第20話 領地の歴史
収穫祭から十日程経過した後、家畜を潰す日があった。お肉を食べられるのは嬉しいが、潰す現場に立ち会って手伝うなんてことは恐ろしくて出来そうになかったので、三歳児のお願いパワーを発揮した結果、おうちでお留守番させてもらうことになった。
お肉が色々手に入ったので、母と二人ほくほく気分になりつつ、鶏まるまる一羽とかはうまくやれば鶏がらスープ作れるのでは、とか色々考えた。母に提案してみると、よくわからないけどまあやってみたら良いよ、という有難い言葉を貰ったので、次に父が来る時には私を中心に手作り料理を振る舞わせてもらう権利をもらった。
また、家畜を潰したということは、色々な脂がまた採れたということで。狩りの日の翌日のように、家畜を潰した翌日には、私と母はサロメの家へと訪れた。
母とサーラおばさんが屋外で石鹸・蝋燭作りを行っている間、私はキッチンを貸してもらって、サロメにクッキーの作り方を教えがてらクッキーを大量生産していた。とはいえ、シュクールは最後の一粒しかなかったため、あまり甘くならなかった。仕方ないので比較的甘めの果実を干してドライフルーツっぽくしておいたものを乗せて焼いた。
砂糖の甘みは控えめなので、あまり子供向けにはなっていない。ただ、これは先生にチョークのお礼がてら渡すものなので、子供にあげるよりかは多少ハードルは低くなるだろう。
サロメの家からの帰り道、クッキーを入れた袋を胸に抱いて歩いていると、母がニヤニヤしながら問いかけてきた。
「それ、『博士』に食べてもらうの?」
「あ……母さん、知ってたんだ……?」
仕事を免除してもらったりしてマルタンと二人、先生のところへ学びに行っているという事実は、微妙に肩身が狭い。隠すつもりはなかったが、わざわざ話すのも気まずく思い、結局のところこっそり行動していたという結果になっていたが、どうやら母はすでにサーラおばさんから情報を得ていたらしい。
「いつレノが話してくれるのかなって、母さん待ってたんだけどな」
「ご、ごめん……お仕事をちゃんとやってないって、叱られるかと思って……」
「そんなことでは怒りはしないわよ。むしろレノがどんどん母さんより賢くなっていくから、誇らしいくらいよ」
しょんぼりした私を元気づけるように、母はカラカラと笑った。夕陽の中、私は母を見上げた。少しだけ日焼けをしているが、それでもここの村人と比べれば、随分と肌の色は白く、すべすべしている。……私は今まで聞けなかったことを、勇気を出して聞いてみた。
「母さんは文字、書けないの?」
「そうねぇ……レノよりは上手に書けないかもしれないわね」
……書けないとは言わないんだ。
「そっか……ねえ、じゃあ、父さんとはどこで出会ったの? それって、何歳くらいの頃の話? どっちが先に好きになったの?」
父と母の馴れ初めを掘り返せば、芋づる式に母の過去も知れるだろうし、まあ単純に親の馴れ初めというのは気になるものでもある。色々な思惑を乗せながらも、興味津々だという顔で母を見ていると、母はくすくす笑って困ったように眉根を下げた。
「あら。レノったら。おませさんなのね。もしかして、サーラとダミアンの馴れ初めでも、サロメから聞いたのかしら?」
「ねぇ~。それで? それで?」
「はいはい。レノがもう少し大きくなったら、教えてあげますよ」
「えー! 今がいい! どうして今はダメなの?」
「レノはまだ幼すぎるからよ。もう少し大きくなったら……そうね。そうしたらきっと、チャーリーも良いって言ってくれるわ」
……母さんの過去に触れることは、父さんの許可が必要だということだろうか? それが一体何を意味しているかが分からず、私は眉間に皺を寄せて考え込んだ。
母から見るとそれは拗ねて怒っているように見えたらしく、くすくす笑いながらも、今日の夕食はレノの好物にしましょうね、とご機嫌を取ろうとしていた。
数日後、私はマルタンと二人で先生のところへ向かった。
マルタンと二人でいつもの道を歩き、少し外れにある一軒家へと向かう。綺麗に整えられた玄関先のお花たちを見ながら、私は扉をノックした。すぐに開かれ、先生が姿を見せた。
家の中に招かれたマルタンと私は、この間と同じ席に座った。先生は今日は何を教えようかと戸棚を見てうろうろしているようだった。
「先生!」
授業が始まる前に、と私は袋からクッキーを包んだ布を取り出した。香ばしい匂いがふわりと袋から飛び出てきて、部屋中に広がった。その匂いと私の声に、先生は戸棚に背を向けて私を振り返った。
「ふむ、良い匂いがするのう」
「これ、石筆のお礼です。良かったら食べてください」
テーブルの上に置いて布を広げてクッキーを見せると、先生は興味深そうにそれをまじまじと見つめた。マルタンも身を乗り出してクッキーを見つめている。
「これは……?」
「クッキーです。シュクールが足りなかったのであんまり甘くないですけど、味は悪くないですよ。個人的にはミルクと一緒に頂くのをおススメします。甘さが倍増するので」
「ほっほう、ほっほう。それは本当かね? せっかくのレノの勧めじゃ。試してみよう」
思い立ったが吉日と言わんばかりに、先生の行動は素早かった。食料が備えてあるらしい戸棚の方へ向かい、今朝もらったばかりらしいミルクを大きな瓶からコップに注いでいた。それを片手にいそいそとこちらに戻ってきて、何の迷いもなくクッキーを一枚手に取り、一口で食べた。もぐもぐと咀嚼して味を確かめた後、ミルクを一口飲む。ごくりと口の中の者を嚥下すると、先生はほう、と一息ついた。
「マルタンも、どうかね?」
コップを手渡されたマルタンは、私と先生の顔を交互に見た後、意を決したようにクッキーを手に取り、半分に割ってから食べた。そして同じようにミルクを飲む。
「……パサパサしてるな」
うるせえ、そういう食べ物なんだよ。
「でも、レノの言った通り、ミルクを飲むと甘くなった」
「シュクールを入れたと言っておったのう。ほんのりと甘く感じるのはそれじゃろう、しかしそれだけでは甘さが足りぬ。それを補うためのこの果実か」
誰も美味しいと言ってくれず、ただただ分析をする二人に私は頬をふくらませた。見るからに拗ねてみせながら、私は二人を睨んだ。
「で、美味しいんですか? 気に入らなかったんですか?」
「いやいや! わしは気に入ったぞ。元より甘すぎる菓子は好きではない。ここで採れる果実の方が、ずっと美味しいからのう」
「僕も嫌いじゃない。……シュクールを大量に買っているレノを見たときは頭がどうかしていると思ったんだけど、こういう使い方を企んでのことだったのか?」
へっへっへ、と私が胸を張ると、マルタンは顔をしかめた。
「レノには料理の才能もあるってことか? ジョルジュから一粒もらって食べただけで、こんなレシピを思いついたのか?」
「……まあ、うん、そんなところかな」
「上に乗っている果実が見栄えを良くしておるのぅ。街で見る菓子というより、城で出される菓子のように上品に見える」
……さっきから、微妙に先生の言い方に気になるところがある。私がその疑問点を頭の中で整理する前に、先生はさっさとクッキーを包みなおしてしまった。あとで独り占めさせてもらおう、と満足そうに言って戸棚の中に閉まっていた。喜んでもらえたなら何よりだ。
「さて、今日は何をしようかの」
「あ、先生! 私、本が読みたいです!」
戸棚を再びうろうろしようとした先生の側に、先日もこの家で見かけた本が目に入った。私が咄嗟に挙手してそういうと、先生は怪訝そうな顔で私を見た。この間もダメだと言われただろう、もう忘れたのか、と言わんばかりのマルタンの視線が痛い。
「本? レノ、君はまだ文字も読めぬはずじゃ」
「文字は読めます! ただ、まだ分からない単語が多くて……。こればっかりはたくさん本を読んで覚えた方が手っ取り早いと思うんです」
文字が読めても、単語の書き方が分からなければ意味がない。教科書や辞書があればそれを読んで覚えることもできるが、ここにはそもそも言葉を目にする機会がない。
となれば、ここで最も効率的に言葉を目にすることが出来るもの……それは唯一、あの本しかない。何の本だか知らないが、あの背表紙の分厚さからして、かなり長い内容なのだろう。子供には難しいかもしれないが、単語を覚えるための教材としてあれしかないのであれば、使わない手はない。ミミズが走ったような筆記体も、先生が一から教えてくれたらなんとか読めるようになるかもしれないし。
「レノ、この間先生が言ったことを忘れたのか? 本は高価で、僕たちがさわっていいようなものじゃない」
「だったら本を触るのは先生だけがやって、私たちは触らなきゃいいでしょう? マルタンだって、そろそろ次の段階に移りたいはずだよ?」
「待て、待て、レノ。君はもう文字が読めると、そう言ったように聞こえたんじゃが……」
マルタンが私を睨んできたので、私はマルタンを睨み返した。先生が高齢である以上、得られる知識は得られる時に得ておかねば。多少動機が失礼かもしれないが、何かあって機会を失ってからでは遅いのだ。そう思って反論していると、先生はきょとんとした顔で私を見た。
その通りですよ、と頷くが、先生は疑わしそうな視線をこちらに向けた。
「わしがまだ耄碌してなければ、レノが文字を覚え始めたのは、ついこの間のことだったような気がするんじゃがのう」
「ついこの間といっても、ただ文字を覚えるだけですよね? それくらい、何日かあればほとんど覚えられますよ。ただ、単語はまだあまり覚えられていないです。文字だけ覚えたところで役には立たないので、覚えるために本が読みたいって話です」
言語を覚えるときのように、この文字とこの文字が並ぶとこういう発音になるよ、みたいな法則性もまだ分からない。むしろ私にとって、話し言葉は日本語と同じように通用しているのに、書き言葉だけ全く違う言語になっているので、かなり頭を使わないと覚えられない。日本語とこっちの言葉とごちゃごちゃになってしまうのだ。
私が平然とした顔をしていると、先生は表情を硬くしてマルタンを見た。マルタンは肩をすくめて、先生を見つめ返す。
「レノの言っていることは本当です。僕も驚きました。この間、収穫祭の日のことですけど、一緒に文字の練習をしたところ、本当に全部覚えていました。僕が単語の練習をしていると、後ろから覗いてせっせと僕が書いた新しい単語を覚えていましたよ」
「なるほど、なるほど……」
先生は小さな声で、どうしたものか、と独り言を言った、何度も顎を何度もさすり、私とマルタンを見ている。少しばかり思案するような沈黙のあと、ひとつため息をついて、姿勢を正した。
「これは前にも言ったと思うんじゃが。あの本を読むということは、わしの過去についても話さねばならぬ」
「……あの本には、何が書いてあるんですか? 先生の過去は、そんなに簡単に話せないようなことなんですか?」
何の本なのだろう。そこまでもったいぶられると、逆に気になってきた。単純な好奇心に目を輝かせていると、私の様子に気付いた先生は苦笑した。そして何かを噛み締めるような表情をした後、私の頭を優しく撫でて、隣に腰掛けた。ギシリと長椅子が軋む音を立てる。先生は真剣な表情でマルタンを見た。
「……これからは話すことは、新たな真実を受け止める覚悟を持ち、また知り得たことは他の者に一切話さないと誓う者しか聞くことは出来ぬ。他の者というのは、親兄弟であってもじゃ。じゃが、わしはこれから話すことをレノには……いや、未来ある子供たちには知っておいてもらいたくての……マルタン、どうじゃ。君はその覚悟があるか?」
まっすぐに言葉をかけられて、マルタンはごくりと唾を飲み込んだ。ちらりと私を見てから、背筋を伸ばして椅子に座りなおす。
「あります。僕も、先生から与えられる知識は、全部知りたいんです」
「……レノ、君はどうかの」
マルタンが真剣な顔で先生を見て言葉を返すと、先生は次に私を同じように真剣な表情で見つめた。怖いくらいの様子に、しかし私もそれを真正面から受け止め、お腹に力を入れた。
「ええと。でも、すでにサロメや母さんには、ここで『博士』の教えを受けてることを話しちゃってますよ? 大丈夫ですか?」
「そうではない、それではない。わしのことはこれからも『博士』や『先生』と呼びなさい。君たちのご両親にわしの名前を話すでない。そして、これより聞く話は、絶対に打ち明けてはならぬ。君は大きな秘密を抱えることになる。その覚悟はあるか?」
怖い顔で、先生が問うた。肩に置かれた手に力が籠められる。ここにいるメンバーだけではなく、先生は両親に、と言った。母に、ではなく、両親。
ふと、先ほど抱いた違和感のことを思い出した。まるで、本当のシュクールを食べたことがあるような口ぶり。まるで、城で出てくるお菓子を知っているかのような口ぶり。
「……先生。ここには、領主様が住む城以外に城はあるのですか?」
「レノ、先に答えるのじゃ。約束はできるかの?」
「出来ます」
間髪入れずにそう答えると、先生は探るような目でじっと私を見た。やがて、先生は次にマルタンの方を見た。同じような質問をすると、マルタンも緊張したような面持ちで、誰にも話さないと誓います、と胸に手を当てて誓ってみせた。
「……分かった。話そう」
私たちの覚悟を受け止めたのか、先生はそう言って深呼吸をした。とんとんと指先で机を叩き、思考するように目を閉じる。その音だけが部屋に響き渡り、私とマルタンはじっと次の言葉を待った。
その音が止んだ時、先生は目を開いた。
「あの本には。この国の歴史が書いてある」
私とマルタンの反応は対照的だった。なるほど、歴史書か。国の成り立ちといえば、神話系だろうか? はたまた、年表や伝記のようなものだろうか? そう思ってふんふんと頷く私だったが、その反対側でマルタンはさっと顔を青ざめていた。思わぬその反応に、私は驚いてマルタンを見た。
「マルタン?」
「……先生、それは本当ですか」
マルタンは声を潜めてそう言った後、落ち着かない様子できょろきょろと周囲を見渡した。今の話を、誰かに聞かれるのをひどく恐れているような様子だった。
「何か、まずいの?」
私だけが状況を把握していない。マルタンも先生も怖い顔をしていたが、私がこてりと首を傾げて尋ねると、二人は呆れたように私を見た。
「レノは知らぬのじゃな」
「先生、以前にも話しましたが、レノは本当に変なんです。色んな事に詳しくて、頭が良いくせに、知ってなきゃいけないことを知らないんです」
ひどい言いようだ。仕方ないじゃないか、この世に生れ落ちてまだ三年だぞ? 我三歳児ぞ? 私がむっと頬を膨らませると、先生は孫を見るような顔で少し微笑んだ。だがすぐに真面目な顔に戻り、重々しい口調で話し始めた。
「レノは知らぬようじゃが、今、この領内では、歴史を教えたり、語り継ぐことは禁忌とされておる」
「えっ!?」
先生によると、領地の成り立ちや、領主の変遷についてを人に伝えること自体が禁じられているらしかった。
一定ラインより年上の人たちは政変の時代を生きているので、経験として時代の移り変わりを知っている。だが先代領主に成り代わってからは、それより以前について語ることを禁じられているため、今の子供たちはこの領地の歴史を何も知らないまま育ってきているらしい。
「でも、そんなこと言ったって、例えば商人とかは他の地域との商売があるんじゃないですか? そうすれば、禁じていたって他領地へ行ってしまえば知れてしまうんじゃ……」
「残念じゃが、それも難しい」
他領地との商売を行うためには、領主直々の許可を得なくてはならないらしい。その時に誓約書に様々な禁則時効について契約させられ、それを破った際には重い罰が待っているとのこと。
つまり、気軽に子供が他の領地に遊びに行くことはなく、自領地ではそもそも歴史教育自体を禁じられているため、新しい世代が正しくこの領地について知ることが無くなってしまっているとのことだった。
「……ってことは、先生が持ってるその本は、禁書ってことですか?」
やっと話が繋がってきた。マルタンが顔を青くした理由もわかる。恐る恐るといった様子で尋ねると、先生は当然のように頷いた。
「まあ、文字を読める者がこの村にはほとんどおらぬ。更に言えば、あの本を完全に読めるほどの知識を持った者は、なかなかおらぬ。つまり、下手に隠そうとするより、本棚に飾っておいた方がずっと安全なのじゃ。あのように小汚い本に興味を持ったのも、ここのわしが移り住んで以来、君たちが初めてじゃて」
この村の識字率が最低レベルだというのはよくわかった。いやそんなことより、と私は困惑しながらも先生に言った。
「なんでそんな本を先生が持ってるんですか!?」
「わしは若い頃、貴族の召使いとして働いておってのう」
先生から聞かされた話は、衝撃的だった。
先生は昔、貴族の召使いとして働いていた。というのも、先生の家系は代々貴族の召使いとして働いていたらしい。この時代では両親の仕事を子供が引き継ぐのは珍しいことではないし、むしろ普通のことだ。私が母と一緒に農民として色々仕事をこなしているのと同じようなものなのだろう。
小間使いのような役割だったらしく、荷物を運んだり、城の清掃を任されていたらしい。当然末端の人間ではあったが、先生は昔から頭が良かったので、重宝されていたらしい。十歳になる頃には立派に一人前として働いていたそうだ。
しかし、その後、すぐに政変が起こった。それは今から40年以上前の話で、当時、先生は20歳くらい。
「生まれたばかりの一人息子と愛する妻がおったのじゃ。わしは仕事としての役目を果たしながら、家庭を守り抜くので精一杯でのう」
先生は頭を使い、政変が起こりそうな、きな臭い匂いを嗅ぎつけてからは、中立になるよう身の振る舞い方に細心の注意を払っていたらしい。その甲斐あって、粛清や連座の対象には巻き込まれず、生き延びることができた。奥さんはやがて病死してしまったが、今でもその一人息子は、現領主様のいる城で召使いとして働いているらしい。
「どうして先生は城を出てきたの? 出されちゃったの?」
ずばずばと質問する私を尊敬したいような、非難したいような気持ちが織り交ざったらしく、マルタンは私を変な顔で見た。
「……多くの粛清があっての。わしが仕えておった領主様……先々代の領主様は殺されたのじゃ。先々代領主様の息子……つまり、先代領主様によっての」
私の現実からかけ離れたところでの出来事だったからか、余計に私の頭の中にはストンと落ちた。
つまり先代領主はその前の代、つまり自身の父親を殺害することでさっさと代替わりし、都合の悪い歴史を覆い隠すために歴史そのものを闇に葬り去ろうとしているというわけか。で、今はその息子が領主になって、先代領主がやってきたことを引き継いでるということだろう。
「うーん、でもそんな、ただの代替わりのためだけにわざわざ歴史を始末するほど大がかりなこと、するかな? 先代領主様は、実は末っ子で、他に将来を約束された長男とかがいて、その人たちもまとめて消しちゃって自分が領主の地位についたとか?」
それでもまだ、そこまで大がかりなことをするとは思えない。『私』の世界の歴史を紐解いても、そういうドロドロ系はよくありそうな話だ。都合の悪い人たちを粛清で消すならわかるが、歴史そのものを消してしまおうとするなど、やりすぎである。
「レノの言う通り、確かに先代領主様以外にも将来を有望されておった方もいらっしゃった。そして、これもレノの言う通り、その方々は次々に不幸な事故に遭われてのう」
先生は複雑そうな顔で私を見た。私も複雑な気持ちで先生を見つめ返した。別に、私の予想が現実になってほしかったわけではないので、別に私に責任は無いのだがなんとなく申し訳ない気持ちになってしまう。
「でも、それだけじゃ、わざわざ歴史そのものを隠そうとなんてしないですよね。他に何か、原因となりそうなものはないんですか?」
先ほどと同じ感じでこてりと首を傾げると、先生は目を細めて私を見て、次にマルタンを見た。マルタンはなんとか会話についてきてはいるようだが、禁じられている領域の話に若干怖気づいているらしく、緊張したように表情が強張っていた。
「マルタン、大丈夫か?」
「……大丈夫です、先生」
マルタンは真面目だからの、と先生が心配そうに言った。マルタンは青い顔のまま、平気だと強がって見せているが、あまりこれ以上深入りしたくないと顔に書いてある。
「これ以上はやめておこうかの。もう少し二人が大きくなったら、また話そう。なに、わしはそんなにすぐにはくたばらんよ。もしくたばったのなら、その時こそ二人であの本を読み解けば良い。わしの知っておることは、大概あそこに書いてあることじゃからの」
先生はそう言って、ほっほっほ、と朗らかに笑った。その笑い声で、重たく包まれていた空気がグンと軽くなり、今日の話は終わったことが分かった。
マルタンはその空気から解放されたことを少し残念に思いつつも、しかしやっぱりどこか安堵したように柔らかく微笑んだ。
「マルタン。悪いが家からミルクをもう少し持ってきてくれんかのう。久々に頭を使って、疲れてしまったのじゃ。甘いものが食べたい気分でのう。たまたま偶然、ここにはクッキーという、わし秘蔵の菓子もあっての」
にやりと笑って先生がそう言うと、マルタンは分かりました、と元気よく言って立ち上がった。そんなに気に入ってくれたならまた作って菓子受けのために持ってきてあげよう、と思いつつ、家から出ていくマルタンの背中をにこにこと見送った。
「………レノ」
「うん?」
ぱたりと扉が閉まると、先生が私を呼んだ。振り返って、隣に座る先生を見上げると、先生は先ほどと同じように重い表情をしていた。すぐにピンときた。これはマルタンを追い払っただけで、まだあの話は終わっていないのだと。
背筋を正し、緩んだ表情を引き締めると、先生は神妙な顔つきをした。
「本当に禁じられている話は、ここから先なのじゃ。これ以上は、もし知っていると誰かに知られた場合、レノやわしだけではなく、この村ごと粛清される危険性もある。それでも知りたいかの?」
なんじゃそりゃ。私はひくりと頬を引きつらせた。そんなに危険な内容があの本に書かれてるってわけ? うっかり誰かが盗んで街に売り払いに行ったらどうするつもりなわけ!?
「……先生は、私には知っておいてほしいって言いかけてましたよね。私は知りたいです、私に関することならきちんと知っておきたい。私は知らないことばかりだから」
気持ちに変わりはない、と答えると、先生は深く息を吐いた。
「わしとしても、本当は多くの子供たちに真実を知っておいてもらいたいのじゃ」
……もしかすると先生は、こういう思想のせいで城から離れることになり、こんな辺鄙な村で隠れるように暮らしているのかもしれない。
私の父は恐らく貴族だろうし、そういうネットワークに先生の名前を知られてしまえば、芋づる式にこんな片田舎に先生が隠れていることがバレてしまうかもしれない。先生が田舎で子供たちに何か政治思想的なものを吹き込んでいるわけではなくとも、そう疑いをかけられれば、あの本のこともあるし、言い逃れが出来ない。
ただ、先生のチョイスはなかなかだったと思う。こんな田舎で、識字率も低い村になんて、騎士団が抜き打ちで思想チェックなんて来ないだろうし。私さえ黙っていれば、今後も先生の存在が貴族たちにバレてしまうこともないだろう。
「教えてください、先生」
私がそう言って見つめると、先生は静かに話し始めた。
「先生、持ってきました!」
勢いよく扉が開き、息を弾ませてマルタンが入ってきた。手には壺があって、その中に新鮮なミルクがなみなみと入っているのが分かった。零さずによく走ってこれたものだ。
「ありがとう、ありがとうマルタン。さて、さて。では休憩の時間にするかの」
先生は嬉しそうにお礼を言って、マルタンから壺を受け取った。人数分のゴブレットにミルクを注いで、テーブルに再びクッキーを広げる。香ばしい匂いが食欲をそそった。
「それで、今日は何について勉強するんですか?」
「ふむ、ふむ……。今日も薬草について学ぼうかの。この間、水辺で採れるマッタンミュールを乾燥させたものに、リュンドリーヌを混ぜると強い下剤になると教えたことは覚えておるか?」
マッタンミュールが川辺で採れる葉っぱで、リュンドリーヌというのはそういう名前の花があって、その種を潰して出てきた液体のことをさしていたはずだ。マッタンミュールは消化を助ける役目があるから普通に食べても良い食材なんだけど、リュンドリーヌには花にも実にも種にも毒性があるらしい。それぞれ毒の効能が違ったはずなんだけど、なんだっけ?
「先生、食べてからにしませんか? 考えながら食事をするのは消化に悪いと、先生が言ったんじゃありませんか」
マルタンがそう指摘すると、先生はそうだったそうだった、と誤魔化すように笑った。
「マルタン、今度森に行った時、実地訓練してもらえないかな? ここにあるのは、例えばマッタンミュールだよって、先生が確定したものだから安心できるんだけど、自分が採るとなると、やっぱり勝手が違うから。自分で採れるようになりたいの」
「レノはまだまだ全然ダメだからね。前に森へ行った時も、毒草をたくさん摘んでたのを覚えているよ」
「もう! マルタンのいじわる! だから勉強したいんだって!」
私がむくれると、マルタンは面白そうに笑った。私も思わずつられて笑うと、先生も微笑ましそうに笑った。
それでも、私の頭からは先生の言葉が離れなかった。
「先代領主様は、わしが仕えておった領主様の本当の息子ではない。養子なのじゃ」
「なるほど。継承権としては見込みが薄かったから、恐ろしい動きに至ったというわけですね」
「そうともいえる。じゃが、わしはもしかすると、他にも何か、恐ろしい目論見があったのではないかと考えておる」
先生が言葉を濁した。……継承権のある他の兄弟を皆殺しにするよりもっと恐ろしいこととは一体なんだろう?
私はふと疑問を抱いて、口を開いた。
「結局、何が目的で先代領主様と現領主様は歴史を隠そうとしてるんですか? 本当に隠したい部分は、どこにあるんですか?」
先代領主が行った凶行を隠し続けたいなんていう、単純な動機には思えなかった。そう思って私が尋ねると、先生は静かに答えた。
「ここからは単なる老人の独り言じゃ。その本にも書かれておらんし、わしが勝手に思い込んでおるような、つまるところ、呆けた爺の世迷言じゃ」
……つまり、そういう前置きがないと、話せないような内容なのか。私は緊張にごくりと唾を飲み込んだと後、続きを促すように先生をじっと見つめた。
「先代領主様と現領主様が隠したい事実は、ただ一つ。……この領地はもともと、魔法使いが権力の頂点に立っておったのじゃ。その魔法使いらの奴隷として、人間は存在しておった」
先生は落ち着いた声で続けた。
「じゃが、今や人間の方が地位が上になっておる。それをいかにして成功させたか……普通に考えれば難しいことじゃが、恐らくは先代領主様が密かに何者かと内通し、魔力を封じ込める魔道具を手に入れたたという噂を聞いたことがある。その魔道具のおかげで、先代領主様は魔法使いから魔力を奪い、人間が頂点に立つ構図を作ったのじゃ」
「……まさか、この領地が他の領地と貿易をしない理由って」
さらりと、魔法使いは奴隷、と言われた気がする。だが、今は先生から少しでも情報を引き出しておきたい。私はフィクション世界の設定を聞くような気持ちで、先生の話を頭の中に入れていった。
「その通りじゃ。他の領地では、魔法使いは普通に生活をしておる。下手をすれば人間よりも魔法使いの方が地位が上になっておる領地もある。魔道具がなければ、人間には太刀打ちできん力を魔法使いは元々持ってるからのう」
……今は人間が主で、魔法使いは奴隷。でも40年前までは、その逆の構図が常識だった。私は頭の中で先生の言葉を反芻した。
どうやらここでタイムアップらしい。家の外を歩く足音が聞こえてきた。私と先生は話しを止め、お互いに顔を見合わせた。
「良いか? これは決して人には話してはならぬ。秘密にするのじゃ」
「はい、先生」
私が頷いた瞬間、ミルクを持ったマルタンによって玄関の扉が勢いよく開かれた。
切れ目がなく、ちょっと長くなりました。
すみません。




