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第69話 母が恐れていること

 村に帰宅した私は、すぐさま母に買ってきたばかりの薬を飲ませた。それは試験管のようなものに入った薬で、まるでスライムのように粘り気があり、緑色をしていて、本当に口にして良いものなのか? と疑うほどの異臭があった。まるでゴムが焼けたような匂いに私は吐き気を催しながら、その試験管を母に手渡す。

 母も嫌そうな顔をしたが、覚悟を決めて、一気にそれを飲み干していた。袋の中には試験管が三本入っていた。三本で銀貨三枚ということは、一本一枚ということだろう。とんでもなく高い薬だが、それほどに効くのかもしれない。


 母の調子は一時的にだが、飛躍的に回復した。薬を飲んだ日と、その翌日くらいはとんでもなく元気なのだ。

 その次の日からまた睡眠時間が長くなっていってしまったが、しかし、事実、薬の効果はあったのだ。これを定期的に飲み続ければなんとかなるかもしれないと思いつつも、私の頭には、これが一体なんの薬であるかという疑念が首をもたげ続けた。


 恐らく、母は魔法使いなのだろう。

 だが、魔法使い用の薬問屋で買った薬でさえ、単なる『時間稼ぎ』でしかないと母は言う。てっきり魔法使いだから、人間用の薬が合わないのかと思っていた。私としてはこのままこれを飲めばなんとかなるのでは、と淡い期待を抱いてしまうのだが、母は一貫して、この薬は単なる一時的な回復だとしか考えていないようだった。

 薬の効能を聞いても、教えてくれそうにない。もう一度あの店に話を聞きに行ってもいいが、あのおじいさんが親切に教えてくれるとも思えない。マルクに聞けば早いかもしれないが、それはつまり魔法使いが身内にいるのだと知られるような自殺行為だし、それは先生やマルタンが相手でも同じだ。魔法使いだということは、誰にも知られてはいけない。


 ……母の足にある金属の輪っか。あれはもしかすると、奴隷の証なんじゃないか?

 例えば、こうは考えられないだろうか。母は生まれたときから領主様に仕える奴隷だった。だから、先生も母のことを知っていた。そこで、父と恋に落ちた。でも父には立場がある。だから母を、街ではなく、村へ移動させた。しかも、自分が通える範囲の距離のところに。そこで私が生まれて……。


 ……魔法使いだとバレれば、奴隷。


 私はぎゅっと手を握りしめた。絶対に、バレてはいけない。バレたら、金持ちの奴隷になる。頭の中に、いつの日かガスパルの腕の中から見た、奴隷たちの姿が思い起こされた。バレたら、私もああなるんだ。だから母は、バレないように、ずっと気を付けていたんだろう。

 私も気を付けなくちゃいけない。母も私も、人間なのだと。そう、周囲に思わせなければならない。私は母が空けた試験管の瓶を袋に片付け、そっと戸棚の奥……貴重品が置かれている場所へと仕舞い込んだ。







 母が薬を飲んだ次の日夜。一時的にでも、すっかり元気になった母に、私は勇気を出して声をかけた。


「母さん。あの、聞きたいことがあるんだけど、今、ちょっといい?」


「なあに? レノ」


「あのさ、父さんが領主様の関係者って、ほんとなの?」


 病人食を続けていた母が、唐突に私と同じ食事を取るのは難しい。ということで、ひとまずはしっかりと火を通した野菜スープや、パン粥というメニューにしていた。本人曰く、もう大丈夫だから元気な間くらい干し肉をかじりたいということだったが、そういうわけにもいかない。これで内臓系まで悪くされても困る。

 そのため、相変わらずの病人食をスプーンで口に運んでいた母なのだが、私のあまりにも直球過ぎる突然の問いかけに思わずといった様子でスープを吹き出した。


「な、なに、何を突然、」


 母は噎せながら言葉を絞り出した。私はキッチンに置いてある台拭きで母が吹き出したスープを拭いつつも、言葉を重ねた。


「でも、そう思うと色々納得がいくの。母さんがほんとのことを話してくれなかったのは、私を父さん……というか、貴族というか。領主様関連の人たちと、なるべく結びつかせたくなかったのかなって」


 父からの誘いを、母は断っていた。そもそも、父の第二夫人(第二かどうかは知らないが)として城の中に住んだり、愛人として城下街に住んだり、そういう選択肢だってあったはずだ。

 だが、母はそれを選ばなかった。選べなかったのかもしれないが。とにかく、今、母はこの村で、父の訪れを待ち続けている。それにはきっと、何か理由があるはずで。それが前向きな理由ではないことくらい、想像がつく。

 私がじっと母を見つめていると、口元を拭った母はひとつ咳ばらいをした。


「……レノ。チャーリーについて、調べたのね」


 責めるような声音に、私は反射的に背筋を伸ばした。しかし母は怒ったような顔はしていなかった。複雑そうな顔で、私を眺めている。


「あなたがチャーリーについて、何を知ったのかは知らないわ。……でも、母さんも、意見を変えるつもりはないの。現に薬を飲んで、母さん、元気になったでしょう?」


「でも、母さん。それは時間稼ぎでしかないって、一時しのぎでしかないって、母さんが言ったんだよ? 母さんなら知ってるんだよね、父さんの本当の名前……教えてよ! そうしたらわたし、城へ行って、父さんと直接話をするから!」


「ダメよ」


 静かな声だった。


「それだけは母さん、認めることはできないわ。レノ、お願いよ。お願いだから、父さんを呼んではダメ」


 その声はハッキリとしていた。母の真剣な様子に、私は面食らう。


「父さんを呼んじゃダメって……それ、変だよ。だって母さん、父さんを待ってるって言ってたじゃない」


「ええ。そうよ。でも、呼んではいけないの。私たちは待つだけなのよ……レノは、母さんのこと好き?」


 突然の質問だった。母の言葉の意味を考えていた私は、反射的に頷いた。当然だ、母のことが嫌いならば、ここまでいろんな頑張りをしてこなかっただろう。母が母だったからこそ、私は助けたかったのだ。


「母さんと一緒にこれからも暮らしたい?」


「もちろん! そのためにわたしは色々やってきたんだもん!」


「そう」


 それはよかった、と母が嬉しそうに微笑んだ。そして、口を開く。


「だったら母さんと約束して……チャーリーを呼ばないって」


 それはまったくもって、不可解で、意味不明なお願いだった。父は母を助けることができる。その父を、母は待ち続けている。だが父を呼ぶことは禁ずる。……一体、何故?

 顔に出ていたのだろう。母は困ったように眉根を下げた。


「……あなたのお父さんはね。強くて、頭が良くて、偉大な人……よ」


 母が手を伸ばし、私の頭を撫でた。母の隣に座っていた私は、久々の感触が気持ちよくて、目を細めた。ただ、母がまるで、『偉大な人』の後にも言葉が続きそうな言い方をしたので、気になってちらりと母を見る。


「父さんは領主様の関係者なんだよね? だから呼んじゃいけないってこと?」


「レノはどうしてそう思ったのかしら?」


 質問に質問で返されてしまった。私は椅子から降りて、服が詰まっている棚からコートを取り出して来た。父からもらった、上等なコート。そしてその左胸には、門番のところで見たものと全く同じ紋章が刺繍されていた。

 この紋章が見えぬか! と言わんばかりの顔で私がそのコートを持ってくると、母が顔を曇らせた。


「……レノ、門に近付いたのね」


 まるでいけないことをした子供を叱るような声音で、母が言った。私はどうして叱られているのか不思議に思いながら頷いた。


「村の取引に関連する場所は、街の南門で完結するはずよ? レノ、街で一体何をしているの?」


「母さんにも何度か話したよね? わたし、ガスパルさんっていう人の店で、色々商人っぽいことをさせてもらってるんだってば」


「……確かにそれは聞いたわ。でも、それでも広場の北側にあるっていうだけで、そこから北側に行く理由なんて無いでしょう。それに、商人っぽいことと言ったって、レノはまだ四歳よ? ほとんどはロジェが、」


 母は言葉を区切った。その目が、私の左腕に釘付けになっている。思わず私も自分の左腕を見た。そこには見慣れた腕輪、ギルドバンクルがつけられている。


「………レノ。これ、」


「あれ? 話してなかったっけ? 一応もう、商業ギルドで名前は登録してもらってるの。ガスパルさんが色々親切にお世話してくれてね」


 商業ギルドに登録した時の話をかいつまんで説明したが、母はあまり話を聞いていないように見えた。なにかを酷く恐れているような、心配しているような、不安そうな顔をしている。そんな母の顔を見ていると、私まで心配になってきた。商業ギルドに入るのは、まずかっただろうか?


「レノ……何か、その……変わったことはない? そのバンクルを付けてから体調を崩したとか……」


「いや? 別になんともないよ?」


「そう……それじゃあ、そのバンクルのことは、…………。いえ、いいの。なんともないならいいのよ」


 母は何かを言いかけて、悩むように黙った後、早口で言った。そして、まるでこれで話は終わりだ、と言わんばかりに冷めたスープを飲み干し、椅子から立ち上がってキッチンへと食器を運んでいた。

 そしてこちらを振り向いた時には、先ほどまでの不安に揺れる瞳はどこにもなくて、まるで太陽のように輝くいつもの母の笑顔を見せてくれた。


「さて、レノ! 母さんも元気になったことだし、明日は母さんもお仕事に復帰しようかしらね!」


「断固却下です!!」


「あら?」


 そんなの許可できるわけがない。母さんはまた出来る範囲の家事をやって、暇なら家の周りを散歩するとか、ほんのちょこーっとだけならサーラおばさんの手伝いするとか、それくらいでやめときなさい! と私が腰に手を当ててぷりぷり怒ると、母は楽しそうに笑った。


 ……本当なら、あの話の流れで、魔法使いについてもいっそ聞きてしまいたかった。


 母さんは、魔法使いなの?


 私は、知っている。私に魔力があるということを。それはつまり、父さんと母さん、どちらかは、もしくは両方が魔法使いなのだということを。だから私は、これまでの経験と知識を重ね合わせて、母さんが魔法使いなのだとほとんど確信していた。父さんは分かんないけど。父さんが母さんをここに置いて隠したい理由の中に、私がハーフだから、というのがあるのもあり得るし。

 でも、私はあともう一歩、勇気が出なかった。母さんが、私と、魔法使いについての話をするのを怖がっているように見えたからだ。

 ……まぁ、何も今日中に話さなくてはならない話でもない。これからもチャンスは何度かあるはずだ。またなんとか話の方向性を調整して魔法使いを話題にしたり、母がうっかり父の本名を言ってしまうように誘導できないか、色々考えてみようと思った。


 そうして私は母と一緒に身体を洗い合いっこして、一緒に布団に入った。久々に母に頭を撫でられながら眠るのは、心地が良かった。私は満足した気持ちのまま、微睡みに意識をゆだねた。

 ……まさか、こんな機会がもう二度と訪れることがないなんてことを、夢にも思わずに。






 結局、その後も母は一貫して父と連絡を取ることに反対してきた。

 だが、反対されたからといって私もはいそうですかと頷くわけにもいかない。少なくとも、父は母が魔法使いだと知っているはずだ。だから、魔法使いであることが原因の病に犯されているとすると、事情を全部くみ取って動けるのは、それこそ父だけだ。

 マルクに事情を話して魔法使い用の癒者を手配してもらうことも出来るかもしれないが、マルクがどれだけ信用できる人なのかもわからない。下手をすればそのまま母娘ともども奴隷コースだ。逆に言えば、途中で父が勘付いて、事情を知ってしまったマルクを消してしまう可能性だってある。だって、領主様と奴隷の恋なんて、スキャンダルが過ぎるじゃないか。しかも子供はハーフかもっていうおまけまでついてくるアンハッピーセットだ。


 それから、私とマルタンは二人で色々なことを話し合った。


 次の行商人の日が来たら、まずはガスパル父にまた馬車を手配してもらうこと。

 母は父を呼ぶなと言ったが、父と話すなとは言わなかった。なので、父を呼ぶわけではないが、父と会ってそれとなく母の病状を伝えようと思う。語尾に、呼んではないけどね! と言っておけば母との約束は守られるはずだ。よって、父と会うために、まずは領主関係者の名前と人となりの情報を街で集めること。マルクも色々と詳しそうだったので、マルクやガスパルを中心に話を聞いてみたい。多少なりとも人相が一致すれば、その人をターゲットにして、ガスパルと一緒に新作スイーツの売込みだと言って城へ行ってしまえばいい。

 だが、もし父が、当の昔に母に愛想を尽かしていて、何だお前たちはこの曲者め! 不敬だぞ! みたいな感じになられた場合、ガスパルの立場が終わるので、ハイリスクではある。しかし、もはやこの手段しか考えつかない。金貨三枚でマルクに癒者を紹介してもらうという話も、もし、母が魔法使いであることが原因系の病にかかっているのならば、こちらの解決方法も確実ではなくなってしまう。

 それゆえに、もう全部イチかバチかでやってみるっきゃない! という結論に至ったのだ。


 また、私はこの間に、マルクにあの宝石のような石の価値について聞こうという決心を固めていた。

 正直、ずっと誰をどれくらい信用できるかで、私は悩んでいた。一番信用できるのは母だが、きっと母に話せば、お守りを手放そうとするなんてとんでもない! と叱ってくるだろう。マルクやガスパルなら答えを知っていそうだが、石のことを話したことによる波及効果については、結局心配がなくなることはなかった。魔力についてバレれば即奴隷だからだ。

 だが、マルクは先日の一件……ニャーニャの件を、今でも誰にも言わず、黙っている。もちろん今更誰かに何かを暴露したところでデメリットしかないからだということは分かっているが、つまり、マルクは『そういうこと』を黙っていてくれる人なのだということが分かった。

 それはつまり、こちら側も何かしらマルクにとってメリットになることを提示すれば、もしかすると黙ったままでいてくれるかもしれない。うまくいけば、宝石の出所を秘密にしたまま換金してくれるかもしれない。そういう期待を込めて、私は一度マルクに相談してみようと思ったのだ。



 前回行商人が来て、私たちが街へ向かったのは冬の終わり、春の始まりの頃だった。季節ごとにやってくる行商人は、恐らく次は夏の盛りになる頃には来てくれるだろう。私とマルタンは、その日を指折り数えて待った。

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