第5話 秘密の蒙古斑
重い籠を背負って小一時間歩き、サロメたちの家に戻る頃には日が暮れ始めていた。どうせリアムはまだ暫くは籠なんて背負えっこないということでリアム用の籠を譲ってもらい、そこに今日採ってきた果実や、下処理をした野菜を詰めてもらい、今日の報酬として頂いた。
母さんと合流して、二人で仲良くおうちへ帰る。母さんも慣れない仕事の初日で疲れ果てているらしく、それでも笑顔を作って、手をつなぎながら私を見下ろした。
「今日はどうだった? ちゃんとみんなと仲良くやれた?」
「うん! 野菜の下処理をしたり、森に行ったんだよ。母さん、聞いて。メドルって言ってね、変な野菜がいるの。白くてしなびたやつには気をつけなきゃいけないよ。水をかけると、大きくなって、噛み付くの」
私が一生懸命あの萎びた大根の意外な危険性について伝えていると、母は面白そうな顔で私を見ていた。母が興味を示している! 私はより一層一生懸命になって、雨の日の外出は気をつけなきゃいけないよ! と注意を促した。だが母の表情に微笑ましそうな感情が混じっていることに気付いた私は、もうひとつの事実に気付いた。……母さんはこの世界で生まれて育ってきたんだから、これくらいのことは普通、知ってて当然なんじゃない!? つまり、私が一生懸命話しているのは、まるで保育園で初めて経験したことに興奮して、お母さんに必死で報告している児童と同レベルなのでは!?
「思ったより楽しくやれているようで安心したわ。それよりレノ、本当に重くないの?」
「うん! これよりもっと重たいのを背負って、山から戻ってきたから、これくらい全然平気だよ」
母は私に籠を背負わせていることを気にしているらしかった。しかし、新しい仕事の初日で精神も肉体もすっかり疲労困憊しているであろう母に、これ以上疲れてほしくない。私は荷物を引き受けようとする母に、これは私が貰った籠なんだよ! と初めての任務に浮かれている子供らしさをアピールすることで、籠を背負って歩く役割をもぎ取っていた。
家に戻ってくると、どっと疲れが出た。テーブルに籠を置いて、中身をテーブルに広げた。それぞれを保存しておくべき場所に移動させ終わった頃に、水を汲み終えたらしい母が戻ってきた。こんなに疲れているけれど、母は今から夕食作りをしてくれるのだ。私も手伝うと張り切ったが、母は休んでいるように言ってきた。
「平気! あのね、今日ね、キュウリ……じゃなかった、コンブルの食べ方もサロメに教えてもらったんだよ。スープに入れても美味しいんだって!」
「ふふ、今日一日でレノは随分と家事に詳しくなったのね? あっという間に母さんを追い越しちゃうかもしれないわね」
「それじゃあもっと頑張って、母さんを追い越さなきゃ」
「あら。レノはそんなに早く大人になりたいの?」
母さんがコンブルの皮を剥いているので、私はテーブルに食器を準備した。私の身長では台所に手が届かないので、自分の出来る範囲のことでお手伝いをするのである。
「ううん、大人になりたいんじゃなくて、母さんとおんなじことができるようになりたいの」
「そう? 今から花嫁修業を始めるのなら、レノは大きくなったらきっと良いお嫁さんになるわね」
くすくす笑いながら母さんはそう言って、コンブルを輪切りにして鍋の中に入れていく。
「お嫁さんになりたいんじゃなくて……母さんのお手伝いをしたいの」
「母さんの手伝いを?」
葉物の野菜と、備蓄してある豆を鍋の中に放り込む。鍋に蓋をして、火の強さを確認してから、母は不思議そうな顔で私を振り返った。
「だって、母さん一人で頑張るより、二人で頑張った方が、美味しいごはんもいっぱい食べられるし、楽もできるよ。ねえ母さん、それより、これ、洗ったら落ちるかな?」
私の言葉に母は目を見開いていたが、私はそんなことよりもずっと気になっていたヌーロの染みを見せた。分からないが丁寧に洗ってみる、ということで決着がついたことに私はほっと胸を撫でおろす。家計的には新しい服を買う余裕もないし、かといって赤い染みをつけたまま毎日過ごすもの嫌だもんね。どうやら石鹸自体は存在しているらしく、洗濯物はその石鹸で手洗いしているらしい。もちろん石鹸といっても、私の時代で使われていたような良い香りのする代物でもないので、まあ汚れは一応落ちるかな? というようなものだ。ぶっちゃけ、臭い。
「母さんは何してたの? 土を掘ってたの?」
「そうねぇ。サーラさんのところは土地が広いでしょう? まだ余っている土地もあるみたいで、そこを耕して、新しい種を植えるそうよ。そのお手伝いをしていたの」
サーラさんという新しい名前に面食らったが、恐らくはサロメの母のことだろう。肝っ玉母ちゃんみたいな見た目をしていたおばさんを思い出す。
「明日も耕すの?」
「ええ。雑草はかなり取ってあったけど、それでも根っこは深いからね。しっかり根を断ち切って、種さんにふかふかのベッドを準備してあげなきゃいけないのよ」
「種さん」
「そう、種さん。レノが今日採ってきた果実も、下処理した野菜も、ぜーんぶ種さんから出来ているのよ」
「ふーん……」
ど、どう反応したら正解なのだろう。こういった子供向け用の言葉遣いをされたり、子供向けの教育を施されると、毎回面食らってしまって、うまく反応できなくなってしまう。すごいね! というべきだろうか? それとも、どうして? どうして? って全部聞いた方が良いのだろうか? 常識的なことを子供に言い含めるように教えられると、どうにもむずがゆくてダメだった。かといって、私の常識とこの時代の常識では違っていることも多い。安易に聞き流すわけにもいかないのが歯がゆいところだ。
「レノは本当に子ども扱いされるのが嫌いねぇ」
母が困ったように頬に手を当てて、私を見てため息をついた。変な子だと思われてしまっただろうか?私は慌てて、子供っぽく見えるように胸を張ってみせた。
「そうだよ。だって、言ったでしょ。わたし、母さんを早く超えたいんだもん。子供になんて、なってる暇なんてないよ」
「ふふ。そんなに急がなくたって、すぐに大人になってしまうのにねぇ。レノはレノのままでいいのよ」
母がクスクス笑った姿を見て、私は少しだけほっとした。
スープが出来上がったらしい。塩で味を整えて、母が鍋を食卓へ運んだ。それぞれの食器に取り分けてくれる。出来上がったばかりのスープからは湯気がほかほかと出ていた。ここでは食事の前に、いただきます、と言う文化はない。出されたらそのまま食べ始めるのが当然だが、なんとも慣れないので、私は心の中で毎回こっそりいただきますと言っている。
木でできたスプーンでスープをすくい、口の中へと運ぶ。薄い塩味で、お世辞にも美味しいとは言えない。だが特別まずいわけでもない。ただ、今日は具が三種類も入っていたので、ちょっとだけ豪華だ。いつもは二種類だし、お金がなくなってくるとそのうちほぼ具無し塩スープになってしまうし。採れたてのコンブルは美味しかったけど、普通に生で食べた方が美味しいんじゃないかなとも思った。キュウリの漬物が食べたい。酢で味付けをしたり、塩もみにしたら美味しいかな? そう考えながら、カチカチになっているパンを手で引きちぎり、スープに浸して柔らかくして食べた。
「母さん、あのね、今日はすごいものがあるの」
器が空になったところで、私は椅子から飛び降りてそう言った。鍋の中にはスープがまだ残っているが、これは明日の朝の分だ。母もちょうど食べ終わる頃だったので、不思議そうに私を見た。
「もう食べ終わったの? 食事中に立ち歩いてはダメよ」
「もう食べ終わったの! だから大丈夫!」
お小言を零す母にそう言い返して、私はさっき母が水を汲みに行っている間に隠しておいた赤い果実を取り出した。ヌーロだ。サロメたちが家で食べるように、とひとつ分けてくれたのだった。
にまにまと笑いながらそれを見せる。美味しそう! と喜んでくれる姿を想像したが、予想に反して、母は驚いた顔を見せた。
「これは……まさか、ヌーロ?」
「母さん、知ってるの?」
「……ああ、いえ………。レノ、これはどうしたの?」
母はまだ驚きが抜けきっていない様子だった。まさか知っているとは思わなかったし、こんなにも驚かれるとも思わなかった。私も母の様子にびっくりしながら、経緯を話した。
「今日、森に行ったって話したでしょ?サロメたちと採ってきたの。これを食べるのは、村の一員になった証なんだって。歓迎してくれるって言ってたよ」
「そうだったの………。そう、なのね」
困惑した様子から、やがて母の肩から力が抜けていった。そして穏やかな笑みを浮かべ、嬉しそうにヌーロを手に取った。大事そうな様子でそれを撫で、鼻に近付けて匂いを嗅いでいた。
「すごく良い香り……レノ、これはどうやって食べるの?」
「えーと。このまま食べれるよ。でもサロメは二人で食べてって言ってたから、ナイフで二つに切ったらいいと思う。真ん中に種があるから気を付けてね」
「あら。警戒しなくても、ちゃんとレノと半分に分けますよ」
「そ、そういう意味じゃないもん!」
食い意地を張ったと取られたらしい。母がからかうように笑ったので、私は少し赤くなって頬を膨らませた。母に種に傷をなるべくつけないことと、果汁が赤いので気を付けた方が良いと自分の服を見せながら話せば、母は器用にナイフでするすると二つに割って、中から種を無事に取り出した。
「レノ、今日はもう、一度ヌーロを食べてるのよね? 本当は、そんなにたくさん果物を一日のうちに食べるものじゃないのよ?」
「うん。でも、これは大事なことなんだって。だから食べなきゃダメなの」
「あらあら……じゃあ仕方ないわね?」
やっぱり食い意地を張っていると取ったらしい。母は面白そうに笑った。私はまた頬を膨らませながらも、母から渡されたヌーロにかじりついた。柔らかい歯ざわりと同時に、口の中いっぱいに甘くて芳醇な味が広がった。思わずニコニコして母を見ると、母も穏やかな笑みを浮かべてもぐもぐしていた。
「美味しいね!」
「ええ……ヌーロを食べられる日がくるなんて。思ってもみなかったわ」
「母さん?」
「……ううん。美味しいわね、レノ」
「うん!」
種は洗って、私の分と一緒に食卓の上に飾っておいた。サロメは種は持って帰るようにと言っていたけど、一体何に使うんだろう? どこかに植えればいいのだろうか? 今度用途を聞いてみよう。
その後、お湯を沸かして、母さんと身体の拭き合いっこをした。一日外にいたので髪の毛も埃っぽいし、汗もかいているので、せめて濡らした布で身体を拭きたかったのだ。母も同じ思いだったようなので、自分の価値観がズレてなくて安心した。
油が手に入るようになったら頭を洗うシャンプーのようなものを作りたいし、なんとかして身体用の石鹸も欲しい。正直に言えば浴場を作りたいというのが本音。衛生面を整えるのは何より大事なことだろうと思って炒る。ただでさえ、排泄は家の隅の決められたところで行い、一日に一回溜まった大変なモノを家の外の穴に埋めに行くような生活をしているのだ。しかもこれがこの村のデフォルトらしい。疫病が蔓延する未来しか見えない。健康に楽しく太く長く生きたいので、病気は絶対にごめんだ。
「ほらレノ、髪を持ってなさい」
「はぁい」
自分の長いオレンジの髪を掴んで、前に持ってきた。その間に背中側を母さんが濡らした布で拭いてくれる。……あーあ、せっかくオレンジ色なんていうかわいい髪色してるのに、毛先がパッサパサだ。早くシャンプー欲しいなぁ。そう思いながら髪先を見ていると、ふと自分の胸元が視界に入った。そういえば、と思い、私は母に尋ねた。
「ねえねえ母さん」
「はい、じゃあ次は前向いて」
「うん。……あのね、前から気になってたんだけど、これって何?」
私は自分の胸元を指さした。左胸の、ちょうど心臓がありそうなあたり。そこには痣のようなものがあった。五センチくらいのサイズだろうか? いつも、こんなところぶつけたっけ? と、てっきり内出血でもしているのかと思って触ってしまう。もちろんぶつけた拍子に出来た内出血ではないので触ったところで特に痛みはないし、皮膚がどうにかなっている感じもなかったので、不思議に思っていたのだ。蒙古斑の仲間だろうか? それとも、生まれたと同時に緊急手術があったとか?
私の質問に、母は一瞬顔を強張らせた。だがすぐににっこりと笑う。
「変なものじゃないわ。母さんにもあるのよ。……ほら、一緒」
母が上を脱いで、胸元を見せてくれた。その豊かな膨らみを一年近く吸っていたので、今更それを見たところでアッ……という気持ちは特にない。私はまじまじと母の胸を見た。
「ほんとだ、おんなじ! ……みんなあるの? おんなじところに?」
首を傾げて問うと、母は少しだけ押し黙った。そして、やがて。初めてみるような、真剣な表情を見せた。
「……レノ。この跡のことは、母さんとの秘密。母さんに跡があることも、レノにあることも、それがここにあるということも」
母はそう言って、自分の胸元の跡をなぞった。よく見ると、母の痕の方が、私よりも小さい。大人になるにつれて少しは小さくなるのだろうか?
「うん。約束するよ、秘密だね……。えっと、これ、父さんは知ってるの?」
私が生まれたということは、父さんと母さんはまあ、そういうことを致したわけだろう。その時に見られているはずだが……え? まさか着衣のまま……? それともなんとかして誤魔化したのだろうか?
「…………チャーリーは、知っているわ。……でも、レノにもあることは知らないの」
母の声色は硬かった。母の痕を知っていて、私の痕を知らない。それがどういう意味になるのか。私にはさっぱり分からなかった。
「父さんにも秘密にしておけばいいの?」
「………そうね。いずれは恐らく、チャーリーも知ることになると思うけど……。それまでは。それまでは……」
どうして隠しておかなくてはならないのかはさっぱり分からないが、母はどうしてもそうして欲しいらしかった。私としてはたまにしか顔を見せない父より、生まれた時からせっせと世話をしてくれて、愛情深く接してくれている母の方が大事に決まっているので、当然のように従順に母の言葉に頷いた。それを見た母は安心したように微笑み、私をぎゅっと抱き寄せた。
「……レノは、私の大切な子よ」
……ありがとう、母さん。母さんの子として、そう言ってもらえて嬉しいよ。でもね、できればね、こうしてハグして密着するならね……着衣後にやってほしかったんだ。そう思いながらもされるがままに抱かれていると、ふと母の足元に目がいった。
……足環? 今まで気にしたこともなかった。いつもは裾の長いワンピースみたいなものを着ているし、外に出る時は裾を少し上げるが、それと同時にブーツのような足首までしっかり隠れてしまう靴を履いている。農民はみんな同じようなファッションスタイルなので、これが普通の姿なのだろう。だから足首をまじまじと見ることはなかったのだが、今はたまたま足元の裾がめくれていて、だから見えるようになってしまっていて。
「レノ?」
ぼうっとしているように見えたのだろう。母が不思議そうな顔をした。私はハッと我に返り、にこりと笑った。
「私も母さんのこと、大好きだよ」
あれは、足環だった。確実に足環だった。アクセサリの一種には見えなかった。足首にぴったりとハマっていて、銀色に煌めいて。私はなんとなくそれを話題にすることができず、静かに見なかったふりをした。
身体を拭き終わってすっきりしたところで、そろそろ寝る準備に入った。明日も早いし、今日は疲れているだろう。私は早々に支度を終え、ベッドに向かった。ベッドといっても、木の板に藁をしいて、布を引いた粗末なものだ。身体も休まったもんじゃないが、地べたに眠るよりはずっと良い。
「母さん、マッサージしてあげる!」
「何? レノ、何と言ったの?」
おっと。マッサージという言葉は通用しないらしい。私はいいからいいから、と母をベッドに横にさせて、うつぶせになってもらった。母の腰あたりに座って、背中や肩をマッサージしてあげた。
「……心地良いわ、レノ。これもサロメに教えてもらったの?」
「え? あ、うん、そうなの。疲れてるだろうからやってあげると喜んでもらえるよって」
「そう……サロメも良い子ねぇ」
あっという間に母は夢の中へと落ちていった。母としての顔を続けてはいたが、予想通り、肉体的にも精神的にもかなり疲弊していたのだろう。私はランプの灯を消して、真っ暗な中ベッドに潜り込んだ。母の穏やかな寝息が聞こえる。
……サロメたちのおかげで、少し気持ちに整理がついたみたい。母さんと今日はたくさん話せたし、ちゃんと向き合えるようになったような気がする。やっぱり、あんまり閉鎖的な空間に二人きりでいるのは精神衛生上良くなかったのかも。そう思いつつも、明日のことを考えた。明日は朝からサロメたちと一緒に収穫の手伝いをしてから、後は今日と同じコースになるはずだ。今日は一日初めてのこと尽くしで出遅れたり、手間がかかったりしたが、明日からはもっといろいろうまくやれるだろう。
そうやって明日のことに思いをはせているうちに、私もあっという間に夢の世界へと飛び立っていった。
ひとまずここまでにして、明日からまた頑張ります。




