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妻が『白米の裏切り』を絶対に許さない  作者: そらのことのは


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第6話 ご飯のお供博覧会

日曜日の朝。あかねは珍しく、スニーカーに動きやすいパンツ姿で玄関に立っていた。


「行くよ、悠人くん」


いつもの穏やかな笑顔。

ただし、肩には大容量のエコバッグが二つ、そして手には詳細な会場マップが握られている。


「今日は楽しみだな」


悠人はのんきに靴紐を結びながら答えた。

今日のデート先は、隣町の展示場で開催される『全国ご飯のお供博覧会』。

年に一度、全国の生産者が集まる食通の聖地だ。


「悠人くん、今日のルールを確認するわ」


「ルールがあるのか」


「まず、私より先に試食しない。次に、私が『これ』と目配せしたら即座に列に並ぶ。最後に、限定品の前では余計なことを言わない」


あかねの目には、静かな闘志が宿っていた。



会場に入った瞬間、あかねの纏う空気が変わった。


穏やかな主婦の顔が消え、代わりに現れたのは、獲物を前にした猛禽類のような眼差しだった。


「……戦場ね」


「デートだよな、これ」


「デートよ。スペシャルミッション」


あかねは事前に印刷したマップを広げた。

蛍光ペンで三色のルートが引かれている。


「赤ルートが最優先。限定品を押さえる。青ルートが試食重視。黄色ルートが情報収集」


「……用意周到すぎる」


「今日の最大目標は、北海道ブースの『幻の昆布佃煮』よ。でも、致命的な条件があるの」


あかねは、マップの一点を指差した。


「限定三十個。開場から十五分以内に完売する可能性が高い」


その瞬間、あかねの目が完全に獣のものに変わった。



最初のブースは、その北海道の昆布佃煮だった。


「これは三年熟成の真昆布を使った逸品。経験上、白米との相性は最高のはず」


あかねは試食を一口。


目を閉じ、数秒間、完全に静止した。


「……旨味の層が三段階ある。最初に昆布の深み、次に醤油の甘み、最後に磯の余韻。白米の甘みがこの余韻を引き立てる構造になってる」


悠人も試食してみると、確かに美味しかった。

ただ、三段階の旨味の層は正直よく分からなかった。


「二瓶、お願いします」


あかねは即座に購入を決め、次のブースへ向かった。



問題は、会場中央の特設ステージで起きた。


大きな垂れ幕に、赤い文字で書かれている。


『本日限定 博多・極上明太子 30個限り』


あかねの目が、一瞬で獣のものになった。


「悠人くん」


「うん」


「走って」


「え?」


「今すぐ走って」


気がつけば悠人は走っていた。

何故走っているのか分からないまま、本能的に走っていた。

振り返ると、あかねも走っていた。

普段の穏やかな主婦の顔は完全に消え去り、そこには純粋な本能だけで動く生き物がいた。


列に並んだ時、あかねは二十八番目だった。


「ギリギリ……」


あかねが、静かに息を整えた。


「あかね、そんなに欲しかったの?」


「公式サイトにね、『白米との相性98%』って書いてあったの」


列が少しずつ前に進む。


そのとき、あかねの前に並んでいた年配の女性が、店員に声をかけた。


「すみません、これ、アレルギー成分は大丈夫でしょうか?」


「申し訳ございません。製造工場で小麦を使用しておりまして……」


「あら、そうですか。孫が小麦アレルギーなので、残念だけど諦めます」


女性が列を離れた瞬間、あかねの順番が一つ繰り上がった。


「次のお客様」


あかねは、震える手でその小瓶を受け取った。


「……ありがとうございます」


それは、ただの買い物というより、神聖な儀式のようだった。



昼食は会場内の休憩スペースで、試食で集めたお供と、持参した白米のおにぎりを広げた。


「おにぎり持ってきてたの?」


「当たり前でしょ。試食のお供だけ食べても、白米との相性は判断できないもの」


あかねは昆布の佃煮をおにぎりに乗せ、一口食べた。

先ほどの獣のような表情は消え、いつものあかねに戻っていた。


「やっぱり、白米と一緒だと全然違う」


「一口食べてみて」


あかねが自分のおにぎりを差し出した。


悠人は受け取り、一口かじった。


「……美味いな、これ。なんか、口の中で会話してる感じ」


あかねが少し驚いたように目を丸くした。


「……悠人くん、少し分かってきたじゃない」


「俺も成長してるよ」


あかねが笑った。

ただの、嬉しそうな笑顔だった。



帰り道、二人は大きな紙袋を抱えながら並んで歩いた。


「今日、楽しかったな」


「私も。今まで、食卓を守るのは私一人の戦いだと思ってた。でも、今日は悠人くんが一緒に戦ってくれた。それが、何より嬉しかったの」


あかねは腕を悠人に絡めた。


「来年も、一緒に来よう」


あかねは答えなかった。

ただ、腕に絡めた手に少しだけ力を込めた。


それが答えだった。



その夜。


テーブルの上には、今日の戦利品がずらりと並んでいた。

だが蓋は一つも開いていない。


「今日は我慢。明日の朝まで寝かせるの」


「今食べないの?」


「お供だけ先に食べるのは、花嫁に置き去りにされた花婿みたいなものなの。可哀想でしょ?」


「例えがだんだん高度になってきたな」


あかねは満足そうにため息をついた。


「でもね、やっぱり私、ちょっと反省した」


「なにを?」


「限定品って聞いたとき、頭の中が『どうやって確保するか』だけになってたの。せっかくのデートなのに、悠人くんの顔、全然見てなかった」


「そういえば、最初からずっと俺のこと引っ張ってただけだな」


「ごめんね。本当は、どのお供よりも、悠人くんと一緒に選んでる時間が一番楽しいのに」


「……それ、反則級のセリフだから、外で言うのやめて」


「うん」


二人の笑い声が、夕暮れの部屋に響いた。



戦利品を冷蔵庫の専用棚に収めながら、あかねは小さく呟いた。


「白米、覚悟しておいてね。明日、最高の相方たちを連れてくるから」


その声には、戦闘モードでも狂気でもない、ただの「幸せな妻」の響きがあった。


しかし翌朝、悠人が何気なく発する一言が、この幸せな余韻を木端微塵に吹き飛ばすことになるとは、この時の二人はまだ知らない。


「なあ、あかね。毎朝こんなにいろいろ用意しなくても、白米だけでよくない?」


その言葉が、春日家史上最大の危機を招くことになる。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


せっかくあんなにいい雰囲気だったのに……。

悠人のうっかりさん。抜けすぎている。


次回、春日家史上最大の危機をお楽しみに。

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