第39話 帰りてえーっ!!
母が倒れてから、『私』の感覚でいって、一週間が経った。
今日も私は日の出前に起きて、朝ご飯を作る。といっても、昨日の残りのスープを温めて、パンをそれに浸して飲み込むだけだ。母にも同じものを食べさせて、寝ている間にかいた汗を拭ってあげる。今朝は熱が少し落ち着いているようだった。
最初のうちは高熱続きだったけど、ここ数日は下がったり上がったりするようになってきた。母が目覚めている時間が短いのには変わりないのだが、少しだけでもよくなってきているのだという実感があるのはうれしい。母を着替えさせて、また寝かせる。それが終われば、自分の身支度を手早く済ませ、サロメの家に向かう。
「あら、レノちゃんおはよう。もう行くの?」
「おはようございます、サーラおばさん。わたし、できることが少ないので、みんなよりちょっと早く始めないと、仕事が終わらないんです」
「そう……」
おばさんから今日もいつもと変わらない仕事で良いと教えてもらい、担当場所へと向かう。
せっせと水を撒いている間に、残りのメンバーもやってきた。彼女たちは相変わらずお喋りしながらのろのろと草むしりをしていた。私はそれをなるべく気にしないようにして、水を撒いて、それが終わったら野菜たちの様子を見る。もう数日で、ここらの野菜も採れる頃合いだろう。もう少しすれば、このルミュールももっと赤く熟す。冷やしてスライスしてもいいし、パスタやスープにだって使える美味しい万能食材だ。
実のところ、担当区域自体は広い。そのため、日替わりで作業場所を変えているのだ。初日に作業した場所に戻ってくるには、五日ほどの周期となる。
となれば、頑張って整えた場所も雑草が生えてくるし、害虫だってよってくる。私はため息をつきながら、あの人たちが取り切らなかった雑草を根っこから引っこ抜くため、スコップのような木のへらで土をほじくった。……先生に話して、殺虫剤のレシピとか考えてもらおうかな。人体にも影響ないものとなると結構難しいかもだけど。
お昼になれば、家に戻って母の看病をして、昼食を食べ、井戸に回って洗濯物をやる。本当は仮眠をとりたいのだが、目覚まし時計もない世界で居眠りなんてしてしまえば、何時に起きることになるか分からない。
洗濯板の上で、ひどい匂いのする石鹸を使って服を洗って、それを干しているうちに、そろそろ仕事に戻る時間になってしまった。昨日干しておいた分を畳む時間がないまま、私はすぐに作業場へと走った。
「やっぱり子供ねぇ。雑草を駆除する程度のことは出来るけど、畑のひとつも耕せないなんて。大した仕事もできないのに取り分だけはきっちり取っていくなんて、図々しいにも程があるわ。みんなもそう思うでしょう?」
「ええ、その通りよ。もうずいぶん日が経つけど、あの女、未だに病気も治らないって言ってるんでしょう? それがもし本当なら、きっと今頃二度と起き上がれない状態になってる頃だわ」
「そうに違いないわ。それでもまだ眠ってるって言うんだもの。いいわよね、寝て起きて、食事をして、また寝るなんて。まるで貴族のような生活だわ」
「勘違いしてるのよ、自分は貴族なんだって。あまりに眠りすぎてるから、夢と現実が分からなくなってしまってるのね」
鍬を振り下ろしても、なかなか畑を耕すことができない。畑を耕せなければ、次のシーズン用の種を植えることができない。なかなかうまく仕事がこなせないでいると、女性四人組がひそひそ、くすくすと悪口を言ってきた。喋ってる暇があるなら、せめてこれだけでも手伝ってくれればいいのに。ちらりとそちらを見ると、私の視線に気付いたのか、四人ともがこちらを睨んできた。
「なぁに、あの目」
「何が気に入らないのかしら」
「私たちが面倒みてあげてるっていうのに」
「せっかく気にかけてやってるのに」
面倒くさい、面倒くさい。ぽたぽたと汗が流れ、首筋を流れた。鬱陶しくてたまらない。ぎゅっと鍬を握ると、手の平にできた豆が潰れて、血がにじんだ。
「可哀想で、哀れな子ね」
「仕方ないわ、あんなところに生まれたんだもの」
「そう言われれば、顔立ちや生意気なところが似ているわよね」
「本当、その通りね」
私は奥歯を食いしばって、一生懸命作業だけに集中した。
日が暮れた。へとへとになって帰って、ご飯を作る。またスープとパンだ。これ以上何かをする元気はない。
母に食べさせて、自分も手早く飲み込んで、沸かしたお湯で母の身体を清める。自分の身体も出来る範囲でさっと清めて、取り込んだ洗濯物を畳んだ。身体はガタガタだし、手は豆だらけ。不慣れな仕事に、そろそろ身体が限界を訴えていた。
でも、頑張ったおかげで、きちんと配分はもらえている。あの人たちが相変わらずカツアゲのようなことをしようとしてくるが、なんとか躱し続けている。だから食料不足で飢え死にすることもないし、きちんと働いているからああやって悪口は言われていても、追い出されるようなことにはならないだろう。
作業を終えた後、配分を渡してくれる男の人たちがやけに優しいのも気持ちが悪かった。やたらと母の容態を気にするのだ。もちろん、ロジェが遮って助けてくれるので、そんな長話になるわけでもないが。
だが、それを見て、また女の人たちは私たちへの負の感情を大きくしているのだと思うと、それも憂鬱だった。
畳んだ洗濯物を片付けながら、ぼんやりと考えた。
さっさと街でビジネスを組み立てていれば。
引っ越し先のアテがあれば。
あの時、父の申し出を受けていれば。
……言い出したら、きりがない。私は縋るように、ヌーロの種が入った棚を見つめた。
「……レノ?」
布団に入ると、隣から声がした。母が目を覚ましたらしい。私は一度寝かせた身体を起こし、母の様子を見た。
「熱、まだ下がってないよ。寝てた方がいいよ」
「………ごめんね、レノ。迷惑、たくさんかけて……」
「早く治すことが母さんの仕事だから、それ以外は私に任せてって言ったでしょ。大丈夫だから」
弱々しい母の声を聴いていると、こっちまで不安になってきてしまう。母はいつも前を向いていて、私の手を引いてくれる、大きな存在なのだ。また、あの姿に戻ってもらわないと困る。でなければ、本当にひとりぼっちになってしまう。父は今頃どこで何をしているかなんて分からない。もう家族は母だけみたいなものなのだ。こんな、わけのわからない世界でひとりぼっちになるなんて、耐えられない。
「きっと、もう少しで母さん、治るから……」
「うん」
毎日大変だけど、この大変さは全部、母がこなしてきたことなのだ。母が弱っている時くらい、それを私が背負えるようになりたい。……でも同時に、貧乏って嫌だなと心底思った。嫌だと思ってもどうすることもできない。事実貧乏だし、農作業しなければ飢え死にするし、ここを追い出されてほぼ寝たきりの母を連れてあてもなく歩けば、そのうち獣か、あるいは悪い人に殺されるだろう。ひとまずはここにしがみつかなくては。
眠りに落ちる直前、私はこう思っていた。
……どこにとは言わない。
けど、とにかく。
帰りたーーーーーい!!
それから三日ほど経った今日は、行商人の日だった。さすがに食べ物や必需品が無いと困るので、サーラおばさんが、今日は私の作業を免除してくれるということだった。家に残っているのはほとんど前日にもらった野菜だけになってきていたので、本当に助かる。自分で森に何かを採りに行けないというのは、案外不便なものなのだとここ数日で強く実感していた。
「レノ! 久しぶりね!」
籠を背負ってサロメの家の前で待っていると、準備が終わったらしいサロメたちが家から出てきた。私の姿を見て、サロメが嬉しそうな声をあげる。リアムも私に駆け寄ってきてくれた。
「……レノ、だいじょうぶ?」
リアムは心配そうに私の顔を覗き込んできた。私はそれから逃れるように顔を逸らし、みんなが出発できる状態かを確認した。
「みんな、揃ったよね? じゃあ行こっか」
道中、会話は弾まなかった。私はなるべく早く広場に行きたかったので、速足で先頭を歩き続けていた。そのせいかもしれない。でも、仕方ないのだ。早く帰って母の面倒を見なきゃいけないし、家事もしたいし、それが終わったなら少しでも眠って身体を休めておきたいのだ。雑談している精神的余裕はない。
今日はガスパルが来る日でもあるはずだ。広場で過ごす時間は否応なしにそこそこ長くなってしまうだろう。ついでに、街のことも聞きたい。商談ついでに街に引っ越せないか、引っ越したらどんな感じになるのか、少し探りを入れてみたかった。
広場に着いた後は、手早く必要なものを交換した。一通りのことが終わった後は、私は隅の方に座って休憩した。マルタンを待たなければならないからだ。
ちらりと視線を上げれば、まだ肉売り場辺りでうろうろしているマルタンが見えた。もう少しかかるだろう。
私は籠に少しもたれかかりながら、先ほど買ったものから干し肉を一つ取り出して、ちびちびとかじった。久々の肉は大変美味しい。これから商談なので、少しでも体力をつけておきたい。……というのは言い訳で、単に我慢ができなかっただけだけど。
……ほんとは体力回復に、赤い実でも食べておいた方がよかったかも。でもアレを食べると、変に身体が元気になってしまって気持ち悪いのだ。
一度だけ、作業でへとへとになった時に食べたのだが、その夜はなかなか寝付けなくて、翌日、逆に地獄を見ることになったことがある。あれ以来食べていない。もしかすると、あの赤い実は朝一番に食べるものなのかもしれない。
なんにせよ、この村の人たちが感じる効能と私が感じる効能が違い過ぎるので、そうなってくると母や先生の言葉が真実味を帯びてくるのだ。つまり、私の身体にとってもあまり良いものではない、ということになる。となると、あまり食べる気にならなくなるのも仕方あるまい。
「悪い、待たせたな」
人の流れから抜け出してきたマルタンが、小走りでこちらにやってきて、私の前に立った。私は残っていた肉を口の中に放り込んで、もぐもぐと噛み締めた。
「大丈夫。行こっか」
「……レノ、本当に大丈夫か? 顔色が悪いぞ、日を改めなくて平気か?」
歩き出そうとした私の肩に手を置いて、マルタンが心配そうに言った。私はそれを振り払い、平気だから、と言ってガスパルのところへと速足で向かった。
今日やらなきゃいけないことは、たくさんある。心配してくれるのは有難いけど、心配してくれたからといって私の仕事が減るわけではない。やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないんだから。そんなことを思ってすたすた歩く私の後ろを、マルタンは何かを考え込んでいる顔をして歩いていた。
ここから話が前に向くので、もう少しだけモヤモヤにお付き合いくださいませ。
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