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第25話 星空を見に

「それと………これは、レノには酷な話になってしまいますが……」


 父の手が、慰めるように私の肩をさする。


「もし、レノが私のもとに来れば。この村で、マリアンヌは一人になります。そうすればマリアンヌはこの村で、もしくはどこか違う村で、一人で生きていくことができます。若い女性として。……この意味が分かりますか?」


「……父さん、それって………」


 思わずひざ掛けから手を出して、父の手を握った。父の言葉は、母の子として、恐ろしいことだった。だが、一歩引いて、他者の視線から見れば、確かに利のある話だった。

 父は、母と私を一緒に離れの屋敷に呼びたいと言った。これが父の理想形。だが、私がこれを断った。母がなんというかは分からないが、この話だけを聞けば、断るように思う。断らないような人間ならそもそもこんな村で静かになんてしていないだろう。

 だがこの村にとって、私はお荷物になるかもしれない。となれば、確かに父のもとへ移動した方が良いのかもしれない。その時に母が一緒に行くと言えばそのまま一緒に離れの屋敷に入るだけだが、それはつまり、母は愛妾としての人生を自ら選ぶことになる。

 もし、このまま私だけを父のもとへ預ければ。バツイチコブ付きじゃない人生を送れる。他の村へ移り住んでしまえばバツイチさえ隠せてしまう。ミステリアスな若い美女が引っ越して来たぞー! という風になるだろう。母は見るからに若い。そしてあの美貌だ。まだまだ人生、やり直しのきく年齢だろう。うまくいけば良い人に出会って、普通の家庭の幸せを手に入れられるかもしれない。私はサロメの家を想像した。子供がいて、旦那がいて、職があって。裕福ではないけれど、それでも家族がひとつになっていて、私から見れば幸せそうな家庭だった。


「………父さん」


 ぎゅっと父の手を掴むと、父の暖かくて大きな手が、私の手を包み込んでくれた。


「はい」


「父さんの考えは分かった。……でも、母さんの意思がそこに介在してないから、一度、家族会議を開いた方がいいと思う」


「レノは優しい子ですね……ですが、よく考えてもみてください」


 馬車が揺れる。


「マリアンヌが、君を捨てるような選択肢を選ぶと思うでしょうか」


「……それは、」


「この話を聞かせれば、優しいマリアンヌは、絶対に君を離さないと答えるでしょう。レノが私のところへ来ると望めば一緒に来るでしょうし、レノが村に残るといえば残るでしょう。マリアンヌは母として、君の側にいて、君を守ろうとすると思います」


 その通りだ。母が、分かったじゃあレノはチャーリーのところへ行きなさい、私はほかの村で新しい人生歩むわね! と明るく話す姿は全く想像がつかない。ありがたいことに、母は母なのだ。私がまだ幼いということもあるだろうが、それでも母は、良き母たろうと日々努めている。


「それは、そうだけど………」


 つまり父は、母が私を捨てるとは思えないから、お前が配慮して決めろって言ってるのかもしれない。冷静に考えればなんつーことを決めさせようと三歳児に話しかけてんだテメェ、という気持ちになるのだが、私はそれでも、父の提案自体は頭ごなしに否定するようなものでもないかもしれないと思ってしまっていた。


「……ねえ、父さん。ひとつ疑問なんだけど、私が父さんのもとに言ったところで、父さんに何の得があるの?」


 そういえばそうだ。てっきり母と私を離れに呼びたいと言った時も、母と気軽にスケベしたいのかと思っていたのだが、そういうわけでもないということだろうか?

 私にその役目を求めているようにも思えないし(もしそうなら大変なことだ)、一体何が本当の望みなのだろうか。父が愛情深い人間だったとしても、私を自身の屋敷に入れるなんて、マイナス要素しか思いつかない。正妻はこんなことをこの男が考えているなんて知っているのだろうか。


「マリアンヌにはたくさん苦労をかけてきてしまいました。彼女には幸せになってもらいのです。もちろん、それは愛しい娘、レノにも当てはまることです。このまま君たちのことを知らんぷりし続けることなんて、私には出来ないのです」


 君たちの幸せが、私の幸せなんです。父は優しい声でそう言った。有難い言葉だとは思うのだが、これが父の本音なのか、建前なのか、判断ができない。何にせよ、今の父からこれ以上話を聞くのは難しいだろう。

 正直な話、別に父の力添えがなくても、今のところ私の人生に問題はない。このまま現代知識を利用して、大きくなったら街で無双する予定だし、面倒を見てもらわなくたってひとりで生きていけると思う。そのために色んなことを努力する覚悟もある。


「……すぐには答えられないよ。ここでの生活に慣れてきたところでもあるし、私がいなくなることが、本当の意味で母さんの幸せにつながるのか、ちゃんと考えてみたい。私は母さんと離れたくないんだけど、でもそれだと母さんが自分の幸せを掴めないんだというんだったら……」


 っていうか、よく考えたら、諸悪の根源って、父さんじゃね? 正妻じゃなくて愛妾作って孕ませて、子供が生まれたら遠くに追いやって、最終的には子供だけよこせって言ってるようなもんだよね? お前の考えなしな下半身のせいでこうなってるんだぞ、と私は内心背後にいる父に怒った。

 まあ、だからこうやって罪滅ぼしのように、最大限何かしてあげようと配慮してくれたり、定期的にわざわざうちに来てくれてお金を置いていくあたり、まだマシな人なのかもしれないが。


「レノにはつらい選択を強いてしまうことになってしまいます。ゆっくり考えてください。……ただ、もしかすると……私が次にここへ訪れることが出来るのは、かなり先のことになってしまうかもしれません」


 父は父で忙しいらしい。無理を言って時間を空けて今日はここに来たけれど、明日からまた忙しい毎日になるらしく、天候に関係なく、暫くは来られないかもしれないと話してくれた。今までは何の知らせもなく暫く来ない期間が出来たりしていたので、わざわざ教えてくれたのは、私たちを気にかけているんだけど仕事で忙しいから来れないんだよ、というアピールなのかもしれない。


「次に会う時こそ、快い返事をもらえるよう祈っていますよ」





 馬車が止まった。どうやら目的地に到着したらしい。父に抱き上げられて、馬車を降りた。そのまま地面に下ろしてもらえるかと思ったのだが、父は私を抱きかかえたまま、空を見上げた。


「ご覧、レノ。美しいでしょう?」


「わあ、……!」


 父に促されるまま空を見上げて、息を呑んだ。馬車につけられていたランプの明かりも消したらしく、周囲は真っ暗になっていた。そんな中、夜空だけは光り輝いていた。数えきれないほどの星々が瞬き、広々とした空に輝いている。遮蔽物など何もない光景。ビルや電線に区切られた夜空ばかりが記憶にある中で、こんなにも何もない、本当に広い空を私は生まれて初めて見た。真っ暗なのに、明るい。月の明かりと、星の明るさで、こんなにも夜は明るくなるのだ。


「すごい、きれい……」


 茫然と空を見上げる。吐く色が白く、肌寒いことには変わらなかったが、それ以上に興奮と感動が胸を渦巻いていた。静かな世界の中、星々だけが瞬いている。まるで夜空に吸い込まれてしまうような感覚に陥り、私は思わず父の腕をぎゅっと掴んだ。


「寒いですか?」


「あ、ううん。あまりに綺麗で、攫われちゃいそうで……」


「おや、ふふ。レノは詩の才能もあるかもしれませんね」


 からかうように父が言ったが、私は父の首に腕を回してぎゅっと抱き着いた。誰かに支えてもらわないと、平衡感覚がおかしくなってしまいそうだった。


「レノ、欲しいものはありますか?」


「欲しいもの?」


「前回のフライパンは随分と喜んでもらえたと聞きました。これから長い間会えなくなってしまいますし、せめて贈り物くらいはさせてくれませんか?」


「欲しいもの……」


 母からは、物を強請るなと言われているし、約束もさせられている。父の好意を無駄にするようで少し心が痛むが、私は小さく首を横に振った。


「ううん、大丈夫。わたし、父さんに会えるのが一番の贈り物だがら、なるべく早くに会いに来てくれればそれでいいよ」


「レノ……!」


 なんて可愛らしい子でしょう、と父がうっとりとした。半分冗談交じりのつもりだったが、ここまで感激されるとそんなこと言えそうにない。私は心からそう思ってるよ、と言わんばかりににこりと笑って見せた。


「でも、欲しいものはあるでしょう? 例えば……そうですね、石筆とか?」


「えっ!?」


 思わずぎょっとした声をあげてしまった。静かな夜の世界に、私の声が響き渡り、慌てて口を押える。


「な、何で知ってるの?」


「ふふ。レノのことで、父さんが知らないことはありませんよ」


 私が度肝を抜かしたのを見て、父は満足そうに言った。


「文字を練習中なんでしょう? あの村に文字の読み書きができる人間がいるなんて、私も驚きました」


「父さんは文字を読み書きできるの?」


「もちろんです。貴族は全員できますよ」


 父の話によると、貴族はきちんとある程度の教育を受けさせられるらしい。学校があるのかと思いきや、どうやら家に教師役の人間がやってきて、勉強を教えてくれるんだとか。文字の読み書きや、計算、領地内の特色について最低限の知識を叩きこまれるらしい。それらをきちんと学ばなければ、貴族失格とのことだった。


「だから驚いたんですよ。この村に貴族はいませんからね。一体どんな人に教わっているのですか?」


 私は思わず口ごもった。先生が秘密にしてほしいと言った意味がやっとわかった気がする。こんな村にそんな知識人がいること自体、貴族の人間からしてみれば不可解なのだ。怪しまれてしまう危険性も跳ね上がるだろう。


「博士っていうんだ。キノコとか、薬草に詳しくてね」


 母も知っているレベルでの情報ならば流しても問題ないだろう。父のことだ。私だけでなく、母からも情報を得るだろうし。私がそう簡単に説明すると、父はにこりと笑った。


「そのうち、その博士と言う人にも、親として挨拶をしておきたいですね」


「え、え!? い、いやいや! そんなの必要ないよ!」


「何故ですか? 私は、どうしたらこういった村で生まれ育ったにも関わらず、文字の読み書きが出来るようになったのか知りたいのです」


「と、父さんも知ってたんだね、こういう村の識字率がとんでもなく低いことに! だったらさ、ほら! それこそこういう村に文字と計算とかさ、そういうのを学べる環境づくりをした方が良いと思わない!? このままだと私、文字が読めても単語が分からないから、本だって読めないんだよ?」


「……そうですか、あの村には本があるんですか。珍しいですね、あのような村にそんな高価なものがあるというのは。なかなか聞いたことがありません」


「え、ええ!? 無いよ!? なんで!?」


「レノはまだ街に出たことがないでしょう? それなのに、本という存在を知っているということは、村の中で見かけたということです。違いますか?」


「違いますよ! ぜ、全然違いますとも!」


 あああああ。私は頭を抱えて心の中で叫んだ。それと同時に、もう二度と何もしゃべるまい、と手で口を押える。暗闇の中で真っ青になっている私に気付いているのか気付いていないのか、父はくすくす笑った。


「なるほど。あの村に本があることは秘密だったんですね」


「ああああ」


 もうやめて! 娘のHPはゼロよ!

 私は父の服をぎゅっと掴み、その整った顔に顔を近づけた。ともすればまるで愛を囁くような距離だったが、私は父を死にそうな顔で睨んでいるし、父はきょとんとした顔で私を見つめているので、全くそういう雰囲気にはならなかった。


「おねがいします」


「?」


「聞かなかったことにしてください! なんでもしますから! お願いします!」


 こうなったらやけくそだ。死にそうな気持ちで懇願すると、父は面白そうに口元を釣り上げた。


「でしたらひとつ、私からのお願いも聞いてくれますか?」


「うっ」


 優しい紳士、というペースを崩したことのない父だが、なかなかに信頼できないというか、何を考えているのか分からないところがあったりもする。なんでもします! というのは言い過ぎだったかもしれない。父に何をお願いされるのかと心臓をどきどきさせていると、父はニヤリと悪そうな笑みを浮かべて言った。


「新しいお菓子のレシピを考えてくれませんか?」


「…………お菓子のレシピ?」


「はい。クッキー以外で、まだ何か思いつきますか? もし思いつかないのならば、さっきの料理のレシピでも良いのですが、」


「ええええいいよ! いいよ! 教える、教えます! 考えます! クロードさんに伝えればいい!?」


 そんなので秘密を守ってくれるならなんでもいい! 料理だろうがお菓子だろうがレシピくらい教えてあげる! 私がものすごい勢いで承諾すると、父は楽しそうに笑った。


 さて。お菓子となると何が良いだろうか。クッキーは教えたんだから、せっかくだしクレープでも教えようかな? 作り方は簡単だし、かといって中に挟むものは結構お金がかかりそうだし、ナイフとフォークで食べるあたりを考えてもお貴族様ぴったりのオシャレなスイーツな気がする。それか、パンケーキとか?

 そうやって色々考えているうちに、気付けば馬車の中に戻っていた。さすがに身体が冷えてきたし、夜空も堪能したので、特に文句を言うこともなく父にされるがまま再び膝の上に乗らされ、ひざ掛けをかけてもらった。


「ねえ、父さん。お菓子のレシピだけど、もしかして、そのレシピを譲ったら、それってもう、権利ごと譲ったことになる?」


 私の頭の中にはクッキーがあった。父にレシピを譲ったが、そのあとクッキーを作って行商人に売っているのだ。もし作る権利も譲ることになるのであれば、私が、というより、あのシュクールおじさんの立場が悪くなってしまう。ふとそのことに気付いた私が慌てながらそう尋ねると、父は私を安心させるように大丈夫ですよ、と落ち着いた声で言った。


「レシピだけ教えてくれれば大丈夫です。だからといって、私がそのレシピを独占し、レノにその料理を作ること自体を禁じているわけじゃありませんよ……と、そういえば、この間屋敷にクッキーを売りに来た男がいたような」


 思い出したようにそう言って、父がクロードを見ると、クロードは仰る通りですと言って頷いた。やはりそうでしたか、と父は話を続ける。


「一度試食をしましたが、レノが以前に作ってくれたクッキーより甘くないものでしたし、美味しくありませんでしたので、追い払っておきましたよ」


「えっ」


 シュ、シュクールおじさん……。やっぱり、シュクール入りを食べたことがある人間に、シュクール抜きを食べさせるのはダメらしい。ご、ごめんな、シュクールおじさん……。


「もしかして、あれはレノが取引したクッキーですか?」


「えへへ」


 その通りです。父ならお金にがめつくなさそうだからいいか、と私はシュクールおじさんとのやり取りを話した。シュクール抜きなのに銀貨一枚も勝ち取った私の話を聞いて、父は面白そうに笑った。


「どうやらレノは、私が心配する必要もないほどに、強かに生き抜ける才能を持っているようですね」


「しばらくはクッキーを量産して売りさばくから、父さんが来れなくても安心してね。母さんとの生活は、私がちゃんと支えるから」


「頼りがいのある小さな料理長さんで、私も誇らしいです」


 父は呆れたようにそう言って、また私の頭を撫でた。





 その後、私はクロードにクレープのレシピを口頭で教えた。そんなに難しいことではないが、盛り付けが重要になるので、実演できないのが悔しいところだ。クロードの持っていた(どうして持ってたんだろう?)石板にチョークで絵を描いて教えてあげたが、本当にこれをきちんと再現できるかは謎だ。

 そうこうしているうちに、あっという間に家に着いた。結局プレゼントの件もきちんと父の申し出を断って、何も貰わないようにした。

 父はこれから長らくここに来られないことを、最後まで心配しているようだった。


「苦労をかけてしまって申し訳ありません、マリアンヌ」


「いいえ。大丈夫。あとはこちらで何とかするわ」


「……ええ、頼みます」


 父と母は最後にまた強く抱きしめあって、名残惜しそうに身体を離した。私が心配するまでもなくラブラブそうな二人の様子に、なんだかちょっぴり安心した。

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