第34話 四歳になりました
春の終わりから雨季に入り、曇りがちな日が続いた。どんよりした空気にうんざりしていたが、それ以上に恐ろしいのは、水を得たメドルだった。道を歩いていると誰彼構わず攻撃してくるのだ。雨季は基本的に鍋蓋を持って歩かなくてはならないという知見を得て、怯えながら日々を送っているうちに。
また、夏がやってきた。
地面をくっきりと太陽が照らす。日差しは強いが、吹く風は涼しくて心地よい。カラッとした暑さは、木陰に入れば暑さをしのげるようなものだった。
今や夏ルミュールやコンブルもたくさん採れる季節。冬と比べるとぐっと日は長くなり、一日は日に日に長く感じられるようになった。
私がこの家の外に出て、母と一緒に農作業の手伝い仕事を始めて丸っと一年が経つ。ということは、つまり。
「母さん、母さん」
着替えて身支度を終え、朝食をとるためにテーブルに着くなり、私はウキウキとした気持ちで話しかけた。普段、朝は眠たくて機嫌が悪いことが多い私が、朝からこんなにもにこにこ顔でいることに驚いたのだろう。母は大きな瞳をぱちぱちとまばたきさせた。
「レノ、今日は何か楽しみなことでもあるの?」
「母さん、わたし、そろそろ四歳になるんじゃない?」
「………あっ、そうよ、そうじゃない! そうね、レノ、四歳になるのね!」
一瞬だけきょんとした顔を見せた母だったが、すぐに満面の笑みに変わった。娘の誕生日を忘れるな、とも一瞬思ったが、すぐにその考えは打ち消した。記憶の中で、母が私の誕生日を祝ってくれたようなそぶりは見たことがない。父が私を祝ったこともなければ、両親が互いの誕生日や、記念日のようなもののお祝いをしているところも見たことがない。……となると、もしかすると。誕生日を祝う風習そのものが無い可能性もある。
不用意な発言は絶対にしないぞ、という気持ちを持ちながらも、それでも私はひとつ年齢を重ねたということに胸がいっぱいだった。
「これで、わたしもひとつ大人になったね!」
「ふふ。その通りね。レノは早く大人になりたいんだったわよね」
「大人になりたいっていうか……早く大きくなりたい! だって、今のままじゃ、戸棚にも手が届かないし、お料理してて鍋の中を覗きたくったって、踏み台に立っても見えないんだもん!」
ぷぅっと頬を膨らませて拗ねてみせると、母はくすくすと笑った。
「きっと、あっという間よ。すぐにレノは大きくなって、きっとこの村一番の美人になるわ」
「二番だよ」
「あら? 一番はサロメかしら?」
「ううん。母さん!」
遠回しに母の次は私だと言ってしまっているが、しかしそれは仕方のないことだ。だって、父のようなイケメンと、母のような美女から生まれた私だ。鏡のようなものは無いので自分の顔を認識しにくいが、水面に映る自分の顔はめちゃくちゃかわいい。自分で言うのもなんだけど。子供特有のあどけなさや、ちょっとだけ丸みを帯びた自分の顔のラインのおかげで、もはやお人形さんのようなかわいさになっている。
「まあ、レノったら。母さんを褒めたって、何も出やしませんよ」
「別に褒めてないよ、事実なんだもん」
「まあ! ふふふ」
母さんは嬉しそうにころころ笑った。その顔を見て満足した私は、スープに浸しておいたカチカチのパンをスプーンですくって食べた。もぐもぐと口を動かしながら、ふと気になったことを聞いてみた。
「母さんが生まれたのはいつなの?」
『誕生日』というものがあるのか分からないので、遠回しに聞いてみた。母は肌が白いので、もしかすると冬生まれかもしれない。そんな風に適当に思っていると、ふと返事が遅いことに気付いた。不思議に思って顔を上げようとした時、母が答えた。
「……そうねぇ。夏、だったかしら」
翳った声音。曖昧な返答。私は思わずじっと母を見つめたが、母はいつもと同じ綺麗な笑顔でにこりと笑い、食事をとり始めた。
……『だったかしら』? どうしてそんな言い方をしたのだろう。私は内心首を傾げた。忘れてしまったのだろうか。あまり誕生日というものを重要視していなさそうにも見える。少なくとも、この一年、この村でお誕生日おめでとー! とかいうお祝いの言葉や、お誕生日パーティーといった催し物は見たことがない。そんなものなのか、と私は釈然としない気持ちを、薄味の冷めたスープと一緒に飲み込んだ。
その後、いつものように籠を背負って、今日の収穫場所へと向かった。
せっせと真っ赤に熟れたルミュールを採って、ぐにゃりと曲がって大きく育ったコンブルを採った。籠がいっぱいになったら、今度は生えている雑草を抜く。一通りの仕事が終わって顔をあげると、サロメのところにヒューゴが集まってきているのが見えたので、私もそちらへと向かう。
私とサロメの籠にはルミュールとコンブルがいっぱい入っていて、ヒューゴの籠には巨大な茄子や、重そうな瓜が入っていた。珍しくリアムも籠を背負っていて、そこには大葉のような香草や、オクラのようなピーマンのような軽いものを中心とした緑色系の野菜が入っていた。
あとはジョルジュを待つだけだ。どうやらジョルジュは瓜のようなものを採るのに四苦八苦しているらしく、絡まった茎を綺麗にナイフで落としながらも、籠の中に重そうな真っ黒な西瓜サイズのものを入れていた。円形のものだけではなく、長細い真っ黒なものもあって、あれの中身が一体どうなっているのかはさっぱり分からない。
待ち時間の間、私たちはきっちりと水分補給した。ヒューゴが、革でできた水筒を持ってきてくれたのだ。これも私の草の根活動というか、夏場は特にこまめに水分補給しようねという声かけで生まれた動きである。
ということで、みんなでそれを回し飲みをした。そんなに冷えてはいないが、喉が潤うことでほっと一息つくことができた。
「悪い! 遅くなった! 茎を採るのに手間取って……」
質問する前にジョルジュがやってきた。私は水筒をジョルジュに渡しながら尋ねた。
「ジョルジュ。その黒いの、なに?」
すごく重そうだ。籠が少したわんでいるように見える。大丈夫なのか、これは。私が心配そうに見ていると、ヒューゴがカラカラと笑って私の背を叩いた。
「ありゃあ『バクダン』だぜ。さすがにレノムシ、これは知っておいた方がいいぜ」
なんだそのとんでもなく物騒なものは。私が怯えたようにヒューゴの背中に隠れると、ジョルジュは苦笑した。
「僕たちが勝手にそう呼んでるだけで、本当に爆発するわけじゃないよ。……あーでも、採り頃を逃したりして放っておいたり、何か刺激を与えると爆発しちゃうんだけど」
「本当に爆発するの!?」
「収穫すべき時に収穫しないからそうなるのよ。これ自体はすごく美味しいのよ。甘くて、水気たっぷりで」
爆発するというジョルジュの言葉にぎょっとして大きな声を出すと、サロメが肩をすくめてバクダンについて説明してくれた。すごく美味しいと言われても、季節をまたいで放置しておくと爆発するというのは恐怖以外の何物でもないだろう。
「まって刺激ってどの段階で爆発するの!?」
「そうねぇ……採り逃してから刺激を与えることをしたことがないからわからないけど、たぶん、石を当てたりすると爆発すると思うわ」
「パンパンに膨れてる時だと、雨粒でも爆発するよな。俺、一回雨の日に外で遊んでたら、畑が爆発してるの見たもん」
サロメとヒューゴの言葉に、私は恐怖で震えた。
「ま、基本的にバクダンは夏の間にぜってー食べなきゃいけねーからな。戸棚とかに仕舞っておくと、戸棚がひっでぇ目に遭っちまうぜ」
「そうそう。ジュペッタさんちは昔、それが原因で家の半分が吹っ飛んじゃったらしいわよ」
ジュペッタさんって誰!? 誰だか知らないけどさすがに可哀想すぎん!?
「だから採ったらさっさと切って食っちまったほうがいいぜ! ちょっとだけ井戸水で冷やすと、ほんとにうめーから!」
「レノ、大丈夫だよ。切り分けちゃえば爆発しないから、そんなに怖がらないでいいんだよ」
サロメやヒューゴが色々情報をくれればくれるほどなんだか怖くなって、私はそっとヒューゴを盾にするように歩いた。ヒューゴは仕方のないやつだなぁ、と呆れながらも笑ってくれた。だって、爆発するって言われたら、めちゃくちゃ怖いじゃん!? 雨粒で爆発する取扱危険物であるうえに、ジュペッタさんちが半壊するレベルの威力で爆発するんだよね!?
その後、ヒューゴとジョルジュはバクダンを文字通り処理するためにキッチンへと向かった。私たちはいつも通り、野菜の下処理をするために井戸へと向かう。そこにはすでにマルタンたちが衣服を洗い始めていた。私とサロメが桶と籠を置くと、すぐにサロメの隣へボーモンが飛んでくる。それを完全に無視する他のメンバー。もはやいつも通りの見慣れた光景だ。
ふと、私はサロメに聞いてみたかったことを思いだした。隣でじゃぶじゃぶ野菜を洗っているサロメに、手を止めずに問いかけてみる。
「ねえサロメ。あのさ。みんな、生まれた日のお祝いとかってしてる?」
「生まれた日のお祝い……?」
私の言い方が悪かったのだろうか。サロメがきょとんと首を傾げた。ボーモンも不思議そうに私を見ている。もしかすると、やっぱり本当に誕生日のお祝いは無いのかもしれない。私がそう思って、なんでもないよ、と話を終わらせようとした時。マルタンが声を上げた。
「レノが言っているのはもしかして……誕生季のお祝いの話?」
「誕生……え? 何って?」
「誕生季。自分が生まれた季節のことだよ」
マルタンは、春生まれ、夏生まれ、秋生まれ、冬生まれといった分け方で誕生日の季節をそれぞれに分けて、それぞれ季節単位でお誕生日のお祝いをしているのだと説明してくれた。
それを聞いて、なんとなく納得した。カレンダーも時計もないこの世界で、暦を感じられるのは唯一季節だけだ。夏に生まれた人は、また暑い夏が来る頃、ああ一年が経ったんだなと気付けるということだ。誕生『日』という概念がほとんどないのも仕方のないことだろう。
「マルタン、お祝いって言った? どうやってお祝いするの?」
何より一番気になっているのはそこだ。私が少し食い気味で質問すると、サロメがアッと声を出した。
「分かったわ。レノ、夏生まれなんでしょう!」
「えっ、あっ、うん、それはそうなんだけど、」
「自分がお祝いされたいっていう話ね?」
「あっそういうわけでは、」
「マリアンヌおばさんはそういうのをやってくれなかったの?」
サロメが不思議そうに首を傾げた。記憶を手繰っても、誕生日のお祝いをされたような記憶は特にない。おどおどと頷くと、どうやらサロメは「誕生季のお祝いを体験してみたい子」なのだと判断したらしく、優しい顔で私ににこりと笑った。
「わかったわ。うちの母さんに話しておくわ。それとなく、うちの母さんからマリアンヌおばさんに、誕生季のお祝いのやり方を伝えてもらうようにお願いしておいてあげるから」
誕生祝いを乞う子みたいになってしまった。私は慌てて言った。
「あ、ありがとう。でも大丈夫だよ、サロメ! 私、誕生季のお祝いは何をやるのかが知りたいの。母さんも夏生まれだって言ったから、だったら二人でお互いをお祝いした方がきっと楽しいなって」
「レノったら。祝われるのは子供だけよ! 大人なんて、だぁれも祝ってないわ!」
サロメがクスクスと笑った。ボーモンも面白そうに笑っているし、マルタンは怪訝そうな顔で私を見ている。どうやら私はまた見当違いなことを言ってしまったらしい。恥ずかしくなって、少し顔が熱くなった。
「そ、そうなんだ……えーと、ちなみに知りたいんだけど、みんなは誕生季のお祝い、何をしてもらったの?」
恥ずかしさを打ち消すように慌てて次の話題を提供すると、みんなは自分の記憶を探るように遠くを見た。一番最初に記憶の旅から戻ってきたのか、ボーモンだった。サロメの向こう側で、すぐに私の疑問に答えてくれた。
「前の誕生季にはお腹いっぱい肉を食べさせてもらったよ。僕、末っ子だろ? 美味しいものとか、そういうのは全部兄さんたちが取っていっちゃうんだ。飯だって、早い者勝ちだし。だからその日だけは兄さんたちより僕の方が少しだけ多く食べられる日って決めてもらってるんだ」
肉の味を思い出しているのか、ボーモンはうっとりとした様子で遠くを見つめた。
「私は自分の裁縫道具一式を準備してもらったわ。いつも姉さんたちのお下がりばかり使っていたんだけど、姉さんたちはもうお嫁に行っちゃって、うちにはもう私とゾエしかいないのよ。だから、私の新しい裁縫道具は私がお嫁に行ったときに、ゾエにお下がりで渡すっていう約束で、新しいのを買ってもらったわ」
ロジーヌはそう話しながら、すぐに洗濯に戻った。食事に裁縫道具ときたか。一時の喜びを取るか、実用性を取るかといったところだろう。誕生日プレゼントという意味では『私』の時の考え方と大差ないのだと知れたことに少しほっとしながら、私は次にマルタンを見た。
マルタンはなぜか黙っていた。洗濯の手が止まっているあたり、会話に参加しないという意思表明されている様子もない。私は不思議に思って、マルタンに声をかけた。
「マルタンは何を貰ったの?」
「……僕は………」
言いにくそうにしたせいで、逆にみんなの興味を引いてしまったらしく、全員が作業の手を止めてマルタンの方を見た。視線を集めさせてしまったことに気付いたマルタンは嫌そうな顔をして、ひとつため息をついた。
「……畑を貰った」
「畑?」
「……畑の一角を貰ったんだ。山から採ってきた薬草を、そこで育てたくて」
「………なんというか、マルタンらしいな」
言いにくそうにしながらもぼそぼそと喋ったマルタンの言葉に、ボーモンが納得した様子で頷いた。ロジーヌもそうね、と小さく笑って、再び洗濯に戻る。マルタンはひとつため息をついていた。
「マルタン! わたし、今度その畑、見せてほしい!」
「また今度にしてくれるか? あまりうまくはいってないんだ」
私が元気よく挙手すると、マルタンは私の動きに怪訝そうな顔をしながらも、苦々しそうに言った。
ここは農民が住む地だというのに、そんな農民の知恵を駆使してもうまくいかないとなると、薬草は特殊な育て方や環境じゃないと育たないということだろうか? 先生なら何か知っているかもしれない。ただ、マルタンがそれを思いつかないとも思えないので、育たないのには何か事情があるのだろうか。




