フラグ回収
「利市様は雪のなの!近寄らないでよ!」
そういえばヨネさんとこんなことが起きるのでは、と会話をしたのも3日前のことだった。
もしや3日毎にイベントが設定されている…?
なんて。鬼のような形相の雪ちゃんを前に、現実逃避をしてしまう。
ことの発端は夜半にこそこそと小さい声で名前を呼ばれたからで。
「華ちゃん、私よ。雪。華ちゃんと少し話がしたくて……こんな時間にごめんなさい」
ヨネさんはぐうぐうと鼾をかきながら夢の中にいる。
けれど、雪ちゃんはめげずに声をかけ続けていて、このままだといつかヨネさんが起きかねない。
嫌な予感はするけれど、このままでいるわけにもいかないので、渋々起き上がって扉越しに声をかけた。
「雪ちゃん、今何時だと思ってるんです?はっきり言って迷惑です。その話したいことは、本当に今じゃなきゃ話せないことなんですか?」
「だから申し訳ないって言ってるじゃない。貴女が外に出て、私と会話するってわかるまで声をかけ続けるわよ。それとも貴女、ヨネさんが起きてもいいの?」
勝手に夜中にやってきたくせに、脅されるとは。
ますます面倒くさいな、と思いながらも目の前の戸を開いた。
扉の前でにこっと笑った雪ちゃんは、ついてきてと言い放つと、三日月の頼りない月明かりの中を迷いなく歩き始める。
どこまで行くのかはわからないけれど、それなりに歩くとしたら、雪ちゃんに置いていかれた瞬間にヨネさんの家まで戻る自信がなくなりそうな暗さが広がっていて。
念の為、灯りの代わりにスマホをこっそり袂に託してから、ついていくことにした。
そして村から少し離れた森の入り口に着いた途端に言われたのが、冒頭のセリフである。
「利市さんが勝手に寄ってきてるだけなので、文句ならあの人に言ったらどうですか?」
なんて言おうものなら、どんな目に遭うかわからないくらいの形相で睨みつけられている。
刺激しないように言葉を選びつつ、納得してもらって穏便にお帰りいただけるのがベストだけれど……
「えっと、利市さんに」
「利市様の名前呼ばないでよ!」
め、面倒すぎる。その一言しか頭に出てこない。出鼻を挫かれて、もう帰りたくなってきた。言葉を選んでいては、話が進まない気配がぷんぷんと漂ってきている。
もう夜も遅いし、明日というより今日の朝からヨネさんのお手伝いで働く予定もあるので、こんなテンプレみたいな展開に付き合う義理はないのだ。
そもそも私は利市さんに微塵も興味がないので、この利市さんを取らないでという、雪ちゃんの抗議はまったくの無駄なのに。
「あー、簡単に言いますね。私あの人のことどうでもいいんで。雪ちゃんがあの人のこと好きならそれで構わないですし、どうぞお好きにって感じなんですよね」
「……なによそれなによそれ!!!!!雪に魅力がないから利市様があんたに言い寄ってるって言ってるの?!」
めんどくさ〜!!!心の中でそう叫んだ瞬間、激昂した雪ちゃんは私の肩を勢いよく押して突き飛ばした。
その拍子にスマホが袂から滑り落ちて、地面にごとりと音を立ててぶつかる。
尻もちを着いた私は、必然的に雪ちゃんを見上げる体勢になっていて。月明かりに照らされた彼女の顔は、怒りと嫉妬に塗れていて、すごく醜く見えた。
「なにそれ?……っ!まさか、あんたやっぱりどこかのお姫様なのね?!それ渡来物でしょ?!」
「ちょ、まっ…?!」
転げ落ちたスマホを視線で追ったのが悪かったのか。ヒステリックに叫んだ雪ちゃんは、スマホを鷲掴むと止める暇もなく、ぶんと腕を振りかぶって。
スマホを森の中に投げ捨てたのだ。
夜闇の中にガサガサと草がなる音がして。
そして、数秒後に消えた。
投げ捨てられた方角はわかるけれど、どこに消えたかもわからない。元の世界との結びつきを表すひとつであるスマホが、つまらない嫉妬なんかで無くなってしまう。
「人の物を粗末に扱うなんて、最っ低!!」
私の叫びに似た非難の声に、雪ちゃんが怯んで一歩後退る。普段どんなに文句を言われようと、怒ったりしなかった私が怒ったから、余計に怖かったのだろう。
「恋なら勝手にしててくれて結構だけど、迷惑かけるのだけはやめてくれる?うざいし、めんどくさすぎるから。マジでもう関わりたくもない。先に帰れば?」
雪ちゃんの様子に構わず、怒りを抑えるあまりに低い声が出る。それを聞いた雪ちゃんは怯えた顔で謝ることなく走り去っていった。
謝りもしないとかどういう神経してるんだとか、殴られないだけ感謝してほしいとか、そういうことを考えて、落ち着くために大きく息を吐き出した。
まったく、スマホ一台いくらすると思ってるんだろう。そう考えて、こっちの世界の人がそんなのわかるわけないかと更に大きくため息を吐いた。
「はー、ほんとくそ。見つからないかもだけど探そ……」
悪態を吐いて、投げ捨てられた方向へと歩みを進める。この場所がわからなくなる可能性が高すぎて、一度ヨネさんの家に戻って、朝日が昇ってから探そうとは思えなかった。
*
薄ぼんやりとした月明かりの中で、目を凝らすようにして地面を探す。スマホかと思っても、木の根だったり石だったりしてなかなか見つからない。
中腰になっているせいか、だんだん腰も痛くなってきて。諦めてしまおうかとも思った。
けれど、この世界にいてずっと御守りみたいに大事に持っていたから、諦めたくなくて。この世界に来たときに来ていた制服だって、元の世界の証明になるけれど。
でも、スマホの中の写真だったり友達としたやりとりだったりを見返せるのとでは、心の支えとしてのレベルは雲泥の差だと思うのだ。
「もーーーほんとどこ!!」
探しても探しても見つからないことに辟易として、思わず叫んだときだった。
バサバサと勢いよく鳥が飛んでいって。叫び声のせいだったら申し訳ないな、と思ったのに。
ガサガサと勢いよく草が揺れて、うさぎなどの小動物が飛び出してはどこか一方向に向かって走っていく。
――まるで、何かから逃げているみたいに。
そのことに気がついた瞬間、ぞわりと背筋を何かが走り抜けていって。
私も逃げなきゃいけないと、うさぎたちと同じ方向へと足を踏み出しかけたときのことだった。
「なあ、このピカピカ光る板みたいなのは、アンタのか?」
うさぎたちが逃げてきた方向から聞こえてきたその声は、低くて艶があるのにどこか柔らかい。
内容的に、私が探していたスマホの確率が高いと、腹をくくって振り向いた。
その声の持ち主の姿は月が雲に覆い隠されているせいか、よく見えない。そう思ったけれど、タイミングを図ったかのように、頭上の月にかかる雲が晴れていく。
「…っ」
私に声をかけてきたその人は、毛先に向かって朱色の強くなる髪を持った息を呑むほどの美丈夫で。
でも、彼の姿を見た瞬間、とある言葉が頭を過ぎった。
——夜の森には行っちゃならん。鬼が出る。




