第26.1話 【幕間】マリアンヌ視点
マリアンヌが見送る中、元気にレノは家から出て行った。
どうやら今日は、ヒューゴたちと雪合戦をする約束をしていたらしい。朝からレノがワクワクした様子で浮かれていた理由がそれなのだと知ったマリアンヌは、微笑ましい気持ちになった。それと同時に、レノが濡れ鼠で頬を真っ赤にして帰ってきても大丈夫なように、着替えと身体を拭く布をテーブルに支度した。
家事がひと段落した後、マリアンヌはサーラの家へと向かった。今日はなるべく早めに移動した方が良い。空模様を見たマリアンヌの考えだった。きっとそのうちにまた雪が降り出しそうだと思わせるほど、空は分厚い雲に覆われていた。
サーラの家へと向かうと、家の前の開けた場所から子供の楽しそうな声が聞こえてきた。歩いて近寄っていくと、サーラの家の子供たちに、マルタン、ロジーヌ、ボーモン、そしてレノのみんなで雪合戦に夢中になっている姿が見えてきた。
レノたちはチーム戦を組んでおり、レノ、マルタン、リアム、ジョルジュVSヒューゴ、ボーモン、サロメ、ロジーヌの戦いをしていた。ルールは簡単。相手の陣地の奥にある木の棒を、先に取った方の勝ちだ。もちろん暴力は禁止されていて、とにかく雪玉をぶつけ合う。一見、リアムとレノという最年少コンビが一緒のチームにいるせいで、レノのチームが不利に見える。現に、チーム分けを聞いたとき、サロメやロジーヌが心配して異を唱えたくらいだった。
だが、ここでレノの采配が光る。レノはまず、レノとマルタン、そしてジョルジュとリアムというペアを組ませた。年少はせっせと雪玉を作る係だ。そして雪で壁を作り、防御にも徹した。そのお蔭で無駄な体力を消費せずに済んだ。
その反面、相手チームは、チームワークがボロボロだった。ボーモンはサロメにくっついて役に立たないし、ヒューゴは勝手に一人で動いていた。ヒューゴがあまりにも闇雲にレノチームへ突撃し、雪まみれになって戻ってくるという戦略も何もないやり方をしていたため、やがてしびれを切らしたロジーヌがヒューゴに雪玉を当てるという珍事まで起こっていた。
「このままじゃダメ! ヒューゴ、レノを見習うのよ!」
ロジーヌが叫んだ。ヒューゴはそれを無視して動こうとしたが、サロメの鋭い一言で動きを止める。
「散々馬鹿にしてたリアムにも負けるのよ。ヒューゴ、それは分かってる?」
「……何だって?」
「少しは冷静になって、ヒューゴ。レノたちを見るのよ。二人一組で、力のない方が雪玉を作ってるわ。それで、じりじりと前に進んでる。このままじゃ、私たち、負けるわよ」
ヒューゴはサロメのおかげで幾分か冷静になったのか、仕方なさそうに突撃をやめた。
そこからは、サロメの指示によって、一度レノたちの真似をしてみようとペアを組むことになった。ボーモンとサロメというコンビはなかなか息が合っていた。ボーモンが百パーセントサロメに合わせるからだ。
ヒューゴとロジーヌは一度はペアを組んだのだが、やがて、最初のうちは成立していたはずの協力体制をあっという間にそっちのけにして、どちらがジョルジュに多く雪玉を当てられるかという勝負へと発展させてしまっていた。
やがて最終的には。焦れたヒューゴがジョルジュに取っ組み合いの喧嘩を吹っかけ、場外乱闘にもつれこんだせいで雪合戦自体が中止になってしまうのだが、マリアンヌはそれを見届ける前にサーラから今日の配分を受け取り、家へ帰っていった。
自宅に戻ったマリアンヌは、籠の中身を戸棚に片付けると、夕食の支度を始めた。氷のように冷たい井戸水を暖炉の前で温めつつも、まだ少し泥がついている冬キャベツを洗った。大鍋を火にかけて、スープを作り始める。
火で暖を取りながら、マリアンヌはぼんやりと考えた。
チャーリーにかけられた、言葉の意味を。
実のところ、レノは気付いていなかったが、マリアンヌもチャーリーから、一緒に住む話を持ち掛けられていたのだ。もちろん、レノに声がかかったタイミングと同じタイミングで。そのため、この間の来訪の時に、二度目の提案をされていた。これももちろん、レノに話した内容と、ほとんど同じものだった。
マリアンヌは乾燥したキノコを大鍋に入れながらも、思い返す。チャーリーが来た日のことを。
「……マリアンヌ。この間の話は考えてくれましたか?」
「……ええ。考えたわ。でも……」
レノは外にいる御者にスープを渡しに行き、それを追ってクロードも一時的に席を外していた。そのため、実質的に、この空間ではマリアンヌとチャーリーは二人きりだった。
チャーリーは葡萄酒を一度口に含んだ後、にこりと微笑んだ。
「どうやら、快い返答は頂けないようですね」
マリアンヌも、薄々は感じていた。これから先のことを考えれば、レノがこの村を出て行きたいと言い出すまでは時間の問題になるだろう。こう言ってはなんだが、こんな村におさまるような子ではないということは、一緒に住んでいるマリアンヌが一番よく分かっていた。
だからこそ、その時に備えて送り出してあげるのがレノのためではないか、ここで幼少時代を過ごすよりも父親のところに置いた方がレノのためではないか、チャーリーがそう言った時、マリアンヌも内心ではそうだろうと思っていた。
「……今日はもうひとつ、提案を持ってきました」
チャーリーはそう言って、深紅の液体をグラスの中で揺らした。
「レノだけでも、頂けませんか?」
マリアンヌはその言葉に、ぴくりと眉を動かした。
チャーリーは言った。レノをこの村から連れ出したいということ。それがレノのためになるということ。マリアンヌが一緒にくるかどうかは、マリアンヌの選択であるということ。レノは母親であるマリアンヌのことを心配して、恐らくはチャーリーが何を言っても承諾はしてくれないということ。
「つまり、君が重荷になって、レノの未来に陰を落としているんです……なんて、そんなひどいことは言えませんが」
チャーリーの言葉が、まるで針のようにマリアンヌの心に刺さる。
「ただ、忘れないでください。レノがこの村にこだわる理由は、君だということを」
「……レノには、伸び伸びと自由に生きてもらいたいの。だから、」
「だからこの村なら、と?」
マリアンヌの言葉を遮るようにチャーリーはそう言って、口元をクッと釣り上げた。
「君がそれを言うんですか。そんな風に生きられないと、君が一番分かっているというのに……それでもレノをここに閉じ込めようとするというのならば。それこそ、私よりもずっと、君の方が質が悪いですよ」
嘲笑うようなチャーリーの言葉に、マリアンヌはもう、一言も返せなかった。
レノはとても聡く、賢い。賢すぎると言っても過言ではない。この村に居続ける器ではないし、この街で収まる器とも思えない。
同時に、自分がその芽を潰してはならないとも思っている。マリアンヌには分かっていた。レノのこれからの人生が、こんな風にずっと平凡に、安全に続くものではないということを。この村を出て行くという話のレベルではなく、もっと大きな何かに巻き込まれていくだろうというのは、容易に想像がついていた。だからこそ、マリアンヌの手の元ではなく、チャーリーの元で、それに備える準備を始めるべきなのだ。
だが、マリアンヌには、本当にチャーリーに任せて良いのかという疑念があった。
だから、あの時。
咄嗟に返事が出来なかった。
チャーリーがあの衣をレノに渡すのも、喜んであげられなかった。そんな姿を、チャーリーは見逃さないだろう。
マリアンヌはぐつぐつと沸騰し始めた鍋を、目を細めて眺めた。
あの人は基本的にはとても優しく、紳士的だが、自分が欲しいと思ったものは何を犠牲にしても手に入れる側の人間だ。
暫く来られないと言った言葉にも、当然他の意味が込められている。
その意味の先を、マリアンヌは考えた。
その言葉の意味を、マリアンヌは『理解している』からだ。
本当に、自分の選択は合っていたのか。
本当に、チャーリーの手を取らなくて正解だったのか。
今更考えても仕方ない。そうわかっていても、考えてしまう。
「ただいま!」
レノの声がした。
「おかえり、レノ」
マリアンヌが微笑んでそちらを見ると、予想通り、頬と鼻を真っ赤にしたレノが、ご機嫌顔で玄関扉のところに立っていた。どうやら濡れ鼠なので、これ以上中に入らないようにしているらしい。マリアンヌはくすくす笑いながらも、テーブルから布を手に取り、レノの髪を拭いてあげた。
マリアンヌはいつまでもこんな毎日が続けばいいと心底願った。
当然、そうならないと『理解している』からこその、祈りに近い、願いだった。




