第27話 シュクールおじさんの不在
初雪の日を境に、連日雪が降った。
ヒューゴとの約束通り雪合戦をしたり、午後は先生のところで勉強をしたりした。そんなこんなで日は経っていき、やがて雪が降ったり止んだりする日が増え、そのうちに雪は降らなくなった。太陽がどんどん雪を溶かしていく。農作業も再開され、本格的に私たちにも普段通りの日常が戻ってきた。
そんなある日。行商人が広場にやってくる日がやってきた。
雪解けとともに行商人がやってくる。まるで合言葉のように雪が降ってる日はみんなが口をそろえて言っていたが、まさか本当にその言葉通りに行商人がやってくるとは思わなかった。まるで春を運んでいるようだと比喩され、みんなは彼らを大歓迎した。冬の間は特に毎日に刺激が無かったため、元の日常が戻ってくる象徴のような行商人の姿が見れるのは私も嬉しかった。
朝起きて、支度を済ませた私はいつものようにサロメの家へと向かった。サロメの家の前にはすでにサロメ兄弟以外にもマルタンやボーモン、ロジーヌが合流していた。てっきりマルタンだけ合流なのかと思っていた私は、思ったより大人数になったことに小首を傾げた。
……行商人の日にぞろぞろと揃って行っても仕方ないはずなんだけど、なんでみんなで一緒に行きたいんだろう。その真相は、マルタンがサロメたちと合流するなら、とボーモンがくっついてきた結果、大人数で移動することになったというくだらないものだった。
私が合流すると、すぐにみんなで広場へと向かった。ボーモンがサロメの隣にべったりと張り付き、ヒューゴとロジーヌが口喧嘩して、ジョルジュと手を繋いだリアムがお腹が空いたとぐずっているうちに、広場に到着した。
だがそこには、いつもと違う光景が広がっていた。
行商人とのやりとりは、子供が将来街に出た時にきちんと色々なことができるように練習の場となっているため、今まで私は広場に籠を背負った村の子供と、大人の行商人がいる風景しか見たことが無かった。だというのに、今日はなぜか、村の大人が何人もいる。
……というより、若い女性が何人も団体になってうろうろしている、といった方が正しいか。
てっきり幼い子供が行商人の日デビューのために、初めてのお使い的な感じで後ろから若いママがついていってあげてるのかとも一瞬思ったが、すぐにその予想は違うと考え直す。若い女性たちは子供たちの様子を心配そうに見守るというよりかは、どちらかというと道端で出会った有名人に色めき立っているのと表現した方が近いような様子だったからだ。
「な、なに、なに?」
私は困惑して瞬きを繰り返し、周囲をきょろきょろ見渡して、ここが広場であることを再確認した。間違いない、ここは広場だ。そして、間違いなく、行商人の日だ。……行商人に混じってアイドルでも来た? これからこの広場でコンサートがあるとか?
どういう状況なのかとサロメに聞こうとしたが、サロメも困惑した様子で広場を観察していた。サロメでも分からないことが、私にわかるはずがない。私は色々推測するのをさっさとやめて、籠を背負いなおした。
「じゃあサロメ、行ってくるね」
「レノ。待って。僕も行くよ」
「おい、どうしてマルタンがレノと一緒に行くんだ」
若いお姉さんたちが群がっているのは一か所なので、あそこに近寄らなければ問題ない。お姉さんたちはいつもはシュクールが売っているところに群がっているようだった。だが、彼女たちが突然今回だけシュクールに群がっているとは思えない。
一体何が売っているのだろうかと気になりつつも、ひとまずは自分の用を済まさなければ。そう思って移動し始めようとするとマルタンが動き、それを見たヒューゴが不機嫌そうになってしまった。
「マルタンと私は買い物の流れが一緒だからだよ。ヒューゴも一緒に行く?」
「行く」
「ダメよ、ヒューゴ。お使いの内容忘れたの?」
私の言葉に頷いたヒューゴの肩を、サロメががっちりと掴む。どうやら前回は特別に軽いものを買うルートにしてもらっただけで、普段はもっと別の、男の子だから持てるようなものを買うルートに行かされるらしい。確かにヒューゴの籠にはカボチャみたいなのが幾つも入っていて、まるで私が籠に入っているかのような重さがありそうだった。
「うるせー、サロメ! 忘れてなんてねーよ!」
「じゃあヒューゴが向かう場所は決まってるわよね」
そう言って、サロメが指さした。その先には鉄鋼具を取り扱っている行商人のお店が広げられていた。どうやら今日は、春に向けて農具を新調するらしかった。確かに農具を幾つも買うとなると重い。男の子だからこそ任される仕事だろう。私は尊敬の念を抱き、ヒューゴに頷きかけた。
「すごいね、ヒューゴ。あんなに重そうなものを背負って帰るんでしょ? わたしだったら籠の方が重くて、背負った瞬間にその場にひっくり返っちゃいそうだよ」
ヒューゴは私の言葉を聞いた途端、得意げな顔になった。
「はっ。あんなもん、男なら誰でも持てるさ。レノみてーなちっこい貧弱な女には無理だろーがな」
「うん。絶対無理だよ。ヒューゴすごいね」
「すごかねーぜ。出来て当然だっつってんだろ、レノはほんっと人の話聞かねえんだから」
ふっと笑って、ヒューゴは颯爽と鉄鋼具売り場へと向かって行った。もし私が農具を新調したり、重いものを買う機会があったら、絶対ヒューゴを懐柔して手伝ってもらおうと心に決めた。
ヒューゴがいなくなるのを見送った私は、よし、と気を取り直してマルタンと一緒にお店の方へ歩き出した。ロジーヌとサロメたちに手を振ると、二人は苦笑しながら私に手を振り返してくれているのが見えた。
私とマルタンはサクサクと必要なものを交換してもらい、いつも以上に早く買い物が終わった。
どうやら行商人たちは自分のポジションが暗黙の了解で決まっているらしく、毎回ほとんど同じ場所で、ほとんど同じ並びで売り物を広げていた。
売り物も、食べ物に関してはある程度季節感のあるものが置いてあるため変化を感じるが、香辛料やパン、パスタといったものになってくると、目新しいこともほとんどない。家具や鉄鋼具を買うこともないので、そうなってくると自然といつも回るルートが決まってくるのだ。
「レノ。僕、気付いたんだけど……」
最後にシュクールを買うため、シュクールおじさんのところへと行こうとしたのだが、マルタンが嫌そうな顔で足を止めた。どうしたの? と問うと、マルタンは困ったように額に手を当てた。
「この広場に来た時、レノも気付いたと思うんだけど。今日はどうしてか、子供以外の人がたくさんこの広場に来ているだろう?」
「うん、どうしてだろうね」
今もなお、女性たちはシュクールおじさんの売り場があった方向できゃいきゃい黄色い声を可愛らしく上げている。買い物をしている様子もない。……実演販売でもしているのだろうか? アイドルがテフロン加工済みのフライパンで肉を焼いてるところを想像していると、マルタンはため息をついた。
「レノは気付いてないのか?」
「何が?」
「子供以外の……あの女の人たちが、何を目的にしてここにきているのか」
「さっぱり」
マルタンは籠を背負い直して、困り果てたように言った。
「さっきパンを買う時、側にいた子供が話していたのを聞いていなかったのか? 今日はシュクールを売っていたいつもの人が来ていないらしい。それで、この騒ぎになっているって」
「え!? 今日シュクールおじさん来てないの!?」
「シュクールおじ……、ああ、その人は来ていないらしい」
「じゃあ今日シュクール売ってないの!?」
っていうかおじさん、クッキー買い取ってくれないの!? おじさんのために、こちとらなけなしのシュクールを三個も使って、また五十枚のクッキーを焼いたのに!? この背中に背負ったクッキーは、割れ物だからといってここまでいろんな配慮をしてわざわざ持ってきたクッキーは、全部無意味だったってこと!?
「落ち着け、レノ。話を最後まで聞くんだ」
憤慨する私の肩をぽんと叩き、マルタンは話を続けた。
「シュクールは売ってるけど、あの女の人たちがいるから、いつもみたいにシュクールを眺めるために近くに寄れないって子供たちが文句を言っていたんだ」
「つまりシュクールおじさんはチェンジされちゃったってこと?」
「何だって?」
「おじさんはいなくなったけど、シュクールを売る誰かはいるってことだよね? 行商人が変わって商品内容が変わらないなんてこと、よくあることなの?」
僕の知る限りは無かった、とマルタンは難しい顔をした。
「レノの取引相手は、その……シュクールおじさんだったはずだ。取引相手を変えてきたのか、それとも誰かがおじさんからあの場所を奪ったのか」
「でも女の人が群がって……じゃなくて、女性に人気の行商人っていうのも不思議だよね。もしかしてクッキーの改良版でも売ってるのかな?」
スイーツはどの時代でも女性に人気だ。ただ、女性たちの活気ある様子が、美味しいスイーツを前にしたものというよりかは、人気なアイドルを前にしたテンションのような気が……。
「うあー! 案ずるより産むが易し! マルタン、行こ!」
「お、おい! レノ! 無策で突っ込むつもりか!?」
「全速前進でーす!」
私はマルタンの手をがっちり掴んで、勢いよく歩き始めた。マルタンは私を止めようか悩んでいるようだったが、やがて諦めたようにおとなしく手を引かれるがままついてきた。
シュクールおじさんがいた売り場が近付いてくると、女性たちのきゃいきゃいとした声も近付いてくる。その中に、よく通るテノールの声が混じっていることに気付いた。
行商人が売り物を広げているらしい場所の側には女性たちが陣取っていて、その後ろに子供たちが背伸びしたりして、店のものを一目見ようと頑張っているのが見えてきた。前の女性たちが邪魔で買い物に困ってるのかとも思ったが、子供たちの様子は前に進めなくて困っているというよりかは、シュクールを見ておきたいというような気持ちを抱いている様子に見えた。
まあ、だったらいいか、と私は気にせずずんずんと前へ進んでいく。子供の間をすり抜け、女性の足の間を歩く。忍者のように人の間をすり抜けたいのだが、あいにくと背中には籠を背負っているので、私がどんなに身体を避けようと籠は誰かに当たってしまうのであった。
「すみません、通してください」
人の足にぶつけながらそう言っていると、やがて売り場へと辿り着くことができた。マルタンも私に続いて壁のように立ち連なる女性たちの間からつんのめるようになりながら飛び出てきた。
最初に視界に飛び込んできたのは、シュクールだった。女性たちが買い漁ったのか、仕入れ量が少なかったのか、いつもは箱いっぱいに入っているシュクールが、あと数粒しか残っていなかった。しかも、形が歪で、すでに品質が良いものは売り切れてしまったのがわかる。その側には四角い角砂糖が三粒だけ、なぜか器に入れられてちょこんと置いてあった。
他には、見たことのないカラフルな色合いのシンプルな花の形をした、硬そうな何かが幾つか売っていた。その隣にはシンプルな形のヘアピンが置いてあり、木で作ってある櫛が置いてあった。どれも木箱に入っており、一目で高級品としての取り扱いなのだと分かる。
「やあ、いらっしゃい」
先ほど聞こえた優しいテノールの声だ。商品から視線を上げると、そこには若いお兄さんが立っていた。ピンクがかったブラウンの髪を撫でつけ、小ぎれいな格好をしていた。私たちのようなボロ布を集めた服ではなく、きちんとしつらえたものだとすぐにわかった。こげ茶のパンツで、同じ色の袖なしのベストを羽織って、白色の襟のあるシャツを着ている。
ここに住んでいる人で、襟のあるシャツを着ている人間など、一人もいない。行商人でさえ、そんな人間はいない。すぐに住む世界が違う人間なのだと感じた。
「ごめんね、シュクールはあとこれだけしかないんだ」
これならもっと仕入れてこればよかったよ、とお兄さんが眉根を下げた。物腰柔らかで、愛想がよい印象を受ける。
「もしよければ君の持っているものを見せてくれるかい? 少しならおまけできるかもしれないよ。それとも、もしかしてお母さんに言われて来た? 今日は女性が好むものを幾つか取り揃えてきたからね。ご覧、この髪留めを。これがあれば、髪紐で結うよりずっと楽に髪をまとめられるんだ。それと、この櫛を使って髪を梳けば梳くほど髪は流れる糸のように美しくなるよ」
すごいだろう? とお兄さんがウインクをした。後ろの女子が沸き立つ。ああ、これが騒ぎの要因だったのか、と納得がいった。
彼はきっと、やり手の商人なのだろう。丁寧な話し方に、子供が相手でも馬鹿にせず、きちんとした対応を行える人柄。そこそこ稼いでいるだろうに、金持ち臭いいやらしさも感じない。全てにおいて程よく、好印象を抱かせる。……つまり、油断ならない相手だということだ。
私は気を引き締めて、にこりと笑った。
「こんにちは、お兄さん。いつもシュクールを売っていたおじさんは、もうこないんですか?」
「いいや、次からはきっとまた同じおじさんがくるよ。今日は特別。だから残念だけど、君にこの商品を見せられるのはたぶん、今日が最後なんだ……君がいつか大人になって、街に出てこられる日がこれば、また見る機会もあるかもしれないけどね」
つまり、彼は普段、街で商いをしているということか。私がふむふむと頷いていると、後ろから女性の声が上がった。
「私、決めたわ! そのブローチを頂戴!」
「ありがとうございます! どのブローチにされますか?」
「そうねぇ……」
ずい、と壁から一人の女性が前に出た。あれ、ブローチだったんだ、と私が眺めていると、真剣に商品を選んでいた女性の目の前で、彼は赤色のチューリップみたいな形をしたブローチを手に取った。そして女性の顔の側にそれをかざして、目を細める。
「……うん。僕はこれが似合ってると思うな」
「あ、あら。本当?」
「ええ。お姉さんは色が白いから。こういう色のものを胸に飾れば、きっともっと綺麗になると思います」
「あ、あなたがそう言うのなら、きっとそうね」
いそいそと女性は手元の小さな木の籠から硬貨を取り出し、男性に手渡す。銅貨が十枚ほど向こうの手元に移動するのを見た。
「ありがとうございます! ぜひ街へいらっしゃる機会があれば、『ガスパルの店』をよろしくお願いします」
男の爽やかな笑みがきらりと輝き、女性は嬉しそうに何度もうなずいた。これできっかけが出来たらしく、そのあとも二人が同じようなやりとりをした後、ブローチを購入した。
そのやり取りが落ち着いた後は、もう先立つものがないのか、女性たちがこれ以上買い物する気配はなかった。だが男性を見ていたいのか、その場からは動かない。
私はため息をついて、マルタンを肘で小突いた。マルタンは私を見て頷き、男に向かって背筋を伸ばした。
「あの、すみません」
「なんだい? 欲しいものが決まったかい?」
「僕たち、ここでシュクールを売っていたおじさんと、ある約束をしていたんです。それについて、お兄さんは話を聞いていますか?」
ヘーゼル色の瞳が驚いたように見開かれ、マルタンと私を交互に見つめた。この人はおじさんから引き継ぎを行っているのか、はたまたおじさんと私との契約を横取りしに来たのか、そのあたりを見定めなければならない。男の瞳がじっと私を見つめたので、私もじっと見つめ返した。
「……そうか。分かった。少し場所を変えようか」
男はそう言って、私たちの返事を待たずに、手早く広げた売り物を片付けた。だいぶ捌けたのか、すでにほとんど売り物はなくなっているようなものだったので、すぐに片づけは終わった。
女性たちにまた御贔屓に、と愛想を振りまいたあと、荷台を引いて、広場から離れるために歩き始めた。




