表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妻が『白米の裏切り』を絶対に許さない  作者: そらのことのは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/8

第5話 停電

金曜日の夜九時。


激しい雷雨が春日家を襲っていた。

窓を叩く雨音と、時折響く雷鳴の中、悠人はリビングでくつろぎ、あかねはキッチンで明日の朝食の準備をしていた。


ピカッ。


強烈な稲妻が夜空を引き裂いた直後、轟音とともに家中の電気がふっと消えた。


テレビの音も、エアコンの稼働音も、そして冷蔵庫の低い駆動音も、すべてが突然途絶える。

完全な静寂と暗闇がリビングを支配した。


「うわ、停電か」


悠人はスマートフォンのライトを点けながらキッチンへ向かった。


「あかね、大丈夫――」


言いかけて、言葉を失った。


あかねが冷蔵庫の前に立ち尽くし、その背中が小刻みに震えていたからだ。



「あかね?」


悠人が近づいても、彼女は振り向かない。

ただ、じっと冷蔵庫の扉を見つめている。

いつもなら微かなモーター音を響かせている大型冷蔵庫が、完全に沈黙していた。


「……止まってる」


あかねの声は、ひどく掠れていた。


「大丈夫だよ。すぐ復旧するって。最近の冷蔵庫は保冷力もあるし――」


「違うの」


あかねがゆっくりと振り返った。

スマートフォンの光に照らされた彼女の顔は、これまでのどんな時よりも蒼白だった。


「私の専用棚は、お供の性質に合わせて温度設定を変えてるの。発酵が進みやすい塩辛はチルド室の奥、風味を保ちたい海苔の佃煮はドアポケットの上段……」


あかねの言葉が震えを帯びていく。


「温度が変われば、味が変わる。風味が飛ぶ。私が計算し尽くした、白米との完璧な調和が……崩れていく」


彼女は両手で顔を覆った。


「全部、ダメになる」


その言葉の重さが、暗闇の中に沈んでいった。



悠人の胸に、義母の言葉がよぎった。


『この子、昔から食卓だけは壊されたくなかったの』


「あかね」


悠人はスマートフォンをテーブルに置き、あかねの目の前にしゃがみ込んだ。


「子どもの頃ね」


あかねが、震え声で話し始めた。


「よくブレーカーが落ちてたの。お父さんが電気代を払わなかったり。急に真っ暗になって、冷蔵庫が止まって、中のものが全部ダメになった」


スマートフォンの光が、涙ぐんだあかねの顔を照らす。


「その度にお母さんは泣きながら、『もったいない』って叫んで。ご飯の時間は、いつもバタバタで、怒鳴り声と泣き声でぐちゃぐちゃだった」


「あかね……」


「だから、停電が怖いの。あのときの『全部ダメになっていく』感じを、身体が覚えてる」


悠人は立ち上がり、収納棚からカセットコンロと土鍋を引っ張り出してきた。


「何してるの?」


「救出作戦だ」


悠人は懐中電灯をいくつか点灯させ、キッチンに即席の調理場を作る。


「冷蔵庫の中身がダメになる前に、全部俺たちの胃袋に避難させよう。ガスなら使えるし、土鍋でご飯も炊ける」


あかねの目がパチリと瞬きをした。


「あかねは、温度変化に弱いお供から順番に選抜してくれ。俺は米を研ぐ」



三十分後。


キャンドルの光に照らされたダイニングテーブルには、ふっくらと炊き上がった土鍋の白米が鎮座していた。

その周囲には、あかねが厳選した『救出対象』たちが並んでいる。


「よし、炊き加減は完璧だ」


悠人が土鍋の蓋を開けると、甘く芳醇な白米の香りが湯気とともに広がった。


「……美味しそう」


あかねの顔に、ようやく少しだけ赤みが戻る。


「さあ、どれから救出する?」


「それじゃあ、温度に一番敏感な、このイカの塩辛から」


暗闇の中、二人は次々にご飯のお供を白米に乗せ、口へと運んだ。

雷の音はまだ外で鳴り響いていたが、不思議と恐怖は感じなかった。


「ふふっ」


突然、あかねが小さく吹き出した。


「どうした?」


「だって、暗闇の中で、二人で必死にご飯かきこんでるんだもの。なんだか、悪いことしてるみたいで」


「深夜の明太子よりは健康的だろ?」


悠人が笑うと、あかねも声を上げて笑った。


その笑顔を見た瞬間、悠人は確信した。

彼女が本当に恐れていたのは、食べ物が腐ることではない。

自分が築き上げた『安心できる場所』が失われることだったのだ。


でも、どんなに外が荒れていても、電気が消えても、こうして二人で笑ってご飯を食べられるなら、そこが一番安全な場所になる。



「ねえ、悠人くん」


あかねが、明太子を乗せた最後の一口を味わいながら言った。


「冷蔵庫が止まっても、食卓は壊れないのね」


「当たり前だろ。俺がいるんだから」


少しだけかっこつけて言った直後、パッと部屋の明かりが点いた。

同時に、冷蔵庫がブーンと低いモーター音を立てて再稼働を始める。


「……あ」


あかねが、テーブルの上を見た。


そこには、空になったご飯のお供の瓶や容器が、無残に散らかっている。

明日の朝のために残しておくはずだったものまで、綺麗に空っぽだった。


悠人は慌てて冷蔵庫に駆け寄り、扉に手を当てた。


「大丈夫だ。お前らは全部、守るからな」


冷蔵庫をポンポンと叩きながら、あかねに向かって振り返る。


「救出作戦は大成功。でも……」


「でも?」


あかねの声が、いつもの静かで冷たいトーンに戻りつつあった。


「明日の朝の白米は、どうやって食べればいいのかしら」


「えっ……いや、それは……」


「まさか、土鍋の底にこびりついたおこげだけで満足しろと?」


「あかねさん、目が笑ってないです」


無事に電気が戻った春日家には、再び日常という名の小さな戦争が戻ってきた。


しかし、悠人の心はどこか晴れやかだった。

空になった瓶を洗う作業すら、今は少しだけ愛おしく感じられた。


そして、冷蔵庫の専用棚の奥で、ひっそりと膨らみかけている消費期限切れ間近の謎のタッパーが、次なる小さな戦争の火種として、静かに出番を待っていることを、この時の二人はまだ知らなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


停電って、どうしようもないですよね…


でも、土鍋で炊いたご飯の温かさと、

キャンドルの光で食べるご飯のお供は、

なんだか特別美味しそうでした。


救出しすぎて明日の朝ごはんが消滅したのは、

また別の問題ですが。


次回もよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ