、許しがたかった。
このことは、エリーゼには伝えないでおこう。彼女が、あの家門のことで、これ以上心を乱される必要はない。
部下たちが退室したあと、ラインハルトは、しばらく地図を睨んでいた。
テオドールが生きていた頃も、こうした異変はあった。だが、そのたびに、王都は動きが鈍かった。辺境は、いつも見捨てられる側だった。
窓の外、竜舎の方角から、エリーゼの声が微かに聞こえた気がした。団員たちに指示を出す、落ち着いた声。すっかり大きくなったドランの鳴き声も、それに応えるように響いていた。
この一年で、竜舎は確かに立て直された。だが、それがこの先の脅威に耐えられるかどうかは、また別の話だ。
ラインハルトは、地図を折りたたみ、立ち上がった。
備えなければならない。誰も守ってくれないなら、自分たちで守るしかない。




