第37話 ここで働きたいんです!
次の日の朝も、母の容態はあまり変わらなかった。熱が下がっている時もあるようだが、母はほとんどの時間、目を覚まさない。まるで呪いをかけられた姫のように、ずっと眠っているのだ。
起こせば一応は起きるのだが、食事を終えたり、着替えたりすると、またすぐに眠りに入ってしまう。それでも、緩慢な動きながらも自発的に動いてくれるのは、介護する側としても助かると言えば助かった。母が完全に寝たきりになってしまえば、私だけでは腕力的に無理が出てきてしまうだろう。
朝食の支度をしていると、ロジェとマルタンがやってきた。
「おはよう、レノ。……マリアンヌさんは、良くなってないみたいだな」
母の姿が見えないことで、ロジェはすぐに顔を曇らせた。私はにこりと強気に微笑む。
「一日二日ではよくならないんだよ、きっと。もう少し眠っていれば、きっとよくなるよ」
そう信じたい。母や先生の言いつけを守らずに訳の分からないことになるのは怖いが、一体いつまで母の回復を待たなければならないのか分からないのも不安が続く。
それに、とロジェをちらりと見た。その顔には、昨日の別れ際に見せた厳しい表情が浮かんでいる。恐らくは、この村のみんなが、今の母の状況を聞けばロジェと同じような顔をするだろうことは、容易に想像がついた。いつまでこうやって、意見が対立する村の人を抑えていられるかもわからない。
「……レノは本当に、これでいいのか?」
ロジェが言った。頷きながら、マルタンが籠を背負っていることに気付いた。どうやらロジェに命じられて、赤い実をごっそりと採ってきてくれたらしい。きっと私が少しでも悩んでいたり、意見を翻したらすぐにそれを母に与えられるよう、準備してきてくれたのだろう。ロジェはじれったそうに私をじっと見たが、やがて私の意見が変わらないことを察して、ひとつため息をついた。
「気が変わったらすぐに教えてくれ。僕にできることなら、なんでもするから」
「ありがとう、ロジェ。その気持ちは受け取っておくよ」
「………後悔のないようにな」
そう言って、ロジェはすぐに家を出て行った。
その後、マルタンは薬を作ってくれた。母にそれを飲ませた後、マルタンはここに残って家のことを少しの間手伝ってくれた。マルタンが母に食事を食べさせてくれている間、私は裏に回って洗濯をして、天気の良い外に洗濯物を干した。洗濯が終わって家に戻ってくると、マルタンは食器を片付けてくれていた。
「ありがとう、マルタン。すごく助かるよ」
「これくらい、別にいいって。……それより、本当にマリアンヌさんがあの実をいらないって言ってるんだな」
「どうしてそれを……あ、母さんと話したの?」
「ああ……どうして必要ないのかは教えてくれなかったけど、このままでいいって。そのうち良くなるから、寝かせておいてほしいって」
先生やレノが言っていた通りだった、とマルタンは複雑そうな顔をした。どうやらマルタンとしては、やはり身近な人を亡くした一件のこともあり、基本的には赤い実を食べてさっさと回復してほしいというロジェの考えと同じ意見らしい。ただ、信頼する先生があの赤い実はいらないと言い、さらに本人まで食べさせないでくれと言ったのだ。それを無視することはできないのだろう。
「……僕もそろそろ戻るね。今日の手伝い、そろそろ始めないと今日中に終わらなくなるから」
パタン、とドアが閉まり、マルタンも出て行った。
私はコップに水を汲んで、ごくりと飲んだ。ぬるい水が胃を滑り落ちていく。……マルタンが理解を示してくれて、本当に良かった。でもきっと、この村の人はロジェのような意見が大半を占めるだろう。さすがに何日も、この状態を続けてはいられないかもしれない。最近はやっと少しだけ村に馴染んできたと思っていたのだが、それでもまだまだ村の人たちにとって、私たちはよそ者だ。私たちを快く思っていない人たちは、いる。
ぐっすりと眠り続ける母の姿を眺めながら、私はある決心をした。
夕方になって、様子を見に来てくれたマルタンに留守番をお願いして、私はお昼にもらった差し入れに使われていた、空になった食器をもってサロメの家に向かった。
ノックをすると、すぐに扉が開いた。迎えてくれたのはヒューゴで、ヒューゴは驚いたように私を見た。
「なんだ? 母ちゃん、よくなったのか?」
「ううん、それはまだ」
「だったら食器なんてわざわざ持ってこなくていーだろ。今日の夜も、うちの母ちゃんがそっちに差し入れしに行ってこいって、俺とサロメに命令してたんだぜ」
ヒューゴは馬鹿だな、といつものように私を笑いながら、私から食器を受け取って台所へと向かった。家の中は美味しそうな匂いがした。サーラおばさんが夕食の支度をしているらしい。
ヒューゴについて行こうとすると、ヒューゴは怪訝そうな顔で私を見た。
「食器は俺が母ちゃんに渡しとくから。他になんか、用か?」
「……うん。おばさんに話があって」
「母ちゃんに?」
更に怪訝そうな顔をされたが、私は頷くだけだった。ヒューゴはふーん、と気になっているような顔をしながら、それ以上は追及してこなかった。このまま一緒に台所に向かって、話を側で聞くつもりなのかもしれない。
「それよりさ、お前んち、結構言われてるぜ」
「言われてる?」
「お前の母ちゃん、赤い実を食べないんだろ? ロジェの野郎が頭を抱えてたぜ。そんで今、村の噂になってる。お前の母ちゃんが、病気を治すつもりがないって。仕事サボりたいからそうしてるって言ってるやつらまで出てきてたぜ」
「ヒューゴ!!」
スパン! とヒューゴの頭が叩かれた。いってえ! と喚くヒューゴの隣には、サロメが立っていた。このバカヒューゴ! とヒューゴの耳を掴みつつ、サロメはちらりと私を心配した様子で見てきた。
「……噂になってるんだ」
確かにショックだったが、それでも『やっぱり』という思いが強かった。
他に特に娯楽のない閉鎖的な村では、噂話が駆け巡るのは非常に早い。母が倒れたという話が次の日の朝には全員に知れ渡っているというのも別におかしくはないとは思っていたのだが、それを心配するのではなく、そういったマイナスの噂が立ち始めているというのを知るのは、結構しんどかった。かといって、その噂に反論するだけの材料が、私にはない。言い返しもできないのだ。
「ほら! バカヒューゴ! レノ、落ち込じゃったじゃない! 秘密になさいって言ったでしょう!」
「しょーがねーだろ! 俺たちが黙ってたって、そのうちレノだってどっかで聞いちまうって! 隠したって意味ねーじゃん!」
「タイミングってものがあるでしょう!」
「そんなもん知らねーよ! い、いででで!」
「あんたたち! 何を騒いでいるんだい! ……って、レノちゃんじゃない。どうしたの? ああ、晩飯取りにきたのかい? もう少しだけ待っておいてねぇ、わざわざ来なくたって暇してるヒューゴに持って行かさせたのに」
サーラおばさんの怒号が轟き、驚いた私はひゅっと身を竦めた。だがすぐにおばさんは私がいることに気付き、余所行きの声色になった。この迫力でいつもヒューゴ達が叱られてると思うと、ヒューゴがおばさんだけには頭が上がらないというのもなんとなく納得だった。
「母ちゃんに話があんだって」
ヒューゴは私から受け取った食器をおばさんに手渡した。
「あらあら。なんだい? 話って。そりゃあ長くなるかい?」
おばさんはちらりと台所の鍋を心配そうに見やった。長くなるなら火を消してこようかな、と悩んでいるのだとピンときて、私は大丈夫です、と首を横に振る。これ以上長居して、みんなに迷惑はかけたくない。手早く済ませてしまおう。
すう、と息を吸い込む。そして、おばさんを見つめた。
「母さんが毎日やってきた仕事、代わりに私にやらせてくれませんか?」
「……なんだって?」
「おばさんも噂は聞いてますよね?」
「………聞きたくなくたって、まぁ、耳には入ってくるもんだからねぇ」
怪訝そうな顔をしていたおばさんは、すぐに曖昧な表情を浮かべた。やはりおばさんの耳にも入ってきているらしい。だったら話が早い、と私は続けた。
「実のところ、噂通りなんです。母はあの実を食べずに療養する道を選びました。だから、すぐに回復して、仕事に復帰はできません」
だからその代わりに私を働かせてくれ、と話すと、おばさんは呆れたように首を振った。
「レノちゃん、あのねぇ。レノちゃんみたいな子供に何ができるんだい?」
「……背の高さが必要だったり、腕力の強さだったり、そういう面では出来ることは限られてくるかもしれないです。でも、わたしにできることはなんでもやります。母さんが作ってしまった作業の穴を埋めたいんです」
じっとおばさんの顔を見つめ続けると、やがておばさんはため息をついた。手をひらひらさせて、この子は何言ってんだか、と呟く。
「じゃ、レノちゃんがもともと任されてた分はどうなるんだい」
「……っ」
おばさんの問いに、思わず言葉が詰まった。おばさんが言った通り、私が母の分の穴埋めに走れば、私の分の穴が開く。当然だ、人手が一人欠けているんだから。
私が次の言葉を返せずにいると、おばさんは呆れた顔で台所に戻ろうと私に背中を向けた。……ダメだ、このままじゃダメだ。働かざるもの食うべからず。母がいつ回復するかの見込みもない中、長いことこんな毎日が送れるわけじゃない。甘えるだけじゃダメだ。
「リアムがいます!」
咄嗟に口から出たのは、リアムの名前だった。私はサロメの方を振り返った。サロメの足元で、ぽかんとしているリアム。私はリアムの肩を掴んだ。
「リアム。私の代わりに、毎日サロメたちと一緒に働ける?」
「………む、む、むむむむりだよ!」
私の言葉に、だんだん何を聞かれているのかを理解していったリアムは、ものすごい勢いで無理だと言った。
「ぼくにはむりだよ!」
「リアムならできるよ!」
「むりだもん!」
……埒が明かない。私はリアムの無理だよ、の言葉にかぶさるように、声を出した。
「できるよ!」
少し大きめに出した私の声に、リアムはびくりと身体を震わせた。私に大声を出されるのは初めてだからだろう、少し怯えたように私を見上げてきている。私はそれを見て、なるべく優しく見えるように微笑んだ。
「この一年、わたしはずっとサロメについて色々なことを学んできた。だから、リアムのこともずっと見てきたよ。でも、リアムにできないことなんて何もなかったんだよ」
「そんなこと……」
「リアムはそう思ってるかもしれないけど、リアムはわたしよりずっと長いことサロメのそばでサロメがやってることを見てきたんだから、きっとわたしよりも要領よく色んなことが出来るようになると思うよ。……いつかは独り立ちしなきゃいけない時がくるんだから。きっとそれが、今なんだよ」
若干私に都合の良いように言ってはいるが、ここでリアムに無理を連呼をされ続けても困る。リアムももう四歳なのだ。といっても誕生季は秋なので三歳だが、春が生まれた季節だとこの間聞いたので、実質四歳扱いでいいだろう。となれば、そろそろお手伝いを始めても大丈夫なはずだ。
そもそも私が去年一年間やってみてできないこともなかったので、サロメにくっついて色々教わりながらやれば、無理なことなんてないはずだ。
「……レノ………」
リアムは困ったように私を見た。もう一押しだ。私はサロメを見た。どうなることやら、とハラハラした様子で私たちを見ていたサロメとばちりと目が合う。
「サロメもそう思うよね? リアムなら、そろそろ色んなことできる時期だって」
「……そうね。わたしも考えていたの。次の誕生季を超えたら、リアムにもいろいろ挑戦してもらおうかなって」
サロメがそう言うと、リアムはしょんぼりと俯いた。やらなくていいよ、今のままでいいよ、と誰かに言ってもらえないかと期待していたらしい。残念ながら、それこそ働かざるもの食うべからずなのだ。
「…………ぼく、できるかな」
「うん、できるよ。分からないことはサロメに聞けばいいし、ゆっくり勉強していこうよ」
ね、とリアムに言うと、リアムはのろのろと頷いた。もう逃げられないのだと分かったようで、諦めたように肩を落とした。
私はおばさんを振り返った。これで穴埋めは大丈夫です、と言わんばかりの顔でじっと見つめると、おばさんはリアムとそっくりな顔で諦めたように肩を落とした。
「レノちゃんの覚悟は分かったよ。じゃあ明日からでいいかい?」
「もちろんです!」
ありがとうございます! と頭を下げると、おばさんは呆れたようにため息をついた。だが、次のヒューゴの一言で、このまとまりかけていた空気に水が差される。
「……レノみたいなガキが、大人の穴埋めなんてできるわけねーだろ」
レノの穴埋めを、リアムシができるとも思えねー。ヒューゴはバカバカしい、といった顔でぎろりと私たちを睨んだ。
「だったら、どうしたらいいの」
私が眉をひそめて尋ねると、ヒューゴはへらりと笑った。
「穴なんて、あけときゃいーじゃねーか。一年前まではそれでどうにかなってたんだろ? それに戻るだけだろ」
「そ、そんなわけにはいかないよ。母さんが来てからは、母さんが頭数に入った状態で仕事が回ってたんだから。抜くのも増やすのも、それ相応の調整が必要でしょ」
「バカレノのくせに、それっぽいこと言ってんじゃねーよ! レノは俺たちとおんなじ仕事してりゃいーだろーが!」
「馬鹿ヒューゴ! だったらあんたがこっちの仕事をやるかい?」
「か、母ちゃん……」
「大人の仲間入りしたがってただろう! 今ならやらせてあげられるよ!」
ヒューゴがぐちぐちと言い出していたのだが、おばさんの一喝でそれも終わった。いつものことなのだろう、おばさんの喝にびっくりしているのは私だけで、あのリアムでさえ平然とした顔でそのやりとりを見ていた。
ヒューゴが拗ねてどこかへ行ってしまった後、私はおばさんに頭を下げた。
「明日からよろしくお願いします!」
「………こっちこそ、よろしくね」
おばさんはとても小さな声で、不憫な子だね、と呟いた。
後半戦、本格スタートです。




