初めての巡回/小さな成功
前日の夕方、竜舎はいつになく騒がしかった。若い団員たちが総出でフィリアスに鞍をつけようとしていたが、竜は苛立たしげに首を振り、誰も背に寄せようとしなかった。傍らでは、まだ空を飛ぶには小さすぎるドランが、心配そうにその様子を見上げていた。
「やはり、無理か」
ラインハルトが低く呟いたとき、エリーゼは柵の外から声をかけた。
「私が、試してみてもいいですか」
団員たちが顔を見合わせる中、エリーゼは静かに柵をくぐり、フィリアスに近づいた。膝をつき、竜語で低く囁きかける。フィリアスは、しばらくエリーゼを見つめていたが、やがて自ら首を垂れ、鞍を受け入れるように背を低くした。
どよめきが起きた。エリーゼは、震える手で鱗の隆起を掴み、フィリアスの背によじ登った。地面から見上げていた景色が、一変する。竜の体温が、脚の下から確かに伝わってきた。
ラインハルトは、その光景を、しばらく黙って見つめていた。
翌朝。
「今日から、巡回に同行してもらう」
ラインハルトの一言に、竜舎がざわついた。エリーゼ自身も、驚きを隠せなかった。
「私が、ですか」
「フィリアスが、お前以外を乗せない。それなら、連れて行くしかない」
素っ気ない言い方だったが、エリーゼには、それが精一杯の信頼の表明だとわかった。
巡回は、辺境州の境界線を見回り、魔物の兆候を確認する任務だった。フィリアスの背に乗るのは、まだ二度目だった。風が、頬を切るように流れていく。
「怖いか」
前を進む竜の上から、ラインハルトが声を投げてきた。
「いいえ」
「噓をつくな」
「少しだけ」
正直に言い直すと、ラインハルトは短く笑ったようだった。その笑い方を、エリーゼは初めて見た。
境界線に近い荒野で、はぐれた小型の魔物の群れを発見したのは、日が傾き始めた頃だった。数は多くない。だが、放置すれば村落に被害が及ぶ規模だった。
「フィリアス、頼みます」
エリーゼの声に応じて、フィリアスが低く飛翔した。竜語の声で誘導し、他の竜たちと連携させる。混乱していた魔物の群れは、思いのほかあっさりと制圧された。
「やるじゃないか」
任務を終え、竜舎に戻った団員たちが、口々にエリーゼを労った。ミアも、満足げに肩を叩いてくる。
ラインハルトは、最後に近づいてきて、短く言った。
「よくやった」
たった五文字の言葉だった。それだけなのに、耳の奥に長く残った。長年、婚約者から一度も、もらえなかった言葉だった。
竜舎の扉を出ると、辺境の空は、赤く染まっていた。エリーゼは、その空を、辺境に来てから初めて、まっすぐ見上げることができた。




