第58話 馬車の手配
「母さん、本当に起きてて平気なの?」
「大丈夫よ。いつも心配してくれて有難いけれど、母さんも少しは動かないとね。本当に寝たまま起き上がれなくなっちゃうわ」
なかなか冗談で済まされないような現実味のある言葉に、私は顔を曇らせた。母は自らの失言を悟ったらしく、私の頭を撫でた後、頬を両手で包んだ。
「レノには心配かけっぱなしね」
「……ほんとだよ」
母の整った顔が近づいてくる。コツンと額と額を合わせると、母が平熱なのが分かった。……元気なら良いのだ。私がしぶしぶといった様子で母が家事をすることを認めると、母は嬉しそうに笑っていそいそとキッチンに立った。
「無理はしないでね。いつでも代わるし、急いでやらなきゃいけないことでもないから、休憩しながらやってね」
そうお小言をつらつらと並べると、母は小さく笑って、はいはい、と頷いた。
戸棚を開いて、母の薬を取り出した。中身はかなり減っていた。街へ行ったロジェに同じものを買ってきてもらったのだが、それも量に限りがある。今や日中もすっかり冬の気配を漂わせてきている。本格的に冬が始まってしまえば、街に行くことも困難になるだろう。なるべく今のうちに、雪溶けまでの分を仕入れに行っておかないと。
幸運にも、ここ数日は母の調子が良かった。もうすぐ行商人の日もある。その時にでもガスパル父と話して、なるべく早く馬車を準備してもらって、街に行った方が良いだろう。
無理はしないことと母に口を酸っぱくして伝え、私はいつも通りに籠を背負ってサロメの家へと向かった。
井戸のところでマルタンと会ったので、さっそく私は考えを打ち明けた。薬の量が越冬には足りないこと、今のうちに街へ行っておきたいということ、行商人の日に動いて恐らくその数日内に街へ行くことになること。
「また急だな……と言いたいところだけど、そろそろレノがそう言いだす頃じゃないかって思ってたよ」
マルタンは平気そうな顔でそう言った。ロジェが買ってきた薬の量や、前回私が買った薬の量のことを考えれば、そろそろ足りなくなって私がそう言いだすことを想定していたらしい。なんてできる子なんだろう、と私は掛け値なしにマルタンに尊敬のまなざしを送った。
「すごい! マルタン、さすがだね!」
「レノの行動を先読みするくらいじゃなきゃ、レノのお世話係は務まらないからな」
マルタンは照れ隠しなのか、ぶっきらぼうにそう言ってじゃぶじゃぶと洗濯物を桶の中でこすり合わせていた。私も同じように桶の中に泥の付いた野菜を突っ込んで、ごしごしと洗う。
「ロジェはまた着いてきてくれるかな?」
「レノの街行きは普段と全然違うみたいだから、むしろ兄さんじゃないとレノに着いていけないさ」
なんだ、兄弟そろって私の面倒を見てくれてるってことか? 私は思わずあはは、と誤魔化し笑いを零した。
「多分、ジョルジュも行きたいって言うと思う。だから今回はロジェとジョルジュとレノの三人になると思う……またジョルジュの方の根回しは僕がやっておくよ」
「三人? マルタンは行かないの?」
私は思わず野菜を洗う手を止めた。他の誰が行かなくても、てっきりマルタンだけはずっと私に着いてきてくれるのだと勝手に思い込んでいたからだ。どうして、と言わんばかりの顔でマルタンをじっと見つめると、マルタンは居心地悪そうに目を逸らした。
「……行きたくないわけじゃないけど、時期が悪いんだ」
マルタンによると、この時期は冬の準備でどこの家も大忙しになるらしい。そう言われれば、去年も冬支度でこの時期はバタバタしていたような気がする。
どの家庭も食糧を準備するのはもちろん、薪や蝋、油といった生活必需品は今のうちに集めて、冬を越せる量を支度しておかなければいけない。もうすぐ行商人の日が来たとしても、みんな、自分が持っているものは冬を越すための備蓄品であり、わざわざ街へ売りに行くようなものは基本的にないそうだ。
そんなものがあったとしても、別に街へ行かずとも、この間行ったばかりだし、行商人の日に何か豪勢な食べ物かお酒と交換して一時的に楽しむ程度のものであって、街へ行くメリットは大して無い。
「マルタンも家の手伝いで忙しいってことか……」
「この時期に男手が2人もいなくなると、冬の支度に支障が出るんだ」
となると、他の家もそうだろう。この時期に街へ行くために数日間大人を一人貸してほしいと言って、快く引き受けてくれる人なんてそうそういない。むしろロジェだけでも出してくれるマルタン家へ、私はとっても感謝しなければならない。
「ジョルジュはいいの? 貴重な男手じゃないの?」
「うちにはヒューゴがいるし、父さんもいるわ。もちろんいた方がいいか悪いかって話なら、当然ジョルジュにも家のことを手伝ってほしいけど、いなかったらいなかったで、なんとかなるのよ」
マルタンに尋ねると、反対側に座っているサロメがそう言った。
「ぼくもいるから、大丈夫だよ、レノ」
リアムがサロメの向こうからひょっこりと顔を出して、にこりと笑った。私はその笑顔に笑顔で返しつつも、随分リアムも頼もしくなったものだと感心した。ジョルジュが抜けることに対して「なんとかなる」の一言で片づけるサロメの男らしさを身近で見ているのも、大変教育によろしいだろうと思った。
その日の夕方、さっそく私とマルタンはサーラおばさんのところへ行って、ジョルジュを含めて四人で話した。母の体調がまた悪くなってきていること、冬の間の薬を買うために街へ行きたいということ、ロジェを連れて行きたいということ、ジョルジュさえ良ければ一緒に行こうということ。
「母さん。家のことも心配だけど、僕は外の世界をもっと見てきたい。レノと一緒だと、また新しいものが見える気がするんだ……街へ行かせてほしい」
夕暮れに照らされたジョルジュがはっきりとそう言った。おばさんは仕方なさそうにやれやれと首を振った。
「ジョルジュがそう言うのは分かってたさ。レノちゃん、ジョルジュのことを頼んだよ……家のことは私に任せな」
最後の言葉は、私とジョルジュ、両方に向けられたものだった。私はジョルジュと顔を見合わせて、にっこりと笑って、おばさんに向き直った。
「ありがとう、おばさん。母さんのこと、よろしくお願いします」
「こっちもジョルジュに幾つかお使いを頼ませてもらうからね。レノちゃんやロジェにジョルジュの手助けをしてもらわなきゃいけないだろうし、お互い様さ」
おばさんはそう言って、私の籠に今日の配当分を詰め込み始めた。さっさと帰ってマリアンヌに美味しい飯でも作ってやりな! と言いながらテキパキ動くおばさんは、照れ隠しで突然テキパキ動き始めるヒューゴにそっくりで、私は思わず吹き出しそうになった。
「おい、レノ! サロメから聞いたぞ、お前、また街に行くんだってな!?」
荷物を詰めてくれたおばさんから籠を受け取ろうとすると、ヒューゴがやってきた。すでにマルタンは帰っていて、ジョルジュが台の上を片付けているところだった。
「いつ行くんだ!?」
「え、えっと、行商人の日が終わって、たぶん何日かしたら行くことになると思う」
こればっかりは一度ガスパル父と話す必要があるので、なかなか言い切ることは難しい。そう頭を悩ませながら話すと、ヒューゴはブラウンの瞳をキリッと吊り上げた。
「俺も行く! いいよな、母ちゃん!」
そういう話を家庭内で行っていたのだろうか。当然のようにヒューゴが名乗りを上げ、あまりにも堂々としていたので、私は面食らってヒューゴを見ていたのだが、その頭が勢いよくはたかれた瞬間も見てしまった。
「馬鹿ヒューゴ! いいわけあるかい!」
「いってえ! なんでだよ、次はいいって言ってたじゃねーか!」
「この時期に息子が二人も何日間かいないなんて、良いわけがないだろう! 冬を越せなかったらどうするんだい!」
「帰ってきたらちゃんとやるよ!」
「何馬鹿なこと言ってるんだい! ヒューゴ、あんたにはまだ街は早いさ。ジョルジュだって、初めて街に行ったのはついこの間だろう? つまりヒューゴ、あんたはあと何年かしないと行けないよ」
「ジョルジュが街に行けたのはレノのおかげだろ!? ずりーぜ! 俺だって街行きてえのに! なんでジョルジュばっかり!」
「ジョルジュは長男だからだよ!」
「ずっりー!!」
親子喧嘩が始まったのを見て、私は慌てておばさんの手から荷物を受け取った。それを背負いながら、ぽんぽん小気味良く広げられる二人の会話を一歩離れたところをからそっと眺めていた。
ジョルジュは黙ったまま台の片づけをしていて、それがひと段落すると、私のところへとやってきた。
「ごめんね。ヒューゴ、家でもずっとあの調子で……でも、レノは責任とか、感じなくていいからね」
ヒューゴを誘わなかったのは私ではなく、マルタンだ。まあでも、マルタンじゃなくても、特別にヒューゴは誘わないだろう。ヒューゴがどうのこうのというよりかは、単に誘う理由がないからだ。
ジョルジュはこの家の長男で、村の暗黙のルール的に、この村を次に率いていく存在になる。となれば、長男の方の教育や投資に、村一丸となって協力していくことになるだろう。それが良いとか悪いとかは置いておくとして、『私』の時にも田舎ではよくあることだったように思う。
「ヒューゴも連れて行ってあげれればよかったんだけどね……まあ、機会ならまたいつでもあるし」
あの薬を飲み続けても、母は小康状態にはなれど、完全回復することはなかった。あの体調不良の原因がどこにあるかが分からない限り特効薬は生まれないだろう。
……このまま効くか分からない薬を飲ませ続けるよりかは、母を街へ連れて行った方が良いっていうのは分かっている。だがそうなると、街で、貧民の母を診てくれる人を探さなければならない。
以前ガスパルに聞いた話だと、タオレ病なら癒者に魔力を持っていけば、それで延命治療はしてくれるという話だった。母の病状は具体的に何かは不明のままだが、癒者に診てもらえば、何かは変わるかもしれない。……まあ、結局のところ、そんな金が無いっていうところに話は落ち着くのだが。
「マリアンヌさん、体調良くないんだね」
ジョルジュは気遣わし気に言った。私は黙って頷いた。サーラおばさんとヒューゴが親子喧嘩しているのを、酷く羨ましく感じている自分に気付いて、私はよいしょと籠を背負いなおした。
「そろそろ帰るね。母さん、もしかするとご飯作って待っててくれてるかもしれないし」
にこりと笑ってそういうと、ジョルジュはなんとも言えない顔を笑顔に変えた。
「気を付けて帰るんだよ。また明日な」
「うん、また明日!」
伸びる影を追うように、家路へと急ぐ。玄関のドアを開ける前にふわりと香った晩御飯の匂いに、母の存在を感じて、私は破顔した。
行商人の日には、シュクールおじさんこと、ガスパルの父とマルタンと三人で話した。ガスパルに連絡を取ってもらって、数日内に馬車を手配してもらいたいと伝えた。
「ふぅん……子供だけで、よく街へ行けるもんだな」
おじさんは近所の子供を偉いね~とあやすような顔でそう言った。完全に子ども扱いされていることに苦笑しながらも、私は話を続けた。
「あの、馬車の手配なんですけど。なるべく早くしてもらっていいですか? ガスパルさんにも都合があると思うので、無理は言えませんが、雪が降りだす前には街から帰ってきたいんです」
前回はガスパル直々の招待だったので馬車代はガスパルが支払ってくれたのだが、今回はそういうわけにもいかないだろう。馬車って往復チャーターすると幾らくらいになるんだろ、と頭の中で電卓を叩こうとしていると、おじさんは不審そうな顔になった。
「お嬢ちゃん。馬車の手配には金がかかるんだ、それは分かるかい?」
「はあ、分かります」
「この時期、秋が終わって収穫物を街へ売りに行く人が増えるんだ。嬢ちゃん一人で街へ行くわけじゃないだろうから、頭数で割れば多少は負担が減るだろうが、それにしたってこの村でそんな金、支度できるのか?」
そうか、値が上がるんだ。繁忙期ならば向こうとしては稼ぎ時なのだから、そこそこの金額はしてしまうだろう。私は顔を曇らせて、頭の中で商業ギルドに預けているお金が幾らあったかを考えた。
「幾らくらいになるんですか?」
「そうだなぁ。この時期は予約でいっぱいのはずだ、そこをなんとか割り込むから、相応の相場にはなってくるだろうよ……銀貨三枚はかかるだろうさ」
むむ、としかめっ面していた私だが、その言葉にきょとんと表情を緩めた。
な? そんな簡単な話じゃないだろ? と続けようとしていたらしいガスパル父は私の表情の変わりように困惑しているようだった。
「銀貨三枚ですか?」
「あ、ああ、もしかするともう少し値が張るかもしれないが、おおよそそのくらいだろう」
「ええと、それは一人当たりとかじゃないですよね? 馬車を一台借りるとして、その金額なんですよね? しかも、往復で?」
「この時期の相場はそうだ。突然大きく変わることはないだろうさ」
なんだ、それくらいか。てっきり大銀貨一枚とか、そのくらい要求されてしまうのかと思っていた。覚悟していたハードルがずっと低かったことに、私はすっかり拍子抜けした顔をしてしまった。
「ぎ、銀貨三枚だぞ? そんな金、準備できるのか?」
ガスパル父は困惑した笑みを浮かべて言った。できるわけないだろう、という気持ちと、私の平然とした顔を見てまさか、という気持ちがせめぎあっているように見える。それに答えたのは、マルタンだった。
「あなたはガスパルさんのお父さんなんですよね? だったら、ガスパルさんから話は聞いていませんか?」
「いや、あれから詳しくは聞いていない、そんな暇もなくてな……お前たちガキと、大人が一人、ガスパルのところへ商談に行ったとは聞いているが。ガスパルからの話なんだ、商談は成立しただろうが、その金を使うのか?」
「商談は成立しました。でも、それはレノが一人でやったことです。だから山分けをする相手もいないければ、村のために使ったりもしませんよ」
レノの母は病に伏していて、そのためにお金を貯めてるんです、とガスパルが説明すると、ガスパル父は言葉を失ったように息を呑んでいた。そしてひどく悲しそうな顔で、初めて私の顔をはっきりと見た。
「……お前、苦労してるんだな」
その歳で。と言わんばかりの深い同情が混じった声で言われて、私は苦笑した。確かにマルタンの説明だと、めちゃくちゃに美談に聞こえてしまう。
「お金ならあります。でも、わたしにはアシも伝手もありません。なので、おじさんにどうしても手伝ってもらわないと、わたしには何もできないんです」
馬車の予約の取り付け、ガスパルとの連絡。そのどれも、この村にいる限りは出来ない。この行商人の日が、わたしにとって唯一、外部との連絡が取れる大切な機会なのだ。おじさんに断られたら、他の行商人に総当たりで依頼をするしかなくなってくる。お願いだから引き受けてほしい、と頭を下げると、おじさんは仕方なさそうに鼻を鳴らした。
「分かった、分かったよ。あんたみたいな子供に頭を下げられても無視できるほど、俺はまだ終わっちゃいないからな」
「あ、ありがとうございます!」
「でも! ひとつだけ条件がある」
おじさんの言葉にパアと顔を綻ばせたが、おじさんは釘を刺すように声を上げた。そして人差し指を私に向けたと思うと、手のひら側を上に向け、人差し指をクイクイと折り曲げた。
「先払いだ。きっちり銀貨三枚、今ここで支払ってくれ」
おじさんとしては、私を試すつもりだったのだろう。マルタンの話が本当かどうか、街へ行ってガスパルに聞けばすぐにわかることだが、どちらにせよ馬車を用意してやるためにも先立つものは必要だ。現金を今すぐ準備できなければ、この話は無しだ。そう言わんばかりの表情で、おじさんは私をじっと見ている。
「分かりました、お支払いします」
「一度家に戻ってもいいぞ、夕暮れにはここを出発するが、それまでに広場に来れば───」
「おじさん、これでお支払いしますよ」
本当におじさんは何も知らなかったのだろう。私が左腕を上げて見せれば、おじさんは一瞬、?という顔をしたが、すぐに私の腕に巻かれているバンクルが何なのかを理解し、目を見開いた。そして、あんぐりと大きな口を開けた。
「お、お、お前、……これを、どこで……いや、どうやって?」
ぱくぱくと口を開け閉めしながらも、おじさんはなんとか言葉をひねり出した。それくらいショッキングなことだったらしい。確かに子供が持っているのは珍しいことなのだとは思うが、ここまでおじさんが驚くとは思っていなかったので、むしろ私の方が面食らってしまった。
「え、ええと、ガスパルさんに色々良くしてもらって、その結果頂いたというか……」
「ガスパルが、そんな……ガスパルが、それを……」
おじさんは茫然としたようにぶつぶつと言っていたが、やがて自分の中での衝撃を咀嚼できたらしい。何かを理解したように一人で頷き、一度目を閉じて大きなため息をついた。そしてゆっくり目を開いたとき、その瞳はまっすぐに私を見ていた。
「分かった。じゃあ銀貨三枚だ。バンクルをこっちに見せて」
おじさんに言われるがまま、私は肘を曲げて、手の内側をおじさんの方に差し出した。すると私の手首のバンクルに重なり合うように、おじさんが自分のバンクルを押し当てながら私の腕を上から掴んできた。掴め、とおじさんから指示されたので、私は慌てておじさんの太い腕を掴む。すると、私のバンクルが青白く光った。その光がおじさんのバンクルへと吸い込まれていく。
「これで支払えたんですか?」
あの青白い光がお金の移動という意味になるらしい。おじさんが問題ないぞと言ってくれたので、なんだか実感のないまま初めてのバンクルでの決済は終わった。初めて電子マネーを使った時みたいな感覚だった。変な感じ、とバンクルをまじまじと見ていると、おじさんが声をかけてきた。
「ガスパルが新しい流行を手に入れたら、まずは貴族相手に売り出しに行くだろう」
そんなことも言ってたな、ガスパル。そう思って頷くと、おじさんはにこりと笑った。
「貴族の流行が新しいものに変わり始めた時、それを村々へ売り出しに行くのが俺の仕事になる。これからもガスパルと取引するのなら、俺とも何度か会う機会はあるだろう。ま、これからも懇意に宜しく頼むよ」
おじさんの分厚い手がにゅっと伸びてきた。おじさんの顔はすっかり商売人のそれになっていて、先ほどまでの子供扱いしていた顔や、同情に満ちた顔とも違っていて。まるで、商人として、一人前の大人として扱ってくれているようなその態度に、私は少しだけ胸が躍るような気持ちになった。
それからは、慌ただしく日が過ぎていった。
売りに行くためのモノを山から採ってきて集めておいたり、それぞれのスケジュールを管理したり、私がいない間のことをサーラおばさんにお願いしに行ったり。時期も時期なので、売りに行くものは食材よりも、薬草の方が多い。食材はこれから自分たちが必要になってくるので、そんなにも村から外へ出せるものが無いのだ。
また、今回はマルタンお手製の薬品は準備する時間がなかったので、無しになった。その代わり、調剤されていない薬草がこんもりと準備された。
あっという間に約束の日になり、私は朝早くに村と外の境目まで出て行った。
母はお見送りをしたいと言って聞かなかったので、仕方なく一緒に村の中を歩いた。行きは私と一緒だし、帰りはジョルジュを見送りに来るサーラおばさんたちと一緒にいてくれれば、母が突然倒れても大丈夫だろうという判断の上だ。
「気を付けて行ってくるのよ、あまり無理はしないこと。あと、相手にも無理難題は押し付けないこと」
「ねえ、母さん。それって、そのまま母さんに返す言葉だからね? 無理しないことと、相手に無理させないこと。みんなに心配かけないように、母さんが自分でまずは気を付けて生活するんだからね?」
「あらあら。レノにお小言を言っているつもりだったのだけど、自分に返ってきちゃったわ」
「ふふ。ちゃんとお土産買って帰ってくるから、楽しみにしててよね」
「どんどんレノが逞しくなっていくんだから、母さん、ちょっぴり寂しいわ」
母がからかうように言った。私はふふん、と胸を張った。ふと、隣を歩く母の細い手が視界に入った。私は咄嗟にその手を握った。少しひんやりとしていて、細長くて、カサついている母の手。私は子供体温なので、その暖かさを母へ流し込んで、母の身体を内側からあっためてほしいという気持ちを込めてぎゅっと握った。
「大丈夫。母さんを守るのは、わたしだもん」
「あらら、ふふふ。頼もしい騎士ね」
でも騎士は男の子にしかなれないから、レノは何かしらね、と母は鼻歌でも歌うように言った。そんなたわいもない話をしているうちにあっという間に村の境にやってきた。
ジョルジュやロジェと私は、みんなから見送られるようにして、馬車に乗り込んだ。乗り込む直前、手を掴まれた。なんだ、と振り返ると、そこにはマルタンがいた。マルタンは少し悔しそうな顔で、私を睨んでいる。
「行ってくるね」
私はそんなマルタンを安心させるように微笑んだ。マルタンは何かを言いたいようで、でも考えがまとまっていないらしく、口を開けたままじっとしていた。しかし、やがて仕方なさそうに、私の腕を掴んでいた手の力をゆるめた。
「ああ。気を付けて」
呻くようにそれだけ言って、私の背中を押した。ロジェが私を馬車の中に乗せてくれて、全員が乗り込む。すぐに馬車は動き始めた。ギシギシと軋んだ音を立てて、ゆっくりと。そしてやがてスピードに乗り始め、一定のリズムで揺れながら、前へと進みだす。
「じゃあ、今回はまず向こうに着いたら、マルクさんのところへみんなで行こう。ガスパルさんのところへ明日行くとして、レノがガスパルさんのところへ行っている間、俺たちが食材を売って、新たに仕入れもしてくるよ」
「え? 今日はマルクさんのところだけ?」
「前の時より、随分と日暮れが早まっているだろう? 夜、暗くなってから不用意に街を歩き回らない方が良い」
村の夜道とはまた違う恐ろしいことがあるのだとロジェが話してくれた。確かにまたゴロツキに絡まれでもしたら面倒だ。夜道を出歩きたいわけでもないので、そうしようと私も頷いた。
皆、冬支度という大仕事を家に置いてきているので、そんなに街に長居もできない。なるべく効率的に動いて、なるべく早く村に帰った方が良い。今のところまだ雪が降る気配はないが、降ってからでは遅いので、色々なリスクを考えて行動しなくてはならない。
これからのスケジュールについての話し合いが終わると、仮眠タイムとなった。みんながうとうととする中で、私はなんだかもやもやとした気持ちを抱えていた。
……本当に、あの薬で大丈夫なのだろうか? 2度も購入し、結構な月日を飲み続けているが、母の容態は多少良くなりはしても、完全回復しない。薬、変えた方がいいのかも? でも、一体どこで買えばいいんだろう。……マルクさんに相談してみようかな。
マルクの神経質そうな顔を思い出して、私はひとつため息をついた。




