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第48話 今夜はステーキよ

 来た道を戻るため、南へと進んだ。大通りを一本小道に入り、まっすぐ進む。

 すると、やがて広場に出た。行商人の日を髣髴とさせるような形で、商人たちが色々な食材を売っている場所のようだ。私たちが持ってきたのは、基本的には果実や野菜が多い。となると、八百屋さん的なところで売り込むのだろうか? 私はきょろきょろと周囲を見渡していたのだが、ロジェの歩くスピードは変わらない。迷いのない足取りで、さっさとその広場を突っ切ってしまった。

 一体どこへ、と思っていると、広場の奥には倉庫のような場所があった。そこに小さな屋台のようなものが建っていて、恰幅の良い男性が立っていた。にこにこ笑みの男性は、向かいにいる、恐らく農民と思われる姿をした人たちと商談しているようだった。


「あの人と取引するの?」


 私がそう尋ねるが先か、ロジェはその農民の人たちの後ろに並んだ。地面に下ろしてもらって、きょろきょろと周囲を見渡す。恰幅の良い男性の後ろ側にはガタイの良さそうな若い男性が数人いて、農民たちが売った野菜やらなんやらの大荷物を倉庫へと運ぶ仕事をこなしているようだった。


「てっきり、行商人の日みたいに、屋台の人と直接やり取りするのかと思った」


 そう零すと、ロジェは、確かにさっきの広場は行商人の日の光景と似てるね、と頷いた。


「あの人は、この辺りの市場を担当している商人なんだ。ここで俺たちが売った食材は、明日の朝、市場に出回ることになってるんだ」


「朝に市場があるんだね」


 ジョルジュがへえ、と言った。行商人の日は大体朝と昼の狭間くらいの時間から始まるので、似たようなものだとは思うのだが、やっぱり規模が違うからか、ジョルジュは目を輝かせて売り場を見ていた。

 ここからパッと見ても、見たこともない形や色をした食材が置いてあるのがわかる。やはりそれぞれの農地での特産品は種類が違うのだろう。最近農業に参加した私でも気になるのだ、次期村長であるジョルジュが気になるのは当然だろう。


「あー、良ければジョルジュとマルタンで、少し見てきてもいいぞ?」


「本当!?」


 ロジェの言葉に、ジョルジュががっつり食いついた。マルタンは、え、僕? という顔をしている。


「俺はレノちゃんとここでジョルジュの分の荷物も売っておくからさ。マルタンと二人で見てきたらいいさ」


 ロジェの視線につられて空を見上げると、すっかり夕暮れの気配があった。なんとなく、広場で食材を売っている人たちも、店じまいの雰囲気を出しているような気がする。売り付けが終わったらすぐに宿の手配をしなければならないし、お腹もぺこぺこだ。となると、ジョルジュがゆっくりこの市場を見るタイミングは、もしかすると今しかないかもしれない。

 そういう配慮からロジェが提案したのだが、ジョルジュはロジェの言葉に引っ掛かりを覚えたらしく、悩むような顔になった。


「……行かないのか?」


 店、閉まるぞ? とマルタンがジョルジュに尋ねる。ジョルジュはちらりと広場の方を見たが、そっと視線をロジェの方へと戻す。そして、自分がここまで運んできた籠を、大切そうに背負いなおした。


「……やっぱり、いい。僕もロジェが取引しているところ、見ておきたいから」


「……そうか」


 ジョルジュは少しだけ名残惜しそうに広場をもう一度見たが、それでも気持ちを変えるようなことはなかった。ロジェは感心したように微笑み、ジョルジュの頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。

 前の団体様の取引が終わり、私たちの番になった。籠を降ろし、恰幅の良い男性へ手渡す。男性はそれを受け取り、中身を確認しながらも、ロジェの顔をちらりと見た。


「おお、君は確か……フルール村の、ロジェだったね?」


「ええ、お久しぶりです」


「この時期にフルール村の人を見られるなんて、珍しいこともあったもんだ。人の顔と名前を覚えるのには自信があるんだが、てっきり別人かと、初めて自分の記憶を疑ったよ」


 男性はおどけたように言った。


「それに、子供も一緒なんて、これまた珍しいね」


 そう言いながら、男性は蓄えた口ひげをいじりつつ、私たちの顔を眺める。私はにこりと笑った。


「こんにちは、今日はよろしくお願いします」


「おやおや。ご丁寧にどうも、こちらこそいつも助かっているよ。フルール村の食材は品質が高いからねぇ、しかも採れたて、新鮮で美味しいものが多い! お客さんからも評判が高くてね、年に一度しか仕入れ出来ないのが口惜しいくらいだ……だが、今年は幸運だな!」


 営業トークなのか、本音なのか、いまいちわからない。判断が出来ない私はお礼を言って、ニコニコ笑っておいた。ジョルジュは初めて野菜を村の外の人に褒められたのがうれしかったのか、感激したように頬を紅潮させていた。


「おお、今回はヌーロがこんなにも!」


 男性は嬉しそうな声をあげた。籠の中身をひとつずつ検分し、品質を確かめている。特にヌーロは慎重に取り扱っているようだった。


「今年もフルール村は豊作だったんだね?」


「ええ、お蔭様で」


 今年も、ということは、昨年もうちの村は豊作だったのだろうか。確かに食料に困ったり、作物が育たなかったり、という話は聞いていない。毎日順調に同じことを繰り返しているということは、繰り返せるほど毎日何かしら収穫物があるということだ。私が手伝いを始めてから、作物の実りを心配するような声を聴いていなかったので、全く気にしていなかった。


「他の村からは羨ましがられているだろう、フルール村の近くの村はあまり収穫量が芳しくないとの話でね。まあ私としては、よりよい品質のものを多く仕入れることが出来れば、願ったり叶ったりなわけだがね!」


「そうなんですか……変ですね。いつも足並みが揃ってると聞いたことがあるんですが……」


「ま、今まで仕事に真面目に取り組んできたから、領主様の恵みがもたらされたんだろうさ」


 ……だが、普通に考えれば、冷夏とか、暖冬とか、そういうのが『私』の時もあったのだから、この村でも何かしら天候の影響で不作になることもあるだろう。常に作物もハイパワーで実るわけでもない。豊作のあとは凶作っていうし、来年あたりは実りが悪いかもだなぁ、なんてぼんやりと思いながら、私は男性を眺めた。


「どうでしょうか?」


「ふむ……そうだな、ふぅむ……」


 男性は唸り声をあげながらも、何やら頭の中で計算している顔をしている。

 ……ていうか、フルール村って、もしかしなくても私たちの村の名前だよね? 村の外に出たことがなかったので、村の名前なんて気にしたこともなかった。そんな可愛らしい名前だったとは驚きだ。ということは、他の村にも名前がつけられているのだろうか。私は頭の中に、フルール村のロジェさんが育てました! とロジェの写真入りで表示されてパッケージングされているヌーロを思い浮かべた。


「全部で銀貨2枚はどうかね?」


「銀っ……!」


 ロジェの声が上擦った。頬が少し赤くなっている。どうやら、かなり良い値段で引き取ってくれたらしい。ロジェは即決でその金額で手を打ち、男性から銀貨2枚を受け取っていた。




 無事に取引を終えたため、広場にやってきたのだが、やはり予想通り日暮れと共に店じまいらしく、すっかり広場は閑散としてしまっていた。ジョルジュが残念そうに空になった屋台を見つめていた。


「銀貨は結構良い取引だったの?」


 ほくほく顔のロジェに尋ねると、ロジェは当然じゃないか! と目を見開いた。


「てっきりまた足元を見られて、安値で買い叩かれるかと思ってたんだけど……」


 そんなロジェに、マルタンが不思議そうに言った。顔見知りの相手となると、やはり商人も金額をふっかけたりはしなくなるのだろうか。マルタンの疑問に、ロジェは苦笑を漏らした。


「さすがにさっきの薬問屋の人は、酷かったね。あそこまで酷いのは、僕も初めてだったよ」


 基本的に、フルール村の人たちは食材を売りにここに来ている。そして今の恰幅の良いちょび髭おじさんに食材を買ってもらっている。とはいえ、フルール村の人たちは、他の村との繋がりがゼロなわけじゃない。つまり、ちょび髭おじさんが例えば我々に相場銀貨2枚のところを、銀貨1枚に値切って買った場合、他の村にも情報が伝わり、おじさんのところへ誰も売りにきてくれなくなってしまうというデメリットがある。基本的に、商人は信用が第一の商売だ。人々の信頼を裏切って相場以下の取引を行うのは、リスクが大きい。


「普段は行商人との物々交換をするだろう? 向こうが商品を持って俺たちの村に来てくれるのは便利だけど、その分街で売るよりかは低い価値で取引されてるんだ。だから俺たちがここに直接物を運べば、その分少しは得するようになってるってわけさ」


 とはいえ、ここに来るには馬車が必要になる。歩いてもいいが、そうなると今度は品質が落ちてしまう。結局のところ、どちらが大きく得をするということもないらしい。なるほど、だから一年に一回しか街にはこないのね、と私は納得して頷いた。


「……僕、銀貨なんて初めてみたよ」


 ジョルジュがぽつりとつぶやいた。その言葉に、ロジェもうんうんと頷く。


「普通、大銅貨が手に入ればすごいことだからね。やっぱり、ヌーロを4個も取引できたのは大きなことだったんだと思うよ。……薬草の分も合わせると、ははは、正直持つのが怖いくらいだ」


 ロジェは銀貨をきっちり服の中に閉まって、ぶるりと身体を震わせた。ジョルジュやマルタンもまた、わかるわかる! という顔でロジェを見ていた。……ええと、そうなってくると、私、クッキーの金額って、結構ほんとにぼったくっちゃった感じかな……? まあ、過ぎてしまったことは仕方ない。今更相場を変えるわけにはいかないし、払ってくれるというのだからいいことにしよう。




 懐がほくほくになったということで、ロジェを先頭に宿屋へと向かった。

 宿屋は、思ったよりも清潔そうなところだった。受付のおじいさんに言われるがまま、ロジェが硬貨を手渡す。先払いのシステムらしい。四人一部屋で、素泊まり銅貨10枚。ロジェ曰く、子供が三人もいるので安くしてくれたとのことだった。

 開きにくい木製の扉を開けて、部屋に入る。ビジネスホテル程度の広さの場所に、ベッドがふたつと、あとは木のベンチがふたつあった。このベンチに布を重ねて、簡易ベッドにして四人で寝ろということらしい。訳あり価格の「訳」を理解し、私は微妙な気持ちになった。木の板の上で果たして身体は休まるのだろうか。……床に直で寝るよりマシだとは思うけど、で、できれば、まだマシなベッドの方で寝たいんだけど……。


「みんな、大事なものは置いていかないように、身につけておけよ」


 籠を置いた私たちに向かって、ロジェが言った。マルタンとジョルジュは特に貴重品を持ち歩いていないらしく、特に身支度する必要もなさそうだ。一応私は何かあった時のために銀貨を一枚持ってきている。もちろん海外に初めて行った旅行客のように、首から麻袋をぶら下げ、服の中に閉まっているので防犯対策はバッチリだ。


「ベッド、誰がどこで寝る?」


 背中から籠がなくなった解放感からか、ジョルジュがぐっと伸びをしながら言った。


「そうだな……そのベッド、動かせそうだから、ふたつをくっつけて、チビたち三人はそこで寝ると良い」


 僕はこっちで十分さ、と言ってロジェは親指で木のベンチを示してみせた。あまりのイケメンさに私は感激して、ロジェに尊敬の瞳を向ける。だが、マルタンは気遣わし気な視線を私へ送った。


「その、レノはそれでいいのか?」


「え? なんで? 全然うれしいよ!」


 できれば真ん中じゃなくて、端っこで寝たい気持ちもあるが……まあ欲は言うまい。私たちの身体のサイズなら三人川の字でベッドに並んでも全く問題なさそうだった。明日に備えて今夜はゆっくり休めそうだと思うと、気持ちが少し楽になる。


「……なら、いいんだけど………」


 少し不服そうに、それでいてどこか照れ臭そうにマルタンは眉をひそめていた。




 私たちは宿屋を出て、酒屋へと向かった。食事が取れる場所は、酒屋くらいしかないらしい。一応規則として子供は酒を飲めないので、入店は可能だが、飲酒自体はお店側から断られるシステムになっているとのこと。

 てくてくと舗装された道を歩いていくと、お花がたくさん飾られた外壁の店の前でロジェが立ち止まった。


「お、オシャレ……!」


 見た目は完全にパブのような外観だった。室内席だけでなくテラス席もあるらしい。ロジェは、自分が食事を注文してくるから、先に席を取っておいてほしいと言ってカウンターの方へと向かった。室内は混雑しているようだった。

 テラス席に空席を見つけた私たちは、四人掛けのそこに座り、場所取りをしておいた。夜に向けて随分と辺りは薄暗くなっていた。だが店の前には幾つもランタンのようなものが置かれており、それが橙色の明るさを外にも灯してくれていた。日が暮れて、随分と過ごしやすい気温にもなり、私は頬を撫でる涼やかな風に目を細めた。

 と、同時に、ぐう、とお腹が鳴る。


「お腹、空いたね」


 ジョルジュがくすくす笑って言った。どうやら聞こえてしまったらしい。もし聞こえなかったら、素知らぬ顔をしておこうと思ったのに。私は少しだけ赤くなりつつも、きょろきょろと周囲を見渡した。


「だって、すっごく良い匂いがするんだもん。だから、すごくお腹空いちゃって」


 ガヤガヤと周囲は騒がしい。テラス席だからまだマシなのだろうが、室内席はもっと騒がしいだろう。その騒音が、室内との境にある開かれた扉からこちらへも漏れ出していて、活気ある陽気な空気が全体を満たしていた。ちょうど夕食のピーク時間に来たのも原因だろう。隣の席の人たちは、骨付き肉にかぶりつきながら、大ジョッキサイズのビールをごくごくと飲んでいる。あまりに美味しそうな光景に、私も思わずごくりと生唾を飲み込んだ。


「悪い、もう少し待っててくれ」


 ロジェが戻ってきたと思うと、三つのコップと、先ほど隣の人が飲んでたのと同じサイズのジョッキビールを持ってきた。そしてすぐにまた店内へと消えていく。私たちにはどうやら果実のジュースを買ってきてくれたらしい。くんくん、とコップの中身を嗅いで、少しだけ味見をしたマルタンが、目を見開いた。


「甘くて、酸っぱくて、美味しい……!」


 それを見たジョルジュと私も、慌ててコップの中身を一口飲んだ。爽やかな柑橘系の酸っぱさと、ほんのりとした甘みが口の中を通っていく。……こりゃオレンジジュースだね! 木でできたコップだということと、この薄暗さが相まって、中身の色は良く見えない。オレンジのような果実はうちの森に無かったはずだ。少なくとも私は食べたことがない。ジョルジュとマルタンも初体験の味らしく、後味に少しだけ苦みがあるのを不思議がっていた。


「果汁を絞って飲み物したものだよな……これって、こんなにうまいのか」


 マルタンが驚いたように言った。グラスもジュースもしっかりと冷えているからこそ、疲れている身体には染み渡るような味だった。


「そういえば、果汁を絞った飲み物くらい、うちの村でもできると思うんだけど、あんまりみんなはやらないんだね?」


 どこに行っても基本的に飲まれているのは水かミルク、稀に紅茶、そして行商人の日で買う葡萄酒だった。森へ行けば果実は採れるのだから、嗜好品として果実のジュースがあってもおかしくないのだが、そういえばほとんど飲んだことがない。不思議に思って疑問を口に出すと、ジョルジュが苦笑した。


「森の果実は、僕たちの食事のために必要だから採ってきてるだろう? 果汁を絞ったとして、その実の部分はどうするんだ? 果汁だけじゃ腹は膨れないし、そんなこと、勿体ないし、何より森に不敬だよ」


「確かにそうだね、ジュースはあくまで嗜好品だし、喉が渇いたら水を飲めばいい話だしね……ただ、もしジュースを作ったとしても、別に実の部分はそれこそマルタンの家の動物のご飯にすればいいと思うなぁ」


 ジュースだけじゃお腹が膨れないだろうというジョルジュの意見は最もだった。でも、たまには嗜好品として、例えば甘いルミュールを絞って瓶に入れて、それを川で冷やして飲んだりとか、そういうのも美味しそうじゃないか。でももし本当に作るとなると、圧縮機が欲しいとまでは言わないけど、せめてジューサーは欲しいかな。


「またレノはとんでもないことを……」


 ふと気付くと、マルタンが頭を抱えていた。ジョルジュがぱちくりと瞬きを繰り返している。

 あれ? 牛って、野菜ジュースの搾りかすとか、リンゴとかの果物も食べるんじゃなかったっけ? もしかしたら間違っていたのかもしれない。あやふやな知識なのは確かだ。テレビで見たとか、飼い犬にスムージー作った時の残りかすを食べさせたらわんちゃんのお通じが良くなったとかいうご近所さんの話とか、そういうのを勝手に頭の中で統合しちゃったのかもしれない。あははーと笑って誤魔化しておこう。


「ごめんごめん、待たせたね。結構混んでてさ」


 その時、ロジェの声がした。顔を自分の席に戻すと、ロジェが器用に四皿持って料理を運んできてくれていた。……ロジェ、すごい! 絶対ウェイターに向いてる! 『私』は結局、それできなかったなぁ。


「すごい、美味しそう……!」


「これ、一人一皿食べていいのか……!?」


 ジョルジュの表情が輝き、マルタンが心配そうにロジェを見た。皿の上には大きなステーキと、数切れのパン、気持ちばかりのサラダが乗っていた。どこからどう見ても、ご馳走だ。肉とバターの匂いが鼻腔をくすぐり、唾液がどんどん出てきてしまう。


「もちろんだ! 今日はたくさん稼いだから、ちょっとした慰労会さ!」


 ロジェはニカッと笑い、ジョッキを手に取った。それを掲げ、私たちにも同じことをしろと目配せする。私たちがコップを掲げると、ロジェは元気よく言った。


「乾杯!」


 カツン、と木のコップが当たった小気味良い音がした。ロジェはごくごくとビールを飲んでいる。私も自然とコップの中身をごくりと飲んだのだが、ジョルジュとマルタンは一体何なんだ、という顔でロジェと私の動きを見ていた。ぷはー! と一息ついたロジェはそんな二人に苦笑して、乾杯について説明していた。

 説明の内容が私の常識と大差ないことを確認しつつ聞き流しつつ、私はナイフを手に取ってステーキに着手した。この世界にやってきて、ステーキなんて初めてだ! しかも、こんなに肉厚で!

 ナイフを添えると、じゅわりと肉汁が出てくる。すごく柔らかい肉とまでは言わないが、刃を滑らせて一口サイズに切り分ける。ちょっぴり赤みがあるのを目を細めて見つめて、一度皿の上のバターと肉汁とをそれにまとわせながら、フォークに刺したそれを口の中へと運ぶ。ふわりとバターの香りが鼻に抜け、肉と塩と油の味がじゅわりと口の中に広がった。噛めば噛むほど、味がする。……お、お肉、お肉食ってる……!


「おいひぃ……」


 思わず、んー! と喜んで破顔してしまった。私の姿に食欲をそそられたのか、乾杯の説明を聞き終えてマルタンとジョルジュは慌てたように自分のステーキと向き合っていた。だがうまくナイフを使えないのか、二人とも肉にかぶりついていた。ロジェも同じように肉にかぶりついて、豪快に噛み千切っている。そしてそのままその肉をビールで胃に流し込んでいた。う、う、羨ましい……!!


「私もそれ、飲みたい!」


 ロジェの持つジョッキを指さして手を伸ばしてみた。こうやってぐずれば、しょうがないな~一口だけだぞ? という展開を期待していたのだが、ロジェはきっぱりと首を横に振った。


「ダメだ、これは大人だけが飲んで良いものだからな」


「でも、ここは酒屋なんでしょう? 酒屋はお酒を飲むところだよ! だったら、お酒を飲まないのはルール違反だよね」


「ダーメーだ! レノは理屈をこねるのがうまいが、こればかりは絶対に飲ませるわけにはいかないね。今日はジョルジュやマルタンに大人の世界を知ってもらうためにここへ連れてきたんだ」


 マルタンには少し早いがな、とロジェは付け加えた。そういえば、ジョルジュは来年から成人見習いとして大人の世界に少しだけ踏み入れることになっている。そういう世界に早く慣れておくために、わざわざロジェはここに私たちを連れてきてくれたらしい。

 ひっくり返っても私にお酒を飲ませてくれたりはしないようなので、私はおとなしくやけ酒のようにオレンジジュースをぐびぐび飲んだ。




 パンを一枚手に取り、肉汁に浸して食べる。肉の旨味がパンに染み渡って大変美味しい。私はにこにこして食べ進めていたのだが、コップを手に取って飲もうとして、気付いた。すっかり空になってしまっていたのだ。


「レノ、お代わりするか?」


 私の動作を見ていたらしいロジェが言った。ジュースをお代わりしていいのか、と私が迷いを見せると、ロジェが吹き出した。


「何遠慮してるんだ? 買ってきてやるよ、同じのでいいか?」


 どうやら酔いが回っているらしい。ロジェの顔が少し赤くなっていて、いつもより陽気そうに言った。


「もしかして、他の味のものもあるの?」


「ああ、幾つか種類があったな……うーん、じゃあ直接自分で見に行くか?」


「あの、良かったら、僕も飲みたいから、その、僕が買ってくるよ」


 ロジェが記憶を探ろうとすると、ジョルジュが言った。コップを握りしめ、決心したような、でもちょっぴり緊張しているような面持ちだ。完全に初めてのお使い状態だ。だが一人で行かれても困る。私はどんなジュースがあるのかを知りたいのだ。


「じゃあ私とジョルジュの二人で行ってくるよ、いいよね?」


「分かった。じゃあ硬貨を渡しておくけど、落とすんじゃないぞ?」


 あそこで買えるから、とロジェは丁寧に指さして教えてくれた。ジョルジュは一生懸命話を聞いているようだった。


「マルタンの分も、何か買ってきてあげるね。同じのがいい? 別のがいい?」


「僕はなんでもいいよ、何なら買わなくたって、」


「私たちだけ買うなんて、変でしょ。マルタンも、こういう時は遠慮するもんじゃないよ!」


 ロジェの真似っこをして言ってみせると、マルタンは降参したように小さく笑って肩をすくめた。


「分かった、じゃあお願いするよ。レノと同じものでいいから」


「了解!」


 ジョルジュはロジェから銅貨を三枚受け取り、私の手を引いて歩き出した。その横顔は少しだけ緊張に強張っていて、なんだか微笑ましい気持ちになった。

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