第67話 領地の紋章
「ここからかなり離れたところに、フィースト領地っていうところがあるんだ。そこがボクの故郷だよ。ここよりずっと緑が多くて、ずっと自然とうまく共存できている領地なんだ」
小さく私たちの領地へのディスが入りながらも、ニャーニャは簡単に説明してくれた。
フィースト領地の住民は全員が獣人族であること。国の食糧庫と呼ばれるほど、食糧については他の追随を許さないほどに常に生産量がトップであるということ。
私たちの領地はなんとか自給自足しているが、だからこそ食については『栄養があって腹が満たされれば問題ない』という潜在意識が大きい。だがフィースト領地は違う。、美食の国としても有名で、食に関しては特にうるさいとのことだった。
「で、君はこの領地に、食糧を売りに来たんですか」
マルクが言うと、ニャーニャは否定も肯定もせずににこりと笑った。でも確かにそうなれば納得だ。開国してくださいよぉ~と口うるさく言ってくるということは、私たちの領地に商人として、何らかの商機を感じているということだろう。領主の無茶な台替わりで色々なことがガタガタになっているこの領地に取り入るのは、そう難しいことでもなさそうだし。
結局、ニャーニャをここで匿うということについては、私が積極的賛成、かつマルタンとマルクは消極的賛成ということで、追い出すには至らなかった。
暫くはここでほとぼりを冷まそうという話にまとまったのだが、ふと喉の渇きを感じた。そのまま、汗をびっしょりかいたので喉が渇いたと訴えると、マルクに腹立たし気な視線を全力で浴びせられてしまった。……脱水は危ないんだぞ!
「レノ。こっちにおいで」
マルクが私の訴えを黙殺してくるので、私は仕方なく頭の中に梅干しを思い浮かべて唾液分泌腺を刺激し続けていたのだが、見かねたニャーニャが苦笑交じりに言った。私はこそこそと丸椅子からカウンターの内側へと移動し、ニャーニャの隣に座り込む。二人とも小柄だからか、カウンターには二人の身体がすっぽりと収まった。
「はい、どうぞ」
ニャーニャが腰についているポシェットに手を突っ込んだと思うと、その中からおおよそサイズ感を無視した大き目な水筒が出てきた。水筒と言っても『私』の時のような魔法瓶ではなく、革で出来ている、昔ながらの作りのものだが。
「は、え、え?」
マジックでも見ているのか、と私がポシェットと水筒とを見比べていると、ニャーニャがこらえきれないように拭きだした。良い反応するね、君、と言いつつ、私に持たせた水筒の蓋を開けられる。
とりあえず、と口を付けると、程よく冷えた水が口の中に入ってきて、私は夢中でごくごくと飲んだ。
「あ、ありがとうニャーニャ……いやでもこれ、え、どうやって入ってたの?」
水筒を返すと、ニャーニャは再びポシェットの中に荷物を片付けた。するりと当然のように入り込む水筒。だがどっからどう見ても、その小ぶりなポシェットに縦に入りきるサイズの水筒ではない。一体どういうことだ、と私はそのポシェットを外側から触ってみたのだが、布の柔らかい感触がするだけで、先ほど触っていた革の感触はそこになかった。
「これはね、魔道具の一種なんだ。一応容量に限度はあるけど、それまでは何でも入るよ」
よ、四次元(制限あり)ポケットだったのか……。っていうか、魔道具って。つまりこれも魔力を食っているのだろうか? 商人って、そんなに儲かるのだろうか? これはどれくらい燃費がいいんだろう? 私は次々と頭の中に質問が浮かんだ。単純に言えば『なにこれ欲しい』だ。
「ふふ、やっぱり面白いね。君たち『人間』の反応は」
獣人は人間ではない。だから、そういう言葉選びになるのだろう。そう思ったのだが、何か別の含みがあるような気がして。
私は顔を上げてニャーニャを見た。薄水色で透き通った瞳は、まるでビー玉のようで。滑らかな白い肌は、とても柔らかそうで。気圧されるような美しさが目の前にあって、私は息を呑んだ。
「……レノ。獣人は全て、魔法使いだ」
「ま、!?」
マルクの静かな一言に、私とマルタンがびっくりして目を点にした。そして一瞬で、複雑な気持ちが入り混じってしまった。魔法使いは奴隷という構図が、私の頭の中にあるからだ。
……いやでも、全員が獣人ということは、全員が魔法使いだということなのだろう。だったら、奴隷とか、従属関係にはならずに済んでいるのか?
確か、他領地の話は、この領地ではタブーだったはずだ。だから耳にすることも基本的には無いし、まさか他領地の人と会うことが出来る日がくるなんて夢にも思っていなかった。だからこそ、好奇心がむくむくと起き上がってくる。私はその気持ちに背中を押されるまま、ニャーニャの瞳に吸い込まれるようにして前のめりになった。
「ねえ、ニャーニャ、」
「レノ!」
楽しそうに細められるニャーニャの瞳を覗き込んでいた私は、マルタンの厳しい声にハッと我に返った。振り向くと、マルタンが怖い顔でこちらを見ている。
「ダメだ、レノ。これ以上、僕たちは彼女に踏み込んじゃいけない」
匿うだけで大罪。だというのに、知るはずのない他領地について知ってしまうのは、致命的なほどにやってはいけないことだ。先生からの授業で、私たちは『知っていてはいけないこと』を知っている。そして私は今、単なる好奇心でその一線を越えようとしている。
マルタンのおかげで冷静になった私は、そっと姿勢を戻した。
「それは残念だな。レノ、また機会があったら、ぜひボクの話を聞いてほしいな」
ニャーニャはちっとも残念そうには見えない様子で言った。合法的にそれが可能になったらぜひお願いしたいよ、と内心でボヤきつつ、私は丸椅子へと戻ってきた。マルタンが見るからにほっとしたように息を吐いているのが見える。
これ以上ニャーニャの話を聞き続けるのはこちらが危険だ。知らない方が良いことは、知らない方が良い。好奇心は猫をも殺す。私は自分の好奇心に鍵をかけて、次の話題を探していると、ふと気付いた。ニャーニャは先ほど、領主様や貴族街へよく出入りしていると言っていたじゃないか。
「ニャーニャ! あのね、わたし、人探しをしてて、もし知ってたらでいいんだけど、教えてもらいたいことがあって……」
「うん? なんだい? ボクでわかることなら、なんでも答えるよ」
ちらりとマルタンを見ると、マルタンは迷うような表情を見せた。
確かにニャーニャが信頼できる人かの判断は難しい。だが、現状、他に頼れる人はいない。後でガスパルにも少しだけ事情を話して、それとなく貴族界の皆さんにお尋ねしてみてほしいと伝えるつもりだが、それもすぐに効果のあるものではないだろう。父が偽名を使っている以上、なかなか見つかるわけがない。この世界には写真もないので、顔を見て判断するのも不可能なので、手段としてはかなり限られてきてしまう。
私は意を決して、ニャーニャに事情を簡単に説明した。とはいえ、貴族の隠し子です~愛人の子です~というのも気まずいので、わりと急ぎ目で探している人がいるということしか話していない。
「うーん、そうだなぁ。ボクもそんな名前の人に心当たりはないなぁ」
力になれなくてごめんね、とニャーニャの尻尾と耳が力なく垂れる。ちょっとだけ期待してマルクも見たが、マルクも首を横に振っていた。
「やっぱり、偽名だと探すのは難しいよね……もしかして、ほんとに他の領地の貴族だったりするかもだよね……」
手がかりを得られず、がっくりと私は肩を落とした。ニャーニャは他の領地でもそんな名前の貴族とは知り合ったことがないと話したうえで、ふと思いついたように尋ねてきた。
「君のその探し人は、いつもどんな服装をしていたんだい?」
もしかすると、服装でどの領地の貴族なのかといったことや、階級が分かるかもしれない。ニャーニャのその提案は、全く考えもつかなかったことだった。私は急いで父の姿を思い出す。長いこと会っていないが、そうそう簡単に父のことをすっかり忘れるものでもない。私はゆっくりと思い出を振り返るように話した。
「ええと……上下とも黒い服だったかな。高そうな服の質感があって、冬は外套も羽織ってて……」
クロードさんも似ている黒い服だったが、父のものはもっと重みのありそうな生地が使われていたような気がする。確か、下に着ている白いシャツはフリル付きのものだった気もする。クロードさんのはもっとシンプルで、燕尾服のような執事らしい服装だったような気がする。
「黒い服……ねえ。レノ。もしかして、その服には紋章が入っていたんじゃない?」
ニャーニャはそう言って、自分の左胸を指さした。そう言われると、なんだかあった気がする。気にして見たことはないけど、確かに何かの刺繍が入っていたはずだ。……私を抱き上げる父さんの姿。その胸元には確かに何か、マークがあった。
ふと、脳裏に、先生とマルタンの三人で話した時の光景が蘇る。
「黒の衣を纏っているのは、領主様の紋章入りの血縁者と、騎士団の紋章入りの騎士団員と、何も紋章がない領主様管轄の使用人の三種類……」
「……随分と詳しいですね」
今までの私の知能レベルにはそぐわない知識だったのだろうか。マルクが怪しむように目を細め、こちらを見た。私はそれを感じて、慌ててマルタンを見た。マルクの視線もマルタンへ向かう。マルタンは苦笑して説明した。
「レノはすごく常識のない子だから、僕が知ってることは色々教えてるんです。だから、まだまだ知識は偏ってて……」
……こうなってくると、恐ろしい事実が浮かび上がってくる。父は、何らかの紋章入りの黒い服を着ていたのだ。常識的に考えて、父が騎士団員だとは思えない。騎士団員には、使用人が付かないからだ。クロードさんは明らかに執事然としていたので、恐らくは領主様管轄の使用人の立場にあたる人だろう。ここから導き出される答えはひとつ。
父は、領主様の血縁者だ。
「……紋章って、どこかにありますか?」
一応は確認しておきたい。うろ覚えだが、紋章を見たら思い出すとか、そういうのもあるかもだし。そう思ってそういうと、マルタンが呆れた顔をした。
「何言ってるんだ、レノ。ついさっきも見ただろう」
「え?」
「門番がいたところに旗が掲げられていただろ」
そう言われて、またもや記憶が蘇る。全く以て気にも留めていなかったが、そう言われれば、大きな門の両側に、大きな旗が掲げられていたような気がする。灰色の生地に、種から双葉が芽吹いている刺繍がされていたはずだ。
……待ってほしい。
つい最近も、それを見た気がする。
我が家は年に二回、衣替えをするのだ。と言っても、真冬用の服と真夏用の服を入れ替えるだけだし、真冬は真夏の服も着こむために使ったりするので、『私』の時のような衣装ケースの入れ替えというほどでもないが、それでもよく使う服と使わない服を入れ替えたりはする。虫に食われないように煙でいぶしたりもする。その時だ。家の中で、その紋章を見かけたことはなかっただろうか?
「あ、……」
ぞわりと全身に鳥肌が立った。
見ている。見ているのだ。
あの紋章を、見ている。
黒いコート。肌触りが良くて、普段よりちょっぴり重い、高級そうなコート。
胸にオシャレな刺繍が入っていてなかなかセンスが良いが、村では着るタイミングがなくて、ついぞあの夜以外、一度も袖を通していない、コート。
万が一金欠になったら売り飛ばそうとも考えていた、コート。
あの夜、父からもらった、コート。
「………もし、ですよ。もし、その紋章入りのものを、人に譲るとしたら。それはどういう意味を持つんですか?」
心臓がばくばくと音を立てているのに、手足が冷えていく感覚。私は思わずマルクの椅子のひじ掛け部分に掴まった。ごくりと唾を飲み込んで、誰かが答えてくれるのを待つ。
だが、私の緊張感をよそに、ニャーニャは明日の天気でも聞かれたかのような気軽さで、するりと言った。
「一般的に言えば、求婚の印だね。どの領地でもよく行われる儀式の一環さ。他の領地から婚約者を連れてくる時もあるだろう? そういった時に贈られることがしばしば、」
「じゃ、じゃあ。求婚以外は、求婚以外には何か意味は!?」
政略結婚の話はどうでもいい。私が切羽詰まったように答えを求めると、ニャーニャは驚いたように目を丸くした。だがすぐに小首を傾げ、次の答えを述べた。
「他には、そうだなぁ。領地内で行われることなら、あまり使われることは無いけど、やっぱり求婚の印だと思うよ。領地内でも、貴族は貴族同士で結婚することが多いんだ。ただ、血が近すぎることもあって、その対策のために、時折他の血を連れてくる時がある」
「他の、血……」
「そう。平民の血、とかね」
私はひじ掛け部分をぎゅっと握りしめた。
「すぐに平民に求婚、というのはあまりない話だと思うよ、少なくともボクは聞いたことは無い。それこそ、おとぎ話の世界ではあるのかもしれないけれど……話が逸れたね。よくあるのは、まず、養子をとるんだ。平民の子供を貴族に召し上げることで、貴族としての教養を学ばせる。その後、晴れて貴族として結婚させる。だから、その養子を迎え入れる際に、紋章入りの衣を与えることはあることだね」
ニャーニャはそう言って、面白そうに私を見つめた。私の今の表情は、多くを語っているのだろう。だが、それを隠せるほど、私はまだ冷静になれなかった。
あの夜のやりとり。母があそこまであのコートを嫌がっていたこと。父が私たち母娘を招き入れようとした打診。それらを断った挙句の果ての、今。
父は領主の一族だから、偽名を使わざるを得なかった。母は全てを知っていたから、父がその気になれば助けてくれるし、その気にならなければ助かることはないと覚悟していたのだ。私たちのような平民が、領主一族の血縁者だから父に会わせてくれ、と言ったところで信じてもらえるとは思えない。父からもらったコートだって、盗んだんじゃないかと疑われてしまうかもしれない。
そこまで考えて、母は、私に何もするなと言ったのだ。
「そんな、でも、そんなっ……!」
だからといって、何もしないではいられないだろ! 私は拳を握った。
話してくれないと、分からないことなんてたくさんある。母はきっと、私を守ろうとしたのだ。好奇心は猫をも殺す。知らなければ良いことは、知らないままで良い。
でも、私は暴いた。興味心と好奇心で、暴いたのだ。となれば、結果として付きまとうのは、その真実に対して私はどうするのか。どうしたいのか。
「……ニャーニャ、ありがとう」
ぐっと頭を後ろに逸らし、大きく息を吸った。胸いっぱいに新鮮な空気を取り込み、色々な思いと一緒に吐き出す。幾分かすっきりした頭で、私はニャーニャを見た。ニャーニャはにんまりとほほ笑んで、どういたしまして、と肩を竦めた。
「……今の話は、他の者に話さない方が良いでしょう。そちらの二人も、出来る限りこの件は内密に」
マルクが鋭く言った。具体的なことは何も言っていないが、私の反応とニャーニャの話を繋ぎ合わせると、第三者がこの話を聞いていても見えてくるものがある。答え合わせをさせるつもりもないが、かといって吹聴させるつもりもない。そういった様子でマルクが釘を刺すと、元よりそのつもりだったらしいマルタンは大きく頷き、ニャーニャはニヤニヤした様子でもちろんさ、と頷いていた。
そうこうしているうちに、夕日が差してきていた。すっかり夕暮れの時間になってしまったらしい。そろそろ外も落ち着いている頃だろう、とニャーニャは立ち上がった。んん、と伸びをして、丸まった関節を伸ばしている。
「今日は助かったよ。この借りは、いずれ返すよ」
「良かったですね、マルクさん」
にこりと笑ったニャーニャの言葉に、私も笑顔満点でマルクを振り返った。フィースト領地の商人と知り合えたことは、商人にとってチャンスじゃないか、という気持ちで。
だがマルクは完全に仏頂面で、眉間に皺をよせていた。
「レノ。君も商人の卵なら覚えておきなさい。口約束など、商人同士では何の役にも立たないものだと」
「おや。これは心外だな。ボクはその辺のケチな商人とは違うんだ。約束は守るタチだよ」
「そうでしたか。では、気が向かれた際にでもその借りを返して頂ければ有難いですね」
「もちろんそのつもりさ。『気が向いたら』ね」
にんまりと笑ったニャーニャと、冷たい笑みを浮かべたマルクが見つめ合っていて、その場の空気は氷点下だった。私とマルタンは身を寄せ合い、とばっちりがこないことだけを祈って身体を縮こまらせた。
「ま、今回はなかなか面白い時間も過ごせたし、素晴らしい出会いにも巡り合えた」
ニャーニャはそう言って、私とマルタンの手を握った。握手するようにぎゅっと握り、ぶんぶんと二回上下に振り回す。ニャーニャの手はすべすべで、ひんやりとしていた。
「君たちのおかげで、なかなか有意義な時間を過ごせたよ。たまには抜け出してみるもんだねぇ」
チェシャ猫のようににんまりと笑い、ニャーニャは満足したように喉を鳴らした。そして満面の笑みのまま、小さく手をこちらに振る。
「それじゃ、またいつか。商人として再会できたのなら、御贔屓に」
「き、気を付けて帰ってくださいね!」
「うん、君たちも。……君にはすぐにまた会えるような気がするけどね」
ニャーニャは最後に意味ありげな視線を私に送り、やがて店を出て行った。その背中を見送っていると、私はマルクに背中を小突かれた。なんだ、と見上げると、マルクの顔にはお前らもさっさと出て行け、と書いてあった。
宿に戻ると、すぐにロジェとジョルジュも戻ってきた。今回はジョルジュ主導で動いたらしく、ロジェはほとんど手を出していないらしい。にも関わらず、しっかりと取引をこなしてきたらしい。ロジェもジョルジュもにっこり顔で、ジョルジュはちょっぴり誇らしげな顔をしていた。私はすごいじゃん!と褒めちぎり、私たち四人はまたあの酒場へと食事に出た。
いつもの美味しいステーキをたいらげながらも、私の胸の中にはもやもやとしたものが漂い続けた。
誤字報告、ありがとうございます!




