第43話 街へ行くための根回し
翌日、いつも通りに朝早くにサーラおばさんの家に向かった。扉をノックして、出てきたサーラおばさんは、何かを決意した顔をしていた。
「……レノちゃん。………今日から、うちの子たちとの仕事に戻ってくれるかい?」
「あ、は、はい!」
本当にサロメたちは早速おばさんに話を通してくれたらしい。おばさんの対応までもが迅速で、私はほっとして身体の力が抜けた。やはりあの環境は、自分が思っているよりもストレスを感じていたらしい。
「……それと、少し話があるから家の中に入ってくれるかい?」
おばさんはそう言って、扉を大きく開けた。私は招かれるまま家の中へと入った。
朝ご飯の時間だったらしく、子供たちはみんな食卓についていた。おじさんはすでに仕事に出て行った後らしい。テーブルにはパンとスープ、サラダ、フルーツが置かれていて、朝からワイワイと賑やかしい。子供が四人もいたらこうなるのかもしれない。
「レノちゃんもそこに座って、そう、そこに座って。朝ご飯は? もう食べたかい?」
「あっはい、家で食べてきました」
「それなら……サロメ、レノちゃんにミルクを注いであげて。レノちゃん、そこのルミュールを食べると良いよ。しっかり熟しててうまいったら……ルミュールは嫌いかい?」
「い、いえ! 大好きです! い、いただきます!」
大きな通る声で次から次へと話が動いていくので、私はおばさんの言葉についていくので精いっぱいだった。勧められるまま、食卓に置かれた籠からルミュールを手に取る。このルミュールは初めて見た。リンゴのような形をしているが、リンゴよりも小ぶりで、黄色い。触ると外側はつるりとしていて、硬い。
ちらりと周囲を伺うと、ヒューゴがルミュールにかじりついているのを見て、私もかじりついた。じゅわりと中から果汁があふれてくる。洋梨みたいな感じで、爽やかだけどきちんと甘くて。あふれ出た果汁が流れ出てきたので、私は慌ててテーブルの皿をひっつかんだ。服を汚すのもアレだし、かといっておばさんちを汚すのも問題だ。なるべくべたべたさせないように食べようと気を遣って素早く食べていると、あっという間に食べ終わってしまった。サロメから濡れた布を貸してもらって手を拭いていると、スープを飲み干したサーラおばさんが私の方を向いた。
「昨日、マルタンから話を聞いてね。明日になったんだろう? 前から街へ行くという話は聞いていたけど、随分と急な話だったから驚いちまったさ」
視界の端に、うまくルミュールを食べられないリアムが映った。この世界は果汁の色が濃いので、リアムの胸元はペンキを塗ったかのように黄色くべたべたになっていた。サロメが仕方なさそうに立ち上がり、リアムの着替えを取りに行っていた。
「そうそう、仕事の件については、うちの子から話は聞いてるよ。さっきも言った通りレノちゃんには元の手伝いに戻ってもらうとして、これからロジェとも話すことになってるんだ。これからどうするかはそこで話し合って決めていくさ、落ち着いたらまた詳しく聞かせるから、それまではひとまずそういうことで頼むね」
「分かりました」
「それで、話を戻すけど……ああ、メンツが足りないねえ。ジョルジュ! こっちに来るんだよ!」
着替えに行っていたらしいジョルジュがおばさんの怒声にすっ飛んで戻ってきた。ジョルジュは私の隣に座らせられ、おばさんと向かい合う。
「マルタンは最初、あの焼いた菓子を売ってお金を稼ぎに行くって言ってたんだけど、そりゃあ本気かい?」
おばさんは怪訝そうな顔で私を見た。マルタンから一通りの話を聞かされてはいるが、いまいち腑に落ちていない様子だった。
「あんな菓子が本当に金になんてなるのかい? そりゃあ子供の小遣い稼ぎにはなるかもしれないけど、マルタンもレノちゃんも、街には行ったことがないだろう? ロジェが付いて行ってくれるって話だから、大丈夫だろうっていう気持ちもあるにはあるんだけど。それでもせっかく行って、小遣いだけ稼いで帰って来たって仕方ないって思ってねぇ」
こちらに質問しているにも関わらず、おばさんは私に口をはさむ隙を作らず、マシンガンのように話を続けた。
「結局、状況が変わって、こんなに突然行くことになったのはマリアンヌの薬を買いに行くからなんだろう? マルタンは伝手があるから問題ないって言ってたけど、マルタンの伝手ってのは一体なんなんだい? マリアンヌの薬だって、そんなに安いもんじゃないだろう? あの菓子を売ったところで、なんとか薬代になったとしても、今度は帰ってくる金がないだろう!」
「あ、あの!」
ここだ! と私は挙手をして声を出した。機関銃のように続けられていたおばさんのトークが一度止められ、おばさんの視線はこちらを向いた。
「大丈夫です、マルタンも私も、色々考えてあって……えっと、まず、許可を出してくださってありがとうございました」
子供は行っちゃいけないという話だったのに、案外すんなりと受け入れてくれたことに実は驚いていた。頭の固い村の掟的なものかと思っていたら、合理的な理由付けがあればオッケーなのだというこの村の柔軟性も垣間見れたような気がする。
「ジョルジュの勉強にもなるだろうからねぇ。ジョルジュ、しっかりやってくるんだよ!」
「う、うん……えっと、行商人の日みたいに、持って行ったものを売ってこればいいんだよね?」
ジョルジュは不安そうに言った。ジョルジュにとって、今回の旅路は単なる未来の予行練習みたいなものだ。特に理由も目的もなく街へ行くので、まあそういう感じにもなるだろう。
「私もマルタンもそうするつもりだよ。一応、今日森へ入った時に、高値で売れそうな薬草をある程度摘んでくるつもりだし」
「そ、そっか……」
「ジョルジュは本当に誰に似たのか情けないねえ! もっとドーンと構えなさい!」
「は、はいっ!」
不安でおろおろしているジョルジュをおばさんが叱り飛ばした。ジョルジュの背筋がピンっと伸びて、元気よく返事が出てくる。おばさんはそれに満足したように頷き、視線を私に戻した。
「あの、それで、マルタンと私の伝手っていうのは、行商人の日に仲良くなった人がいるんです。その人が普段は街にいるらしくて、その人を頼って行こうっていう話で。その人が行きも帰りも馬車を出してくれるって言ってたんです」
「行きだけじゃなく帰りもかい!?」
おばさんがきょとんとした。どこまで話すべきか迷いながら、私は言葉を選んだ。
「母の話もしてあるので、薬屋さんの場所とか、そういうのも一通り助けてもらえるんじゃないかなって思います。それこそ、ロジェも一緒に行ってくれるので、何かあっても対応はできるかなって」
ロジェは一度街に行ったことがあるらしい。一度行っただけで街の地理が完璧になるとまでは思っていないが、それでも経験のあるなしは大きいだろう。どこで何を聞いたらいいか、どの道を歩いてはダメなのか、そういうのを知れるのはありがたい。
「行商人って……あの、村の女の人たちが大騒ぎしていた、あの人?」
サロメがおばさんのゴブレットにミルクを注ぎながら、思い出すように言った。
「レノとマルタン、あの人とどこかに移動してたよね? その時に話したの?」
「うん。色々あって、ちょっと仲良くなって。あの人がクッキーを買い取ってくれるって言ってくれたの」
「女どもが騒いでた行商人と言やぁ……そうねぇ。でもそれこそ、レノちゃんとマルタンで商談なんてまともにやれるのかい? ぼったくられておしまいって話で帰ってこないだろうねぇ?」
商人は信用ならないからね! とおばさんはフンと鼻を鳴らした。過去に何かあったのだろうか。……まあ、言っていることは分からなくもない。商人と取引をするテーブルに着くのが私たちのような子供では、些か心配なのだろう。だが大丈夫だ。このための切り札がいる。
「大丈夫です。ロジェについていてもらうので。それに、この村の薬では母の病気は治せませんでした。となれば、どちらの道、なるべく早く母のために街へ薬を買いに行かなきゃいけないんです。だったらなるべく少ない人数で早く街へ行って、お金を稼いで、母の薬を買って帰ってきたいんです」
そういえば、向こうに着いてからの計画を立ててなかったっけ。マルタンと今日中にある程度話をまとめておく必要があるだろう。宿も取らなきゃいけないし、私は物の相場をあまり知らない。そういう意味では三人に大いに活躍してもらわなけれならない場はたくさんあるのだ。
「それと、もう一つ安心してもらいたいんですが、わたし、森の薬草を売ってお金を得るつもりなので、ある程度は村に還元するつもりです」
森のものはみんなのもの、なんだよね? なるべく村の風習というか、ルールじゃないけど、常識みたいなものは守るようにしておきたい。そう思ってそういうと、おばさんは緩く頭を振った。
「レノちゃん、なんていい子なんだろうねぇ……」
「……カンゲンってなんだ?」
「さあ……」
その向こう側で、ヒューゴとサロメが顔を合わせて小首を捻っていた。
朝の収穫と下処理が終わり、私たちはみんなで空の籠を背負って森へ向かった。今日はサーラおばさんから、なるべく高く売れるものをたくさん取ってくるようにと言われているので、ヒューゴなんて大人用のおじさんの籠を借りて、たくさん中に物を入れられるように張り切っていた。
「それにしても、明日からジョルジュもレノもいなくなると思うと、寂しくなるね」
後ろを歩くサロメがぼやいた。そしてその隣の私をちらりと見た。
「でもわたし、何日もこうやってみんなと一緒にいられなかったし、きっとこの間までとそんなに変わんないよ」
大人の中に入って仕事をしていた期間は、ほとんどみんなと会えなかった。この間の行商人の日が、みんなと久々に会えた日だったのだ。私はあの頃の延長線上みたいなものだけど、でも確かにサロメたちにとって、長男であるジョルジュがいなくなるのは寂しいことなのかもしれない。この村で生活している以上、旅行だとか、そういう理由で数日間家を空ける経験なんてなかっただろうし。
「安心して、サロメ。もし本当に寂しかったら、いつでも僕がその寂しさという穴を埋めてあげるから」
私の前を歩いていたボーモンがそう言いながら歩くペースを落とし、さりげなくサロメの隣を歩き始めた。サロメは呆れたようにボーモンをちらりと見た後、顔ごとロジーヌの方へ向けた。
「二人分の人手がなくなるっていうのも、結構痛手よね」
「サロメ、一人分だよ、だってわたしの代わりにはリアムがいるでしょ?」
苦笑しながら私は顔だけ後ろに向けた。後ろを歩くリアムの頬がぽっと赤くなった。
「うーん。でも、リアムはまだまだこれから仕事を覚えていく段階だわ。一人前になったレノの代わりにはならないのよ。男手が一人でも抜けるっていうのも、痛手だしね」
サロメが肩を竦めて言った。私は苦笑を漏らして前を向く。申し訳ないが、そこは頑張ってくれとしか言いようがない。お土産は買ってくるから許してくれ……。
「でも、いーよなー。俺だって街行きてーのに。なんでジョルジュなんだよ」
「仕方ないじゃない、ジョルジュは長男なんだから」
「サロメには聞いてねえよ! 勝手に俺の疑問に答えんな!」
秒単位で喧嘩すんな。
「いーよなジョルジュは! 長男だからって街に行けるんだもんな! 子供は行っちゃいけないのに!」
ヒューゴが僻むようにそう言って、ジョルジュを睨んだ。ジョルジュは困ったように顔を俯かせた。私はため息をついて、ヒューゴの籠を掴む。
「うわ、何すんだバカレノ!」
「ほらほら、いいからいいから。ヒューゴはお土産、何がいい?」
「はっ、俺をガキ扱いするつもりか?」
「ヒューゴって食べ物以外で何貰ったらうれしいの?」
「おい、俺の話聞いてんのか?」
「食べ物は難しいかもしれないんだよね。あーでも珍しいものなら持って帰れるかも?」
「なんにもいらねえっつってんだろ!」
ヒューゴがぎゅむっと私の耳たぶを引っ張った。突然の痛みに私はびっくりして慌てて引っ張られるがまま、ヒューゴにすがりついた。
「い、痛い痛い! 痛いって! 痛い! ヒューゴ! とれちゃう!」
「バーカ! お前が俺を無視するからだ!」
「うぅ……」
私が痛がっている様子を見て満足したのか、ヒューゴはニヤッと笑って手を離してくれた。全くもう、ガキ大将なんだから。恨めし気な目でヒューゴを睨み上げた。
「じゃあもう、ほんとになんにも買ってこないよ? それでいいんだね?」
むすっとしてそう言ってやった。欲しいものがあるのなら見てきてあげようと思ってたのに。せっかくお土産買ってきてあげようと思ってたのに。そんなことするやつには、なんにもなしだ!
大人げなくそう本気で思いながら睨んでいると、ヒューゴはフッと優しく笑った。初めて見るその表情に、思わずむかむかしていた気持ちがするりとどこかへ零れ落ちた。
「お前、街に母ちゃんの薬買いに行くんだろ?」
「あ、うん、そうだけど……」
「だったら余計なとこに余計な金なんて使うんじゃねーよ。薬、安くねーことくらい俺も知ってる。それに、お前の母ちゃんが薬飲んですぐ治るならいいけど、そうじゃなかったら、もっと金がかかっちまう。だから、無駄金は使うんじゃねえよ」
「う、うん………」
戸惑いの気持ちを隠せずにヒューゴを見ていると、ヒューゴは馬鹿にしたように私を見て笑った後、くしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜてきた。やめてー! と悲鳴を上げてなんとかヒューゴの手を追い払って顔をあげると、ヒューゴはいつもの悪戯っぽい顔でニヤニヤわらって私を見ていた。
「間抜け面! 髪ボサボサじゃねーか!」
「ヒューゴがやったんでしょ!」
「ははは! 間抜け面ー!」
「もー!」
ぷりぷり怒ると、ヒューゴは笑って足早に前の方へ走って行ってしまった。追いかける気力もない私は、ひとつため息をついて髪の毛を手櫛で直す。
……ヒューゴ、気を遣ってくれたのかな。ガキ大将で悪戯ばっかりしているヒューゴだけど、やっぱり根はやさしい子なんだ。素直じゃないやつめ。私は小さく笑って、空っぽの籠を背負いなおした。




