第55.1話【幕間】 ロジェ視点
村に戻ってきたロジェは、高い建物もなければ、激しい往来もない村の様子を見て、ほっと胸を撫でおろした。
ロジェは何度か街に行ったことがある。だが、そのたびに、自分は街のようなところでは生きていけない人間なのだと思い知らされていた。ロジェにとっての故郷であり、生活の基盤は、この村だ。むしろ、この村じゃなければ生きていけないとまで思っていたし、それはきっとロジェ以外のみんなも思っていることだとロジェは信じていた。
ただ、街自体が嫌いなわけではない。売るもの、買うもの。そういうことを考えれば、街行きは必要なことだと分かっているし、新しい発見も多く、数日間用事があって行くには面白い場所だとも思っていた。
「ジョルジュ、平気か?」
「もちろん、全然平気だよ」
今日は、ロジェとジョルジュの二人がペアとなり、森の中を見回る日だった。こうやって、成人見習いは大人と一緒に森の中を歩くことで、森の中の地形を知ったり、危険な場所を学んだりする。もちろん狩りの日の想定もしているので、荷物の入った籠を背負い、槍を片手に森の中を歩き回る練習にもなっている。
ロジェは、木の根に足を引っかけないようにしながらも、周囲の気配にも気を配ろうと一生懸命になっているジョルジュの姿を見ながらも、頭の中ではレノのことを考えていた。
つい先日まで、レノは大人たちに混じって、マリアンヌの代わりに畑仕事を行っていた。そこで、ボロボロになりながらも、弱音も吐かず、一人で全部背負い込んでいた。
レノがあの集団に何か良くない扱いを受けているのではないかと最初に気付いたのは、ロジェだった。日に日に口数が減り、体力的にも精神的にも限界を迎えそうなレノの姿を見ていると、ロジェは胸が痛かった。行商人の日や、川の日に会った時のような、はつらつとしたレノの子供っぽい表情が見られない時点で、仕事内容がしんどいという理由以外に何か事情があるのではないかと察していた。
未だに、ロジェはマリアンヌの治療方法に納得がいっていない。赤い実を食べてはいけない理由が分からないからだ。ただ、レノは自分があんな目に遭ったうえ、更に大金を支払ってまで、マリアンヌの治療法を探し続けている。もしかすると、赤い実でも治らない病がこの世にはあるのではないかと、ロジェは薄々信じ始めていた。以前のように、頭ごなしにレノたちの姿勢を否定するような気持ちはなくなっていた。
ただ、でもそれは、赤い実を食べてみてから考えてもよさそうなものだとも少しは思っていた。
ロジェは、早くに妹を亡くしている。亡くなった妹も、最後まで健気にも家の金の心配をして、弱音を吐かなかった。だから、辛い気持ちを一身に抱え込んでしまうレノの姿を見ると、ロジェは助けてやりたくなってしまうのだった。もちろん村の人たちのことは、みんな自分にとって家族のような存在だと思っていた。だが、年齢的なものもあるのか、レノの姿は時折、妹の姿とかぶって見えるときがある。だからこそ、ロジェはレノのことを出来る限り守ってやりたいと思っていた。
「ジョルジュ、見てみろ。分かるか? この足跡は猪のものだ。それに、ここに糞があるだろ? これはまだ新しい……きっと、この辺りを根城にしてるんだ」
「じゃあ、次の狩りの日には、ここで猪を狩るってこと?」
「ああ。狩りの日の前には、こうやって森の中を探索して、獣に目星をつける。闇雲に森の中を歩いているより遥かに効率的に、安全に倒せるからな。遭遇しそうな獣の種類と場所を知っておけば、こっちも準備がしやすいだろ?」
ロジェの説明に、ジョルジュは真剣な顔をして頷いた。これから数日間は、対猪戦をイメージした槍の扱い方と、森の中でのみんなの動きについて学ぶことになるだろう。
レノは、確かに頭が良い。
最初にその存在をマルタンから聞いたときは、面白く思っていた。あのマルタンが他人に興味を示したどころか、認めているような発言をしているのだ。マルタンの世界には、基本的には家族と、先生しかいなかった。それ以外のことは仕事仲間だとは思っているが、どこか他人事で、一線を引いているように見えた。
そのマルタンが、レノのことを、変な子供がいるとロジェに話したのだ。レノに初めて会った時は年相応に無邪気そうな子だと思っていたが、マルタンの話を聞いたり、村で見かけたりするうちに、ロジェもその異常性に気づいていく。レノはおかしなほど天才的で、自分たちとは見えている世界が違っているということに。
だが、それがまさか、街に行っても通用するようなものだとは思っていなかった。それどころか、街の商人と対等……いや、むしろ一枚上手にも見える部分もあり、ロジェにとっては驚きっぱなしの数日間だった。
それと同時に、レノは問題を引き起こしやすい。酒場で問題を起こし、騎士団に助けられている姿を見たとき、ロジェは確実に自分の寿命が縮まったと思ったくらいだった。
街にはゴロツキがいる。北の方は騎士団の詰所も近いので数は少ないが、それを離れ、南門の方には溜まりやすい。事前にロジェが、それを子供たちに伝えなかったのも悪かったかもしれない。でも、まさか、ゴロツキ相手に問題ごとを引き起こすなんて、ロジェは想像さえしていなかったのだ。
相手がゴロツキでも、自警団の名に懸けて、ロジェは立ち向かうつもりだった。そのつもりで、真っ青な顔をしたジョルジュを連れて、レノのところに向かったのだ。
しかし、レノを助けていたのは、騎士団だった。騎士団は魔法使いであると同時に、領主様の直属の手足だ。そんなのと直接話す機会など、ロジェは生涯ないと思っていた。ジョルジュはいずれダミアンの後を継ぎ、儀式の際には会話する機会もあるだろうが、村の中でも大した地位の無いロジェにとっては、遠い世界の話だった。
だというのに、レノはそんな騎士団の人間と、親し気に話しているではないか。怖いもの知らずもここまでくると、呆れてしまう。レノは常識知らずだとマルタンが事あるごとに愚痴っていたが、この時ほど、その言葉を痛感することはなかった。ロジェの中で、レノが完全にトラブルメーカーとしてインプットされた瞬間だった。
森を降り、ジョルジュを自警団の他の連中に任せ、ロジェは家へと戻った。
牛小屋へと向かうと、マルタンが一人で小屋の掃除をしていた。鍬を手に取り、ロジェも小屋の中へと入っていく。
「今回の街行きだけどさ、薬草の新しい売り先が見つかって良かったな」
ロジェがそう言うと、マルタンがコクリと頷いた。
「マルクっていう男、いただろ? あの男が俺たちを見たとき、面倒そうな顔になったのを見てさ。俺、何度か色々な店に足を運んで、まともに取り合ってくれる店を探すことになるだろうと思ってたんだ」
ロジェはマルクの目つきを思い出していた。貧民を蔑む目。この相手なら、多少の無理でも通るだろうと見下した目。街に行くと、そういう視線を浴びることも何度かあった。
「でも、レノちゃんはそれをひっくり返してくれたんだ」
その目で一度見られてしまえば、もうどうしようもないと思っていた。何を言っても、向こうは鼻で笑うだけ。当然ロジェだって、腹が立つ場面も何度か経験してきた。でも、怒ったところで、何も変わらない。だったら、店を変えるしかない。ロジェはそう大人に教わってきたのだ。だが、その教えさえ、レノはひっくり返した。見下されていたところから対等な状態に持ち上げ、更にいえば、友好関係まで結んでしまった。
「これからはあの店に売りに行けばいいんだって思えば、俺も気が楽だよ」
マルタンが作る薬は、効能が良いものばかりだ。マルタンが尊敬するだけのこともあり、先生が言うことは、今のところ、悔しいが、全て正しい。先生のことをロジェは風変わりな爺さんくらいにしか思っていなかったが、マルタンのことは大切に思っている。だからマルタンが一生懸命に作った薬や、採ってきた薬草を、正しい価値で買い取ってくれる先が見つかったことが、ロジェにとっては嬉しかった。
「街に僕やレノは何度も行けるわけじゃないからね。兄さんに売りに行ってもらうのも、たぶん、これから何度もあると思う」
その時はよろしく頼むよ、とマルタンは言いながら、綺麗になった小屋の中に新しい藁を引いた。ふかふかにそれを敷き詰めるマルタンの姿を見ながら、ロジェは頬が緩むのを感じた。
マルタンは、レノに夢中だ。まるで兄のように、騎士のように、レノを守ったり、補佐するためにずっとくっついている。もともと、マルタンは他人に興味がない。それなのに、レノにはやたらと世話を焼き、甲斐甲斐しく気に掛け続けている。しかも、本人は無意識のうちに、だ。
「ふぅん。子供が街に行くの自体が珍しいことだっていうのに、まだお前はレノとこれからも何度かは街に行くつもりなのか?」
「マリアンヌさんの容態次第だけど、たぶん、そうなることになると思う。レノはガスパルさんとの取引をこれからも続けたいと思ってるだろうし……そうなると、一人で行かせるわけにもいかないだろ」
マルタンはそう言って、小屋の中から出てきた。ロジェはそれを眺めながら、ふと街での出来事を、もうひとつ思い出していた。
それは先ほども出てきた、マルクのことだ。
ロジェとジョルジュはその時、レノたちをガスパルの店に置き、買い出しに出かけていた。ウィンドウショッピングがてら色々な店を見て回っていたのだが、その中で、とある高級そうな女性向けの店に入っていた時。そこには、化粧道具が売っていたのだった。
普通、貧民は化粧はしない。結納の儀がある日や、よっぽどのお祝いの日であればするときもあるが、基本的には縁遠いものだ。そういうのは、お貴族様がパーティーの日につけるものだとされている。そもそも、そんなところにお金を使うような金銭状況ではない。
だから、本当に何の気なしに、ロジェとジョルジュは商品を離れたところから見ていただけだった。そして、そんなロジェの耳に、高級そうな服を着た女性客に店員が商品の説明をする声が聞こえてきた。
「ええ、こちらはそのような傷跡を隠すのにも適しておりまして……」
「本当? 実を言うとこれは単なる火傷の痕なんだけど、ドレスを着たときに見苦しいでしょう? だからどうにかして隠したくって……」
どうやら、あの粉をはたけば、腕の傷も隠すことが出来るらしい。貧民は、ドレスなんて着ることがないどころか、農作業や森での作業で毎日生傷の絶えない日々なのだから、あんなものを買っても数日で空っぽになりそうだ。ロジェはそんな風に思いながらも、商品に触らないように気を付けながら遠巻きにそのやり取りを眺めた。
「サロメに買ったら、喜ぶかもしれないよ」
ジョルジュが先ほどの粉を指さして言ったので、ロジェは笑った。
「サロメが隠したいものなんてないよ。綺麗な肌をしてるし、生傷は隠したところで仕方ないしね。それを言えば、むしろレノの方が欲しがるはずさ」
「レノ? どうして、レノ?」
「だって、レノは胸に……」
「おや。君たちは、昨日の」
ロジェはうっかりレノの秘密を暴露しそうになって、慌てて口を押えた。それとほとんど同時に後ろから声を掛けられ、うっかり驚きの声を上げるところだったので、口を押えていた自分を心の中で褒め称えた。
「マ、マルクさん?」
そこにはマルクが立っていた。マルクの店にいる時とは少し服装が違い、こういった高級店に入っても浮かないようなほど、スマートな服装をしていた。ロジェはそれと自分を対比し、この店にいるのが少し恥ずかしくなった。
「こんなところで奇遇ですね。こちらに用でも?」
「いえ、もう出るところです。また、お会いした時はよろしくお願いしますね」
「ええ。互いに良い取引が出来ますよう、領主様に祈っております」
マルクはモノクルをきらりと光らせ、酷薄そうな薄い笑みを浮かべたまま、店の中へと入って行った。その途端、店員がすぐさま寄ってきて、媚びるような笑みとともに商品の案内をし始める。放っておかれっぱなしなロジェとジョルジュとは、全く違う扱いだ。
ロジェは特にそれを気にすることもなく、店から出て行った。
マルタンと突然、ふう、とため息をついた。ロジェは頭を現実に引っ張り出してきて、マルタンの視線の先のものを一緒に見た。
「……相変わらず、育たないなぁ」
小屋の前にある畑には、マルタンが両親から譲り受けた畑の一角がある。マルタンはそれを見て、小難しい顔をしていた。
「でも、あの辺りは育ってるじゃないか。こりゃあ、一歩前進なんじゃないか?」
ロジェはそう言って、指をさす。畑の一部分では、にょきにょきと育つ葉っぱの姿があったのだ。以前までは枯れ果てた草ばかりが並んでいたので、それと比べれば大きな前進だ。だがマルタンは首を横に振った。
「どうしてあれだけが育ってるのかが分からなかったら、前進でもなんでもないさ。ただのまぐれだよ」
「どうしてなのかは分からないのか?」
「あの辺りは、この間遊びに来たレノが水をやったところなんだ。僕が水をやってるのを見て、面白そうだからやらせてくれって言って……僕がやったところは育ってない。でも、水の量は僕が近くで見てたから、同じだけやってるはずなんだ」
それなのに、育つところと、育たないところがある。マルタンは眉間に皺を寄せて、畑を睨みつけていた。レノが水をやったから育つ、なんていう荒唐無稽な理論が成立するとはマルタンもロジェも思っていない。だが、ロジェはニヤニヤ笑ってからかうように言った。
「じゃあ、レノちゃんのおかげなんじゃないか?」
「……僕が水をやっても、きっとこいつらは育ったんだ。原因はもっと他にあるはずだ。土の栄養とか、そういうところに」
「そうかぁ? レノちゃんが大きくなあれって念じたからじゃないかぁ? 全く。マルタンにとって、レノちゃんはまるで女神様だな」
「……手のかかる妹の間違いだろ」
畑を睨みつけていた怖い顔のまま、マルタンはロジェをギロリと睨んだ。ロジェはこれ以上からかうとマルタンが本格的にへそを曲げてしまうと察し、へーへーと笑って適当に相槌を打ちながら、放牧している牛たちを呼び戻しに歩き始めた。




