第61話 母の病を治すには
「では、ひと籠に対して銀貨一枚で、合計銀貨二枚ですね」
「ありがとうございます」
私はマルクとギルドバンクルでお金のやり取りをして、空になった籠を受け取ろうとした。だが空の籠はロジェによって回収されていった。確かにこれから宿に戻るのにも、私はロジェに抱き上げてもらうことになる。
すっかり夕暮れになっている外を見つつも、私はどうしてもマルクに聞いておきたかったことを尋ねた。
「あの、マルクさん。ひとつ聞きたいことがあるんです」
「日暮れも近いですから、手短にお願いしますよ」
素っ気無さすぎるマルクの塩対応にも心が慣れてきた。マルクはそう言いながら、肘掛け椅子にどっかりと座った。私を運び続けたせいで結構疲れたらしい。椅子に座ったおかげで私とマルクの視線はかなり近くなったので。私はその肘掛け椅子に近寄った。
「……タオレ病について、教えてもらいたいんです」
「………君の両親、いえ、母親でしたか。状況は変わらず、ということですね?」
モノクル越しに見えるひんやりとした色の瞳が細められた。私が神妙な面持ちで頷くと、マルクはそうですねぇ、と呟きながらサラサラとした長い髪をひとつに結んだ。そして立ち上がり、埃っぽい薬品棚が立ち並ぶ、店の奥へと歩き始めた。
慌ててそれを追いかけつつもロジェを見ると、ロジェは私たちにひらひらと手を振りつつも、また店番をしてくれるつもりなのだろう、空っぽの籠を床に置いて、先ほどまでマルクが座っていた肘掛け椅子へと腰掛けようとしていた。
「そもそも、君は何故タオレ病について知りたいのですか?」
「母さんがタオレ病かもしれないからです」
私は歩きながら、母の病状をかいつまんで話した。そういえば、マルクにきちんと説明するのは初めてだった気がする。
「なるほど」
それで君は勝手にタオレ病と診断したわけですか、とマルクさんはこちらを振り向かずに呟いた。嫌味な言い方にカチンと来たが、マルクの機嫌を損ねて情報を聞き出せなかった方が問題だ。私はぐっとこらえて、マルクの後ろを忠犬のようについて歩いた。
奥まったところにある棚の前でマルクは足を止め、やっとこちらを振り向いた。足のコンパスの問題で後れを取っていた私は、数呼吸分遅れてマルクのところへと辿り着く。マルクは棚に陳列されているガラス瓶や小さな箱のようなものを、手に取っては眺め、棚に戻しているようだった。
「あの、タオレ病って治るんですか?」
「……分かりません。少なくとも、私は完治したという人の話を聞いたことがありませんね」
街の薬問屋で働くマルクが、聞いたことが無い。それがどういう意味なのか、さすがの私にも理解できた。ぐっと奥歯を噛み締めて俯く。そんな私に、マルクは淡々とした口調を変えずに続けた
「そもそもタオレ病は、倒れた後、目を覚ますことがありません。そのため、栄養を取ることができません。よって、正しくは皆、タオレ病によって亡くなるわけではなく、栄養失調で衰弱死しています」
なんという恐ろしい病気だ。母はタオレ病でも、軽い方だったのかもしれない。なんとか起き上がることは出来ていたし、目を覚まして食事を取ることができた。もし、マルクの話通り目を覚ますことがなかったらと思うと、ゾッとする。
『私』の世界であれば点滴したり、喉にチューブを入れたり、なんとか延命治療は出来ただろう。でも、この世界では。
「だから、誰も治らない病気なんですね……」
「ええ。ですから、恐らくあなたの母親はタオレ病ではありませんよ」
「そうですか、タオレ病じゃ……えっ!?」
「一度倒れて、目を覚まさず衰弱死していく者のことをタオレ病と呼ぶのです。一度でも目を覚まして、しかも今は小康状態にまで回復しているのですから、別の病だと考える方が妥当でしょう」
「別の……えっ!?」
じゃあそもそも薬を選び間違えてたってこと!? 私は驚愕に満ちた表情でマルクを見上げたが、マルクは涼しい顔でそれを受け流していた。
「じゃ、じゃあ、前回マルクさんが紹介してくれた薬屋さんは!? あの人は一度診察してみないと分からないって言ってたけど、でもタオレ病かもだって言ってましたけど!?」
「君の説明を聞くだけで、病人を直接診察しているわけではありません。そうなると、そういう答えになるのは当然でしょう」
体力回復薬で回復するのだから、単純に疲労では? とマルクが簡単に言った。あまりに軽い言い方だったので、私は思わず目を三角にしながら、これまで母に飲ませた薬の話をした。
最初はマルタンが煎じてくれた体調不良の人用の薬を飲ませたし、そのあとも体力回復系のものとか、その他色々試してみたのだ。母自身が嫌がった薬もあるから何とも言えないが、それでも今回の薬で回復しているのだから、確かに疲労じゃないとも言い切れないが、体力回復系でも効くものと効かないものと別れるのだと説明した。
「ちなみに今はどんな薬を飲んでいるんですか?」
「これです」
服の中に隠している麻袋から、残り少ない薬を取り出し、マルクに手渡した。マルクはそれを見たり匂いを嗅いだり舐めたりして、それが何なのか調べているようだった。そして何かわかったように頷き、私に返してくれた。
「何かわかったんですか?」
「君の母親の病名は分かりませんが、この薬で小康状態にしかならないのであれば、薬での治療はもはやお手上げの状態でしょう」
「じゃ、じゃあどうすればいいんですか!」
マルクがすんなりと、そしてはっきりと淀みなく残酷なことを言ったので、私は思わず頭に血が上って叫んだ。それにマルクは心底嫌そうな顔をして、うるさそうに耳元をさすった。
「……投薬以外にも治療法はあります」
そう言って薬品棚から一瓶手に取り、しゃがみこむ。私と視線を合わせて、マルクはその薬瓶を私に差し出した。
「ひとまずこれで凌ぎなさい」
「これは何ですか?」
「水薬です。ゴブレット一杯の水に対して、一滴垂らして飲ませなさい。多くても少なくても、身体によくありませんから注意するように」
「効能を聞いているんです」
「……体力回復薬の、抜群の効き目があるもの、とでも言っておきましょう」
あまり常用するのは良くありませんが致し方ありません、と話すマルクに、本当に大丈夫か? という気持ちになった。だがそれが顔に出ていたらしく、必要ないなら結構ですよ、と薬瓶を引っ込められたので、私は慌ててマルクの腕にしがみついた。
「あの、買います! いくらですか!」
「そうですねぇ。これは本来ならば、非常に高価なもので、」
「幾らでもへーきです、買いますから! 今は大銀貨1枚くらいの貯金しかないんですけど、明日にはもう少し稼いで来れると思います! だからどうか譲ってください!」
藁をも掴む思いで必死に懇願すると、マルクはひどく哀れなものを見るような顔をした。そしてため息をつき、私に薬瓶を握らせる。
「……田舎出身の小さな子供に、法外な金額をせびるつもりはありません。そこまで私も、落ちぶれていませんのでね」
母親を救いたければお金はなるべく貯めておきなさい、とマルクは続けた。
「恐らくこの薬を飲ませたところで完治はしないでしょう。原因が分からなければ、我々も対応の仕様がありません。一度街へ連れてきて診察してもらうか、それこそ癒者を雇って村に連れ帰るか。いずれにせよとんでもない大金が必要になります」
マルクによれば、薬で治療するより、癒者の力で治療してもらった方が確実で、早いらしい。もちろん薬で治療も出来るが、例えば切り傷であれば、薬を塗って治すより、癒者の力で治療すれば一瞬で治ってしまうそうだ。
だが癒者の力の源は、魔力。癒者を雇うだけでもお金がかかるのに、その上魔力の購入まで必要になってくる。
「……幾ら積んであれば、事足りるでしょうか」
「そうですねぇ……ざっと見積もって、金貨が三枚ほどあれば、なんとかなるでしょう」
くらりと眩暈がした。金貨が三枚。私が持っているのは大銀貨一枚。クッキーの味変レシピ1個で銀貨が10枚って話をしたから、味変レシピをあと25種類考えたら手が届く金額だ。………いやいや普通に無理でしょ!?
「……そうなってくるとクッキーだけじゃなくて新規のスイーツレシピを出すとして、クレープで大銀貨1枚として、そこでまた味変レシピ考えて、……いやダメだな、それ以外でも何か他に新規の案件を考えないと……」
これから一年二年かけて金貨を稼げばいいっていう話ならば多少は余裕があるが、そんな悠長なことは言ってられないだろう。母の命がかかっているのだ。借金してでも金を捻出するのは早い方が良いに決まっている。
……そういえばあの宝石みたいな石ころ、値打ち、あるかな? 聞くならマルクさんより、ガスパルさんに聞いた方が、一応商人なわけだし、分野が違ったとしても確かな情報を得られるかな? いやそもそも、あれ自体に魔力がもし詰まってるとしたら、あれごと癒者に渡したらワンチャンあるのかな……? でもあれを所持してることで村に迷惑がかかっても嫌だし、ウーン……!
「……金貨三枚、準備するアテがあるということですか?」
ぶつぶつと独り言に夢中になっている私に、マルクが驚いたように言った。そりゃあ驚くだろう。村人どころか、普通に街で商いをしていても、そんなに簡単に金貨三枚などという大金を稼ぐことはできない。でも、できないなんて言ってる場合じゃないんだ。……銀貨一枚手に入って大喜びしていた頃がもはや懐かしいよ。
「なんとかします。なんとかは、します。あの。マルクさん、お願いがあるんです」
「お金は貸しませんよ」
ぴしゃりと言われて私は思わず苦笑した。
「そうじゃなくて……私がきちんとお金の準備が出来たら、癒者を紹介してもらいたいんです」
癒者がそもそもどこにいて、どこで店舗を構えているかとか、そういうのを私は全く知らない。きっと基本的には大金持ち相手の商売だろうから、私みたいな田舎出身の子供がお金を持って行ったとしても門前払いされるのが関の山だ。
だからこそ、ここはマルクの伝手に頼るしかない。ガスパルでもよいのだが、薬問屋ということはマルクの方がそっち方面には強そうなイメージがある。
「……紹介料を頂くことになりますが?」
「…………なんでもいいです。母が治るなら」
どこまでも商人根性を貫くマルクに、私はほとんど呆れた笑いを零しながらも了承した。そして私とマルクは握手をして、今度は契約ではなく、約束を取り交わした。
「癒者の知り合いは直接にはいませんが、伝手を頼ればなんとかなると思います」
金を払った分はきちんと仕事をしてくれると思うと、それはそれで頼もしい。私が信頼のこもった目でマルクを眺めていると、彼はそう言いつつも、少し表情を曇らせた。
「……腕が良い癒者がいるという話を聞いたことがあります。ですがその者は今、城へほとんど住み込みで働いているそうで……」
同じお金を払うなら、そりゃあ腕が良い方が良い。そういうことでマルクは色々考えてくれたのだろう。城で住み込みであれば、そんなに簡単に連絡が付きそうもない。残念だが、その人を頼るわけにはいかなさそうだ。事前予約できればいいのだが、私が金貨三枚を稼ぎきるまで一体どれくらい時間がかかるかもわからないわけだし。
「それは残念ですが、城で住み込みですか? お城に病人がいるんですか?」
パッと頭に浮かんだのは、領主様だった。誰かは知らんが、老衰とかそういうので倒れているとかだろうか。
いや、でも確か、ここの領主様は先代を倒して成り上がっているはずだ。勝手に若いイメージがあったのだが、もしかするとその成り上がりも80歳VS60歳みたいな構図だったのだろうか。
「……ここだけの話ですが、………領主様の一人息子の体調が、あまり良くないようです」
突如、耳元で低い声が囁かれた。抱き上げてもらった時以上に近い場所にマルクの整った顔があり、私は動揺で思わず身をよじりそうになったが、マルクは気にせず話を続けた。私は四歳児、私は四歳児、と私は自分自身に言い聞かせて難を逃れた。
「つまり、城に住み込みで働きに行っている癒者は、その一人息子の治療に専念してるっていうことですか?」
「恐らくは。……以前は何度かこの街へも下りてきて、街の視察を行っていました。ですが最近はとんとそのお姿が見えず……もちろん、噂でしかありませんが」
元々身体が弱い子だったそうだ。もしかすると、タオレ病にかかってるのではないか、というのがこの辺りでもっぱらの噂になっているらしい。
「一人息子っていうことは、跡継ぎの予定の人ですよね? お幾つくらいの方だったんですか?」
「そうですねぇ……ちょうど君と同じくらいですね」
「あっ、そういう感じ」
てっきりすでにティーンくらいにはなってるのかと思っていた。となると、自動的に両親である領主様やその奥さんは、私の両親と近い年齢だろう。私の頭の中にあった80歳VS60歳の構図が消えていく。っていうか視察ってなんだ。ただのお散歩じゃねーか。大変だな、言葉選びも。
それでもやっぱり一人息子は大事だろう。跡継ぎであり、長男だ。子供が生まれてくるのなんて奇跡みたいなもんだというし、なかなか二人目に恵まれていないのであれば、より一層、色んな意味で大切な子になるはずだ。そりゃあお金払って子供の命が助かるなら、そうするだろう。
「住み込みに行かれてどれくらいなんですか?」
「………次の春で、季節がひと巡りします」
「ああ………」
一年かけて、回復していないのか。その敏腕癒者さんのスケジュールが空くのは、一体いつになることやら。私は眉を下げてマルクを見た。マルクは仕方ないです、と肩をすくめていた。
「今の話はくれぐれも内密にお願いしますね。この街でこれを知っているのも、一握りの人間ですから」
「……どうしてそんな話を、私に?」
「…………君には関係のある話だと思ったからです」
マルクは表情の見えない顔でそう言って、ロジェが待つカウンターの方向へ歩き始めた。
確かに、例えば私がガスパルにも情報を集めてもらって、敏腕癒者の存在を知って、そのうえでマルクがその人を連れてこなかったら怠慢だ! と言って仲介手数料を値切ることも出来ただろう。つまり、値切る理由をひとつ、先回りして潰されたということだ。……まあ、情報は集めておいて損することもない。とはいえ、こんな領主様にまつわる情報を仕入れたところで、劇物的取り扱いになるのだから、なかなか利用するチャンスなんてなさそうだけど。
私は待ちくたびれているロジェのところへ向かって歩きながら、顔どころか名前も知らない一人息子が早く良くなりますように、と心の中でひっそりと祈った。
マルクの店を後にして、私たちは宿へと戻った。お腹を空かせたジョルジュを連れて三人でまた同じ酒場へ行って、美味しいご飯を食べた。バターが香るステーキは絶品で、街に来たらこれが食べられるから大好きだと大喜びでロジェに話すと、ロジェは馬鹿だなぁと言って大笑いしていた。
今回は何かに絡まれることなく無事に食事を終え、宿に戻り、すぐに眠りについた。




