第24話 父からの誘い
「レノは本当に料理上手ですね。どれもとても美味しかったです。毎日でも作ってもらいたいくらいですね」
「ありがとう、父さん! でも私の料理はご馳走用だから、節約とか、そういうのとは縁遠くて、だからあんまり役に立たないんだ」
「そうね、レノの料理はおいしいけれど、これを毎日食べてたら、あっという間に路頭に迷っちゃうわね」
母の入れてくれた暖かいハーブティを飲みながら、私たちは家族団らんの時間を過ごした。
「……そういえばさ。聞いてみたかったんだけど、今やってる職業をやめて、新しい仕事を始めるのは、領主様の許可を貰わないとダメなんだよね?」
リラックスした空気に、ふと思いついた疑問が口をついた。母は何を言い出すのかとハラハラした様子で私を見たし、父は笑みを深めて私を見つめた。
「レノはこの暮らしを変えたいと思ってるということですか?」
「あ、ううん。そういうわけじゃないんだけど……えーと、もし、これがマズいことだったら、どうか領主様には秘密にしておいてもらいたいんだけど」
私は父に、行商人にクッキーを売りさばいたことを話した。ひとまずは小銭稼ぎみたいなものだったけど、これが定期的に行われることになったら、定期収入になるはずだ。例えば日雇いのアルバイトを一回しただけでは、金額にもよるが基本的には確定申告しなくても一応大丈夫だけど、これが定期収入になったら税金を納めなきゃいけない……みたいな感じで、何か備えておかなきゃいけない知識はあるのか。私はそういう意味で聞いてみたいのだ。
「もしかすると、今後もあのシュクールのおじさんにクッキーを売るかもしれなくて。わたし、そういうの、よくわかんないから、マズいことしてたら怖いなって思って……」
クッキーを売りさばいたのは私の勝手な行動だ。今後も、よかれと思って勝手に動いた結果法律違反してました、となると困る。事前知識は何においても大切だ。貴族である父なら、この辺りについても詳しいだろうと当たりをつけてみたのだが、どうだろうか。
予想に反して、父は大丈夫ですよ、と優しく言った。
「もしそれが犯罪になるのなら、行商人の日に干し肉や、乾燥させたナッツ、塩漬けのコンブルといった加工品を流通させることも犯罪になってしまいます。だから、レノが普段の役割を果たしながら、クッキーを行商人に売るだけなら問題ありません」
なるほど、副業はオッケーだということか。
「ただ、レノが今やっている仕事を辞めて、クッキーだけをずっと作り続けて行商人に売るだけの生活をしたいだとか、それこそ行商人になってクッキーを売り歩く、となれば、領主の許可が必要になります」
なるほど、転職には領主様の許可が必要、と。ならば兼業はどうだろうか?
「例えばじゃあ、三日に一回、行商人としてクッキーを売り歩いて、残りの日は全部ここでいつものお仕事をしてたら、それはどうなるの? それも申し出ないとまずい?」
私の質問に、父は一瞬固まった。そうですね……と何やら思考し始めるのを見て、もしかして、と私は察した。前例のない疑問をぶつけてしまったのかもしれない。まあ、片手間で出来るほど行商人も簡単じゃないだろうし、業界人からやっかみを受ける可能性の方が高そうだよね。行商人なめてんのかー! みたいな。
「レノは行商人になりたいってことかしら」
会話を聞いていた母が言った。私は慌てて首を横に振る。
「ち、違うよ! 今のは単純な疑問で、どこまで許されて、どこからがダメなのかなって。ダメなことをダメだと知らなくて、後で犯罪だー! ってなっちゃっても嫌だし」
もしもの話ばかり聞いていても仕方ない。父は私よりこの領地の常識について詳しいだろうが、領主様なわけでもないのだ。
ひとまずクッキーの件は大丈夫そうなので、今後も私は引き続きクッキーの生産と卸しを担当していけばいいだろう。レシピを売らない限り、一定期間はそこそこの利益を得られそうだし、飽きないように味替えをしたり適度な期間を開けて、新作を発表すればいい。
金策に目途が立ちそうで、私がぐふふと嫌な笑いを零していると、ふと父が思い出したかのように言った。
「そういえば、この辺りに星が良く見えるところがあったんです。見晴らしがとても良くて……この間の帰り道には、思わず馬車を止めて、その光景に見入ってしまいました」
「へえ! いいな!」
「おや。レノ、興味があるんですか? では、今から見に行きましょう」
「え、いいの!? 行きた、……あ、えっと」
夜になって外を出歩くことはほとんどない。翌日も朝早くからお仕事だったりするので、夜更かししても良いことは何もないからだ。ランプを持って歩かなければ足元が全く見えないし、この村には悪い人がいないにせよ、暗闇の中、ランプの光だけで歩くのはなかなかに心細い。悪い人が潜んでいても気付けないし、普通に動物たちと鉢合わせて危険な目に遭う可能性だってある。ということで、基本的には夜道を歩かないこととなっているのだ。
そのため、馬車の中にいれば安全で、しかも男手がたくさんいる父と一緒に行けば、安心して天体観測を楽しめるのだと思い、咄嗟に父の言葉に賛同してしまった。でも、母の了解も得なければならないだろう。明日だって仕事だし、この食器の片付けもある。放り出して母も私も遊びに行くわけにはいかない。
私の伺うような視線に、母は苦笑して手を振った。
「私は遠慮しておくわ。レノ、後片付けは母さんがしておくから、気兼ねせず行ってらっしゃい」
「ほんと!? やったー! ありがとう、母さん!」
喜びのあまり母にぎゅーっと抱き着くと、母はよしよしと私の頭を撫でた。決まりだ、といった様子で父は立ち上がり、クロードからコートを受け取っている。それを横目に、母は私の耳元で囁いた。
「レノ、約束は覚えてる?」
「あ、うん。物を強請らない、だよね?」
「そうよ。それと、できれば後で何を話したのか聞かせてほしいわ」
母の声音が、真剣みを帯びる。一体何に警戒しているのか分からなかったが、私はコクリと頷いた。
「レノ? マリアンヌ? どうかしましたか?」
父の声がした。母はさっと私から身体を離すと、外は寒いから外套がいるわね、と戸棚を開けた。外套なんていう上等なものはないので、もこもこにたくさん服を着せられるのだろう。私が母の側で突っ立っていると、父は笑いながら私の手を引いた。
「マリアンヌ、大丈夫です。必要ありませんよ」
「チャーリー? でも……」
「レノ、ここに腕を通してください」
父の後ろには、いつの間にかクロードが立っていた。なんだろう、と思う暇もなく、掴まれた腕に袖を通され、あれよあれよという間に私は黒いコートを羽織っていた。子供用なのだろう、身体にピッタリなサイズだった。上等な皮で作られたのがすぐにわかる質感で、ずっしりとしている。風を通さなくて、すでにかなりあったかい。
「父さん、これ……」
母も私もそのコートを見てぎょっとした。こんなにも質の良いコートはを着るのは初めてだ。恐れ多すぎる。一体いくらするんだ、これ。
「素敵な夕食会のお礼です。どうでしょうか。気に入りませんか?」
浮かない私の表情に、父が心配そうになった。改めて、私は自分のコートを見下ろす。デザインは父のものとほとんど一緒だった。ユニセックス用なのだろうか? 父から娘へ、となれば、てっきりもっとふりふりしたものを着させられるかと思っていたのだが、かなりシンプルな形をしている。だがその分洗練されていて、上品にも見えた。
「ううん、気に入った! かっこいいね、これ!」
「……チャーリー……」
慌てて私が満面の笑みで、似合う? とその場でくるくるして見せて、父の顔に笑顔を戻したのだが、母は強張った顔で父を見ていた。父は母の言葉を黙殺し、私の手を引いて扉へと向かった。
「では、少しだけレノを借りますね。マリアンヌ」
「えっと……母さん、行ってきます!」
両親の気まずい雰囲気を壊すためにも、私はいつもより大きな声でそう言って、母に笑いかけた。大丈夫、約束なら覚えてるし、変な行動もとらないよ! 多分だけど! 私の意図が伝わったのか、母は私を見て困ったように、しかし少しだけ笑ってくれた。
ひんやりとした空気はむき出しの頬に刺さるようだったが、父がくれたコートのおかげで、先ほど外に出たときより随分と寒さが和らいだような気がした。ボロ服が風を通し過ぎなのかもしれない。コート、めちゃくちゃいいな!
父にひょいと抱きかかえられ、馬車の中に乗り込んだ。そのまま父の膝の上に乗せられたので、一人で座れるよと反論したのだが、私も寒いからここに居てほしいのですが、ダメでしょうか……、と甘えたように言われればこれ以上何も言えず。クロードが私と父を包むようにひざ掛けを掛けてくれたので、正直、たぶん普通に一人で座るよりは随分と暖かかった。
後ろからぬいぐるみを抱きかかえるようにされているため、馬車が揺れても椅子からずり落ちそうになることもないし、悪路のせいで馬車が縦に揺れたところで私のお尻への影響も少ない。ちょっとだけ恥ずかしいが、一番最高なシートに乗っている状態ではあるので、私は大人しく父の膝の上に座り続けた。
「……レノ。気持ちは変わりましたか?」
前言撤回。最高なシートなんかじゃない。これは拘束椅子みたいなものだった。後ろからかけられる父の声。馬車はすでに動き始めていて、逃げ出せるわけもなく。この話がしたいから私を外に連れ出したのだと、私は今頃気付いた。
「えっと、私と母さんで、父さんの屋敷の側に引っ越すって話だっけ」
「ええ。ただ今回は、もうひとつ違った提案を考えてきました」
ひざ掛けの上から私の膝に置かれた、父の大きな手。ひざ掛けが落ちないように持っててくれてるのだと優しさを感じていたのだが、この父の腕の中から逃さないようにしているのだと感じてからは、その大きな手に優しさより厄介さを感じている。
「提案?」
父の声音が神妙さを帯びたことで、私は少し不安になった。一体、どんな提案を考えてきたのだろう。
「君とマリアンヌが来るとなると、さすがに私の屋敷の中に二人を住まわせるわけにはいきません。だから、離れに住んでもらうことになる……という話をしたことは、憶えていますか?」
こくり、と私が頷くと、父は続きを話した。
「もうひとつの提案は、……レノだけを、私の屋敷へ招待しようかと考えています」
「わたし、だけ……?」
父は何を言っているんだろう? 母と離れ離れになるような提案など、私が受け入れるわけがない。そもそも、こんなところに母だけを置いていくなんて、一体どういうつもりなのか。
私が怪訝そうに後ろを振り返ろうとすると、ぎゅっと抱き寄せられて、顔を見ることは叶わなかった。下から見上げてやろうとしたが、私の頭の上に父の顎を置かれてしまう。
「二人で生計を立てるのは大変でしょう。ですから、片方だけでも引き取ろうかと思ったんです」
「だったら、母さんを引き取ればいいでしょ? 父さんが愛してるのは母さんなんだから」
「おや、君は思ったより情熱的な子ですね」
物理的に頭の上でクスクス笑われる。
「でも、そうそううまくはいきません。君は賢い子だから分かってくれますね? 私がマリアンヌを屋敷に連れて帰れないことや、もし無理を通して屋敷の中にマリアンヌを入れた場合、マリアンヌがどんな扱いを受けるか」
「……だったら、余計に今のままが、お互いに丁度良い距離間なんだと思うんだけど。父さんはそう思ってないってこと?」
意図が読めない。私は不安と警戒心で暗い声になりながら、父に問うた。父は賢い子は好きですよ、と言って少し身体を離し、私の頭を優しく撫でた。
「二人が離れの屋敷に入ってくれるのであれば、私としては一番安心できる状態でした。ただ、レノはそれを嫌がっていたので……私もこの状態が一番良いのかと思っていたんです。ですが、そうも言ってられない状況になってきたんです」
え、やっぱりこの人、母さんには意思確認してないわけ? なんで三歳児の意見採用してんだよ。
「正直に話しましょう………レノ。君です」
「わたし……?」
「はい。はっきり言って、レノはこの村には過ぎた人間です。ああ、親の色眼鏡を抜いて考えても、という意味ですよ。……このままこの村で過ごしていては、いずれ結婚相手を見つけ、家庭を持つことになるでしょう。私はレノに、こんなところで一生を過ごしてほしくはありません」
もちろん私もそんなつもりはない。だが、この村のことが好きだという気持ちも、もちろんある。だから村を軽んじられるような発言に、私は少なからずムッとした。
「こんなところって言いますけどね、わたしにとっては生まれも育ちもここだから、大切な故郷なんですけどね」
「ああ、違うんです、レノ。すみません。悪く言うつもりはありませんでした。むしろ、村のことを思えば、と考えただけなんです」
「……どういうこと?」
「レノは次に何をしでかすか分かりません。それだというのに、ここにはそれを補助出来る人間がいないのです。レノはとても賢いうえ、いろいろな方面に才能が突出しています。しかし、まだ誰かから保護を受けなければ生きていけない年齢でもあります。君の才能を、この村が知らないうちに潰してしまうかもしれません。それだけならばまだ残念ですねという話で済みますが、もしかすると、君の才能が、知らないうちにこの村を潰してしまう可能性もあるのです」
父の言葉に、ゾクリと背筋が冷えた。
私は『私』の価値観で出来ることや出来ないことを判断して、軽い気持ちでやってみようよ、と口に出してしまう。葡萄酒のこともそうだ、マルタンに指摘されるまで、本気でやればいいじゃんって思っていた。オリーヴァだって、母さんに指摘されるまで、それがこの村にとって最善だと思っていた。
特にオリーヴァの件は、母だから止めてくれたようなもので、もしこれがサーラおばさんの耳に入っていたら、もしかすると本当に動き出してしまっていたかもしれない。そうすればこの村は、大きく変革することになってしまっていたかもしれない。
長い目で見れば良い変革になったかもしれないが、うまくいかなかった時のことを考えると、ぞっとする。そこまでの責任は取れないし、取る覚悟も持っていない。
新しいキャラクターは、出るべき時にまた出てくるので、頭の片隅に置いておいてもらえるとうれしいです。




