第38話 仕事、行きたくねえーっ!
『私』だった頃、母方の実家が田舎だった。『私』が幼い頃には、畑や田んぼを手伝ったこともある。そのおかげか、私になった今でも、土いじり自体には大きな抵抗感はなかった。
だからきっと、そのノウハウを活かせるだろうと思っていた。だが、その考えが砂糖菓子のように甘いものだと気付かされるのは、結構早かった。
母の代わりの仕事は、任されている農地の管理だった。五人で一チームが結成されているらしく、私は母と同じチームだというおばさん……お姉さんたちと一緒に作業地へと向かった。そんなに遠い場所ではないのでそれは助かった。
サーラおばさんは私たちのチームに向かって、レノが母の代わりに仕事をすること、やれることに限りがあるだろうからやれることをやってもらうようにすること、と話してくれた。
四人の女性は真面目そうな顔で頷いて、にこやかに私を作業地へと導いてくれた。だから、母はこの人たちと信頼関係を築けていたんだと思ったし、きっとこれからの作業も頑張れるものだと思っていた。だが、これもまた、やっぱり私の考えはとても甘いものだった。
「とりあえず、水を撒いてくれる?」
「水、ですか?」
「ええ。朝一番にやる仕事よ」
作業地に着いたと同時に、女性たちの雰囲気が変わった。その中でもリーダー格なのだろう、気が強そうな女性が冷たくそう言った。私はその豹変に動揺しながらも、言われた通りにやろうと動いた。
「どうやって水を撒けばいいんですか?」
「はあ? 桶に水を汲んで、その柄杓で撒くのよ。そんなことも分かんないの?」
「……す、すみません」
井戸はあまり近いところには無い。そして私の腕力もそんなに無い。と言っていても仕方ない。私は取っ手の付いた桶というか、木製バケツのような容器に持てるだけの重さに水を汲んで、せっせと運んだ。
作業地に戻ってくると、女性たちは作業地の隅の方で談笑をしていた。その一人が私が戻ってきたことに気付いたらしく、険しい表情でこっちにやってくる。
「そんな量だけ汲んできて、一体どうするつもり? 水を撒いてるだけで陽が暮れちゃうわ」
「………すみません。でも、これ以上は持てなくて……」
「言い訳はいいのよ! さっさと撒きなさいよ! 次の仕事ができないでしょ!」
……ホースとかないかなー。スプリンクラーとか。全部手作業なの、大変だね。うんうん。私は引きつりそうになる顔を必死に抑えつけて、水を撒いた。電気ってやっぱ偉大だし、大事だよな。あれがないと超超超不便だよね。こんな感じなのに、毎日農作業する人たち、すげーよな。うんうん。うん。
広い作業地に水を撒き終えるにはかなりの時間がかかった。四人の女性たちは水撒きを手伝おうともせず、お喋りをしながら雑草を引っこ抜いていた。分担作業、大事だよね。うん。うん。わかる。私はせっせと午前中のほとんどを水撒きで費やした。すでに手と足がパンパンだ。
ひいひい言いながら水撒きを終えて作業地に戻ってくると、次は野菜の様子を見るように言われた。近すぎる苗は離してあげたり、いらない葉っぱを採ったり、害虫を駆除する仕事だ。四人の女性たちはいまだにお喋りしながら草を引っこ抜いている。
「そろそろお昼休憩ね。太陽が少し傾き始めたら、作業開始よ。分かった?」
「え? それってどれくらいの角度の話ですか?」
「人の話、聞いてた? 少し傾いたら、って言ったでしょ! いいわね!」
私の疑問に答えることなく、女性たちは疲れたねーと言い合いながらその場を去って行った。……い、いやいや、せ、せめて、一時間とか、言ってくれれば……い、いや。時間の感覚はないんだった。それにしたって、じゃあせめて、陰の長さがこれくらいになったら、とか。あるでしょ。なんだその、完全に個人の感覚による集合時間の設定は。
杜撰な時間管理にげんなりしながら、私は一度家に帰った。昼食を作って、母に食べさせて、マルタンが作り置きしておいてくれた薬を飲ませる。
手早く自分も食べて、後片付けをして。しかし、気は休まらない。一体どれくらいの太陽の傾き加減の話をしているのかさっぱり分からないのだ。玄関から外を眺めても、まだ作業している人もいれば、休憩に入っている人もいる。会社のように一斉に休憩をとってくれれば分かりやすいのに!
あの人たちより遅く行ったら、何を言われるか分かったもんじゃない。私は疲れた体を引きずって、担当場所まで戻ってきた。一応昼前に任された通り、野菜たちの様子を見てあげる。やっとそれが終わるという頃、女性たちはのんびりとした様子で戻ってきた。
「あの、野菜の様子見るの、終わりました」
「そう? じゃあ次はあちら側の草を抜いておいて頂戴。あっちは収穫が終わっているところだから、一通り全部取っちゃわなきゃいけないの」
「全部抜けばいいんですか?」
「ええ。私たちはこちらの雑草を抜く仕事が残ってるから、そっちは全部任せるわ」
「え、」
「次の季節のために新しい種を植えなきゃいけないの。だから早く取っちゃってね」
「わたしだけで、ですか?」
「あなた以外に誰がいるのよ」
「えっと……」
「じゃ、よろしく」
リーダー格な女性はそれだけ言って、草むしりに戻っていった。……あの人たちがやってる場所、あの面積ならヒューゴやジョルジュでも、私たちが野菜の下処理してる間に終わる仕事だよね? それをあの人たち、一日かけてやってるってこと?
私は頭を抱えたくなった。相手が私だからいびっているというよりかは、相手が私『たち』だからいびっているというのを感じる。となれば母も、こんな扱いを受けていたということだろうか。だから毎日ひどく疲れているように見えたし、あんなにもすぐに手がボロボロになったり、マッサージを必要としてたのだろうか。
……今後はあの女たちの対策を考えなければならなさそうだが、今はとりあえず、任された仕事をやるしかない。早速力不足だとサーラおばさんに告げ口されても困る。やると言ったからには、責任をもってやり遂げたい。私は指示された隣の作業地へと向かった。気持ちを切り替え、シーズンが終わって枯れ始めているものを一生懸命抜いていった。
雑草は集めて酪農家へと渡されるらしい。枯草にして、牛さんたちのご飯になるのだろう。リーダー格の女性に指示された通りに草を集めて籠に入れると、女性たちはそれを一人一人背負って、サーラおばさんの家へと向かって歩き始めた。日が暮れ始めているため、今日の作業は終わりらしい。
おばさんの家に到着すると、リーダー格の女性がおばさんに今日の報告を行っていた。それと一緒に、訪れていたロジェを始めとする酪農家、というか若い男性たちに集めた雑草を手渡している。男性たちは四人にありがとう、と微笑みかけてそれを受け取っていた。……私に荷物を持たせないあたり、何か理由がありそうだと思っていたのだが、そういうことらしい。
「レノちゃんの働きぶりはどうだったかい?」
サーラおばさんがリーダー格の女性に尋ねた。何て答えるのだろうとどきどきしていると、女性は優しそうににこりと笑って、こちらを見た。
「まだまだ子供ね。大した仕事は全然任せられないわ。でも、頑張ろうっていう気持ちはすごく伝わってくるの。だから、サーラさん。安心して私たちに任せてください。これからゆっくり仕事を覚えていってもらおうと思ってるわ」
今日の仕事の半分以上は私がやったようなもんだろ。喉まで言葉が出かかったが、私はそれをごくりと飲み込んで、にこりと笑った。母も同じようなことをされてきたに違いない。そしてそのたび、こうやって色々な思いを飲み込んできたのだろう。
どうしてかって? この村で円満に生活していくためにだ。
どうしてこの村にしがみつくのかって? ……それはきっと、私のためだ。
私がこの村で落ち着いた生活を手に入れられるように、安全な生活を手にいれられるように。母はいろんなことを我慢してきたのだろう。それを今ここで、ぶち壊してしまうわけにはいかない。
「今日は疲れただろう、レノちゃん」
サーラおばさんがにっこり笑って、私に今日の分の配布物を渡してくれた。良かった、食べ物の量は減らされてない。私は安堵の気持ちでそれを受け取った。
荷物を持って、家路へと歩き出す。早く帰ってご飯食べて寝たい。これが明日も続くと思うと、少し憂鬱な気分になった。母の面倒も見なきゃいけないし、家事だってある。虚ろな気持ちでとぼとぼ歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「ねぇ、あなた。あなたよ」
振り返ると、リーダー格の女性と、その取り巻きの三人が立っていた。私を追いかけてきたのだろうか。
「何かありましたか?」
「何かって……変な子ねぇ。今日の分配は終わったでしょう? だったら、私に言うことがあるんじゃないかしら」
「……お疲れさまでした?」
「違うわよ!」
違ったらしい。全く意味が分からないという顔をする私を見て、女性はあからさかにため息をついた。そして私が持っている食料を指さした。
「こういうのは、働きに応じて分配されるのよね?」
「そうですね」
「だったら、それ。私たちに分配しないといけないでしょう?」
「どういう意味ですか?」
物分かりの悪い子ね、と女性はため息をついた。取り巻きの人たちも、あの女の娘だからしょうがないわよ、といったことを小さく言って、クスクス笑っている。
「私たちに面倒をかけたのよ、あなたたち母娘は。今日だってあなたの面倒を見たのも、その面倒ごとを引き受けてあげたのも私たち。だったら私たちにお礼をしなきゃいけないでしょう? 全く、ここまで言われないと分からないなんて、本当に世間知らずなのね、あなたたち母娘は。本当に迷惑よ」
早くなさい、と女性が私に手を出した。渡せ、ということらしい。私は少し考えた後、配分された食料の中から、ジャガイモのような小さなころっとした芋を、四個手渡した。芋はこれでなくなってしまった。
「何よ、これ」
「お礼の気持ちです」
「あなた、馬鹿にしてるの?」
女性が苛立ったように言った。私はそれを冷えた目で見た。
「私が貰った今日の配分の中で、渡せるのはそれだけです。ここ二日間、母の代わりを出せなかったので、そのお礼の気持ちで渡しています。私の家は女性と子供の二人暮らしなので、そもそも配分がとても少ないです。だから、これ以上渡すと、うちが生活できなくなってしまうので、これが精一杯の気持ちです」
ありがとうございます、と私は頭を下げた。今日のことはさておき、この二日間は母の穴埋めが出来ていない。となれば、チームに迷惑をかけたのも事実だろう。その分は謝罪と感謝をすべきだ。私はそう思った。
だが女性は納得いかなかったらしい。どうやら私の今日の配分を全部手渡せ、と言っているようだった。
「あなたたち、食事までサーラさんにさせてるらしいじゃない。良いご身分よねぇ、病気が長引いているとか言って毎日家で寝て。それで食事は誰かに作ってもらって? 以前どんな生活をしていたかは知らないけど、ちょっと勘違いが酷すぎるんじゃなくて?」
「……母は臥せっています。仕事や食事の準備どころか、身体を起こすのも大変なんです」
「あら? 治す気は無いって聞いたわ。そうやって見せかけて、毎日サボっているんでしょう? ふふ、そう思うとあなたも哀れね。あなたの母親がそんな人だから、あなたも迷惑してるのよね。これからは私たちの言うことを素直に聞くのなら、あなたも悪いようにはしないわよ?」
思わず吹き出しそうになった。テンプレの悪役みたいなことを言うな。私はまじめな顔つきで、言葉を返した。
「母は療養中です。その穴埋めに、私は一生懸命仕事します。……すみません、家で母が待っているので。失礼します」
ぺこりと頭を下げて、その場から立ち去った。呼び止める声はなかったが、いつまでも剣呑な視線が背中に突き刺さっているような感覚はあった。
……これから、どうするか。身体も頭も疲れきっていた。あの人たちになびいても意味がないのはわかるが、立ち向かったところで波風を立てるだけだというのも分かっている。どうやったら快適な毎日を送れるのだろうか。やはり、こういう面倒くさいしがらみは全部捨てて、街に出るのを目標とした方が良いのかもしれない。
……でも、もし、街にも面倒くさいしがらみがあったら? 街から逃げて、次はどこへ行ったらいいんだろう。自分の居場所を守るためには、何かと向き合わなくてはならないのかもしれない。でも、わたし一人にできることなんて、本当に限られたことだけだ。
それこそ、考えることとか、そういうの全部投げ捨てて。父のもとで暮らしてもいいかもしれない。そんな投げやりな気持ちに成る程、私は疲れて切っていた。
もしそうするにしても、次に父が来るのがいつになるかも分からない。次に父が来た時、父の方が心変わりしているかもしれない。そう思うと、胸の中が詰まるような気持ちになった。
あーあ。明日の仕事、嫌だなぁ。




