第68話 泡立て器の発明
その次の日には、ガスパルの店へ行った。
今回は、現場を直接経験して勉強したい! と、なぜかジョルジュもついてきた。全員で押しかけるのも何なので、ロジェはいろんな店をめぐってみると言って一人ぶらぶら街の中を探索するということになり、私たちは三人でガスパルの店へ訪れた。
いつも通りに従業員さんに案内してもらい、私は一度倉庫のようなところへ通され、着替える。マルタンとジョルジュは廊下で待たされていたので、なんでわざわざ着替えるんだと言わんばかりの不満顔だった。特にジョルジュは、私とガスパルの商談に興味があるようで、それはまだか、という感じで苛ついていた。
が、着替えて倉庫から出てきた私を見て、ぽかんとしていた。
「レノ、その服は……なんだ……?」
「なんだって言われても……ワンピースだよ?」
一着しか持っていないので、なんともまあ代わり映えしない。これに袖を通すのは試着の時含めて三回目になるので、そろそろ新しい服も欲しいなって思うのが乙女心だ。当然そんなところに使うお金はないので、そんなことはできないが。
すっかりよそ行きの恰好になった私が物珍しいのか、ジョルジュはじろじろと上から下まで何度も見ているし、マルタンは少し赤くなっていた。
「あんまり見られると恥ずかしいんだけど……」
「ご、ごめん……でも、こんな貴族みたいな服着てるレノなんて、初めて見るから」
ジョルジュは指摘されて慌てて視線を逸らしたが、それでもやっぱり気になるらしく、ちらちらとこちらを見ていた。……村で生活してるとこんな服着てる人なんて絶対いないもんね。そりゃ物珍しいか。
「お入り」
従業員さんがノックをすると、中から声が聞こえた。扉を開けて私たちが入室すると、ガスパルは一瞬面食らったような顔をした。てっきり私が一人で来るものだと思っていたらしい。
「今日はまたたくさんのお客さんだね。どうぞ」
執務机で書類作業をしているらしいガスパルは、そう言って私たちにソファを勧めた。
暫く私たちはソファで大人しく待っていた。やがて、ガスパルの書類作業がひと段落したらしい。ガスパルが私たちの向かいに座る頃には、淹れたての紅茶も到着した。
「あ、クッキーだ」
紅茶のお供に、クッキーが出てきた。大皿に整列しているクッキーは、四種類。プレーン、ナッツ、ドライフルーツ、そしてお茶の葉入り。
「まだ試作品段階だ。君に一度食べてもらわないと、心配でね」
ガスパルが苦笑混じりに言った。私は早速手を伸ばし、お茶の入りをつまんだ。香りを確かめた後、かじりつく。サクサクとした触感に、優しい甘み。そしてふんわりと香る、紅茶の匂い。うん、美味しい! その調子で全種類食べつつ紅茶を飲んでいると、なんだかお腹がいっぱいになってきた。
「どれもこれも美味しいですよ、ガスパルさん。これなら大丈夫だと思います!」
力を込めて頷くと、ガスパルは安心したように息を吐いた。
「ただ、もしよければ、プレーン……ええと、普通の味のものを、もう一回り小さくしたものも準備してもいいかもしれないですね。一口で口の中に放り込める大きさって、結構食べるときに楽だったりしますから」
かじりつくと、ぽろぽろ零したりして、見た目が悪くなる。割って食べるとなると、両手が汚れてしまう。今のままでも一口でいけなくもないが、淑女が大きな口を開けてクッキーを口の中に詰め込むのはよろしくないだろう。そう指摘すると、ガスパルは試してみよう、と頷いた。
「君たちも食べてご覧、美味しいから」
ガスパルが私の両隣に言った。ちらりと見ると、マルタンはもうこの空気に慣れっこなのか落ち着いている様子だったが、ジョルジュは随分と緊張してしまっているらしく、がちがちになっていた。
本来、ジョルジュの村での役割を考えれば、わざわざ商人の取引を見るためにここまでついてくる必要はない。だが、もしかすると、ジョルジュはこれからの村の発展を考えて、色々なことを学んでおきたいと思っているのかもしれない。私は、せっかくならその機会を与えてあげたいと思った。励め、少年!
私はガスパルに向き直った。
「新しいレシピの話、してもいいですか?」
「もちろん! 楽しみに待ってたよ」
今回、私は生クリームを簡単に説明した。そしてそれを作るために、泡立て器が必要だという話もした。となると、まずは器具を作るところから、だ。その辺はどの職人にどう注文をかけるかよくわからないので、ガスパルに全部お任せするとして。
私はガスパルから羊皮紙とペンを借りて(高級品過ぎて恐ろしかったが)、簡単に形状を説明した。金属製品ならまだしも、ステンレスとか、どうにも説明のしようがなかったので、まあ形と用途だけでもとりあえず伝えようというつもりだった。材質とかはそっちで最適を考えてみてくれ、という丸投げだ。用途は決まっているので使い物になるかの実験も簡単だろう。これがきちんと発明されて世に出て、キッチンの必需品となれば需要も拡大に増える。
「今度は調理方法じゃなくて、調理器具とはね……」
泡立て器があれば、レシピの幅もまた増える。生クリームがあれば大方のスイーツは美味しくなるし、見栄えも良い。っていうか食べたい。私が食べたい。メレンゲとかも手軽に作れるようになるし。料理にだって応用が利く。良いことづくめだ。
私がにこにこしながら料理にも使えるという話をすると、ガスパルは目を輝かせた。
「すごく良い考えだ、最高だよ、レノちゃん。君は本当に天才だな」
泡立て器の発明を独り占めできるだけでなく、そのあとのレシピにまで未来図が描けているとなれば、投資もしやすいだろう。そういう思いで簡単に話したのだが、思った通り、ガスパルは俄然やる気になっていた。
「確かに今も泡立てるための器具はある……でも、レノちゃんの話が本当なら、随分とそれも楽になるし、もっと質の良い泡を立てることができるってことだね」
どうやら現在、キッチンでは樹木の小枝を集めたもので泡立てたり、フォークで代用するのが主流らしい。ただとても面倒なので、あまり泡立てる、という行為をする人が少ないとのことで。
「これもレシピみたいなものですし、大銀貨1枚でどうでしょうか」
レシピについての相場は決めていたが、モノの相場は分からない。とりあえず提案すると、ガスパルはうーんと唸った。何か、色々な勘定をしているらしい。こういう時はあまり話しかけない方が良い。私は静かに紅茶を飲んだ。
やがて、ガスパルがひとつ頷き、口を開いた。
「ひとつ提案があるんだ、レノちゃん」
「なんでしょう?」
「君は僕に作り方を教えてくれる。これが大銀貨一枚。そして僕はこれから、道具そのものを発明する。これが大銀貨二枚必要になるとする。君は僕に大銀貨一枚をくれて、投資代として使わせてくれるとする。そうして、器具が完成して。それを売り出した時の売り上げを僕たち二人で山分けする。……こういうのはどうだい?」
マージンでの取引ということか。確かに開発に投資が必要である以上、先立つ現金が必要になる。資本金となる部分だ。売上が生まれるとうまく回るものだが、そのためには開発、そして仕入れが必要になる。
ああ、面倒な話になってきたな。別にここで会社経営をしたいわけじゃない。私は面倒なことを考えるのを一旦やめて、ガスパルの提案を頭の中で転がしてみた。
「……分かりました。ですが、私の取り分は四割でいかがでしょうか」
「おや、控えめだね。いいのかい?」
「ええ。その代わり、初期投資以外の経費は全てそちらが持って頂くということ、売り込む経路も全てそちらが手配すること。これを前提として加えてください」
「もちろんそのつもりだよ。でも、利益の四割になるんだよ? いいのかい?」
「ガスパルさんがくれるというならいらないとは言いませんが、この店が潰れられても困るのも事実です。むしろ四割でも結構貰っちゃってる方だと思いますよ」
「それはつまり、僕の店を大事に思ってくれてるってことだよね? この間の返事?」
「……その話は、もう少し待ってください。ちょっと、予想外のことが色々起きていて。次の機会にお返事させてもらいたいです」
引き延ばしてすみません、と頭を下げると、ガスパルは少し残念そうに眉を下げた。軽口ついでに言質を取ろうとしていたのか、はたまた軽い冗談で投げかけたが快い返事がもらえなかったことに対してなのかは分からないが、ガスパルは仕方なさそうに苦笑した。
「ちょっぴりズルい申し出をしたなという気持ちは僕にもあるよ。君の一生を左右しかねない選択になるからね。そうそう簡単には答えを出せなくて当然だ」
ただ、とガスパルが続ける。
「君のお母さんの体力については、常に気にかけておいてほしい。僕としても約束を反故にするつもりはないんだけど、僕の手を取ったとしても、君の決断を先送りにすればするほど、最悪の結末を招く可能性が生まれることを、頭の片隅にでも置いててもらいんだ」
う、と私は顔をしかめる。だって、その通りだから。私が右往左往している間にも、母の命の灯が削られていっているかもしれないと思うと、今すぐにでもガスパルの手を取った方がいいのかもしれない。
でも、と自分の中で声がする。父が領主血縁者であるとするのならば。それこそ、連絡さえ取れれば、素晴らしい医師を手配してくれる可能性がある。最高級の環境で、色々な設備が揃った状態で、母は治療を受けられるかもしれないのだ。
そう考えると、今はガスパルの手を取るよりかは、父とどうにかして会うことを考えた方が良さそうに思えてくる。……昨日、ニャーニャに声をかけて交渉しておけばよかった、と私は今更後悔した。あの時は頭が回らなかったが、ニャーニャの部下だと偽って城の中に入り込めば、ワンチャン父が見つかったかもしれないというのに。
一応、契約は成立したということで、私たちは誓約書を書いた。ガスパルが商業ギルドに持って行ってくれるとのことで、その間、私たち三人は厨房の視察に行くことにした。ガスパルが本当に商業ギルドに持って行ったかどうかの受領書を見せてもらうまでなので、そんな時間はかからない。街をうろついたりするより、エマの様子を見に行った方が有意義な時間を過ごせるだろう。
ガスパルが呼びつけた従業員の人の案内に従って階段を降りて廊下を歩き、厨房へとやってきた。厨房では、エマがせっせと大量のクッキーつくりを行っているらしく、忙しそうにくるくると歩き回っていた。
「エマさん、こんにちは」
「あ! レノさんですね!」
こんにちは! と言ってエマが手を振った瞬間、そのはずみでちょうど手に持っていた袋の小麦粉がドサッと大量にボウルの中に入った。ヒッとエマが悲鳴を上げる。……た、タイミング、悪かったかな。
なんとかその小麦粉を袋に戻すのを手伝ってあげると、青ざめていたエマの表情はいつもの明るいものへと戻っていた。
「今日も何か、美味しいものをガスパルさんに教えてあげたんですか?」
エマがボウルの中身をこねながら言った。体力勝負なはずなのに、弱音ひとつ言わずにエマは朝から夜までクッキーを焼き続けている。それも、一人で。何て素晴らしい従業員なんだ、と私はひそかに感動しつつも、質問には笑顔で返した。
「それはガスパルさんから直接聞いてください」
必要があればガスパルから指示が降りてくるだろう。そう思って答えたのだが、予想外にも食らいついてきたのはジョルジュだった。
「どうして教えてあげないんだい? 今回は料理というよりかは、調理器具の話をしてたんだろう?」
無いなら無いって教えてあげた方が良いじゃないか、とジョルジュが言った。まさか身内側から商談内容をリークされるとは思っていなかった私は、信じられないものを見る目でぽかんとジョルジュを見た。エマも半ば冗談で私に問いかけたつもりだったらしく、あちゃー……という顔でジョルジュを見ている。
「……ジョルジュ。お前……今、とんでもないことをしたっていう自覚はあるか?」
マルタンが重々しく言った。場の空気はもはや冷蔵庫に近い。ジョルジュは周囲を見渡して、自分に向けられた表情から、何かはマズったと感じ取ったらしい。
「……なんとなくは」
「商談に連れて行ってほしいって言ったから連れてきたけど、確かに商人のいろはも知らないジョルジュに全部常識でしょっていうのも変な話だよね……教えてなかった私が悪かったよ、ごめんね」
ここでジョルジュを非難するのは、新入社員相手に、何でこんなことも出来ないんだ! 常識だろ! と配属初日に言ってるのと同じようなものだ。一瞬でも非難する気持ちが芽生えてしまったことに対して申し訳なく思いつつ、眉根を下げてそう言うと、ジョルジュは本当にしてはいけないことをしてしまったのだと今更ながらにもじんわり理解して来たらしく、慌てたように冷や汗を流していた。
「ご、ごめん、僕、知らなくて……」
「あのね、ジョルジュ。商談っていうのはね……」
私のやってることに着いてきたい、勉強したいと言うのは別に良い。現場でしか学べないこともたくさんあるし、ここには教本なんてないんだから見て習えというのが当たり前の世界なのだろう。だが、だからこそタブーは知っておかないといけない。教育が遅かったので申し訳ない。
今更に言ってごめんねと注意すると、ジョルジュはすっかり自信を喪失してしまったらしく、しょんぼりと肩を落としてしまった。
「まあ、誰にでも失敗はあります! 私もですね、最初はクッキーを何度も丸焦げにしてしまって。こっそり捨てちゃえばバレないと思っていたんですが、視察にきたガスパルさんにバレて、とっても叱られたこともありますよ」
未来ある少年(と青年の狭間)を励ますように、エマが自分の失敗談を語った。語りつつも手はきちんと動いているので、労働者として本当に素晴らしい。エマの励ましを受けて、ジョルジュは多少立ち直ったらしく、次からは気を付けるよと言ってくれた。次も来るつもりなのか。そして顔が少し赤いぞ、ジョルジュ君。ジョルジュの視線はエマに釘付けだったので、なんとなく私についてきたいと言った理由が分かったような気がした。
翌日、必要なものをそれぞれ買いに行くという話になった。ロジェたちには、サーラおばさんから頼まれているお使いがあるらしい。春から新しく成人見習いが増えるので、その子たち用の農具や槍等、備品が必要になってくるとのことだった。
結局力仕事なので私に出来ることはあまりないということで、今回は私だけ別行動にさせてもらった。マルタンは最後まで一緒に行くと食い下がったが、さすがに大荷物となるお使いに、男手を一人減らすわけにはいかない。さらに言えば、母から指示のあった店は、あまり他の人に知られないようにした方が良いと思ったのだ。
私は一人、てくてくと大通りを歩いた。広場を越え、ガスパルの店を越え、北へ歩く。ずっと奥まで歩くと、大きな門に辿り着くだろう。また門番に会うと面倒なので、奥まで行ってしまう前に目的の店を探したいと、きょろきょろしながら歩いた。
すると、一本入ったところに、薬のマークが見えた。細い小道を歩き、裏路地へとやってくる。本来なら子供一人で入ってくるような場所ではないが、ここは街の北側。騎士団の詰所は目と鼻の先だ。ここで悪さをする馬鹿もそうそういないだろう。
石畳をカツカツと足音を鳴らして進んで、一件の店の前にやってきた。先ほど見た、薬のマークの店だ。
ここは街の北側なため、高級志向な店が多い。つまり、清潔感があり、ブティックというような庶民にはなかなか入りづらそうな見た目の店が多い。
にも関わらず、この店はなんだか、胡散臭い感じがした。アンティーク調にはなっているが、あまりにゴテゴテと装飾がしてあって、まるで魔女を連想させるかのようにうねった木が店の柱となっていて、いかにも古ぼけた重そうな扉がデデンと私の行く先を立ち塞いでいる。あまりにも通りの店々と雰囲気が違うため、景観とか気にしなくて大丈夫なのかとこちらが心配になってくるほどだ。
私は周囲を見た。たまたま、往来には人通りがない。今のうちに入ってしまおう。私は覚悟を決めて、重そうな扉をぐいっと引いた。見た目通りの重さがある扉は私がうんうんと唸りながら一生懸命引くことで、やっと開いた。少しだけ生まれた隙間に身体を滑り込ませ、私は店内へと足を踏み入れた。
むわり、と最初に鼻をついたのは、薬草の匂いだった。色々な薬草を煎じた匂いだ。マルタンが薬を作ってるときと同じ匂い。臭いとまでは言わないが、良い匂いだとは決して言えない、嗅ぎ慣れない匂い。
私は微妙な顔をしながら、きょろきょろと店の中を見渡した。薄暗くて見えにくいが、入ってわりとすぐにカウンターが見えた。あまり広い店ではないらしい。左手は壁で、右手側には薬品棚が陳列されていた。カウンターの奥にスペースがあるらしく、そこで薬品を作っているのだろうか? コポコポと何かを煎じるような音が聞こえるし、匂いもそちらから流れてきているようだった。
しかし狭い。カウンターからこちらの、客側のスペースが狭い。大人が三人来店したら、あとは外で待機してくださいと言わざるを得ないほどの狭さだ。
「す、すみませーん」
カウンターに近寄ると、やっぱり私は顔が見えなくなってしまう。仕方なく数歩下がって、扉のところから声を上げた。ここならなんとかカウンター越しに私の姿が見えるだろう。
「すみませーん!」
声をかけても誰も来ない。返事もない。一体どうなってるんだこの店は! ……店、間違えたかな? ここ、もしかして製造所で、ほんとはお薬の窓口は隣の店とか? あまりにも静かなので不安に思ってきた私は、一度外に出るか、と踵を返そうとした。その時。
ドン! とカウンターが叩かれる音がして、私は飛び上がった。
「すみませんねぇお待ちさせてしまって! いらっしゃいませ、今日はどんなご用事で……、」
気の良さそうなおじいさんが、にこにこと笑顔を浮かべて手をこすり合わせていた。だが、おじいさんの視界の中に、お客さんがいない。おじいさんは不思議そうな顔をして周囲を見渡し、ふと、私と目が合った。すると先ほどまで浮かべていた優しそうな笑みを消し、嫌そうに顔をゆがめた。
「なんだ、お前は。何の用だ、クソガキが」
えええあまりにもひどい言いようでは!? 私何もしてなくない!? 私が目をぱちくりさせていると、老人は唾を吐くように言った。
「用がないならさっさと出て行け、クソガキ。ここはガキが遊びに来るところじゃねえぞ」
「あ、あの! えっと、『主人のために薬を買いに来ました』……?」
「あぁ? 訳の分からねえことを言ってんじゃねぇぞ」
母の指示通りに言ったのだが、老人はお前頭おかしいんか? と言わんばかりの顔で私を睨みつけた。メンタル豆腐なので、だんだん帰りたくなってきた。
「誰のために買いにきたって?」
「しゅ、『主人のために薬を買いに来ました』」
「主人って誰だ、言ってみろ、クソガキ」
「『主人のために、薬を買いに来た』んです!」
「あぁあぁうるせえな! 大声出してんじゃねえぞ!」
最終的には怒鳴られてしまい、私は途方に暮れた。これは本格的に店を間違えたのかもしれない。一回出よう、そして他の店を探そう。私がそう決心して動こうとした時、老人は苦々しい表情でぼそりと言った。
「……『奴隷にやる餌は無い』」
扉の取っ手を掴もうとしていた私の動きが、ピクリと止まる。上げた手を降ろすよりも先に、私は老人を見た。
老人は先ほど見せた愛想笑いや、突然の激昂とは違う、空虚な表情でこちらを見ていた。私はすぐさま首から下げた袋から銀貨を三枚取り出し、カウンターに置……こうとして届かず、カウンターの横から老人にお金を差し出した。老人はそれを受け取り、三枚の銀貨を確認した。
「………おい、ガキ」
老人は一度奥に引っ込み、袋の包みを持って戻ってきた。それを私に手渡しながら、ぽつりとつぶやいた。
「事情は知らねえが、誰にも見つかるんじゃねぇぞ」
ぽん、と老人は私の頭をひとつ撫でて、すぐに奥へと引っ込んで姿を消した。老人の同情に満ちた瞳は、なかなか私の頭から離れなかった。




