第59話 マルクの店へ
久々の街は、ガスパル父が言っていた通り、前回来た時よりずっと混みあっていた。どこもかき入れ時なのだろう。荷車を押す人や大量の荷物を抱えた人が無秩序に歩き回っていて、大通りは混沌としていた。
ここらは馬車の乗り入れがないから大丈夫だが、他の門の方は一体どうなってるんだと、想像するだけでゾッとする。道路交通法を急速に取り入れることをおススメしたい。
こんな人だかりなので、放っておけば私みたいな小さな子供はあっという間にプチッと潰されてしまいそうだった。そのため、相変わらず移動はロジェに抱き上げてもらうことになった。私だけ楽をしてしまって本当に申し訳ないが、命には代えられない。しかし籠が邪魔だ。ジョルジュでさえ、籠が引っ掛かって人波に流されていた。
予想以上の人の多さに、私たちは仕方なく先に宿を取ることにした。部屋には、今すぐは売りに行かない食材を置いていく。同時に見張り番として、ジョルジュにもそこに残ってもらうことになった。ジョルジュは少し不服そうだったが、あの人混みの中をかき分けて歩く必要がなくなったことにちょっぴり安堵しているようにも見えた。
「宿、空きがあってよかったね」
「その分、ちょっと高かったけどな」
「野宿よりは百倍マシだよ。それにしても、この時期ってこんなに混んでるんだね」
「話には聞いていたけど、見るのは俺も初めてさ。こうなると知っていたら、レノちゃんたちを連れてこなかったんだけどなあ」
俺がマリアンヌさんの薬をまた買いに行ったのに、と通行人から大きな荷物をぶつけられたロジェがボヤいた。……でも、そろそろ私も街に来ないと、母さんの薬代も出せなくなっちゃうんだよね。タイミングというのはなかなかどうして、難しいものである。
せっせとなんとか荷物や人をかきわけて、私たちはカオスな大通りから這う這うの体でマルクさんのお店へと辿り着いた。
「………君たちですか」
ひいひいとロジェが息を弾ませつつ、カウンターへ荷物を運ぶ。地面に下ろしてもらった私もそれを手伝って荷物を運ぶと、肘掛け椅子に座って羊皮紙の文字に目を滑らせていたらしいマルクが、青の色にふさわしいほど冷たい目でこちらを目だけで見てきた。
「また売りに?」
籠はふたつだけ? とマルクが言ったので、ロジェがそうです、よろしくお願いします! と好青年さながらにニコニコと言った。冬も始まりかけているが、大通りを頑張って歩いてきたこともあって、ロジェは薄っすら汗をかいている。その汗さえ輝いて見えるほど、爽やか好青年だ。
だが残念ながらこの店は薄暗く、埃っぽく、陰鬱とした雰囲気である。全く以てこの場から浮いているようにしか見えないロジェだったが、本人は全く気にしていないらしい。マルクは部屋の中から混沌とした大通りを見ているのと全く同じような顔でロジェを一瞥した後、仕方なさそうにのっそりと椅子から立ち上がり、カウンターに置かれた籠を覗き込んだ。
「ロジェ、ほんとに前回、一人でマルクさんに薬草を売ったの?」
「え? うん、そうだよ」
「……ちゃんと適正価格で買ってもらえた?」
「うん。レノちゃんやマルタンが言ってた金額で買い取ってもらえたさ」
私はロジェの袖を引っ張って、内緒話をするようにこそこそと話した。どうやら私の心配は杞憂だったようで、マルクは意外とちゃんとしている人らしい。それに安心してほっと胸を撫でおろしていると、まるで雪の日のように冷えた声が前から投げつけられた。
「全て聞こえていますよ。あなたが私と契約すると言ったのではありませんか。まさか、私のことを一切信用されていらっしゃらないと?」
ギクリと私は身体を硬直させた。まるで悪戯が見つかった悪ガキのように、私はいたたまれない気持ちになりながらも、なんとかへらへら笑った。
「あ、あはは。そんなことはありませんよ! 今のは単なる確認というか、ね?」
「確認が必要なほどには信頼がなかったということですね」
「あ、あはー……」
まあ、そうだ。正直なところ、そりゃあそうだ。そりゃあそうではあるが、確認のタイミングが悪かった。目の前でするようなことじゃなかったな、と私は反省しつつも、気を取り直して言った。
「あのー。それで、そういう契約をするときって、商業ギルドを介さなきゃいけないんですよね?」
「その通りですが、君はギルドに入っていないでしょう。口頭では些か信用に欠ける点はありますが、今のところそちらが契約を守って下さっているようですし、その間はこちらも反故にするようなつもりもありませんよ」
どうやらマルクは義理堅い人のようだった。初対面の時にめちゃくちゃな金額をふっかけてきたような人には、もうすっかり見えなくなっていた。もしかすると、一見さんには冷たくて厳しいが、一度常連になれば優しくなるパターンの人なのかもしれない。ならばより一層、お近づきになっておいて損はないだろう。一度知り合ったのも何かの縁だ。これからも長くお付き合いさせてもらうのであれば、それこそ色々な面で色々きちんとしておいた方が良い。
「マルクさん、やっぱり商業ギルドを介した契約を書面で取り交わしましょう」
「……君は私の話を聞いていなかったんですか」
これだから馬鹿と子供は嫌なんだ、と言わんばかりにうんざりした顔で、マルクは籠から目を離して私を見下ろした。だが私は言葉を続けた。
「マルクさん側は大丈夫かもしれませんが、こちら側に問題があるんです。私やロジェがここに来ている間は大丈夫ですが、今後ここに売りに来る人が交代した時に、事情や勝手がわからずにマルクさんが迷惑することもあるかもしれません」
もちろんないようにはするつもりですが、と私は眉根を下げた。
「だから、私たちの村の人がきちんとしている間には、マルクさんにも対応してもらいたいですが、私たちの村の情報伝達がうまくいかなくなった場合、マルクさんも私たちに誠実に答える必要を無くしたいんです」
これは今後のことを見据えた話だ。これから数年間は大丈夫だと思うが、これが五年、十年、となった時に、本当に正しく引継ぎができるかどうかは分からない。その頃に私が村にいるかもわからないし、ロジェだって家庭を設けてそちらで忙しくしていたら、気が回らないことだって出てくるかもしれない。そんな私たちの村の都合にマルクを振り回すのは良くない。本来なら会社のようにきちんと業務として成立していればいいのだが、まあ、あの村ではなかなか難しい。
「君の意見は分かりました。ですが、私もいつまでここで商いが出来るかは保証がありませんよ」
「それはお互い様ですよ。うちの村は今は豊作続きですけど、いつどうなるかなんて、それこそ天候次第なので」
「こ、こら、レノ!」
「ん?」
突然ロジェに肩を引っ張られた。見上げると、ロジェが子供を叱るような顔でこちらを見ている。どうやら注意をされたらしい。……何に?
きょとんとロジェを見上げていると、ロジェは、そういえばこいつには常識が備わってなかったんだ、という顔をした。なんとなく私の言葉に失言があったのは分かったが、何がダメだったのかが分からない。村が豊作とか言っちゃだめなのかな? 畑泥棒に狙われるから? でも前に作物売りに来た時には、あの作物買い取りおじさんと豊作だよ~みたいな話してたよね?
「随分と大胆不敵な発言ですね」
マルクが薄く笑った。失言を窘められているのだろうとは思うが、何が悪かったのかが分からない。豊作で余裕ですアピールがダメだったのかな? それとも、天候次第ってところ? でもどっちも事実なわけだし……。
「あ、そうか。あれか、大地の実りは領主様の恵みなんだっけ」
ふと、この間行われた収穫祭のことを思い出した。ここは領主様のお膝元であり、いうなれば城下町だ。そんなところで領主様に祈りを捧げて豊作祈願~とかじゃなくて、天候によるからねぇなんていうことをぺらぺら言うのはあまりよろしくないということだろう。失言失言、と私は誤魔化し笑いを浮かべた。
「すみません、子供の言ったことということで、水に流してください」
「本人がそれを言うのはどうかと思いますけど……まあ、いいでしょう。他では発言に気を付けてくださいね。騎士団に聞かれると、コトですよ」
「え? そうなんですか?」
気さくな兄ちゃんという感じのユベールの姿が頭をよぎった。
確かにリュカは規律正しく! というようなイメージもあるが、ユベールはそんなに、領主様は絶対~! みたいなことを言っているイメージは無い。
「聞かれると、どうなっちゃうんですか?」
「領主様に対して不敬だ、ということで、罰金、もしくは罰則。最悪の場合、掴まってしまうかもしれませんね」
不敬罪ということか。フルール村はこの城下町から離れているからか、あまりそういう意識は芽生えていないように受けていたが、ロジェが敏感に反応するということは、ここではそれが道徳的に常識ということだろう。なるべく領主様のことはヨイショする感じで意識しておこうと私は心に刻んだ。掴まりたくないし、何より今はお金が必要だというのに、しょうもない発言で罰金なんて取られるのは嫌だ。
「まさに沈黙は金なり、ですね。……余計な発言は慎むとして、話を戻させてもらいます」
私としては、『私』の時の慣用句を流用しただけだったのだが、マルクもロジェもなんだそれ、という顔をしたので私はさっさと話を元に戻した。
「ということで、マルクさん。これの買取が終わったら一緒に商業ギルドへ行ってもらえませんか?」
カウンターの上の籠を指さして言うと、マルクさんは、だから、と言ってため息をついた。
「契約をするためには、商業ギルドに加入する必要が……、」
ぱたり、とマルクさんは言葉を止めた。というのも、私がどや顔で少しだけ腕まくりして、左手首を見せたからだ。銀色に輝く、ギルドバンクル。それを見るなり、マルクさんは目を見開いて言葉を失っていた。
「………それを、どこで」
「商業ギルドですよ」
「そうじゃない。そうじゃない!」
マルクさんは今までの丁寧な口調を崩し、慌てた様子でこちらに駆け寄り、しゃがみこんだ。そして私の腕を掴んで、引き寄せる。大人の力に抗えるはずもなく、私はその大きくて細い手にぎゅっと左腕を痛いほど握りしめられ、思わず顔をゆがませた。
「君は……君は、どうしてこれを? 一体、誰が?」
「マルクさんが推薦してくれなかったので、他の商人さんに頼んだんです」
ちょっぴり嫌味っぽく言ってみせたが、マルクが私を商業ギルドへ連れて行ってくれなかったのも仕方ないだろう。ギルドへ加入する手続きに、そんなにお金がかかるとは思っていなかったし、マルクが連れて行ってくれたところで私の持っている現金では加入手続きも進まなかった。だからマルクが私を連れて行かなかったのは、むしろ正しいことだったのだ。
「他の商人? 一体誰ですか」
少しだけ冷静さを取り戻して来たのか、マルクは再び丁寧な口調になった。青い瞳が我を取り戻しているのを見て、私は質問に答えるより先に手が痛いと訴えた。マルクはハッとしたように力を弱めたが、しかし私を捕まえる手を離しはしなかった。
「ガスパルさんです。ご存知ですか? 中央広場より少し北にある、」
「ガスパルか……」
マルクは表情に薄っすらと苦々しさを見せた。目の下に刻まれた皺の影が、疲労したように伸びる。
「お知り合いですか?」
「……ガスパルという商人が、君を商業ギルドへ加入させたんですね? 君はギルド加入の手数料を払えるようなお金も持っていなかったはずです。その君が今こうやってバンクルを持っているということは、」
銀色の腕輪が、部屋の明かりを受けてきらりと光る。
「その商人が、君に金銭的援助をした……そうですね」
もはやその語尾は質問の形を取っておらず、ほとんど確認のようなものだった。私はゆっくりと頷きながらも、どうしてマルクがここまで感情を露わにしているのかが気になった。確かに子供がギルドに加入するというのは、ほとんど珍事なのだろうとは思う。
だが、マルクには、単なる珍事への驚き以外に、何かもっと別に思惑があって、それ通りに物事が動いていないことへの小さな苛立ちや不快感といったものがあるように感じられた。
「マルクさん。私がガスパルさんの支援で商業ギルドに加入したら、何かまずいことでもあったんですか?」
いつもよりずっと近くにあるマルクの顔。青い瞳が、私を映した。この距離だったらもっと何か表情から読み取れるかと思ったのだが、マルクは私が思っているよりもずっと上手だった。マルクは薄く笑って、口を開いた。
「今から私とこの子は商業ギルドへ行ってきます。ロジェ、君には店番を頼んでも?」
そう言ってするりと手を離し、マルクは立ち上がってロジェを見た。ロジェは俺が!? と驚いていたが、店番と言っても物盗りが店の中に入り込まないように見張っていてほしいだけだ、とマルクが話すと、ロジェは納得したように頷いた。
「戻ってきてからこちらの籠の取引を行いましょう。そうすれば、ロジェが私の店を守る理由も生まれるでしょうから」
「別に、そんなことしなくたって店番くらいしますよ。行ってらっしゃい」
ロジェはマルクが座っていた肘掛け椅子に座って、手をひらひらと振った。マルクは私を連れて、店を出る。扉のところにある看板をひっくり返して、閉店という言葉に変えていた。




