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鬼のお兄さん

「おに……?」


 頭によぎった言葉は、そのまま口からこぼれ落ちた。

 その言葉に、目の前の彼は困ったように頭を掻いて。


「違う、つってもダメそうだな。しかしまぁ、人化の術には自信があったんだが……」


 そう言って大きくため息を吐くと、一歩こちらへと近づいた。


 月明かりに照らされた彼は、恐ろしいほど美しかった。

 彼の髪は黒い髪だと思っていたけれどそうではなかった。黒っぽく見えたのは影にいたからで、月明かりの下で見ると赤の滲む暗めの色。

 それはまるで、むかし日本の色図鑑で見た深蘇芳(ふかきすおう)色のようだった。それが毛先に向かって明るくなっていくのも、その精悍な顔に似合っていて。

 彼の持つ瞳の色はきらめく黄金のようでいて、琥珀のような落ち着きもあって。

 じっと見ていたくなるほど目を惹きつけて離さない。


「それで、お嬢さん。質問の答えを聞かせてもらおうか?」


 どこか現実離れしている彼に見惚れていたせいで、一瞬話の内容が理解できなくて。ただ聞かれたことには答えなければと必死に聞かれた内容を思い出す。

 たしか、そう。

 しつもん…質問?そう頭で理解したとき、彼の手元に始めて目線が動いた。その手の中には私が必死に探していたスマホが握られていて。


「あ、それ!私のです!見つけてくれてありがとうございます!」


 彼の素性のこととかもすべて忘れて、嬉々として近づいていくと、ギョッとしたように彼が後退(あとずさ)る。


「あの……?」


 不思議に思って彼を見上げると、何故か両手を高く上げた姿勢で固まっていて。

 まるで何もしてません、と言わんばかりだった。


「お嬢さん、俺の話聞いてた…よな?」

「聞いてましたよ?」


 え、なんか重大なこと言ったかな。そう思って、彼とした会話を思い出す。そうして、ひとつのことに思い当たって慌てて距離を取って問いかけた。


「鬼?!?!」

「おう。まさかあんとき適当に言ってたのか?」

「勘で言ってたので、(おおむ)ねそうかもしれない。

 ちなみに主食は?」

「肉」

「人は食べますか?!」

「食わん。あいつ腹壊してたし」

「暴力を振るうご予定は?!!?」

「ハハ、いまんとこねぇよ」


 人間を食べない、暴力を振るう予定もなし。

 なら良いか。この鬼のお兄さんは安全!

 そんなガバガバのジャッジを脳内で下して、スマホを受け取るべく、お互いに手の届く範囲まで戻ってきた。


「それならOKですね!それ返してください!」

「おっけえ?」

「問題なしってことですね」


 両手を差し出して、るんるんと返却されるのを心待ちにしていたのに、スマホはいっこうに返されない。

 あれ?と思って見上げると、そこにはニヤッと口角を上げて悪そうな顔をしたお兄さんがいた。


「これ、アンタに返してやるよって言ったか?」

「言っ………て、ないですねえ」


 よくよく考えてみたら、スマホが私のか聞かれただけで、確かに返すとは言ってなかった。それはそれとして私としては返して欲しいきもちしかないのだが。


「返してくれたりします?」

「条件飲んでくれたら良いぜ?」


 ダメ元で問いかけたところ、返してやってもいいというきもちはあるらしい。

 こちらとしては、その条件とやらが問題なのだが。


「内容を決めてから判断するのはありですか?」

「おう」

「それではお兄さん、条件をお聞かせいただきたく!」

「その前にお兄さんってのやめてくれ。俺は朱羅(しゅら)

「これはご丁寧に。野々原華です」


 朱羅さんが名前を教えてくれたので、反射的に名乗り返す。ヨネさんの忠告も忘れて。


「あ゛?アンタ、氏持ちか?!」

「あ。あー、えー、まぁそうなりますね。でもそこらへんの人間と変わらないので。凡人……平民?になります!」

「嘘を言え!!!!氏持ってるやつは武家か公家かそのあたりだろうが!」


 わん、と朱羅さんの大声が響く。

 鳥がどこかでバサバサ音を立てて飛んでいって。

 そういえば今、夜中なんだよなあと現実逃避した。


「いや待て、アンタ俺に真名名乗ったな?」

「真名?」

「人ならざるものに名乗るなと城の人間や乳母などに言われなかったのか?」

「いやだから、そういう大層なもの付く身分じゃないんですって」


 話が進まないので、とりあえず地面に座って。横を手で軽く叩いて、朱羅さんにも座ってもらう。

 そうして、ここに至る紆余曲折をかくかくしかじかと手短に説明した。すると、納得したように朱羅さんはひとつ頷いて。


「なるほどな」

「エ、嘘だな〜とか思わないんですか?」

「嘘をついたのか?」

「いいえ〜全部夢見たいな本当のことですよ!」

「だろうな。アンタ警戒心がなさすぎる」


 朱羅さん曰く、人ならざるものに名前を名乗る、イコール呪われてもしかたがないとのことで、普通だったら教えないとのこと。


「へぇ、そうなんですね。勉強になりました!」

「アンタそれでよく生きてこれてんな」

「えへへ、生きてたところが平和だったんで!」

「だろうな」

「あ!それで、条件って結局なんだったんですか?」

「あー、なんかもうアンタだったら呑んでくれそうな条件だから先に返しとくわ」


 その言葉と共に、ようやく手元に戻ってきたスマホ。朱羅さんはなんだか疲れたような表情を浮かべている。そんな顔でも美形は綺麗で得だなあと思っていると、朱羅さんの手が頭に乗せられて軽く押さえつけられた。


「あんま見んな」

「え〜理不尽!綺麗な顔なのに見ちゃいけないんですか?!」

「拝観料取るぞ」

「やぶさかでない」

「馬鹿か」


 くだらないやりとりをして、同じタイミングで吹き出すように笑って。何かの拍子に、手にあったスマホの画面が点灯した。何故か時間を正常に示し続けているスマホの画面に表示された時刻は3:40で。


「げ、やばいやばい。もう朝じゃん!」

「あ?もう虎の刻か」


 月を見上げた朱羅さんはそう言って立ち上がる。

 つられるようにして立ち上がると、朱羅さんは送って行ってやると、先導するように歩き出した。


「そういや、条件言ってなかったな。条件はひとつ、俺と交流をすること」

「?…それだけですか??」

「アンタならそういう反応すると思ったぜ。普通人間は鬼って聞いただけで逃げていく。鬼だっていうだけで逃げるんだから困ったもんだぜ。俺が何かしたわけでもないってのに」

「朱羅さん良い人、というか良い鬼?なんですけどね」

「ありがとな。まあ、とにかく、人間には興味がある。楽しそうな暮らししてるしな。だからどんな風に生活しているのかとか、人間のことについて、色々聞いてみたかったんだ」


 それって文明的には未来水準の私に聞くのは、人選ミスではないのかな、と思ったけれど。

 朱羅さんは特に気にしていないようだったから、私も気にしないことにした。


「ここまで来りゃ見覚えあんだろ。早く帰ってゆっくり寝ろよ」

「ゆっくり寝れるかどうかはわからないですけどね!」


 寝ている人が多い村の近くで大きな声を出すわけにはいかないから、こそこそと小声で会話をして。

 朱羅さんは軽く私の頭を一撫でしてから森の方へと歩き出す。


「あ!おやすみなさい、朱羅さん」

「……おう、おやすみ華」


 低く柔らかな声が鼓膜をくすぐって。

 名前を呼んでもらえたことを少し嬉しく思いながら、布団に入って目をつむる。すると数秒もしないうちに、睡魔が襲ってきて。

 そのまま眠りの淵に落ちる寸前、ひとつだけ思い出した。


 待って、お友達で誰か人間食べてない?

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