第51話 ガスパルの店
食事を終え、ガスパルに、ゴチになります! と感謝を告げる。私たちは店から出て、ガスパルの店へと向かった。
事前情報通り、ガスパルの店は中央広場から見て、やや北寄りのところに位置しているらしかった。ということは、やはりかなりの高級店となるだろう。中央広場は色々な階級の人が入り混じっているような雰囲気だったが、北へ一歩進むごとに、私たちのような見たからに貧民・農民である人間の姿は消えていった。その代わりに清潔な身なりで、布をふんだんに使った豪華な服を着ている人が増えていく。
この道を真っ直ぐ北へ向かうと、大きな門と橋がり、その向こう側が貴族街だ。そのため、中央広場から北側にある地域には、貴族とやり取りがあるような人たちが住んでいるとロジェからも聞いている。
下手をすれば、この地域には貴族お抱えの召使いが買い物に来ていたり、もっと言えば、貴族が直接店へ足を運ぶこともあるらしい。だからなのか、地面は綺麗に舗装され、ゴミ一つ落ちている様子がなかった。立ち並ぶ店々も見るからに高級ブティックだと言わんばかりの佇まいだ。
……正直言って、めちゃくちゃ肩身が狭い。サロメのお下がりの中でも、比較的状態の良い服を着てきたつもりだったが、それでもこの場に溶け込んでいるとは思えなかった。ジョルジュだけは好奇心いっぱいの顔できょろきょろしていたが、ロジェとマルタンはそのことに気付いているのか、微妙な顔で歩いていた。
「ここが僕の店だ」
ある店の前で、ガスパルは立ち止まった。高級店が立ち並ぶ一角にある、3階建ての建物。クリーム色の壁が太陽を反射して眩しかった。
窓ガラスから店内が少し見えたので、背伸びして盗み見てみる。ガスパルと似た服装の人が従業員なのだろう、清潔で上品そうな男性が接客をしているようだった。テーブルの上には小物が数点置かれている。小箱に入っているもの、ブローチ、櫛。服が掛けられているのも見える。あれはパイプタバコだろうか? 店内はそこそこの広さがあるらしく、色々なものが置かれていた。奥の方にも何か売り物が置かれているようだったが、ここからではよく見えない。
そのまま正面から入るのかと思ったが、ガスパルは私たちを連れて、裏へと回った。
「悪いけど、こっちから入ってくれるかな」
従業員用戸口なのだろう、表の豪華な飾りがついた重そうな扉ではなく、質素な扉を開いて中へと案内してくれた。……まあ、そりゃそうだろう。衛生的に私以外はヤバいし、服は全員ヤバい。店長自らそんな人たちを店内へと連れていくわけには……というのは当然の判断だ。
店内にはお客さんもいる。もし次の機会をガスパルが設けてくれるのであれば、必ず身だしなみは整えてこようと思ったし、一緒に来る人のも整えさせようと心に決めた。
裏口から入ると、そこは在庫置き場となっていて、大きな箱が置かれたり、積まれたりしていた。休憩室も兼ねているらしく、ソファや小さなテーブルが置いてあるのが見える。
「この奥だよ、レノちゃん」
ガスパルはそう言って、ワクワクした顔で私にウインクを送ってきた。何かを自慢したがっている少年の顔を見せられた私は、店のすごさを見せらえている時点ですでに自慢は成功しているんだけど、などと思いながらその背中を追って歩いた。
やがて、すぐに何を自慢したかったのか、気付くことになる。奥へ進み、ドアを開けると、そこは厨房だったのだ。
「あっ……は、初めまして!」
鈴を鳴らしたような声がした。明るい赤茶色のおさげを揺らし、少女がこちらに向かって頭を下げていた。
「は、初めまして」
日本人の性だろう、挨拶をされたら挨拶を返してしまうし、頭を下げられると頭を下げてしまう。咄嗟に私も頭を下げて挨拶をしてから、いや誰? とガスパルの顔を見た。
ガスパルは少女の方へ近寄り、その背中を押した。少女は数歩私たちの方に進み、顔を少し赤くして、緊張した面持ちで息を吸い込んだ。
「わ、わたし、エマっていいます。ガスパルさんのお店で、厨房を担当させてもらっています」
「実を言うと、僕を始めとして、誰もオーブンの使い方が分からなかったんだ。エマは料理が得意なだけじゃなくて、オーブンの使い方も少しは知ってるらしくてね」
エマの両親はこの街でレストランを経営しているらしい。北に位置する高級料理店で、エマの兄弟もそこで下積みをしているとのこと。だがエマは、両親が作る料理以外のものも学んでみたいと考え、どこかで雇ってもらえないかと職探しをしていた。そこをハントしたのが、ガスパルだったというわけだ。
「食事を作ることは色々勉強してきましたが、お菓子作りはしたことがなくて……興味を持ったんです」
「ま、お菓子作りなんて、基本的にはお貴族様お抱えの料理人しかしないことだからね。平民である僕たちが未経験っていうのは当然の話さ」
誰もやったことがないことへ挑戦する、だからこそ時代の最先端を歩けるのさ、とガスパルが物知り顔で語ると、エマは感動したように頬を紅潮させてうんうんと頷いていた。だがふと我に返ったように、エマは私たちの顔を次々と見つめていく。そして不思議そうに小首を傾げて、ガスパルに言った。
「……それで、その……噂のレノさんという方は、いついらっしゃるんですか……?」
「ん? いるじゃないか、目の前に」
「ええと……女性だと聞いていたんですけど……」
「いるじゃないか、目の前に」
「えーと…………えっとえっと………」
エマの視線がロジェに注がれた後、マルタンとジョルジュに注がれる。どちらかがもしかすると女なのかもしれない、という顔で、エマが必死に二人の性別を見極めようと真剣な顔をした。
ガスパルは耐えるようにその様子を見ていたが、やがて我慢できないと言わんばかりに盛大に吹き出した。
「ど、どうして笑うんですか」
自分が笑われたことに気付いたエマが顔を赤くしてガスパルを睨んだ。ガスパルは軽い調子でごめんごめんと謝って、今度は私の側にやってきた。そして私をひょいと軽々抱き上げる。
「この子がレノちゃんさ」
まるでお気に入りのぬいぐるみを見せつけるように、ガスパルは私をエマに見せた。エマはまたからかわれているのだと思ったらしく、じろりとガスパルを睨む。
「い、いい加減にしてください。前々から思っていたんですけど、ガスパルさんは私をからかいすぎだと思います」
「からかうのは君が面白いからなんだけど……でも、今回は本当なんだけどな」
ね、とガスパルが促してきたので、私は苦笑して頷いた。ガスパルがお調子者で、純朴な少女をからかう趣味があるというのは初めて知った。普段の素行が悪いからこうなるんだぞ、と私はガスパルの頬をゆるくつまんだ。
「エマさん、わたしがレノです」
これは本当ですよ、と話すと、エマは子供にまで嘘をつかせるのか、と憤慨していたが、誰もそれを笑ったり面白がったりする様子がなかったため、じわじわと本当なのだと気付いてきたらしい。エマの表情が、ゆっくりと驚きに変わっていく。
「……本当にあなたが、あのレノさんなんですか?」
「……どのレノさんなのかは分かりませんが、本当にレノです」
「クッキーを発明したのもあなたなんですか?」
「発明じゃないですけど、まあ、提案はしました」
「じゃあ、それをガスパルさんのお父様に持ち掛けてお金を巻き上げたうえ、ガスパルさんにここまで好待遇で囲い込まれようとしているのもあなたなんですか!?」
「人聞き悪い言い方やめてもらえます!? っていうか囲い込もうとしてるんですかガスパルさん!?」
思わずエマのテンションと同じくらいのテンションで言い返しつつ、ガスパルの頬をつまむ指の力を強めた。ガスパルは間の抜けた顔で苦笑を零す。
「へま、ひっはははへははいは」
「何を言ってるか分かりませんが」
エマがガスパルの言葉を一刀両断したので、ちょっとかわいそうになって指を離した。少しだけ赤くなってしまっていたので、よしよしと撫でてやる。
「エマ、言っちゃだめじゃないか。それは秘密だって言ったのに」
「う……。で、でも、わたし、てっきり、ガスパルさんがその女性に、思うところがあるからそうしてるんだと思ってたんです。だから少なくとも、わたし、同世代の女の子か、もう少し年上の女性が来るかと思っていて……まさかこんな幼い子供を連れてくるなんて……」
心配そうな表情で、エマは私とガスパルをちらちらと見比べた。確かに、店長に幼女趣味の可能性があると知ってしまうと、複雑な気持ちにもなるだろう。まあ冗談は置いといて。私はガスパルの整った顔を見つめた。
「……ガスパルさん、どういうことか説明してもらえますか?」
「その話はあとにしないか? クッキーは焼く時間が必要だからね。先に商談を始めた方が、時間の有効活用だと思わないかい?」
ガスパルはさっぱりとそう言って、私を床に降ろした。その意見には概ね同意できるので、私はおとなしくそれに頷いた。
その時、ロジェが声を出した。
「あの、それって結構時間、かかりますよね? 俺たち、良かったら店の外で買い物していてもいいですか?」
私がここで商談したりクッキーを焼いている時間、確かにロジェたちは暇になってしまう。そのため、その間の時間を使って、みんなへのお土産を買うためにいろんな店を見て回りたいのだと言った。
私たちは明日、馬車に乗って帰る予定をしている。明日の朝早起きして店をはしごする予定だったが、確かにこの空いた時間で買ってしまった方が賢明だろう。ギリギリになってどうでも良いものを適当に買う羽目になるのも避けられるし。
「分かりました。じゃあ中央広場まで案内させましょう」
ガスパルはそう言って、扉を出て人を呼びに行った。
ガスパルがいなくなったことで場の空気が少し緩む。緊張しっぱなしだったらしいマルタンがふう、と一息ついていた。
「そうだ、ロジェ。買い物するなら、これも持って行ってくれる?」
私は服の中に隠してある麻袋から、銀貨を一枚を取り出した。ロジェに手渡すと、ロジェは仰天したように目を剥いた。
「な、なんだこの金は?」
「わたしはこれからここで商談して稼ぐから、先にロジェに渡しておこうと思って」
ここで稼いだ後、みんなでお土産の買い物に行く予定だったので、そこでその資金に私が稼いだお金も入れておこうと思っていたのだ。先払いという形になるが、これからここで稼ぐので私的には問題ない。
ロジェは銀貨一枚をぽんと人に渡す私の神経が信じられないようで、頭を抱えてしまっていた。
「わたしはお土産選び、手伝えないから。これでサロメとか、ヒューゴとか、おじさんとかおばさんにお土産、選んであげてほしい。ジョルジュ、おねがいね」
彼らの好みは私より家族であるジョルジュの方が詳しいだろう。そう思って話しかけたが、ジョルジュはぼーっとした顔で、エマを見つめていた。エマは食材の準備に不足がないか、木の台の上を点検して回っている。それを見つめるジョルジュの頬は少し赤くなっていて……。
「あー。ジョルジュ?」
「……あ、レノ? な、なに?」
私は頭をぽりぽり掻いて、もう一度同じことを言った。そうしてジョルジュにお土産の件を頼み、ロジェにお金を託した。
マルタンはここに残ってくれるらしい。確かに先生からも私のお目付け役を頼まれていたし、今日のことも先生に色々報告するつもりなのだろう。やがてガスパルが従業員らしき若い男を一人連れてきて、その男を先頭に、ロジェとジョルジュは部屋を出て行った。
その後、ガスパルが仕切り直すかのように、私たちに厨房の中を案内し始めてくれた。
まず、私は厨房の広さと、その清潔さに感動した。当然、家にある台所とは段違いの設備だ。エマがこまめに清掃してくれているのか、台やテーブルもピカピカに磨かれていた。
だが、一番感動したのは、水道だった。
「え、え、え、す、すごい!!」
私は蛇口を捻って水が出てくる光景に、語彙力がなくなってしまった。マルタンもぽかんとした顔でそれを見ている。私が興奮して喜んでいると、ガスパルが自慢したくてたまらなかったところを的確に羨ましがられてとてもうれしいという顔で、ニヤニヤしながら説明してくれた。
「これは水道って言ってね。井戸から水を汲まなくても、自動で組んだ水がここから出てくる仕組みになってるんだ」
知ってる! それ知ってる! ずっとほしかったやつ!!
「で、でもそんな、どうやって……!?」
まさか、電気とかあるのだろうか。発明されちゃったりしてるのだろうか。そうなってくると、電気さえ引ければ、うちでも水道は設置できるはずだ。ていうか下水道とか、そういう街づくり的なこと全部やれるじゃないか。私の頭の中は一瞬で『私』だった頃使えていた便利なライフラインのすべてを繰り広げていた。
「どうやってって、決まってるだろ?」
「ま、まさか、本当に電気が……!?」
「デンキ?」
「えっ」
ガスパルが変な顔をしたので、私は自分の考えが間違っていたことをすぐに理解した。口を噤んで首を傾げると、ガスパルはああ、と勝手に理解してくれた。
「君たちの村では、そういえばあまり利用されていなかったね」
「えーと……?」
「魔力だよ」
「えーと!?」
電気以外に考えられるものなんてあったか? と色々考えていた私の頭の中が吹っ飛んだ。魔力ってなんだ。魔法の力か。そんな、電気みたいに魔力が使えるものなのか。すげーな、魔力。
「え、待って、でも魔力って魔法使いが使えるものなんでしょ? だったら、えっと、ガスパルって……?」
「ああ、違う、違うよ」
まさか魔法使いなのでは、と驚きに目を見開くと、ガスパルは面白そうに笑った。どうやら子供の無知ゆえの頓珍漢な言葉にたまらなくなって笑いだした様子だった。微笑ましそうにクスクス笑われると、なんだか恥ずかしい。
私は頬を赤くしながら、だったらどうして? と先を促した。
「見えるかい? ……っと。レノちゃんには見えないか。マルタンならそこから見えるだろう?」
よいしょ、とガスパルは私を抱き上げた。マルタンを引き寄せながら、ガスパルはひょいとオーブンの側面を覗き込む。奥の方に、確かに見慣れない器具がつけられているのが見えた。まるでストーブの灯油タンクが外側につけられているようにも見える。
「まさか、あれって……」
マルタンはピンと来たようだった。当然ながら私には灯油タンクにしか見えないので、ちんぷんかんぷんだ。オーブンの火力に何か燃えやすい灯油的な何かを使ってるのは分かったが、それがどうして水道と関係があるのか分からない。頭の上にハテナマークをたくさん出した顔で近くにあるガスパルを見上げると、ガスパルはまた面白そうに笑った。
「レノちゃんに知らないことがあるなんて。なんだか新鮮だな」
「レノは知ってることと知らないことの差が大きいんです。変なことには詳しいくせに、こういうのは特に知らないことが多いみたいで……たぶんまだ見たこともないんだと思います」
マルタンが私を擁護してくれているのかしてくれてないのかよく分からないことを言いながら、興味深そうにその灯油タンクをまじまじと見つめていた。
「……教えてください」
拗ねた声を出せば、それさえも面白いらしく、ガスパルはくすくす笑った。
「ああ。もちろんさ」
そう言って、ガスパルは私を地面に下ろしてくれた。そして水道の蛇口を捻り、出てきた水をコップに注いで、私に手渡してくれる。
「これは飲める水だよ、安心して飲むと良い」
上下水道が完備されているということだろうか? いや、さすがにそこまでのことはできていないだろう。井戸水を汲み上げているのかもしれない。それにしたって、すごいことだ。人力でえっさほいさと水を桶に汲むというのは、普通に重労働なのだということを私は身に染みて知っている。
「あの容器には、魔力が入っているんだ」
「魔力が入って……魔力が入ってるんですか!?」
ガスパルの説明は、衝撃的な内容だった。確かに、以前ヒューゴからちらりと話を聞いたことがあった気がする。魔力は買えるのだと。
どうやら魔力を溜め込むことのできる、まるで電池のような容器があって、そこに魔力が詰め込まれて販売されているらしい。各家庭はそれを購入し、水道やオーブン、冷蔵庫やストーブにも利用しているとのことだった。魔力を使えば、ボタンひとつで火がついたり、水を汲んだり、物を冷やしたりすることができる。それこそ、魔法の代物なのだと、日常の必需品として街では利用されているようだった。
「すごい……ま、魔力って、すごく便利なんですね……」
「これがないともう生活できないって人は多いと思うよ」
「この魔力はどこで買えるんですか?」
「魔力自体は安いものじゃないからね。取り扱っている店も、この街でさえそう多くない……確か、うちの店よりもう少し北へ行った高級店通りに店があったはずだよ」
どうやら魔力電池は高級品なようだ。ただ、電池の中身が空になれば、またお店に行けば充電してもらえるらしい。もちろん、充電代はかかるが、容器代は浮くことになる。エコというか、商魂たくましいというか。
「……あれ?」
ふと、引っ掛かることがあった。私はガスパルを見上げる。
「ガスパルさん。でも、一体誰がこの魔力を充電しているんですか?」
魔法使いは、奴隷なのだと聞いた。だが、魔力は魔法使いしか持っていないはずだ。となると、魔法使いだが、奴隷にはならず、商いをしている人がいるということだろうか。騎士団の人たちも見た限り、私のイメージにある奴隷のような扱いを受けているようには見えなかった。もしかすると、奴隷と言っても、案外マシな状況にあるのかもしれない。
「……今はそんなことより、ひとまずクッキー作りを始めないかい?」
勤勉なのは良いことだけどね、とガスパルが苦笑した。それで、私も我に返った。今日はここに街について学びにきたわけじゃない。商売をするために来たのだ。私はなぜなぜモードから切り替えてるべく、深呼吸した。
ぐいっと腕まくりして、私のために準備してくれたらしい台座に上る。これでやっとマルタンと同じくらいの視線の高さに登れた。部屋の中央にあるテーブルの上にきちんと食材が準備されているのを確認して、私は背筋を伸ばす。
「よし! じゃあクッキー作りましょうか!」
誤字報告、ありがとうございました。
とんでもなくボケていたので大変助かりました。
ブクマ・評価、ありがとうございました!




