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第50話 人の金で豪華なランチ

 翌朝。


 ロジェにたたき起こされた私たちは、寝ぼけ眼で起き上がった。顔を洗う用の水をロジェが準備してくれるとのことだったので、私は寝ぼけ頭を切り替えて、慌てて多めに水を貰うようにお願いした。

 とはいえ、桶は一部屋にひとつしか借りれないらしい。となると、水汲み場へ何度も往復することとなる。水汲み場で顔洗った方が早いじゃん、とは思うのだが、宿のルールに違反するだそうだ。

 男たちは桶の水を回し使いしていたが、私は生理的に無理なので水を変えてもらうようにお願いした。場所さえ教えてくれれば自分で行くと言ったのだが、これ以上私を面倒ごとに巻き込ませたくないロジェは、私に部屋から出ないこと! と強めに言って水を汲みに行ってくれた。

 貰った水で顔を洗い、歯を磨いた。持ってきた布を水に浸し、手足を拭く。本当は全部脱いで全身清めたかったが、三人に室外待機を命じるわけにもいかない。出来る限りズボンのすそをめくって膝から上を布で拭いていると、はしたないからやめなさい! とロジェに叱られてしまった。

 それでも、手足や首筋を拭けたことで、少しは身体がサッパリした。三人にも一応身体は清めた方がいいよ、と言ったのだが、三人とも何言ってんだこいつ、という顔をするだけで、誰もそんなことはしてくれなかった。無念。まあ三人とも顔は洗っていたので、最低限よしとするしかない。


「レノは綺麗好きだよね」


 何着も服を持っているわけではないが、私は今日のためにとっておいた服に着替えていた。男三人は、服が汚れたわけではないのでということで、昨日と同じ服を着ている。そんな彼らを後目にせっせと髪を櫛で整えていると、ジョルジュが呆れたように言った。


「神経質すぎるくらいだな」


 ジョルジュに続いて、マルタンもそう言った。髪を洗っていないので、なかなか櫛が思うように通らない。私は水で寝癖を整えながらも反論した。


「そうかな? ここは村じゃなくて、大きな街で、しかも、これから商談に向かうんだよ。だったら、なるべく小綺麗な姿で行った方がいいと思うんだけど……」


「大金持ちやお貴族様じゃあるまいし、そこまでする必要ってあるのか?」


 マルタンが怪訝そうに言った。やらないよりやった方がいいと思うんだけど、と私が答えていると、ロジェがウーンと唸った。私たちの視線がロジェに向く。ロジェはベッドに使っていた木製の長椅子に座って、気難しい顔をしている。


「レノちゃんの言う通りかもしれないな……」


「兄さんも、僕たちがそうした方がいいって思ってるってこと?」


 ロジェは言った。昨日、売りに行った店で邪険にされたこと、それが恐らくは自分たちの見た目や態度で評価されて、相手にそういう態度を取られた可能性があること。


「これから行くのも、お前たちはガスパルっていう人と面識があるかもしれないが、俺たちは無いし、ガスパル以外との面識もないだろう? また、昨日みたいなことが起きないとも限らないな、と思ったんだ」


「でも、ガスパルさんと僕たちは村で出会ってるし、村にいるときは今よりもっとひどい恰好で会ったこともあるんだよ? その時だって、ガスパルは僕たちを見下したり、ぼったくったりなんてしなかった」


 ロジェの言葉に、マルタンは懐疑的な視線を向けた。私はやっと寝癖が落ち着いてきたことに安堵して、手早く荷物を片付け始めた。


「まあ、なんにせよ。もう時間がないから今更どうするわけにもいかないし、とりあえずは一度行ってみたらわかるんじゃない?」


 案ずるより産むが易し。私の取り越し苦労かもしれない。確かに大きな街とはいえ、昨日も多くの農民がこの辺りをうろついていたのを見ている。小綺麗にしている人たちももちろんいたが、多くは地方からやってきた出稼ぎの姿が多かったのだ。マルタンの意見にも一理ある。

 それに、どうやら村の大人たちがここに来るときも、特別着飾ったりして来たりはしないらしい。確かに農作物を売るならば、その格好でも問題ないだろう。うーん、産地直送感が出るし、農作物ならそっちの方が良いのかな。逆に宝飾品や貴重品を売るときは、なるべく小綺麗な格好をしていった方がいいってことなのかも。演出力みたいなところがある気がする。

 となると、クッキーは食べ物だし、食品を取り扱うのであれば、より衛生面は気になるような……昨日の酒屋の店員も、小ぎれいな格好をしていたような……。




 そろそろ時間なので、ひとまず私たちは宿を出て、ガスパルと待ち合わせている店へ行くことになった。お昼に豚のマークの看板の下で待ち合わせになっているのだ。ランチをそこで食べてから、ガスパルの店へ行こうという手筈になっている。すでにロジェが店の場所の見当はつけてくれているので、今から一から店を探すわけではないし、さらに言えば、昨日は重たかった荷物も空っぽになって背中も軽いので、ゆったりと街を歩くことができた。


 道を歩くと、建物の隙間から、時折北の向こう側が見える時があった。川を挟んだ向こう側に貴族街があるという話だったか。遠くから見ても分かるような高い建物が幾つもあるのが見える。領主様の住んでいる城はとても大きいので、ここからでも少しだけ姿が見えて、なんだか観光気分で楽しかった。

 ロジェによると、街の南の方には、基本的に私たちが必要なものを売っている店が固まっているということだった。行商人の日でも買えるものも売っているが、品揃えが街に来た方が当然に良いし、安い衣服や嗜好品も売っている。

 逆に北へ向かえば向かうほど、高級な衣服や嗜好品が取り扱われているお店が増えていくとのことだった。そのため、ロジェを始めとする村の人間も、街へ来たとしても貧民がよく出入りする南地区以外を利用することはほどんとないとのことだった。

 それもそうだ。基本的に私たちは徒歩でくるので、東や西の、馬車利用を基本とする地区を徒歩で歩き回るより、ここで色々なことを済ませてしまった方が楽なわけだし。

 ただ、ガスパルの店は中央から見て北地区にある。昼食の店の指定も、中央広場にほど近い南地区にあるとのことだった。



 北に向かって歩いていけば、あれほどたくさんいた農民が姿を消し始め、やがて身なりの良い人たちが増え始めていた。それでも農民たちも完全にいなくはなかったので、それほど緊張することもなく、私たちはお店に向かって歩いた。

 ……南地区、結構大通りは歩いてると思うんだけど、娯楽品の種類が少なかったなぁ。タバコみたいなの売ってるとことか、お酒とか、そういうお店はよく見たけど、それだけ以外は皆無だった。南地区だからかな? 北地区へ行けば本とかインクとか服とか、そういうのを取り扱ってるのかな?

 嗜好品は単価が高い。私たちみたいな貧民が買えるわけがないので、お店が無いのも当然なのかもしれない。紅茶一杯で銀貨一枚、だなんて言われたら買えるわけないしね。なんて冗談交じりに考えていたのだが、ふと私がガスパルと取引したクッキーの金額を思い出し、何とも言えない気持ちになった。


「……レノ。あれって、ガスパルさんじゃないか?」


 マルタンの囁きに、私は目を凝らした。豚の絵が描かれた看板の下に、身なりがきっちりした、清潔な男性が立っていた。ピンクがかったブラウンをきっちりと撫で付けて立っているだけだが、まるでモデルのように見える。もちろん、そこを通る女性の視線を集めていた。白の襟付きシャツが陽を反射して眩しい。


「……ほ、ほんとだ! ガスパルさーん!」


 ガスパルを見た瞬間は思わず、一瞬だけ、げっ! と声を出しそうになり、私は慌てて声を飲み込んだ。あまりに人目を集めているからだ。私は慌てて代わりに愛想のよい声を出して、私はマルタンと繋いだ手を離し、ガスパルに向かって駆け出した。その後ろで、ロジェとジョルジュが、アレが……!? と怯んだ声を出していた。

 声に気付いたのか、ガスパルは私を見てにこっと笑った。


「やぁ、レノちゃん。街で会うと新鮮な気持ちになるね、わざわざここまで来てくれてありがとう。村からだと、遠かったろう?」


「うん。でも、ガスパルさんが手配してくれた馬車のおかげで、快適に来ることができました。ありがとうございました。それと、待たせてしまってすみません」


「いいや、全然待ってないよ。僕も今来たところさ」


 時は金なり。商人を待たせて良いことなんてひとつもない。遅刻をしたつもりはなかったが、ガスパルが先にきて私たちを待っていると予想が出来なかったのは、私の落ち度だ。ガスパルはにこやかに対応してくれているが、これ以上マイナスポイントはつけたくない。

 ロジェたちが追い付いてきたのを見て、私は一通りガスパルに紹介した。ロジェとジョルジュがガスパルと挨拶し合うと、私たちは店の中へと入った。




 店の中は、食堂のような場所だった。開けた場所に、机や椅子が置かれ、給仕係が食事を運んでいる。少し薄暗かったが、ランプの淡いオレンジの光が周囲を柔らかく照らしていた。店内はそこまで混みあっていないようだった。ランチ時らしいざわつきはあるが、うるさいというほどでもなく。小綺麗な身なりの人もいたが、私たちみたいな服装の人もちらほらいたのでちょっぴり安心した。

 空気はお肉の良い香りに満ちていて、すっかり私はお腹がぺこぺこなってしまった。私たちは店員に案内されるがまま六人掛けテーブルへと移動した。メニュー表があるわけではないらしい。ガスパルはこの店をよく利用するのか、店員に今日のおすすめを説明されると、すぐにそれを選んでいた。


「好きなものを頼むといいよ、ここは僕に奢らせてくれ」


 ガスパルがウインクしながらそう言ったので、私はうっかり惚れそうになった。だが店のシステムが分からない。ロジェも屋台や酒屋は体験したことはあっても、こういった普通に食事が出来る店には来たことがないらしい。なんとなくグランドメニューが存在しないことを察した私は、なんとか店員の言葉を頭の中に並べた。……多分、ポークソテーと、豚肉の煮込み料理の説明をしてくれてたと思う。で、ガスパルはポークソテーを選んでいたはずだ。


「……私は煮込み料理の方でお願いします」


 本来ならばガスパルと同じもので……と言いたいところだったが、昨日はステーキを食べたのだ。ちょっとくらい雰囲気を変えたい。私がそう言うと、右に倣ったようにジョルジュは僕もそれで、と言っていた。だがマルタンとロジェはガスパルさんと同じもので、と注文した。

 木でできた背もたれの無い椅子はお世辞にも座り心地が良いとは言えなかったし、肉汁やソースが飛んだのが染み込んでしまっているのか、テーブルもあまり綺麗そうには見えなかった。それでも給仕が料理を運ぶというシステムの店は高級店なのか、男三人は委縮している様子だった。


「昨日到着したんだろう? 遠いところ、大変だったね」


 ガスパルが世間話を振ってきた。私はにこりと笑って首を横に振った。


「確かに疲れなかったわけではないですけど、それよりも、初めて街に来たっていう興奮で、全部吹っ飛んでます」


「それは良かった。どう? この街は。もう色々なところへは行った?」


「はい。昨日は持ってきた荷物を色々売ってて、だから南地区は結構歩きました。宿もそちらで取ったので、そこを中心に近くのお店に行ったりして」


 村と全然違う活気ある姿に面食らったことや、大きな建物がたくさんあること、色々な人がいることに目が回りそうだったと話すと、ガスパルは楽しそうに相槌を打ってくれた。

 そうやって私が場を繋いでいると、注文した料理が届いた。思った通り、ガスパルやロジェ、マルタンの前にはポークソテーが置かれ、私とジョルジュの前には豚肉の煮込み料理が置かれた。トマトや豆で煮込んだ料理らしい。さっぱりした香りが胸いっぱいに広がり、私はごくりと唾を飲み込んだ。


「じゃあ、頂きますね」


「ええ、召し上がれ」


 ガスパルに促されて、私はフォークとナイフを手に取った。ナイフを滑らせると、ほろりと肉が崩れ、ふわりと中から湯気が立った。トマトソースに絡めてぱくりと食べると、豚肉のジューシーさと、それを引きたてつつもあっさりと重さをかき消してくれるトマトの酸味で、美味しさに顔がほころんだ。

 こんな料理、なかなか家で作れるものじゃない。こんな大きなブロック肉を手に入れることが大変なのはもちろん、ここまで煮込まなきゃいけないとなると、薪がたくさん必要になるからだ。でも、冬場ならありかもしれない。暖炉のところでぐつぐつあっためれば。


「とっても美味しいです!」


 私が感激したように言うと、マルタンやジョルジュ、ロジェも口々に美味しい……! と目を見開いていた。それを見て、ガスパルは嬉しそうににっこり笑った。


「お口に合ったようで何より」


 男三人は相変わらずフォークを刺してパクパクと食べていたが、ガスパルはナイフとフォークを使って、ポークソテーを一口サイズに切り分けて綺麗に食べていた。

 私は一緒に届いた薄切りのパンを手に取って、一口サイズに千切った。普段食べているパンよりも少し柔らかい気がする。スープに浸さないと食べられないカチカチパンと違って、これはこのままでもなんとか飲み込めそうなレベルのものだ。私はそれにトマトソースを絡めて、パクリと食べる。……間違いない!

 空腹だったのもあり、ほくほく顔で食べ続けていたが、ガスパルがこちらをじっと見ていることに気付いた。がっつきすぎたか、と少し恥ずかしくなって、私は姿勢を正した。……口の周りにソースがついてたりとか、しないよね? 慌てて口の周りに手をやったが、ソースの気配はなかった。


「えーと、ガスパルさん、どうしたんですか?」


 食べにくいだろうが。そういう気持ちでガスパルを正面から見つめ返すと、ガスパルは苦笑を漏らした。


「ごめんごめん。ただ君が、どこで食事の作法を覚えたのか気になってね」


「作法、ですか?」


「ナイフとフォーク。君は使いこなせているだろう?」


 ほら、とガスパルが隣を示した。男三人はフォークで肉を刺して、かぶりついていた。ジョルジュに至っては、皿を持ち上げてスプーンで犬食いしている。


「村で教えているとも思えないし……一体どこで覚えたんだろうって、少し驚いたんだ」


 ヘーゼル色の瞳が、探る色を灯した。私は曖昧に笑って、グラスを手に取り、水を一口飲んだ。


「……確かに、レノちゃんは昨日の肉も、綺麗に切り分けて食べてたな」


 まさか『私』の時の常識だったのでそうしました、なんて言えない。食事のマナーのことなんて、考えたこともなかったよ! 内心そう叫んでいると、ガスパルの言葉を後押しするように、ロジェが昨日のことを掘り返して来た。どうやら、ロジェも私が礼儀良く食事をすることを気にしていたらしい。


「まるでお貴族様みたいな食べ方するんだなって思ってたんだ」


 ……でも、家で食べるときは、別に誰からも指摘されることなかったんだけどな。そう思って、ふと気付いた。母も随分マナーよく食事をしていたのだ。だから私も、普段から自然体で食事が出来ている。そう考えるとヒューゴやジョルジュは自由な食べ方をしてたっけ。……つまり、これは家庭の問題だ!


「わたし、食事の方法は、母さんに教えてもらってるの。だからわたし、母さんのやり方を真似してるだけなんだけど……これって、お貴族様みたいな食べ方なんだ?」


 へえ、知らなかったよ! という顔で首を傾げると、ロジェはすぐさま納得したように頷いた。だがガスパルは事情を知らないため、怪訝そうな顔になる。


「レノちゃんのお母さん? その人はフルール村に今も住んでるんだよね? 出身は違うところ?」


 私は言い淀んだ。何をどう、どこまで説明すべきなのだろうか。村の人たちは、母がどこぞの良いところのお嬢様であることを知っているし、訳ありであるということも知っている。だからすんなり話が通りやすいのだが、外部の人に説明なんてしたことがない。そりゃそうだ。村から出たことがなかったんだから。

 あーとかうーとか言って、私が頭を悩ませて唸っていると、ロジェが助け船を出してくれた。


「ま、各家庭、色々事情があるのさ。あんまり踏み込むのは野暮ってもんだぜ」


 ガスパルの肩をぽんぽん、と叩くロジェ。ガスパルは理解を示してくれて、この話は終わりとなった。あんまり身内のややこしい話をぺらぺら外で話したくない私にとって、その対応はありがたいものだった。いつの間にか入っていた肩の力を抜いて、もう一口水を飲んだ。

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