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第64話 見えない母の考え

 最近の母は、熱を出してばかりで、なかなか相談ごとを切り出せるような余裕がなかった。

 だがその日はたまたま調子が良かった。熱が少しだけ下がり、母の顔色はいつもよりマシだった。少しだけほっとしながら、私は食事を採らせ、相変わらずのドブ水みたいな薬を飲ませて、母をベッドに寝かせた。


「……母さん」


 布団を母の首元まで引き上げて、冷えないようにしてあげた。母の頬にそっと触れると、すっかりカサついていて、以前のような張りが失われていた。食事量もまた減ってきているので、痩せてきている。


「どうしたの、レノ」


 まだ眠っていなかったらしい。母がゆっくりと目を開けて、私を眺めた。薄っすらと見せてくれた笑みに、私も笑顔で返しつつ、言い淀んだ。何をどう話したら、母が分かってくれるだろうか。


「………あのね、母さん。どうしたら父さんと連絡が取れる?」


「………突然、どうしたの?」


 金貨三枚の話。父の話。……父さんが全部知ってくれさえすれば、きっと全部解決する。そのはずなんだ。私は頭の中を整理しながら、ゆっくりと事訳を話した。

 だが、母は穏やかな笑みを浮かべたまま、それを否定した。


「レノ。……チャーリーを呼んではダメよ」


「な、なんで……?」


「大丈夫。あの人には伝わっているわ。きっとあの人が、なんとかしてくれる」


 母は何かの確信を得ているようだった。その言葉の強さに私は一瞬呆気にとられたが、いやいやいや、と首を横に振る。


「伝わってるんだったら、どうして来てくれないの? なんとかしてくれるんだったら、どうしてさっさとなんとかしてくれないの? ダメだよ、母さん! 母さん、騙されてるよ! 言わなきゃ伝わらないことばっかりだよ、世の中!」


 恋する二人は以心伝心とか言ってる場合じゃないの! 命懸かってんだから! 私は必死に説得した。だが、母の意志もまた、固いものだった。


「レノ。父さんに連絡を取ろうとしてはダメ。それだけは母さん、絶対に許可できないわ」


「そ、そんな……」


「……母さんが悪いの。きっと父さんは、全部見越して言っていたのよ。こうなることが分かっていたの。だから突然、一緒に住もうなんて言い出したのよ。でも、母さんがそれを受け入れなかったから。……私の自業自得なの」


「な、何言ってるの、母さん。そんなわけないよ。もしそうだったら、もしそうなのだとしたら! それこそ父さんはもっと真剣に私たちを招くべきだったし、知ってたなら今すぐに助けにきてくれなきゃおかしいよ! もしこの一年が意趣返しなのだとしたら、それこそ酷すぎるよ!」


 母の話はめちゃくちゃだった。だが、何よりつらかったのは、こんな状況になっても、母は父のことを信頼しきっていることだった。そして、さらに言えば、全ては自分のせいだからもう覚悟は決まっている、と言わんばかりの態度がつらかった。

 百歩譲って父が全てを知っているうえで今音沙汰も無いとなるならば、私はそれを断罪したい。もともとどちらかというと酷い男だと思っていたが、これではクズ中のクズではないか。それに、父は私と母の二人を誘った後、私に個人的に、私だけを誘おうとしていた。となれば、今の状況が予知できていたとは思えない。


「……でも、そうね。チャーリーが私を許してくれるまで、私が持ちこたえられれば、きっと助かるわ……」


 そう言って、母は何かを決心するように私を見た。そして目を細めて、思い出すように言った。


「………街の北の方に、魔法使い用の薬問屋があるわ。そこで、『主人のために薬を買いに来た』と言いなさい。絶対に、間違っても家族のためだとか、母さんのためだとかとは言ってはダメだよ。お使いなのだと言い張りなさい。主人の名前を聞かれても、誤魔化しなさい」


「え……?」


「そうすれば、向こうが『主人の食事代は高いぞ』って言うわ。言うまで粘りなさい。そうしたら、銀貨を十枚手渡すのよ」


 戸棚の上の方に、銀貨が詰まった袋があるから、それを使いなさい。母そう言って、せき込んだ。私は慌てて、丸まる母の背中をさする。

 確かその場所は、ヌーロの種が保管してあるような、貴重品用の場所だったはずだ。母は確かにそこへお金を仕舞い込んでいた。だから場所としては分かる。だが、私の心には隠しきれない動揺が広がっていた。


「か、母さん……」


「ごめんね、レノ。母さん、疲れちゃった。少し休ませてほしいわ」


 そう言われれば、これ以上会話を続けるわけにはいかなかった。

 私は母を寝かせ、一人暖炉の前に戻った。パチパチと音を立てて爆ぜる薪をぼんやりと眺めながらも、頭の中はぐるぐると回っていた。

 ……分かっていたことじゃないか、レノ。私は自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。先生のところで、魔法使いは魔法使いからしか生まれないと言われたのだ。それはつまり、私に魔力がある時点で、自動的に両親のどちらか、もしくはその両方が魔法使いであるという証。

 そして先ほど、母は言った。魔法使い用の薬問屋で、薬を買ってこいと。それが母に効くのだと。それはつまり……。


 じっと炎を見つめていると、火が小さくなってきていることに気付いた。薪が足りないのかもしれない。私は貯蔵庫用にしている部屋から薪を数本取り出してきて、リビングに戻ってきた。だがその頃には先ほどと同じように燃え盛る暖炉の火があって、私は小首を傾げながら薪を貯蔵庫に戻すことになった。





 雪が積もっている間は、変化のない毎日だった。

 母の体調が良くなるわけではなかったが、特別悪くなることもなかった。ただ、起きている時間は少しずつ短くなってきているような気がして、それだけが心配だった。


 焦れに焦れた冬がゆっくりと終わりを迎え、やっと雪解けが始まった。

 分厚い雪雲は姿を消し、しんしんと降っていた雪もすっかり雨へと変化し、私たちが普段通る小道にはすっかり雪がなくなっていた。

 そのうちに森の雪解けも確認され、すぐに狩りの日となった。





 その翌日。

 私が石鹸づくり等々をすべきなのだが、私はどうしても先生のところへ行きたかった。この機会を逃すと、また次の狩りの日まで先生に会いにいけるタイミングが無くなってしまう。

 頭を下げてサロメとサーラおばさんにうちの分も依頼して、私は一人で先生のところへと行った。マルタンと一緒に行きたかったが、マルタンもマルタンで家業の手伝いで忙しいらしい。春を迎える準備があるからか、どの家も小忙しいようだった。


 マルタンの家を通り、中央広場を抜け、先生の家へと向かう。

 前回、先生に会いにきたのは一体いつ頃だっただろう? もしかすると、ちょうど一年が経っているかもしれない。あの頃はまだ、母も元気だったはずだ。


 思い出に浸っているうちに、あっという間に先生の家へと辿り着いた。

 古ぼけた扉をノックした。すると、すぐに中からどうぞと声が聞こえた。ギィ、と音をたてながら扉を開けて、中へ身を滑り込ませる。暖炉がこうこうと燃えていて、温かい空気がふわりと頬を舐めた。


「先生、お久しぶりです」


 先生はポットにお湯を注いで、紅茶を淹れているところだった。暫くぶりだが、全く変わらないその見た目に、私は思わず頬を緩ませた。先生は私を見て驚いたように目を見開き、そして目を細めた。


「ほう、ほう! これは見違えた、わしがまだ耄碌しておらぬのであれば、君はレノじゃな?」


「何言ってるんですか。そんなに変わってないでしょう?」


「年を取ると見た目は変わらんが、レノの年齢ではすぐにすっかり変わってしまうんじゃ。少し見ぬ間に、大きくなったのう」


 まるで孫の成長を喜ぶかのように、先生はそう言ってコロコロ笑った。私が長椅子に座りと、淹れたての紅茶をご馳走してくれた。白い蒸気がほかほかと浮かんでいるのを眺めながらも、私はカップを両手で包み込んで暖を取った。


「外は寒かったじゃろう」


「随分雪も溶けたんですけどね。まだまだ寒いです」


 自分の分のカップを持った先生は、私の向かいに座った。二人して、黙ってカップに口をつける。暖炉の中で薪が爆ぜる音だけが、部屋に小さく響いていた。


「……先生。聞きたいことがあるんです」


「はて。わしに答えられることなら、なんでも聞くと良い」


 私の言葉を待っていたかのように、先生はおどけたように言った。……それはまるで、私が次に何を言うかも予想しているかのようで。先生は長く伸ばした髭を撫でて、急かすわけでもなく、静かに私の言葉を待っていた。


「………母さんの容態が、良くなりません」


 私は先生に、今日までのことをかいつまんで説明した。

 先生に言われた通り赤い実は食べさせなかったこと、それでも母は体調が良くならなかったこと、街へ行って薬を買ったこと、タオレ病を疑ったこと、でもやっぱりタオレ病ではなかったこと、今は新しい薬を飲んでること、───そして、それらを全てこなした今。それでも母の体調は、回復どころか、ゆっくりと悪化していっていること。


「原因が分からないんです。だから、一度街へ連れて行くかして、癒者に診てもらう必要があるって言われたんです」


 先生は目を細めて、時折相槌を打ちながら、私の話をじっくりと聞いてくれていた。


「でも、それにはすごくお金がかかるんです。わたしではすぐに準備できないですし、頼る先もなくて……。それで、わたし、思ったんです。先生なら、何か知ってるかもしれないって」


 目まぐるしい日々に埋没していた記憶を引きずり起こす。先生は、母について、何かを知っているようだった。それが何かは分からない。だが、赤い実を食べさせないよう言ったのは、間違いなく先生なのだ。私はその言葉を信じて、食べさせなかった。もちろん今だって、食べさせるつもりはない。


「先生、何か知っているのなら教えてください。なんでもいいんです、何か少しでも知ってるなら、心当たりがあるなら……!」


 藁にも縋る思いで言った。じっと先生を見つめる。

 しかし先生は、私の懇願を聞いても表情を変えなかった。目を細めたまま、何か遠いところを見ているようで。その表情はもはや、諦観の念さえ読み取れた。


「………わしに出来ることは、無い」


 あまりにも直接的な否定。まさかはっきりと言われるとは思わなくて、私は一瞬固まった。だがすぐに我を取り戻し、噛み付いた。


「そんなことはないです! 先生は色々な薬を知っています、色々なことを知っているんです。だから、一度母さんに会ってほしいんです。診察とまではいわないですけど、一度会ってみてもらえば、何かわかることとか、先生だって思い出すこととか、」


「レノ」


 まくしたてるように言葉を重ねたが、先生が静かに、しかし有無を言わさぬ迫力で、私の名を呼んだ。私は思わずぐっと言葉を飲み込み、沈黙した。怯んだ私を見て、先生はゆったりと頷いた。


「わしではどうすることもできぬ。マリアンヌはどう言っておったのじゃ?」


「……母さんは。父さんならどうにかできるって。父さんがそのうち来てくれるはずだから、それまで耐え忍ぶことができれば、助かるって」


「ふむ、ふむ……。残念なことじゃが、わしもマリアンヌと意見は同じじゃ」


「先生!?」


 思わず非難するような声が出た。……何を隠しているのかは知らないが、先生も母さんも二人揃って馬鹿みたいに父の来訪を待ちわびている。それさえ叶えることができれば、まるですべてが解決するかのように。私がこんなに頑張って色んなことをしてもダメだったのに、父が来さえすれば良いというような言い方。

 私は言葉に出来ない気持ちに襲われ、ぎゅっと拳を握りしめた。


「……先生も母さんも意見が同じなら、それこそ解決方法なんて最初から決まってるじゃないですか。父さんです、父さんを連れてこればいいんですよね」


 どうして最初にそれを教えてくれなかったのか、と私は心の中で二人を責めながら言った。


「でも、変なんですよ。だったら父さんを呼べばいいから連絡を取りたい、その方法を教えてくれって母さんに言ってるのに、それはダメって言うんです。待ってればいつか必ず来てくれるから、それを待ってろって言うんです!」


 まるでそれは王子の助けを待つ姫のようで。それが成立するのは、おとぎ話の世界だけだ。救いが必要なら、助けが必要なら、それを呼びに行かなければ誰かが助けてくれるわけがない。黙って寝込んでいたって、苦しいだけで、何の解決にもならない。


「自分の命がかかってるのに、ダメだって! そんなの絶対変です! 先生、先生は知ってるんですか、父さんの居場所!」


「……知って、どうするんじゃ?」


 先生の瞳は、知っていると言っていた。私は、思わず声を上げながら立ち上がった。


「教えてください! 今すぐにでもそこへ行って、父さんに事情を話して、来てもらいます。無理だって言ったって、首根っこ捕まえて引っ張ってきます!」


 どうして母も先生も尻込みしているんだろう? もしかして、父が貴族だから? 貴族に失礼を働けば、打ち首になるとか? ……あり得る話だ。だが、放っておけば、母は死ぬ。死んでからでは、何もかもが遅いのだ。


「……勇ましいことじゃ」


 眩しそうに目を細め、先生は柔らかく微笑んだ。だが、先生はそのまま、再び黙ってしまった。外では春一番のような風が吹いており、ガタガタと戸を揺らす。


「先生は、母さんが何の病気なのか知っているんですか?」


「………」


「どうして教えてくれないんですか、どうして父さんを呼び出しちゃいけないんですか。……それも全部教えてくれなきゃ、分かんないんですよ……」


 私は呻くように言って、力なく長椅子に座った。先生はまるで同情するような顔で私を見ている。


「……マリアンヌの選択じゃ」


 そう言って、カップを手に取り、浮かぶ水面を先生は眺める。


「何の病かは、マリアンヌ自身が一番よく理解しておるはずじゃ。にも関わらず、彼女は君に話しておらん。つまり、君に何も話さぬと決めたマリアンヌの覚悟を、わしが散らすわけにはいくまいて」


 ……なに、それ。


 私は茫然と先生を見た。

 ……母さんは、最初から自分が何の病に侵されているのかを、知っていた?

 でも、黙っていた。持病なのかは知らないが、それでも自分で自分の容態は理解していた。治療方法でさえ、知っていた。でもそれを全部黙って、母さんは臥すことを選んだ。その周りで私がどれだけ苦労して、どれだけ心配して、どれだけ……。

 ぎゅっと奥歯を噛み締めた。そして、カップに残った紅茶を一気に飲み干す。コン、と音を立ててテーブルに戻した。


「……ご馳走様でした」


 私はある種の覚悟を決め、先生に紅茶の礼だけ告げて、勢いよく先生の家を出て行った。

 私は私の感情を爆発させないことで手いっぱいだったため、先生がどんな顔で私を見ていたかには、気付かなかった。





「マルタンいますか!」


 肩で風を切り、憤然とした様子でロジェに大声でそう言えば、干し草を集めていたロジェは驚いたように動きを止めた。先生のところから走ってここまでやってきたので、息が切れている。鼻水も出てきた。ずずっと鼻をすすって、ロジェがマルタンを呼んできてくれるのを待った。


「どうした、レノ」


「ロジェ! ちょっとマルタン! 借りますけどいいですか!」


 僕を訪ねてくるなんて珍しいな、なんて言っているマルタンの腕をひっつかんでロジェにつっけんどんに言うと、ロジェはどうぞどうぞと両手で差し出してくれた。私はまたつっけんどんにお礼だけ述べて、困惑するマルタンの腕を引いて二人きりになれる場所へと移動した。


 周囲には牛や馬しかいない場所までやってきて、やっと私はマルタンから手を離した。速足で来たので、少し息が上がっている。マルタンは平然としていたので、それはちょっとムカついた。憤然とした気持ちのまま、柵に腰掛ける。


「それで。突然どうしたんだ、レノ。何かあったのか?」


 マルタンが心配と困惑が入り混じった様子で言った。私の顔を覗き込んでくる。


「何かありましたとも、ええ、ありましたとも!」


「ここまでレノが感情的になるなんて、珍しいな。ちょっと落ち着け」


 感情のコントロールが効かなくて憤然と言い返すと、マルタンは苦笑いを零しながら私の背中を優しく撫でた。ぐずる子供をあやすような優しい手つきに、少しだけ気分が落ち着いてくる。私は何度か深呼吸を繰り返し、なるべく冷静になれるよう努めた。


「……さっき、先生のところへ行ってきたんだけど……、」





 一通り話を聞いたマルタンは私と同じような心境になったらしく、訳が分からないという顔をした。


「つまり、マリアンヌさんは自分の病の治療方法を知ってて、でもそれはレノの父さんしか出来ることじゃなくて、だから父さんが来るまで何もせずに待ってるってこと?」


 つまるところ、そうである。解釈が違っていると言ってほしそうなマルタンに、私は深々と頷いた。マルタンは大きなため息をついて、頭をガシガシと掻いた。


「そんなバカな話があるわけない……って言いたいところだけど、その話、先生も知ってたってことだろ? レノがわけわからなくなって爆発する気持ちも分かるよ」


 マルタンは同情的な視線を私によこした。

 誰もかれも、どうしてか、『だから仕方ない』といったように諦観し、何かを待ち続けているように見えた。事情があって動けないのかもしれないが、どういう事情なのかなんて、説明してもらわないと分からない。


「わたしは母さんの病を治したいし、元気になった母さんとまた一緒に楽しく暮らしたいよ。でも、どうしてか、みんなそれを望んでるはずなのに、誰も何もしないんだよね。わけわかんないっていうか、じゃあわたしは、一体どうしたらいいのかわかんなくなっちゃったっていうか……」


 母を回復させるために、いろんな努力を重ねてきた。大人に混じって村で仕事をやったし、初めて街にも行った。お金も稼いだし、商業ギルドにまで入った。

 でも、全部無駄だったっていうことだろうか? それは全部父さんがここに来るまでの場繋ぎで、私が一人、こんなに色々奔走しなくたって、いつかやがて父さんが来て、全部良い方向へ導いてくれるんだろうか?


「連絡も何もない人のこと、信用しろったってそれこそ難しいんだよね……」


 ……別に、父さんが嫌いなわけじゃない。ただ、母さんほど、父さんを信頼出来るわけでもない。二人の間に何があってそんなにも強い信頼関係を築けているのかは知らないが、今すぐに父さんが母さんを治しに来てくれないことに対して、理解も納得もできない。

 何事も、話してくれなきゃ、分からないのだ。話さずとも互いを信頼し合えるというのは、それこそそれまでの積み重ねがなければ、成立するものではない。


「連絡も取りあってないのか?」


 マルタンが不思議そうに言った。マルタンの疑問は当然だろう。どうして連絡も取りあってない人に、そんなにも信用を置けるのか。そのマルタンの疑問は、そっくりそのまま私の疑問だった。


「いつもは黒服の使者の人が来てたの。いっつも向こうから連絡があるまで待ってるばかりで、こっちから連絡することなんて一度もなかったなぁ」


 マルタンは考えるように沈黙した。そして、ゆっくりと口を開いた。


「……レノ。君の父さんは、貴族なんだろ?」


「うん」


「だったら、行ってみればいい」


 風が吹いて、肌寒い空気が頬に当たる。木々を揺らし、葉を揺らした。サラサラと風になびく草の音を聞きながら、私はマルタンを見た。

 マルタンは常識人で、突拍子の無いことは言わない。だから、聞き間違えかと思って、私は思わず聞き返した。


「今、何って?」


 マルタンは決断に迷っているようだった。私に聞き返されたことで、一瞬沈黙していた。だが、やがて覚悟を決めたように、ぐっと背筋を伸ばし、膝の上に拳を握った。


「レノ。君の父さんに会いに行こう。もしかすると、君の父さんは、本当にマリアンヌさんが臥せっていることを知らないのかもしれない。だから一度会ってこよう。そうすれば、全部一度に解決するだろう?」


 父さんに会いに行く。

 その言葉の意味を、分かっているのだろうか?

 私はまじまじとマルタンを見つめた。マルタンは緊張したように、しかし言いたいことは言ったという開き直りの境地に達しているような心境らしく、堂々と胸を張って私を見つめ返していた。


「……その。一応、聞いておきたいんだけど。私たちみたいな平民って、貴族に会えるものなの?」


「そんなわけないだろ。どう考えても、門前払いさ」


 やっぱり。私が渋い顔を見せると、ただ、とマルタンが続ける。


「君が娘だって言えば、もしかすると、もしかするかもしれないだろ? 下手をしたら他の問題にまで発展するかもしれないけど、君が君の父さんの娘だって証明できれば、君の父さんに連絡がつくかもしれない」


「私が父さんの娘だって証明、かぁ……」


 それはそれで、なかなか難しいような気がする。私はうむむ、と唸って考え込んだ。目元が似てるとか、そういうのでは全く話にならないだろう。かといって、父さんと私が繋がっている証明なんて、何もない。母を連れて行けばまだ可能性はあるかもしれないが、ただの門番を相手に、どこまで話が通用するものか。ほとんど無理難題なような気がしてきた。


「何もしないより、ずっと良い。……だろ?」


 目を閉じてうんうん唸っている私にマルタンはそう言った。ハッと私が目を開くと、マルタンは私の眉間を人差し指でツンとつついた。どうやら皺が寄っていたらしい。


「このままこの村でじっとしていたって、レノはずっともやもやしたままだろ。だったら、一度挑戦してみればいいさ。ダメだったとしても、北にいるあの門番に追い出されるだけさ」


 追い出されたら、また違う方法を考えればいいし、とマルタンが気軽な様子で話す。その言葉に、スッと胸のつかえが消えていくような気がした。

 ……別に、最初から最適解を求めなくていいんだ。失敗したって、何度でも手を変え品を変え、挑戦してみればいいわけで。母さんみたいに、じっと父さんを待つだけなんてこと、私にはできない。


「何もしないより、ずっと良い……か」


 私はぎゅっと拳を握った。母や先生に配慮して、もしかするともう何もしない方が良いのかもしれない、と縮こまっていた脳がむくむくと自由に手足を伸ばす。薄い霧の中にいるような気分が晴れ、私がすべきことがハッキリと見えた。


「……マルタン、ありがとう!」


 私はにっこりと笑って、ぴょこんと立ち上がった。元気いっぱいな私の様子に、マルタンは肩をすくめて小さく笑った。


「レノは放っておくと勝手に暴走するからね。そういう意味では、もう少しの間、しおらしくしてもらっていた方が良かったかもしれないな」


「残念! レノはもう、元気百番になりました!」


「ま、あそこの家畜たちと一緒でさ。柵さえあれば、その中で元気に走り回ってくれる分には良いさ」


「えっマルタンって、心の中でわたしのことまさか家畜扱いしてたの」


 そのあとはマルタンと一緒に、次の街行きについて相談し合った。

 明日は行商人の日だ。またガスパル父に馬車を手配してもらうとして、次もロジェとジョルジュ、マルタンと私という四人で行こうという話がまとまり、私たちは解散した。またタイトなスケジュールにはなってしまうのだが、目標がはっきりとした今、それはなんら苦にならなかった。

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