第22話 クッキーでぼったくる
行商人の日の前夜には父からもらったフライパンでクッキーを量産し、翌日、村の広場へと向かった。
豚肉と鶏肉、調味料と油、パスタやパンなど、必要となるものを頭の中にメモをして、今回も前回同様サロメたちと一緒に行った。
「で、どうしてヒューゴは私についてきてるの?」
前回、マルタンがヒューゴと喧嘩してから、ヒューゴはやたらと私に執着するようになってしまった。私に『文字が読めるマルタンより、狩りが得意なヒューゴの方が立派だね!』と言わせるのを諦めていないらしく、事あるごとに狩りができる俺スゲーアピールを欠かさなかった。正直ちょっとウザい。
「お前もそろそろ、槍の先につけるにはどんな刃がいいか知っておかないといけないだろ。俺がジキジキに教えてやるよ」
「そっか、ありがとう。でも先にお使いを済ませていいかな?」
「バカレノ。先に刃だろ!」
「先にお使いを済ませないとだよ、ヒューゴ。焦げて硬くなったパンを買ってきたら、サーラおばさん怒るんじゃないかな?」
「う……」
仕方なさそうに、ヒューゴは私の後ろにくっついてきた。買うものはほとんど同じらしい。大方、同じになるようにサロメに無理を言って手配してもらったのだろう。
だが、ヒューゴにばかり気を遣ってはいられない。父が来るのだ。フライパンのお礼をしなければならない。単純に美味しいごはんも食べたい。今回は私が夕食を作るのだと、以前から母と約束している。クッキーの一件で母はある程度私に信頼を置いてくれているらしく、火元や包丁は危ないから一応側にいて見ていてくれるらしいが、料理そのものは任せてくれるとのことだった。
「おじさん。この野菜と交換できるだけ塩とこの赤いのと、緑色のをください」
「はいよ!」
たっぷりの塩と、一味唐辛子のようなものと、ハーブ入りの塩っぽいものを手に入れた。ニンニクっぽい香りのする葉っぱ付きの白い丸い実もゲットした後は、干したキノコと肉類を交換してもらい、色んな種類の果実と交換にパンやパスタを手に入れた。
また、同じ店でヒューゴも買い物をしていた。ヒューゴはこれで今日のお使いは完遂らしい。
「まだ何か買うのか?」
私が向かっている先に気付いたらしいヒューゴは、呆れたような声を出した。
ヒューゴの予想通り、私は今、シュクールを買うために移動している。ニヤニヤした笑みを浮かべてヒューゴを見ると、ヒューゴはため息をついた。
「……お前、勿体ねーとか思わねえのか?」
ヒューゴにとって、シュクールはあくまで嗜好品。クッキー同様美味しいとは思うし、欲しいのは欲しいが、それは行商人の日にお駄賃としてもらえる程度の量の話であって、食料として確保しておくべきものだとは思っていないらしい。……砂糖水にしちゃえば、結構色んな料理に使えるんだけどな。まあ、確かに少し割高な調味料になってしまうかもしれない。でも、食の楽しみって、人生の大きな幸せのひとつだというのが持論なんだけど。
「まー見ててよ」
私はシュクールを羨ましそうに見つめる子供たちをかきわけ、先頭にまでたどり着いた。普通、子供たちはシュクールを一粒や二粒買うのが精一杯らしい。その時のお使いの内容では買えない時もあるらしく、買えなかった子供や、すでに一粒食べきってしまった子供がシュクールを見つめるだけでいいから、とその場に固まっている。
商売の邪魔なんじゃないかと思いつつ、しかし子供が群がっている時点で話題作りとしては成功なのか、と思い直して、シュクール売りのおじさんに声をかけた。
「こんにちは」
「はいはいこんにちは。一粒でいいかい? 今日の相場はコンブル二本で、シュクール一粒だよ」
私の背丈と着ているボロ布を見て、おじさんは勝手に判断してそう言った。行商人と直接本当の取引しようとするのは初めてだったので、確かに見た目は大事だったか、と少し後悔した。ボロい服でいることに慣れきってしまっていた自分を叱りながら、私はゆっくりと首を横に振った。
「おじさん。取引しませんか?」
「は?」
シュクールが入った箱を私の方に押しやっていたおじさんは、手を止めて怪訝そうに私を見た。私はにこりと笑って、手に持っていた布の包みを開き、クッキーを見せた。
「これ、わたしが作ったお菓子なんです。おじさん、一つ食べてみませんか?」
「作った? 君が? これを?」
「はい。でも、これ、本当はシュクールが入ってると、もっと美味しいんです。だから、おじさん。これとシュクール、交換できますか?」
「そんなこと、出来るわけがないだろう。シュクールが買えないからって、こんなことしてもダメだよ、お嬢ちゃん」
子供の浅知恵だと思っているのだろう。おじさんは困ったように笑って、はいはい帰った帰った、と手を振った。私はそれを無視して、クッキーを一枚手に持って、おじさんに差し出した。
「じゃあ、これはおじさんにあげます。一度食べてみてから判断しても、遅くないんじゃないですか?」
「ハッ。こんな泥団子を薄くのばしたみたいなもの、食えたもんじゃないよ。そもそも、こりゃ本当に食い物なのか?」
しつこい子供をあしらうように、おじさんは鼻で笑った。泥団子に見えるのかと新たな知見を得た私は、目を瞬いた。まあそこまで言うのなら、と私はクッキーをふたつに割って、一枚を隣にいた子供に与えた。
「なあに? これ」
「クッキーだよ。食べてご覧?」
「……美味しい!」
隣に立っていた少女は不思議そうに口に運んだが、食べた途端、顔を輝かせた。ふふん。シュクールが入っていない分、今回はバターを多めにして、ミルクをいれたのだ。上に乗せたドライフルーツも変わらず、なるべく熟して甘みの強いものを準備している。
少女の様子に背中を押されたのか、おじさんはしぶしぶといった様子で私の手から半分のクッキーを手に取った。そして恐る恐るといったように口の中に放り込み、もぐもぐと口を動かす。と、おじさんは動きを止めた。そして信じられないものを見るような目で、私をじっと見つめた。
「なんだ、こりゃあ……」
「クッキーです。それで、これとシュクール、交換できますか?」
「そんな……」
さて、頃合いだろう。私は籠から、大量のクッキーを包んだ方の布を取り出した。それを両手で抱えて、おじさんをにっこりと見つめた。
「わたしからの要求はシュクール十粒と、残りは硬貨で欲しいんですが、どうでしょうか?」
「お前、そんなバカな話があるか」
おじさんの声はトゲトゲしかった。しかし、その目は私の手元の布から離れない。
「おじさん、行商人なんですよね。行商人って、ここで仕入れたものをよそで売って、稼ぎを出してるんでしょう? 右から左へ、足りているところから足りないところへ。需要と供給を見定めるのって、きっと、すごく大変なんでしょうね」
うんうん、と頷きながらも私は話を続けた。
「さて。今、わたしの手元には五十枚のクッキーがあります。昨日の夜に焼いたばかりで、そもそもクッキーは兵糧になるくらい日持ちが良いので、すぐに腐るってことはありません。それに、これは他ではどこにも売ってない、すごーく珍しいお菓子になります。作り方だって、流通に上がりそうな人にはまだ誰にも教えてないです。つまり、今ここでこれを買えば、おじさん専売の、新しい流行のお菓子になるかと思います」
事前に、先生やマルタンに、行商人については色々教えてもらっていた。その知識を駆使してぺらぺらと営業トークをしてみたが、どうだろう?
おじさんは口を開けたまま、茫然とした表情で私を見ていた。幼い子供がつらつらと商品説明をしている異常さを気味悪がっているのか、それともそのクッキーの価値について考えているのか分からなかったが、私は笑みを深めて話を続けた。
「どうですか? 取引しませんか?」
「ざ、材料費はそんなにかかっていないんだろう? だったらシュクール十粒と交換だ、それでも破格じゃないか!」
「うーん。どうでしょう。もともと存在しているお菓子であればそうかもしれませんが、これはそもそも、そういう料理が無いっていう中で、新たに作られたものです。最新の流行になるかもしれないのに、安売りはできませんよ」
相手が子供だからと思ったのだろうか? おじさんは唐突に威圧的な態度に出たが、私はすぐにそれをはねのけた。ぐ、と言葉が出なくなったおじさんに、追い打ちをかける。
「ただ、これはシュクールが入っていないので、おじさんの言う通り材料費としては少しばかり楽をさせてもらってます。なので、多少おまけすることはできますよ。で、どうします? おじさん」
首を傾げれば、おじさんはぱくぱくと口を開けたり締めたりした。そしてシュクールの箱と、硬貨が入っているらしい革袋を交互に見て、仕方なさそうに肩を竦めて見せた。
「……分かった、分かったよ。お嬢ちゃんの言う通りにしよう。シュクール十粒と、銅貨二枚だ。これ以上は出せない」
おじさんはそう言って、革袋から銅貨を二枚取り出した。
「おいおい、レノ! まじかよ、すっげーなお前……!」
いつの間にか隣に立っていたヒューゴが、あんぐりと口を開けて私とおじさんを見ていた。この間食べたクッキーが、シュクール十粒と銅貨二枚に化けたのだ。驚くのも当然だろう。
でも、これにはそれほどの価値がある。私はおじさんがそう判断したことを理解し、目を細めた。
「はい、お嬢ちゃん。そのクッキーとやらをおじさんに渡してくれるかい?」
銅貨が二枚、おじさんの荒れた手のひらに乗せられて、差し出された。シュクールは自分で選ぶといいよ、とおじさんが付け加える。
だが、私は首を横に振った。
「……お嬢ちゃん?」
「おじさん。今、銅貨二枚って言いました?」
私はジロリとおじさんを睨む。おじさんが焦ったようにニコニコ笑った。
「ど、どうしたんだい? シュクールだけでなく、お嬢ちゃんの望み通り硬貨が二枚ももらえるんだ! いい話じゃないか!」
「おじさん、冗談はやめてください」
ふう、とため息をついて、眉間に皺を寄せる。ヒューゴが困惑したように私を見た。
「レノ、お前何を言って……」
「銅貨二枚? 話になりませんね。最低でも大銅貨一枚は下りません。銀貨って話にしてもおかしくないでしょう」
「ぎんっ……?!」
「お嬢ちゃん、それはさすがに笑えない冗談だよ」
ヒューゴが目を見開き、おじさんが苦笑した。しかし私は呆れた顔でおじさんを見た。
「さっきも言ったと思いますが、これはこの辺りで出回っていないお菓子です。新しい流行になる可能性だって秘めています。もしかすると、このシュクールのように、流行のひとつとして長く子供たちに愛されていくかもしれません。……おじさん、知っていますか? 子供の時に美味しいと感じたお菓子って、大人になってからも美味しいと思うものなんです。つまり、子供の頃に憶えた価値観は変わらず、大人になっても引き継がれていくんです」
こんなに小さな子供が何を言ってるんだと思われているだろうが、気にせず私は話を続けた。
「おじさんはシュクールを新しい流行として取り扱った。そして新たに今、クッキーという新しい流行を目の前にしている。もし、おじさんのところで二つ目の新たな流行が生まれたら? おじさんはこれから『おじさんが取り扱うものが流行になる』という目で見られることになります。この意味が分かりますか?」
おじさんの喉が、ゴクリと鳴った。
「だからわたしは、流行について敏いであろうおじさんのところに最初にクッキーを持ってきたんです。最もよき理解者になってくれると思って。……でも、この意味を分かってくれないのであれば、残念ながらこの取引は無かったことにしてもらいたいです。わたしにとって、売る相手はおじさんじゃなくても別に構いませんから。より良い条件で買い取ってくれる人を探せばいいだけです」
「そ、そんなことを言っても、今来ている行商人の中に、菓子を取り扱っているのは俺だけだ! 俺以外が俺以上の金額で買い取るわけがないだろう!」
「ええ。そうでしょう。ですから、お金は諦めます。バラ売りにして、……そうですね、例えばクッキー十枚と豚肉を交換してもらったり、クッキー五枚と赤唐辛子一本と交換してもらったりしようと思います」
商品価値を下げるような行為になるけれど、仕方ないですね、と肩を竦めてみせると、おじさんの顔が真っ赤になった。このガキ、と今にも怒り出しそうだ。
「……シュクール十粒と、銅貨二十枚だ」
「ああ、そうですか? だったら今回で取引はおしまいですね。毎回この村に行商人としてやって来てくれてたというのに、残念です。実のところ、せっかくシュクールを十粒も頂けるので、今持ってるクッキーよりずっと甘くて美味しいシュクール入りのクッキーを作ることもできるんですが。それは私が個人的に楽しむことにしますね。このシュクールが全然入ってないクッキー五十枚が、高く売れるよう応援しています」
ふふふ、と笑って手元のクッキーを差し出せば、おじさんの顔は真っ赤を通り越して、土気色になっていた。そして唸るように呟いた。
「銀貨だ」
「はい?」
「シュクール十粒と、銀貨一枚。これ以上は出せん」
おじさんは乱暴に私の手からクッキーを奪い取り、太くて短い指で革袋から銀貨を取り出し、私の小さな手のひらにぽんと置いた。私はぎゅっとそれを握りしめて、にやりと笑った。
「ありがとうございます。次におじさんが来る時には、シュクール入りのものを必ず準備しておきますね」
「食べてみてからでなければ、俺が買い取るかはわからんぞ」
「はい。こちらもおじさんの対応次第ではおじさんに売るか分かりませんので、そう考えておいていただいて結構です」
服の中から首にかけておいた麻袋を取り出し、その中に銀貨を入れて、服の中に戻す。おじさんは深いため息をついて、シュクールを選んでいる私を見た。
「……お嬢ちゃんは何者なんだ? 商家の娘か?」
「ううん。この村の子供だよ」
取引が終了し次第、商人モードを解いた。すっかり元通りになった私を見て、おじさんはもう一度ため息をついた。
「本当の商人……いやそれ以上だな。貴族のやつらと取引しているような気分になったぜ……」
「おじさん、貴族とも取引があるの?」
「滅多には無いが、無くはない。その時にシュクールも思いついたんだ」
「もしまた貴族と取引があれば、クッキーは結構良い一手になると思うよ」
シュクールを十粒選び終え、私は布袋にせっせと十粒収めていった。おじさんは胡散臭そうな顔で私を見る。
「どうして嬢ちゃんがそんなことわかるんだ?」
「信じるか信じないかはおじさん次第だけど、一応お貴族様? からの評価は高かったからさ。もしかすると一部のお貴族様にはすでにクッキーが流れてるかもしれないけど、普通のレシピしか教えてないから、味違いを今後展開出来ればおじさんのクッキーも上流階級で流行るかもしれないよ? ……ふふ、初回ご利用の限定サービスはここまで! じゃあね、おじさん!」
難しい顔で私の言葉を頭の中で吟味しているおじさんに手を振って、私は子供の壁をかき分けてその場から離れた。
やりとりを一通り見ていた子供は尊敬のまなざしで私を見ていたが、後からやってきた子供はシュクールに夢中になっているようだった。……結構派手にやっちゃったけど、変な噂が立たないといいな。
さっさと移動して、私は植物油を売っている売り場へとやってきた。ヒューゴが興奮した様子で私を問い詰めようとしたが、私はのらりくらりとそれをかわし、ひとまず買い物に専念することにした。
植物油は高いからか、人気はあまりないようだった。売り場には、母と同い年くらいの女性が布を頭に巻いて、エプロン姿で立っていた。式布の上には瓶詰めされた植物油が置かれている。
「これと交換できますか?」
お姉さんに、マルタンと一緒に採った希少価値が比較的高い薬草を見せた。お姉さんは薬草を手に取って吟味した後、いいわよと頷いて一本の黒い瓶を渡してくれた。決して大きくはないけど、薬草と植物油が交換できるなんて。私は感激しながらそれを受け取った。
黒い瓶の匂いを外側から嗅いでみる。無臭だった。……当然か。
「これはなんていう植物の油なんですか?」
ふと疑問に思って尋ねてみると、お姉さんがニコリと笑って答えてくれた。
「オリーヴァという植物よ」
……オ、オリーブオイルだー! 頭の中に、森でオリーブらしき木を見つけた時の映像が鮮明に蘇った。どの辺にあったのかすっかり忘れてしまったのでダメだが、次の季節までに色んな準備をすれば、来年にはオリーブオイルをこの村で作ることも夢じゃない! 私はお姉さんにニコニコとお礼を言って、瓶を籠のなかに入れた。
「バカレノ、ほんっとわけわかんねーな。どうして油なんて買ったんだ?勿体ねーだろ!」
「どうしてって、どうして?」
「アブラなんて俺が狩りをすれば、いくらでもお前に分けてやるんだから! わざわざあんなもったいねえことしなくたっていいって言ってんだ」
どうやら、ヒューゴの中では油は全部動物性脂のことをさしてしまうらしい。だが、ヒューゴに分かりやすい言葉で、植物油の重要性を説くスキルを私は持ち得ていない。適当にヒューゴの話をスルーしながら、私は頭の中でオリーブオイルの使いどころを考えた。
確か、どこかで読んだことがある。水に薄めて良い香りのハーブと、柑橘系の果物と塩を混ぜれば、良いリンスになるんだったか。……ええと、小麦粉でシャンプーも作れたよね? ダブルで使ったらかなり良い感じになるんじゃないかなと思うんだけど、どうなんだろう?
「あ、っと。ヒューゴ、今日のことはみんなには内緒だからね?」
「あ?」
何のことだ? とヒューゴが首をひねったので、私はヒューゴの耳元でこっそり囁いた。
「銀貨のこと。お願い、内緒にしてくれる?」
「なんでだよ、レノ、すげーことしたんじゃねーか。自慢しねーのか?」
「その……私が銀貨を持ってるって知られたら、ね? うち、男手がいないから、『もしも』の時に困るんだよ」
こそこそそう囁くと、ヒューゴは微妙な顔をした。同じ村の人を盗人扱いするのは、気が引けるらしい。金が絡むと簡単に人は変わるもんだぞ、と思いつつも、私は言葉を付け加えた。
「村の人たちの話を聞いて、どこかから変な人が来ないとも限らないでしょ? わたしは『もしも』に備えたいだけなの。ね、お願いヒューゴ」
ヒューゴの手を取ってぎゅっと握り、懇願した。アレを目撃していた子供たちからは噂は流れるだろうが、そうなってくると、私と一緒に行動していたヒューゴの言動が一番重要となってくるだろう。ヒューゴがそんなことあったか? とすっとぼけてくれれば、噂もあっという間に子供が大袈裟に言った作り話なんだろうとうまくまとまってくれるだろう。
ヒューゴは顔を赤くしながらむっつりした顔でそっぽを向いていたが、やがて根負けしたように、あああ! と声を荒げて頭をバリバリと掻いた。
「わかった、わかったよ! わかったから離せ! バカレノ!」
ぶんぶん、と手を振り払われた。ありがとう! とヒューゴに抱き着こうとすると、今度こそヒューゴはバカレノ! と喚いて私のハグを必死になって避けた。なんとなくそれが面白くて、鬼ごっこみたいにきゃーきゃー言いながら抱き着こうとしていると、買い物を終えたらしいサロメたちに呆れた顔をされた。
「あら、レノ。珍しいものを買ったのね?」
籠の中身を覗いている母が、黒色の瓶を手に取って驚いた。これ、結構高いんじゃないかしら、と言ったので、私は胸を張った。
「博士に高値でやりとりできる薬草を教えてもらったの。マルタンと二人でこの前それを採ってきたから、それと交換してもらったんだ」
「そうだったの。レノがどんどん逞しくなっていって、母さんうれしいわ。いつかキノコ博士にお会いして、お礼を言わなきゃいけないわねぇ」
「う、うん、そうだね」
きっとそんな日は来ないよ、だって先生が母さんに会いたがってないんだもん、と心の中で言いながらも一応同意しておいた。……銀貨のことはどうしよう? 話した方がいいかな?
「そういえばレノ。クッキーは売れたの?」
籠の中にクッキーが入っていないことに気付いたらしい母が、こてりと首を傾げて言った。
さて、どう答えたものか。この村で銀貨といえば、かなりの高額所得者となるだろう。基本的には物々交換だし、それこそコンブルが二本で銅貨一枚になるかどうかの世界だ。ちなみに先生に教えてもらったが、銅貨百枚で銀貨一枚。銀貨百枚で金貨一枚になるらしい。その上には大金貨というのが存在してるらしいが、今のところ生活には一切関わりのない話なので良しとしよう。
「うん、売れたよ」
分不相応なお金を持っていることは、防犯上の観点からみても、なるべく秘密にした方が良い。だが、かといって、この家に銀貨があることを母に黙っておくのは果たして意味のあることなのだろうか? 自分で常に携帯しているのも安全ではないだろう。人に盗られるとは思えないが、うっかり森で落とそうものなら泣いてしまう。
少し悩んだ後、私は決意したように母を見た。母は籠の中身を戸棚に整理しているところだった。
「あのね、母さん。母さん、お金ってどこに保管してる?」
「お金……? レノ、知っていたの?」
父から硬貨の入った袋を受け取っていることを、一応母としては隠していたらしかった。母の視線がちらりと鍵付きの戸棚の高いところに向けられたので、なんとなく場所は察しがついた。
「あ、もしかして。クッキーを硬貨と交換してもらったの?」
母は閃いたかのようにぽんと手を打った。だが同時に、こてりと首を傾げる。
「ううん、でも、だったらこの沢山のシュクールの説明がつかないわね……。いくらなんでも、この量のシュクールとクッキーを交換してきたわけじゃないでしょう?」
「えーと、実を言うと、そうなの」
「え!?」
どうやら母も、クッキーを子供が作る簡単なおやつ程度にしかとらえていなかったらしい。父が太鼓判を押していた辺りからその価値に気付くんじゃないかと思っていたが、案外母はそういうところに疎いようだ。
私はシュクールおじさんとのやり取りについて話した。話の下りが銅貨二枚となった時も驚いていたが、私が値段を吊り上げ、最終的には銀貨を手に入れたことに、ついに母は笑いだした。
「なあに、レノ。もしかして、母さんをからかってるの?」
どうやら三歳児の妄想だと思ったらしい。あまりにも突飛すぎる金額なのだと、私は母の反応から再確認した。このまま妄言として済ませるべきか少し悩んだ後、私はごそごそと胸元から麻袋を取り出した。
「母さん、本当なの。これがその銀貨だよ」
袋から銀色の小さなコインを取り出すと、母はサッと顔を青ざめさせた。扉がきちんと締まっていることを確認した後、すぐに私の側に飛んできて、麻袋の中に銀貨を仕舞わせた。
「嘘……レノ、本当に、本当なの?」
「本当に本当だよ。だからこれ、どこに保管しておいたらいいかなと思って……」
母は困惑した様子で私から麻袋を預かると、きょろきょろと家の中を見回した。一か所にお金を固めておくのはよくないと思っているらしい。結局衣服が片付けられている戸棚の裏側にそれを隠し、母はため息をついた。
「レノ。あなたはとんでもないことを……いえ、すごいわ、もちろんレノがしたことは、すごいことよ。十分頑張ったって、母さんも思うわ」
頭ごなしに否定しようとしていることに気付いたのか、母は言葉を選びなおした。だがその表情は暗く、私は不安になった。何か間違いを犯してしまったのだろうか?
「お金を稼ぐことは、いけないことなの?」
「いいえ、そうじゃないの。そうじゃないけど……」
母は言い淀み、やがて言葉を続けた。
「この間、母さんと約束したこと、憶えてる?」
「えーと、利益を独り占めしない、村人たちと共有する、ってこと?」
「そう、その通りよ」
つまり、今回の件もそれに該当してしまうらしい。ならば、と私は頭に浮かんでいたことを提案した。
「森にね、オリーヴァの木があるの。あの実を加工すれば、あの油と同じものがこの村で作れるようになるよ。これを村の人たちに提案すれば、利益はみんなに平等に分配されるよね?」
この村にはこれといった特産品がない。よって、リーブオイルを特産品として取り扱うというのはどうだろう。もちろん簡単なことではないが、やがては村のためにもなるはずだ。
いつまでも必ず毎年豊作でいられるわけではない。不作だった年に、酪農だけが主要な産業だとすると、共倒れになる可能性もある。不作ということは、エサだってなくなる可能性もあるのだ。森があるので食事には最低限困らないだろうが、それでも不安定なことには変わりない。
よかれと思ってそう説明すると、母は表情を強張らせ、なんといったものか、と頭を悩ませてしまった。あまり良いとは思えない反応に、私は再び不安に襲われる。
「わたし、変かな。おかしなこと言ってる? なにか間違ってる?」
「……違うわ、レノ。レノが発見したことはすごいことよ。それはすごいことで……すごすぎることなの」
母は言った。その案はもちろん村に富をもたらすだろうが、その代わりに、この村は大きく変わっていってしまう可能性があるということ。ここはあまり有名ではないが、自給自足が出来ている豊かな村で、村人たちの仲も良い。だが、利権が絡めば、その輪を乱すきっかけを作ってしまう可能性があると話した。
「レノはこの村のこと、好き?」
「好きだよ、大好き」
「だったら、大きく変えようとしてはいけないわ。この村には脈々と受け継がれてきている生き方や価値観があるの。レノの考えていることはもちろんどれも正しいし、それが出来れば莫大な利益を生むことが出来ると思うわ。でも、だからといって、それがすべての場所で受け入れられ、良い方向へと動くわけじゃないの……少し難しい話だけど、母さんの言いたいこと、分かる?」
私は少し考えてから、こくりと頷いた。……母の言う通りだ。ここはまったりとした空気が流れる、優しい場所だ。金銭の取引がないからこそ成立しているところもあるのだろうし、それぞれがほとんど同じような生活環境で生きているからこそ、村人同士で上下関係がほとんどない。もちろんリーダーとなる存在はあるが、身分社会という言葉はあまり当てはまらないような環境だった。
それを壊してしまうのであれば、私のやろうとしていることは悪そのものになってしまう。そんなことをしたいわけじゃない。
「わかった。もうしないし、今の考えは誰にも言わないことにする」
そう話すと、母は安心したように頷いた。




