第71話 脅威
夏は、私の誕生季だ。
夏の盛りを迎えれば、私は五歳になる。
三歳で村デビューした頃を思うと、身長も伸びた。村デビューしていた頃の服はすっかり小さくなり、脛まであった服はすでに膝丈になっている。そろそろ服を新調しなければならないだろう。
ホットパンツ丈ははしたない! という風習もあるし、普通に脚を出すのは危ない。毎日地面に膝をついて作業をするし、山にだって入るのだ。葉っぱで切ったり、虫に刺されたり、かぶれたり、良いことはひとつもない。
今は元気小僧みたいな丈になってしまっているが、まぁわりとヒューゴやサロメも夏の間はそういうズボンを履くこともあるので、秋には新しいズボンを買ってこようと予定を立てた。……サロメかヒューゴのお古、もらえたりしないかな? サーラおばさんに一回聞いてみようかな。
母は小康状態を保っていた。ただ、薬が切れてしまっているので、このまま放っておけばまた体調を崩すだろう。何日かすれば行商人の日が来るという話をサーラおばさんから聞いているので、もう少しの我慢だ。
朝方、雨でも降ったのだろうか。
外に出ると、雨の匂いがした。朝が早いからか、近くの畑からカエルの鳴き声も聞こえてくる。……確か、この辺りのカエルは毒性がある。食用のカエルだったら良いのにな、と思ったが、同時に、夕食にカエルの姿焼きが並ぶのもやだなぁと思いつつ、私はサロメの家へと歩き出した。もちろんアスファルトで舗装されている道ではないので、地面はぐちゃぐちゃにぬかるんでいる。後で靴についた泥を落とすのが面倒なので、雨の日はあまり好きではない。作業も滞るし。
空はどんよりと曇っていて、今日も一日雨が降るよと言っているようだった。山のてっぺんにも、黒い雲が引っ掛かっている。
雨が降るとバクダンに刺激が加わって爆発しやすいと聞いたことがある。帰り道にバクダンから、まるで返り血のように甘い赤い汁と、雨を全身に浴びながら帰宅するのは嫌だなぁ、と私は畑に並ぶバクダンを横目で見て眉根を下げた。
サロメ宅に到着すると、今朝の収穫はバクダンを中心に行ってくれとサーラおばさんに指示をもらった。
やっぱり雨が降ると、まるで不発弾のようにいつの間にかどこかでバクダンが爆発してしまうので、先に出来るだけヤバそうなやつを収穫してきた方が良いとのことだった。そりゃあそうだ、せっかく美味しいバクダンを一生懸命育ててきたのに、自然に返すなんてもったいない。
「雨が降ってくる前に終わらせようぜ」
ヒューゴが空を見て、険しい顔をした。私でも今日はそのうち雨が降ってくるのだと気付くのだ。ヒューゴ達が気付かないわけがない。サロメとヒューゴを先頭にして、私たちは大急ぎでバクダンの収穫を行った。
バクダン畑にいる最中に雨に降られると悲惨なことになる。パンパンに膨れ上がったバクダンは美味しい、美味しいのだが、同時にめちゃくちゃ重い。四個も五個も背負って行けるヒューゴは異常者で、リアムや私は一個を背中に背負って一個を前に抱えるので精一杯だった。
だから、何度も往復する必要がある。私たちはぬかるんだ道に足を取られながらも、小走りで何度かサロメの家と畑を往復するのだった。
へとへとになりながらも私たちは手分けして収穫物を洗った。今日はバクダンもあるので、ヒューゴもこちらを手伝ってくれている。四人でせっせと大量のバクダンを解体し、切り分ける。バクダンはこのまま放置しておくと家の中で爆発するという恐ろしい食べ物なので、こういうのはさっさと処理しなくてはならないのだ。
切り分けたバクダンは、もちろんみんなへの配分になるのだが、それにしても大量だ。私たちがへとへとになりながらも畑からヤバそうなバクダンを見定め、収穫し、せっせと運び込んだ甲斐がある。
「こんなにいっぱい、配り切れるかな」
配布用の浅い網の籠に切り分けたバクダンを並べていきながら、私はぼやいた。これじゃあ、持って帰るのにも一苦労だ。食べるのは一瞬だというのに。
辺りにはスイカのような甘酸っぱい匂いが漂っていた。朝一番の労働で疲れた体が、空腹だ! と言わんばかりに嘆きそうだなと思ったと同時に、リアムのお腹がぐう、と鳴った。一瞬、全員の視線がリアムに集まったので、リアムは恥ずかしそうに私の影に隠れようと私に接近してきた。
「……そうね。もうお昼時だもの。お腹もすくわよね」
リアムの姿を目で追っていたサロメが、ふと何かを思いついたように言った。
そして思い立ったが、と言わんばかりの勢いで家から出て行ったと思うと、すぐに戻ってきた。走ったのか、肩で息をしている。
「みんな! 聞いて! バクダン、広場で配るよ!」
今日は雨が降りそうなので、森へ行くのはキャンセルだった。だから、お昼から時間が空いてるのは確かで。
そんな中、サロメの思いつきにより、大量に収穫したバクダンを広場でお昼ご飯として村の人たちに配布しようということになった。
雨だから、という理由で仕事がキャンセルになるのは何も私たちだけではない。大人たちも暇を持て余している人もいる。ということで、そんな人たちの空腹を満たすべく、私たちはせっせと処理後のバクダンをそこへ運び込んだ。ジョルジュを始めとした成人見習いも、広場へテーブルを運ぶのを手伝ってくれた。小雨が降ってきてもここで配布し続けられるようにと、ジョルジュの発案で簡易テントのようなものまで建ててくれたおかげで、なんだかお祭りの屋台みたいになった。
この屋台はその場で腹ごしらえする人用なので、その場で食べてごみを回収するような形になる。お持ち帰り用は今日の配布物にあるので文句は出ないだろう。ただ、布を敷いた浅い籠を自分で持ってきてくれた人には、乗るだけ乗せて渡すようにはした。
「屋台売りになったような気分でも味わえそうだね」
成人見習いたちは、私たちのお手伝いの後、他の仕事があるようだった。その仕事も一通り終えたらしいジョルジュがやってきて、バクダンを一切れ手に取りながら、私に話しかけてきた。ジョルジュは屋台の裏側までやってきて、そこに準備してある椅子によいしょと腰掛ける。
「屋台売り? それって、飯を売ってるっていうところか?」
ジョルジュの言葉に反応したのは、ヒューゴだった。
「ご飯だけじゃないさ。色々なものが売ってる……行商人の日があるだろう? あれがこういう広場で、こういう屋台で、物を売ってるんだ」
「ふーん……」
ヒューゴがなんだか嬉しそうにニヤニヤしていると、子供がバクダンをもらいにきた。ヒューゴは得意顔でバクダンを渡している。
どうやら街にある同じ商売を、今、自分がやれているのが嬉しいらしい。なかなか子供のうちは街へ行けないので、街に対して憧れの気持ちを持つのが普通だ。サロメやリアムも、接客のために屋台に立ちながらも、私とジョルジュの会話を気にするようにちらちらとこちらを見ている。
「まあ。でも、レノには似合わないかな」
「屋台売りが?」
「うん。レノがやるとしたら、店を構えるくらいのことはしそうだから」
ジョルジュが壮大なことを言ってくれたので、私は思わず吹き出した。
「それはさすがに買いかぶりだよ。街で店を構えるなんて、すごーく難しいんだから」
「それがすごーく難しいかどうかさえ、僕たちじゃわからないものだからね。だからレノはすごいんだ」
ジョルジュは手早くバクダンを食べると、立ち上がった。本当に一瞬だけ休憩に来ただけらしい。
「ご馳走様。レノたちはもう食べたのかい?」
「あ、うん。ここに来る前に済ませたよ」
たらふくバクダンを食べてしまったので、むしろ気になるのはトイレ事情だ。水分が多く含まれているバクダンをお腹いっぱい食べたので、消化されたら何度もトイレに行きたくなりそうな予感がある。
「なら良かった。でも、ちゃんと休憩を挟むんだよ。何なら二人ずつ交代で店番をしたらいい。四人で立ってる必要なんて、そうそうないだろう?」
本当に店を構えてるわけでもあるまいし、とジョルジュが言った。そりゃあその通りだ。ずっと立ちっぱなしなのもしんどい。
じゃあ、という感じで、とりあえずサロメとリアムが休憩に入り、私とヒューゴが店番をすることにした。店番といっても、めちゃくちゃな量を持っていく人がいないか確認しているだけの簡単なお仕事だ。あとは、雨が降ったら即時撤退する必要があるので、空模様を監視する大切なお仕事でもある。
「ジョルジュはこれから何するんだ?」
ごみを片付けてくれたジョルジュに、ヒューゴが言った。
「これから大人と集まって、一度森を見に行くんだ。雨の日の森を知っておくのも、大事な勉強なんだって」
「……あーあ。やんなっちまうな。俺も早く森へ行きてえよ」
ヒューゴは大きなため息をついて、空を見上げた。その額に、ぽつりと雨が一粒落ちてきた。雨だ。ヒューゴが嫌そうな顔をして呟いた。
「降ってきやがった」
「じゃあ僕、みんなを呼んでくるよ。テーブル片付けた方がいいだろ?」
「待ってジョルジュ、まだ小雨だから、まあ最悪テーブルの片付けは明日雨が上がってからでも、」
今にも走って行きそうなジョルジュを呼び止め、私は声を上げた。このぬかるんだ泥の中テーブルを運ぶと、それはそれであとが大変そうだ。かといって、あまざらしも良くないのだろうか? やっぱりおばさんに指示を仰いできてもらいたい。
隣のヒューゴは最後の腹ごしらえだ、と言わんばかりに唐突にバクダンを食べ始め、サロメとリアムは椅子から立ち上がって私とジョルジュのやり取りを見ていた。
そして。私が次の言葉を発する前に。
遠くから大きな声が聞こえてきた。悲鳴のようにも聞こえるが、よくわからない。私たちは全員で顔を見合わせた。バクダンを食べながら地べたに座って休憩していた大人たちや、バクダンを食べに来た他の大人たちも、きょとんとしている。
「……獣でも、山から降りてきたか?」
地べたに座っていたグループの男が、ぽつりと言った。その言葉に、大人たちの表情が一気に険しくなる。
どうやら地べたに座っている男グループは、先ほどジョルジュが言っていた森へ行くグループの一員らしく、側には槍が置かれていた。その槍を手に取って、男たちは警戒した顔で周囲を見渡した。
「おい、ジョルジュ! 俺たちは向こうを確認してくる。お前はサーラに状況を報告してこい!」
その中でもリーダー格らしい男がそう言ったが、ジョルジュがそれに従うことはなかった。なぜならば、男が一人、広場に全力で走って入ってきたからだ。その姿はボロボロで、一目で向こう側で何かが起こったことが分かる。
「お、おい! どうしたんだ! 何があった?!」
ボロボロの姿の男が力尽きたようにその場に倒れこんだので、リーダー格の男が慌ててその男に駆け寄った。倒れた男は色々なところに傷を負っているようで、なぜかところどころ服が焦げたように破れていた。爆発事故でもあったのか、と思うような姿だ。
「ま、まじゅうだ……」
「なんだって?」
「魔獣だッ……! 魔獣が出たんだ!」
全員が一瞬、言葉を失った。広場が静寂に包まれると同時に、再び遠くから叫び声が聞こえてきた。それと同時に、先ほどは聞こえなかった『何か』の咆哮まで聞こえてくる。その音は、ボロボロな姿の男の証言を確証付けるには、十分すぎた。
リーダー格の男は、槍を持っていない他の大人にそのボロボロな姿の男を託すと、自分の槍を握りしめて立ち上がった。槍を持っていない側の大人たちの顔には、嘘だと言ってほしい、とハッキリ書かれていたが、リーダー格の男はもはや色々な覚悟を決めたらしい。はっきりとした目で、周囲を見渡した。
「聞こえたか、魔獣が出た!」
びりびりと震えるような大声で、私たちは夢心地のような頭から目が覚めた。
魔獣が出たんだ。
今、この瞬間にも、魔獣は誰かを襲い続けている。
ボロボロな姿の男は、その怒声で落ちかけていた意識を取り戻し、自分の知っていることを全て話した。
「どこからともなく、魔獣が現れたんだ。……今はダミアンたちが、なんとかしてくれてる。だが、いつまで持ちこたえられるかも、分からない」
身体が痛むのだろう。顔をゆがめながらも、途切れ途切れだが、簡潔に、必要なことだけ男は喋った。だがその言葉に、私たちは更に打ちのめされることになる。
「……それも、一体じゃないんだ。少なくとも、俺は四体見た。四体とも、前に出た魔獣と、同じくらいの大きさだ」
「そんな、」
呟いたのは誰だっただろう。でも、全員がその言葉心の中で呟いた。サロメが思わず、といったように口に手を当てていた。その魔獣を四体も相手にして、サロメの父さんは必死にこの村を守るために戦っているんだ。
「騎士団、騎士団を呼ばないと!」
槍を持っていない大人が、悲鳴のように叫んだ。リーダー格の男は苦虫を噛み潰したような表情を見せた後、呻くように言葉を絞り出す。
「……男は全員、今すぐ武器を持ってあちらへ向かえ。女や子供は、森へ逃げるんだ。そして、お前……そう、お前だ」
成人見習いの一人だろう、ジョルジュとそんなに年齢が変わらない男の子を、リーダー格の男は指名した。
「お前は村で一番足が速い。……だから、今すぐ街へ行き、騎士団に応援を要求してくるんだ」
「ぼ、ぼ、僕がですか!?」
気弱そうな男の子が、思わずといったように叫んだ。
「ぼ、僕は無理です! 僕も魔獣倒しに向かいたいです、僕なんかじゃ、」
だが男はそれを許さず、男の子の肩をぐっと掴んだ。
「……俺たちの命は、お前に懸かってる。お前が足を止めるたびに一人、村の男が死ぬと思え」
リーダー格の男がそう言って睨みつけると、男の子の弱気な発言が止まった。緊張したように視線を彷徨わせた後、男に視線を合わせる。そして、リーダー格の男から街に着いたらどうしたらいいかを聞き、勢いよく走り出した。
「女子供はなるべく散り散りにならず、固まって行動しろ! いいな!」
男の大声をかき消すように、遠くで轟! と音がした。ぶわりと一瞬、周囲が明るくなる。全員が思わずそちら側を振り返った。
そこは、私の家とは反対側の、広場を挟んだ向こう側の山の方だった。そこが今や、燃え盛っている。しかもなぜか、その炎の色は赤黒い。邪気を孕んだようなその恐ろしい炎の色に、私は茫然と立ち尽くした。
「男は武器を持ってあちらへ向かう! 見習いも全員だ!」
その言葉に、弾かれたようにヒューゴとジョルジュは顔を見合わせていた。その時、二人の視線の中で、どんなやりとりがあったのかは分からない。だが、ヒューゴが突然怒り出した。
「俺も! 俺も行かせてくれ!」
怒鳴るように声を上げ、ヒューゴはリーダー格の男の元へ駆け寄った。だが男はヒューゴの姿を見て、首を横に振る。
「ダメだ。お前はまだ子供だ」
「俺だって皆を守りてえ! 俺だって男だ! こんなところで尻尾撒いて逃げるなんざ、絶対にできねえ!」
ヒューゴは必死に訴えた。それには鬼気迫るものがあった。だが、男がヒューゴのそれを許すことは無かった。
「ダメだ! この時間も無駄だ! お前が我儘を言っている無駄な時間、誰かがあそこで死んでいるぞ!」
その言葉が最終通告だった。ヒューゴは押し黙り、俯いた。リーダー格の男が他の大人たちを取りまとめ、武器を持って広場から走り去った。
その後を追って、槍を持っているジョルジュが走り出そうとして、足を止めた。
「……ヒューゴ」
ジョルジュが掠れた声を出した。小雨だった雨脚が、どんどん強くなってきている。でも、遠くで燃える炎の勢いは弱まらない。獣のような咆哮、そして誰かの悲鳴。怒声。まだまだ遠くではあるが、しかしそれは確実にこちらに迫ってきていた。
「………みんなのこと、頼む」
縋るように、ジョルジュがヒューゴの肩を叩いた。そして目を伏せて深呼吸した後、ジョルジュは私たちの顔を順番に見た。多分、私たちはみんな、ひどい顔をしていたと思う。それでもジョルジュは小さく微笑んで、頷いた。
「みんな、早く逃げるんだ! 必ず後で会おう!」
そう言って、ジョルジュはもう一度も振り返らず、轟音が聞こえる赤黒い炎が燃え盛る方向へと、走り去った。
暫く、私たちは言葉が出なかった。動けなかった。
だが、そんな私たちを叱り飛ばすように、そばにいた女性が声を上げた。
「さあ! 逃げるのよ! ジョルジュだけじゃない、村のみんなが私たちを守ってくれてるのよ! それを無駄にしないで!」
女性の力強い声に、私たちはハッとして、走り出した。ジョルジュが向かったのと反対の方向へ。




