第55.2話【幕間】 ガスパル視点
父親が小娘に丸め込まれて帰ってきたと知った時の衝撃を、ガスパルは生涯忘れることはないだろう。
それほどまで、ガスパルは驚愕していた。行商人の道を歩み続ける父と、街で店を始めた自分では、進む道が違う。だが、ガスパルにとって、いつまでも父は尊敬に値する存在だった。自分が街で店を始めたのも、行商人である父の仕事と互いに相乗効果を生み、より一層二人で稼ぐことが出来るからだと思ったからだ。
もちろん、ガスパルは商人見習いとして、父と一緒に行商を歩いたことがある。その背中を見て育ってきた。街で店を持つ時も、父に色々なことを教わってきた。ガスパルにとって、父は偉大な人だった。今や行商人である父より、街の北側で店を持つガスパルの方が、社会的には立場が上になっているが、それでもガスパルにとって、父の背中は大きかった。
そんな父が、子供にしてやられたというのだ。しかもどこかの豪商の娘でもなんでもなく、とある農村の貧民に。
冗談だと思った。酒場で父と合流した時には父は幾分か酒を飲んでいたので、酔っぱらって、話を盛っているのだと思った。もしかすると、父は悪い魔法使いにでも呪いをかけられてしまって、妄言を吐くようになってしまったのかと心配したくらいだった。
ガスパルは、その真相を確かめようとした。だからフルール村へ、自分の足を運んだ。
見習いの時に行商人の真似事をしたことはあるので、父から事前に聞いた知識と今までの経験をすり合わせ、一通りの仕事が出来たとは思っていた。
そうやっていつも通り女性に声をかけ、商いをしていると、小さな女の子と少年がやってきた。その風貌はまだ幼く、兄妹でお使いに来たのだとガスパルは思った。
だから、驚いたのだ。この幼い女の子が、父と取引を行った子供だと知って。
その女の子はまるで、子供の皮をかぶった商人にしか見えなかった。こんなにしっかりした子供がいてたまるかとガスパルは何度も心の中で悪態をついた。見た目が幼いのもあって、父も油断したのだろう。相手が子供だと思って適当に扱おうとすれば、痛い目を見るのが良く分かった。それほど、レノという少女は、あまりにも成熟していたのだ。
幸か不幸か、この村の人間たちは、レノが頭の良い大人びた子としか思っていないようだった。とんでもない、とガスパルは思った。こんな金の卵、世の中の人間が放っておくわけがない。とにかく、ガスパルはレノを早く手に入れたかった。誰かがこの才能に気付き、掻っ攫われてしまう前に、ガスパルが手中に収めたかった。なるべく自分の監視下にその存在を置いておきたかった。
その意味では、レノの価値を分かる人間では、ガスパルが誰よりも先に巡り合えたのは奇跡だと思ったし、運命だとも思った。
街に足を運んだレノも、それこそガスパルの予想以上だった。
商人としての取引がきちんと行えるというところや、言動が落ち着いているところは想定通りだった。だが、ガスパルはその服が気に入らなかった。レノにとっての一張羅を着てきたことや、清潔感に配慮しているのは見ても分かる。他の子供や付き添いの大人さえ、街の北側へ行くのだと分かっているにも関わらず、村にいるときと同じ装いでいることには正直失笑を隠せないところではあったのだが、そんな中、レノは一人だけ小綺麗にしていた。
対比してみれば、もはや奇跡に近い。街の北側に行くのに装いを改めなくてはならない、という考えが村人全員に無い中、よくもまあレノだけはそれに気付き、出来る限りのことをしてきたのだと思うと、それはとんでもない偉業のようにも見えた。
だが、清潔感や衣類の豊かさが足りていないのも事実だった。レノなりの限界だったのだろうが、ガスパルはそれが気に入らなかった。レノはこんなことも出来ないような子ではない、環境が悪いのだと思った。
だから、洋装屋へと連れて行ったのだ。
そこで、ガスパルはレノを侮っていたことに気付く。
貧民は普段、ボロ布を上からかぶる生活をしている。服を選ぶ、という行為を死ぬまでしたことがない人だって大勢いるだろう。着れれば問題ないと思っている人が大半だからだ。だから、レノも普通に考えれば、服を選んだことなど一度もないはずだった。それだというのに、洋装屋へ連れてこられて、店員にどれが良いかなんて聞かれて。一体どう対処するのだろうか、ガスパルに助けを求めるだろうか。そう思って、観察するためにレノの背中を押した。
思わず言葉を失ったのは、ガスパルの方だった。
レノは何かを選ぶということに慣れているように見えた。店員が選んだお勧めの商品を断り、自分で店内を見渡し、自分で服を選ぶ。時折自分の身体に当てて、丈の長さを見ているようだった。
そして、選んできたのは、白いワンピース。これで天才と言わずして、なんと言えば良いのか。レノが貴族出身だとしても、年齢的には自分で選ぶなんていう機会はなかったはずだ。まるで、貴族社会でひとしきり教育を受けてきたかのような姿に、ガスパルは背筋が震えるようだった。
白い服というのは、まず農村で育った連中が選ぶものではない。だというのに、レノは迷いことなくそれを選んだ。『それらしく』見えるために、どんな服装をしなければならないかを知っているかのように。
「ガスパルさん、まだ作りますか?」
せっせとクッキーを作り続けるエマが、椅子に腰かけて休憩がてら様子見に来たガスパルに尋ねた。テーブルには所狭しと焼かれたクッキーが並べられていて、成功したものと失敗したものに分けられて置いてあった。黒焦げのものは廃棄だが、形が悪いという理由のものは従業員に配布したり、試作品ということで大金持ちの常連客や、試食用として後ほど貴族へ売り込みに行く際に利用する予定だ。
「ひとまず、そこの材料が無くなるまで作ってくれないか?」
「はぁい!」
エマはそう言って、元気よくまたクッキー作りに励んでいた。
ガスパルとしては、本当はエマではなく、誰でも良いので男を雇いたかった。体力もあるし、結婚や妊娠で穴をあける心配がないからだ。だが、裏方で料理をするだけ(しかも貴族の屋敷の調理人となるわけでもなければ、ここは飲食店でもない)の人員募集では、基本的に使い物になりそうな男は寄ってこなかった。腰掛け職になるからだろう。
仕方なく、一番体力のありそうなエマで手を打ったのだ。頭は悪そうだが、愛嬌があり、体力もある。まあ、女同士ということでレノとも仲良くやれていたので、合格ラインとしよう。そうガスパルは思い、小さくため息をついた。
それにしても。ガスパルは紅茶を飲みながら、ふと思った。
レノの両親が本当に、貴族なのかもしれないということを。
レノに興味を持った時点で、ガスパルはレノについて調べていた。街で商いを起こす時点で、そういう情報屋のような存在とも繋がりを持っているのは当然のことだ。だから、ある程度、レノについての調べはついた。
だが、レノの両親については、さっぱり情報を得ることができなかった。
農村に突如として現れた、子持ちの美人な若い女性。誰でもわかるような情報しか得られなかったと、情報屋も顔を渋くさせていた。
貴族とやり取りをしたことがあるガスパルには、分かっていた。もしかすると、マリアンヌが、本当に元貴族なのかもしれないということを。その場合、下手をして探りを入れすぎると、情報屋もろとも消される危険性があると言うことを。引き際を理解しているガスパルは、これ以上の追及をあっさりとやめることにした。
貴族といえば。ふと、一度目にクッキーを売りこみに行った時のことを、ガスパルは思い出した。
いつも通り、ガスパルは北の大門をくぐり、貴族街へと足を踏み入れた。馬車は幾つもの大きな家を通り、広すぎる庭を越え、領主様のいる大きな城へとやってきた。
というのも、普段はもっと手前の貴族街で取引を行うことが多いのだが、今回は領主様の城の中に、クッキーの存在を知っている人がいるということだった。
対貴族用の正装をしたガスパルは、緊張した面持ちで馬車を降り、アルマンという礼儀正しい執事に案内されるがまま城の中へと入って行った。
ガスパルの店と同じくらいの広さの応接間に通された後、やがて二人の男性が入ってきた。その二人の顔ぶれを見て、ガスパルの表情が緊張で強張る。片方の男性はバチストという、領主様の義理の兄に当たる人で、もう片方の男性はクレモンといって、この領地の宰相だ。何故こんな大物が二人も自分なんかの売込みに応じたのかサッパリ分からないガスパルは、毎秒寿命が縮むような緊張感に脳が委縮していくようだった。
「わざわざご足労頂いて。悪かったねぇ」
バチストは、そのカエルのような顔をニヤニヤと綻ばせ、そう言って肘掛け椅子に座る。クレモンも席につくと、バチストがガスパルに着席を勧めた。
「この度はこのような貴重な機会をありがとうございます、」
「いい、いい。そういう形式ばった挨拶は。私たちも忙しくてねぇ、時間があまりとれないんだ。だから無礼は私が許可するから、持ってきたものを早く見たいねぇ」
せっかちなバチストがそう言って、そわそわと周囲を見渡した。そんなバチストを見て、クレモンは眉間にキュッと皺を寄せる。ガスパルが視線を送ると、側に控えていた侍女は、ガスパルが持ってきたクッキーを皿に盛った状態でテーブルへと持ってきた。同時に、別の侍女が紅茶を運んでくる。
「ふぅむ。これが『クッキー』かね?」
バチストはそう言って、一枚手に取った。誰の許可を得ることもなく、さっさとそれを口に運ぶ。クレモンは不愉快そうにそんなバチストをちらりと一瞥した後、自分も一枚手に取る。二人がそれをもぐもぐと咀嚼する様子を、ガスパルは静かに見守った。
「いかがでしょうか?」
「悪くない、悪くはないねぇ……」
もったいぶるようにバチストがそう言いつつも、もう一枚手に取った。パクパクと手が進んでいるあたり、悪い評価ではなさそうだとガスパルがほっと一安心しそうになったところで、クレモンが口を開いた。
「……実のところ、一度これと同じものを食べたことがある」
「………同じものを? それは本当ですか?」
衝撃的なクレモンの発言に、ガスパルはドキリと心臓が跳ねた。
クレモンによると、どうやら村からの領主への献上品の中に、これと同じものが混ざっていたらしい。同じ形状に、似た触感。
「悪くはないが、良くはない。あの献上物は、どこぞの農村からのものだと聞いた。となれば、それと同じものを貴族が食べるわけにもいくまい」
流行は、上から下へ。水の流れのようにしなければならない。下から上へは、あってはならないことだ。つまり、貴族が食べたことがない美味しいものでも、農村の貧民が食べているようなものを、貴族が有難がって食べるという構図がマズいのだ。
ガスパルは内心顔をしかめていた。犯人は分かっている、レノしかいない。だが、そのおかげで、この二人は『クッキー』への興味は沸いているはずだ。知っていてガスパルとの面会を予定立てているのだから。
「改善は必要だが、その結果、あの献上物と全くの別物になれば問題なかろう」
クレモンが眼鏡を掛け直しながらそう言うと、バチストはうんうんと頷いた。
「改善はどれくらいで出来るぅ?」
つまり、これ自体は美味しいから、何か趣向を凝らして別物みたいにして作り直してこいということか。ガスパルは暗にそう言われていることを理解し、嬉しいやら責任重大やらで胸中複雑な思いを抱きつつ、商人用のスマイルを浮かべた。
「こちらの発案者とこの季節の間に会う機会があります。その際に一度相談し、より一層素晴らしいものにして、こちらにまたお持ち致します」
「そう? じゃあ出来たら私に連絡を通してねぇ」
嬉しそうにバチストが言うと、クレモンは鋭くそれを制した。
「わざわざバチスト様がこのような商人と取引をなさる必要はありませんよ。それこそ、アルマンにやらせればよろしいでしょう。次の面会では、バチスト様がお聞きになるような話にはなりません」
「そうぅ? 改善された『クッキー』を食べたいんだけどぉ。食べてみないと分かんないだろぉ?」
「……それもそうですね。では、君。ガスパルといったか。その際には私にも連絡するように」
「クレモンこそ、同席の必要はないんじゃなぁい? 君、見かけによらず、食いしん坊なんだねぇ」
バチストがからかうようにそう言うと、クレモンの額に青筋が立った。
「城の中に取り入れるようなものであれば、私が知っておく必要がありますから。それに、領主様にもお伝えしなくてはなりませんからね」
クレモンの言葉に、今度はバチストのニヤニヤ笑いが止まった。
「……別に伝える必要はないでしょ。私の個人的な甘味として、密かに楽しもうとしてるんだけどぉ。もしかして、君、私からその楽しみを奪うつもりぃ?」
「いいえ。楽しみたいのであれば、領主様にお伝えし、正式に買い取る流れにした方がよろしいでしょう。そちらの方が皆で楽しむことができますよ。それとも、独り占めされるおつもりでしたか?」
二人の間に火花が散るのを見ながらも、ガスパルは営業スマイルを浮かべ続けた。
城の中で、『クッキー』の存在価値が高まっているのはありがたいことだ。ガスパルはそう自分に言い聞かせながらも、あの時に感じた緊張感や疲労感を紅茶と一緒に飲み込んだ。
「ガスパルさん、これで小麦粉と砂糖がなくなりました~!」
エマはそう言って、空になった袋をふたつ逆さまにしてガスパルに見せた。ガスパルはそれに頷き、執務室に戻る。
引き出しから注文書を取り出し、それに書き込みながら、レノのことを考えた。もし、本当にレノの母親が元貴族だとすると。あまりレノを城に出入りさせるのは、良くないかもしれない。
とはいえ、ガスパルは自分がツイていると思っていた。なぜならば、今、レノの母親は病に倒れているからだ。それを助けるために、レノはスケジュールを前倒しするかのように、街へ来ている。今後も、金欲しさに何度も街へ訪れるだろう。つまり、レノが今、何よりほしいものは、金だ。
ガスパルは考えた。レノをいかにして取り込んでいくか。いかにして、商人見習いとして囲い込むか。
後日、ガスパルは新しいクッキーを持って、城へと向かった。
二度目のクッキーの売り込みは、大成功することとなる。
次話より、本編に戻ります。




