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第2話 三歳になりました

 三歳になった。家の中にいても不衛生なために何度か風邪をひいたりもしたが、健康的にすくすくと育った。


「レノ。……あなた、まだ外に出たいという気持ちはある?」


 ある日、母が迷ったように言った。私は、外? と首を傾げた。


「外には、怖い人や怖いものがたくさんあるんだよね?」


 これまでに、何度か家の外に出てみたいと言ったのだが、母は、外には怖い人たちがたくさんいるから大きくなるまではいけません、と言い張っていた。本当にそんな人がいるのかは知らないが、お金持ちの愛人が住んでることはご近所さんも知っているだろう。変な目で見られて、それこそ住みにくくなってしまったら困る。そう思って、駄々をこねることはやめてきたのだが、一体どんな風の吹き回しだろう。


「ええ、レノ、その通りよ。……だけどね。いつかは、その怖いものと向き合って、うまく付き合っていく必要があるの。レノもいつか外の世界で生きていかなくちゃならないから……それに向けて、少しずつ馴染めるようにしていかなくてはならないの」


 妾の子としてめちゃくちゃ偏見の目で見られるだろうけど、一緒に頑張って生きてこうよって話だろうか?


「それに、レノもひとりぼっちは寂しいでしょう? そろそろ、お外でお友達を作りたいと思わない?」


「お友達?」


「ええ。このおうちの外には、あなたと同い年くらいの子が、何人もいるのよ」


 初耳だ。ご近所さんの音が聞こえないところから、住宅街に住んでいるとは思っていなかったが、ちゃんと近くに人は住んでいるらしい。森の奥とかにいるのかな、と思っていたので、思ったより普通の環境に胸を撫でおろす。


「それに、新しいお野菜も食べてみたくはない? 母さんが頑張って働いて手に入れてくるから、その間、村の子供たちと仲良く遊んでいられる?」


 母の瞳には、まだ迷いがあった。私を既に出来上がっているだろう子供たちの輪に入れることへの心配、そしておそらく、自分自身が今までは拒絶してきた輪の中へと飛び込むことへの純粋な不安があるのかもしれない。

 私たちは村の人たちにとって、よそ者だ。きっとここは、『私』の感覚でいうとド田舎の村で、そういうところは往々にしてよそ者には排他的になる。

 だが、だからといって家の中でひっそりと暮らすのにも、限界が見えてきているのも理解していた。以前は必ず季節ごとに一度は顔を出していた父が、最近はめっきりと会いに来ることが減り、前回会ったのも季節をふたつほど遡った頃だった。父からは養育費として幾らか金銭を用立ててもらっている。母にとっては単純に愛する人と会えない寂しさを募らせているだけではなく、お金がないという理由で生活面の限界が来ているのは明白だった。まあ、今までが育休みたいなものだったわけだから、むしろ恵まれていた方だろう。


「母さん、働きに出るんだね? わたしも働くよ!」


 裁縫仕事だろうか? 過剰な肉体労働でなければ多少なりとも力になれるだろう。そう思って、ふん! と胸を張ったが、母は愛らしいものを見るような顔でにっこりと笑って、私の頭を撫でた。


「レノ、私のかわいい子。あなたは本当に優しい子ね。その気持ちだけありがたく受け取っておくわ」


 やんわりと断られてしまった。






 どうやら知らぬ間に、母は近所の人と話を終わらせていたようだった。今から就活かと思っていたのだが、働き先はすでに決まっているらしい。

 保育園に預けられる子供はこんな気持ちなのだろうか。私はいつものボロ服を身にまとい、母に髪を櫛で整えてもらった。

 この家には鏡がないのでなかなか自分の姿を見ることができないのだが、どうやら私の髪はオレンジ色をしているようだった。初めて自分の髪を見た時は、その明るい色に正直びっくりした。まるでコスプレ用のウィッグだ。

 とはいえ、見慣れてくると気にならないものである。すっかり背中まで伸びた髪を母に櫛で梳かしてもらい、邪魔にならないように髪紐でひとつに結ってもらった。


「良い? レノ。これからお外の世界に行くけれど、きちんと周りの人の言うことを聞くのよ? 母さんと離れてしまうけど、大丈夫ね?」


 外へ繋がる扉の前で、母は膝を追って私と視線を合わせて、真剣な表情をした。私を初めて外に出すことや、知らない子たちの輪へ連れていくことがとても不安らしい。確かに私も不安だ。だって、ここに生まれ落ちてから今まで、この小さな家以外の世界を知らないのだから。

 だからといって、この小さな家の中だけで人生が終わるわけではない。外の世界も知らなければならない。私はなるべく楽に、平穏に、楽しく豊かに生きたいのだ。まずはこの不衛生な環境を掃除したいし、食生活も改善させたい。そのためには先立つものが無ければ何も始まらない。いつの時代でも結局のところ、世の中、お金だよね!


「大丈夫だよ、母さん。わたし、ちゃんとみんなと仲良くするよ」


 にこりと笑ってそういえば、母はまだ心配そうな色を残しながらも、にこりと笑い返してくれた。





 母と手を繋いで、扉の外へと足を伸ばした。ジャリ、と音を立てて、木で出来た靴が地面を踏みしめる。

 生まれて初めての、外。

 私は胸いっぱいに空気を吸った。家の中の埃っぽくて淀んだ空気ではなく、外は自然いっぱいの匂いがした。そういえば、うちの家、窓なかったよね? そりゃあいつも薄暗いし、空気も淀むわけだ。私は澄んだ空気を吸い込みながら、きょろきょろと周囲を見回した。

 そこは予想通りの『田舎』だった。見渡す限り、農作地だった。丘のように土地が隆起しているところもあるが、基本的にはどこまでも広がる自然、という感じで、北の方には山があるようだった。母が向かい始めたのも北だったため、遠くには森が広がっているのが見えた。しかし手前には、広々とした農作地。点々とした家々。どうやら私たちが向かっているのは、一軒家だった。


 十五分近くかけて歩いて、やっと目標の家に着いた。目的地は家を出た時点で見えていたというのに、なかなか到着しないので、遠近法が狂ってるんじゃないかと自分を疑うほどだったが、よく考えたら私の脚が短いのが原因ではないかと気付いた。


「レノ。失礼のないようにね」


 母がぎゅっと私の手を握った。その表情は、緊張で硬い。私はぎゅっと母の手を握りしめた。

 家を見上げる。平屋建てで、結構広そうだが、屋根は藁葺で、なんだか台風でも来たら飛んでいってしまいそうだ。大丈夫なのだろうか? あーでも、うちもおんなじ感じだったっけ?


「あ!」


 母と私が玄関口から声をかけようとしたタイミングで、後ろから声がした。子供の声だ。驚いて振り返ると、そこには少年が二人立っていた。


「母ちゃん! 来たぞ! ビジンだ!」


 小さい方が大声でそう叫び、家の中へと飛んで行った。大きい方の少年はこちらを見るなりなぜか気まずそうに照れ笑いをしたかと思えば、ヒューゴのやつ! と小声でぶつぶつ言っていた。その少年を見て、母が何かを言いかけたが、それよりも先に家の中から恰幅の良い女性が現れた。


「あらあら! 来たわね!」


 女性の肌は小麦色で、日に焼けているのがすぐにわかった。母とは全く対照的な姿に、私は微妙に心配になってきた。


「母さん、どんなお仕事をするの?」


 てっきり裁縫仕事でもするのかと思っていたが、このおばさんの姿を見ると、なんだか違うような気がしてきた。よく見れば、母の着ているものも普段の女性らしいものではなく、いつも以上にボロボロで汚れても大丈夫そうなものだ。


「今から野菜や小麦を作るんだよ。うちで採れたのはどれもとんでもなくうんまいんだ! 楽しみだろ? えぇ?」


 おばさんがにんまりと笑って自信満々にそう言った。どうやら母は農作業の仕事をするらしい。こんな細腕で大丈夫なのだろうかと微妙に心配になるが、三歳時に心配されても母も困るだろう。私はなるべく母の負担にならないようにすることしかできない。


「すごい! あの広いところで食べ物を作ってるの? ここは全部、おばさんが管理してるの?」


 無邪気にはしゃいで尋ねると、おばさんは自慢げな顔になった。


「そうさ、ここら一帯はあたしらの土地でねぇ。あんまりにも広いから親戚筋にも頼って畑の管理をしてるんだけど、あたしらの土地はすごいんだ。ここで採れたものは、領内でもかなり評判が良い。あんた、良かったねぇ。こーんな良いところで畑作れるんだ。一生懸命やりゃあ食い物には困らないよ!」


 おばさんは大声で笑いながらそう言って、母の背中をドンと叩いた。その勢いで、細い母が少しだけ前につんのめった。


「母さん、頑張ってね! わたし、母さんが作った美味しいもの、食べたい!」


 おばさんはこの辺りでも裕福な家庭なのかもしれない、と私はちらりと考えた。というのも、農地として確保している面積の広さ、この農地を中心にして集まってくる人間の多さ、そしてこの家はどうやら鶏も飼っているようだった。村を取りまとめている人間には違いないだろう。

 卵と野菜と小麦が手に入れば、食事の幅も広がるだろう。この感じでいけば、酪農をやっているところも必ずどこかにあるはずだ。伝手を頼っていけば、いろんな食材が手に入るかもしれない。塩味の茹で野菜のスープを啜る毎日とはいい加減おさらばしたいのだ。


「レノ、良い子にしているのよ」


 母はそう言って私と手を離した。母はおばさんに連れられ、農作業をしている大人たちへの輪へと向かっていった。


「で、お前があのビジンのムスメだな?」


 その後ろ姿を見ていると、声をかえられた。振り返ると、そこには先ほど家の中へと飛び込んでいった、ヒューゴと呼ばれていた少年が立っていた。


「美人の娘?」


 きょとんとして聞き返すと、ヒューゴより身長の大きい方の少年が、気まずそうに笑った。


「変な意味じゃないんだ。ただ、お前の母さんは美人だろう? ずっと前からそう呼ばれてたんだ、あの家には美人が住んでるって」


「ビジンにはムスメがいるって噂、ほんとだったんだな! お前、なんで一度もあの家から出てこなかったんだ? お前がほんとにいるのかいないのか、大人たちはカケゴトしてたんだぜ」


「賭け事って……」


「父ちゃんはいない方に賭けてたから、きっと母ちゃんに今夜、しこたま叱られるぜ」


 ヒューゴはニヤリと笑った。


「ちょっと、ヒューゴ! 失礼でしょ! 本人に言っていいことと、悪いことがあるわよ!」


 女の子の声がした。身長の大きい少年の後ろに、女の子が立っていた。その女の子の背中に隠れるようにして、小さな男の子もいる。


「初めまして、わたし、サロメ。この家の長女よ。よろしくね」


 サロメは茶色の長い髪を二つに結び、それを揺らしながら私に手を差し出した。私は慌ててその手を握り返した。


「わたし、レノ。今日からよろしくお願いします」


「とっても礼儀正しいのね。何歳なの?」


「さ、三歳です」


「となると、リアムと同い年ね……何をどうしたら、こんなにきちんとした子に育つのかしら」


 サロメはそう言って、ちらりと自分の後ろを見た。その視線につられて、わたしもそちら見た。サロメの後ろに立っていたリアムは自分に視線が集まっていると気付いたらしく、慌てたようにサロメの背中にひょいと隠れてしまった。……四人兄弟だろうか? みんな同じ茶色の髪をしていて、それぞれ少しずつ顔が似通っていた。


「どうせ、自己紹介もまだしてないんでしょう? その生意気なのがヒューゴ。六歳で、私のひとつ下なの。ヒューゴの面倒ひとつ見られないのが、ジョルジュ。今年で十二になるのに、まだ十分に下の面倒が見られないの。全く、次の跡取りが情けないわよね。本当に母さんはジョルジュを跡取りにするつもりなのかしら。この家が没落してしまうのも、きっと、あっという間ね」


「そ、そこまで言わなくたっていいじゃないか。僕だって頑張ってるんだから」


「そう? だったらヒューゴの面倒くらい、見なさいよね。これ、置きっぱなしだったのよ」


 サロメはそう言って、背負っていた籠を下ろした。どうやら野菜の収穫に出ていたらしい。キュウリらしきものや、トマトらしきもの、小松菜らしきものがたくさん籠に詰まっていた。


「収穫に行ったっていうのに、何も持たずに帰ってきて、ジョルジュはちゃんとヒューゴを叱ったの?」


「ヒュ、ヒューゴ! ダメだろう、ちゃんと運ばなきゃ!」


「へんっ。俺は葉っぱを籠に入れて歩くんじゃなくて、父ちゃんみたいに、勇ましい狩人になるんだ。だからそんな葉っぱ、俺には関係ないね」


「ヒューゴ!」


 なんともまあ、大盛り上がりだ。子供の脚で十五分のところに、こんなに明るい家族がいたとは全く知らなかった。どうやってこの怒涛の流れについていけばいいのやら。わたしは目を白黒させていたが、ひとまずサロメの服の裾を引っ張った。サロメは発育が良さそうで、三歳児の私だとサロメはとても大きく見えた。


「ね、ねえねえ、サロメお姉ちゃん」


「お姉……!?」


 ヒューゴとジョルジュを睨んで怖い顔をしていたサロメが、私の言葉に大きく目を見開いた。絶句している様子に、私は何か間違ったかと大慌てしたが、すぐにサロメの顔には花が咲いたような笑みが浮かべられた。


「なあに、レノ?」


「何か、お手伝いすること、ある? 母さんたちがお仕事してるから、わたしもお仕事したいな」


「まあ……レノったら!」


 サロメはうっとりとした顔で私を見た後、すっと手を伸ばして私の手を握った。


「ジョルジュやヒューゴはいらないから、レノを本当の妹にしたいわぁ」


「サ、サロメ、ひどいよ!」


 ジョルジュが困った顔をした。私も困った顔をした。サロメだけがにっこりと笑った。


「冗談よ。ジョルジュ、今の言葉を本当にしたくないのなら、さっさとヒューゴを連れて、二人で草むしりをしてきてよ。私はレノとリアムの面倒を見ながら、野菜の下処理をしておくから」


「ずりーぞ! 自分だけ楽な方選びやがって!」


「じゃあ、ヒューゴ。あなたがレノとリアムの面倒を見ながら、野菜の下処理をしてもらえる? ヒューゴがきちんと野菜を下処理できるというなら、私は全然構わないわ。……ただ、少しでも食べ物を無駄にしたら、母さんが何と言うか………」


「う……。お、俺、草むしりやる!」


 顔を青くしたヒューゴが風のように飛んで行った。その先には、まだ耕されていない土地があった。これからまた新たに何かを植える用の土地なのだろう。ジョルジュはやれやれ、といった様子で草むしり用の道具を幾つか手に持ち、ヒューゴの後ろを追っていった。


「さて、二人とも。手伝って!」


 邪魔者は追っ払った、と言わんばかりのすっきりとした顔で、サロメが籠を背負って家の中へと入っていった。リアムはサロメの背負っている籠を掴んでいるので、自動的に中へと入っていく。


 ……正直なところ、家を出た時点では保育園に預けられるような気持ちでいたので、まさか仕事をすることになるとは思っていなかった。だがサロメたちは幼いながらにも籠を背負って親の手伝いをしているようだったし、そう言わざるを得ないような雰囲気もあった。お友達を作ろう! というよりかは、今や会社の知り合いが出来た気分だ。

 それにしても、サロメたちの発育はかなり良いように感じた。身体的にももちろん、精神的にも、だ。リアム以外は軒並み十歳前後だというのに、もう自分たちだけで色々なことがこなせるようになっている。十歳前後といえば、『私』の記憶でいうところの小学校高学年あたりの年齢のはずだ。『私』が同い年の頃は、まだまだ友達の家でゲームして遊んでいた年齢だったというのに。リアムはおどおどしているが、それでも『私』の知る三歳児に比べれば随分と成長が早いといえるだろう。


 そんなことを考えながらも、私は一度だけ振り返り、不慣れな農作業に四苦八苦している母の姿を見た。一生懸命作業しているのが見える。

 ふと、風に乗って、小さな声が聞こえてきた気がした。人の声だ。それは心地よいものではなく、悪意の込められた声。母の近くにはサロメたちのお母さんがいて、一緒に仕事をしているようだったが、そこから少し離れたところに女性たちが集まって、何やらひそひそ話している。その視線は母に向けられていて、その表情は少なくとも母を歓迎しているようなものには見えなかった。

 それに気付いたせいで、ずきりと内臓が落ち込むような感覚があった。母が言っていた、『外には怖い人たちがいる』という言葉の意味。私と母がよそ者であるということ。そんな中、母は生活のためにその輪に飛び込んでいったということ。


「レノー?」


 怪訝そうなサロメの声が飛んできた。私は慌てて家の中へと向かった。


 サロメたちの家の中は、私の家と随分と雰囲気が違っていた。我が家には最低限生活に必要なものが置かれていたが、ここには農機具やらなにやらいろんな物が置いてあった。しかしどれも実用的で、あまり観賞用のものが置かれていないあたり、裕福といっても農民では限度があるのだとも感じた。

 大きな暖炉があるリビングを通り抜け、台所へ向かう。サロメはナイフやまな板がわりの木の板、布などをいくつか準備していて、背負っているのとは別のカゴにひょいひょい入れていた。


「持つね」


 後ろにカゴを背負い、リアムを連れ、前にもうひとつカゴを持つサロメの姿は、見ていて悲しくなってくる。わたしは慌ててそう言って、サロメが持っているカゴを持った。サロメはわたしが自発的に動くことに驚いたのか、目を瞬かせた。


「それはありがたいけれど……持てる? 大丈夫かしら?」


「大丈夫、大丈夫。わたしも手伝えるよ」


 やれることは限られているけど、限られた中では全力を出そう! ……晩御飯がかかってるんだもんね! そう思えば、やる気も出てくるものだった。


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