第19話 マルタンの夢
「マルタンの家? 別にいいけど、どうして?」
「今日はいつもの仕事は無しだ。大人たちも出払っていて、村には子供だけになる。多分先生も収穫祭に行ってるから、先生のところへは行けないけど、せっかく時間があるなら文字の練習をした方が有意義だから。もし一緒にやりたいなら、と思っただけさ」
なるほど。家の手伝いもいつもの仕事もないので、子供的には今日はお休みの一日なのだ。その空き時間にマルタンは今から文字の練習をしようとしている。となれば、私もご一緒したい。口約束程度で言ったことを覚えていてくれたことに感動しつつ、私は満面の笑みを浮かべた。
「うん! 行く! マルタンの家、行く!」
「なんだよレノ、その先生っての」
「ヒューゴ、サロメが言っていたこと、聞いてなかったの? 東の方にいるキノコ博士のことよ」
ロジーヌの言葉に、ヒューゴがムッとして私を睨んだ。
「お前、キノコに詳しくなりたいのか?」
「別にキノコ限定じゃないよ。いろいろなことを詳しく知りたいんだもん」
「色々って……別に、山菜とか、野草についてなら俺だって教えられるぞ」
「えーと。まあそういう収穫物についても詳しくはなりたいけど……そういうことじゃなくて。もっと違うことを学びたいの」
「違うことって、なんだ?」
本気で分からない、といった様子で、ヒューゴが首を傾げた。なんと話せば伝わるのか分からず、私も思わず頭を悩ませる。すると、マルタンが助け舟を出してくれた。
「薬草について知ったり、文字を覚えたりする。僕たちはそういうことを学んでいるんだ」
「文字? そんなもん覚えて、どーすんだ?」
ヒューゴは馬鹿にしたようにマルタンを見た。うーん、価値観の違いかな? 確かに文字を覚えたところでお腹は膨れないもんね。私は苦笑して、それでも首を横に振った。
「どうもしないかもしれないけど、覚えたいの。ヒューゴも来る? 今日は先生の所へ行かないからダメだけど、今度一緒に行けば、きっと面白さがわかると思うよ。ヒューゴが槍の練習するのと同じようなもので、私にとってはこれが楽しいことで、やりたいことなの」
「槍の稽古と家の中で暇つぶししてるのとが一緒なわけねえだろ、ほんっと馬鹿だよな、レノは。文字で猪が潰せるか?」
ハッ、と鼻で笑われる。私はまあそうね、と心の中で流したが、マルタンはムッとしたようにヒューゴを睨んだ。自分が大切に思っていることを貶されて、ちょっとカチンと来てしまったらしい。マルタンの様子にヒューゴも煽られたようで、挑戦的な目でマルタンを睨み返す。
「なんだよ、俺、何か間違ってるか? 家の中でじっとしてても、獣は狩れねえ。立派な大人にはなれねーよ、それくらい分かるだろ? マルタン。お前は家の中でじっとしてるのが好きだから、よくわからねーかもしれねーけどな?」
「……槍で獣を狩るばかりが立派な大人じゃない。先生みたいな、立派な人だっている!」
「先生って、キノコ博士のことだろ? ありゃダメだ。一度も槍を握って、森の中に入ってねえみてーじゃねーか。毎日何もしてねーのに、分け前だけは貰って。俺たちがせっせと毎日頑張ってるっていうのにさ。ゴクツブシもいいところだぜ」
「っ、先生を侮辱するな!」
マルタンがカッとなったように怒鳴って、ヒューゴの胸倉をつかんだ。だがすぐにヒューゴに胸板をドンと突かれて、力で負けたマルタンは地面にしりもちをついた。
「レノ。こんなのと一緒にいちゃダメだ。マルタンじゃ、森の中で獣に会っても、お前を守っちゃくれねえ。お前はちゃんと、自分を守ってくれる男と一緒にいなきゃだめだ」
腕力で勝ったことで、ヒューゴは自信を付けたらしい。胸を張って、謎理論を言いながら、物知り顔でこちらを見てきた。私はため息をついて、起き上がるマルタンのところへと歩いた。やっと立ち上がったマルタンは、どうやら強かに腰を打ったらしい。顔をしかめている様子を同情的な気持ちで見ながら、ズボンの後ろ側についてしまった泥を手で払ってあげた。
「ヒューゴ。あのね、」
「……レノはそっちの味方か」
ヒューゴが傷ついたような顔をした。ぐっと堪えるような顔で私を見た後、目をそらし、勢いよく走り去っていった。
「全く……」
サロメが呆れたようにそう言って、ヒューゴを追いかける。あ、サロメ! と慌てたように、ボーモンもそれを追って行ってしまった。ジョルジュとロジーヌは顔を見合わせてため息をついていた。
「珍しいわね、マルタンがヒューゴの言葉に反応するなんて」
「……ロジーヌはいつも反応してるじゃないか」
「仕方ないじゃない。ヒューゴは口が減らないから。……だからマルタンが苛立った気持ちも分からなくもないわ」
「ごめん、ヒューゴが」
ロジーヌが慰めの言葉を送り、ジョルジュがマルタンに謝罪した。
「……これはヒューゴとのことだ。ジョルジュが謝ることじゃないさ」
「それでも、謝らせてくれ。ヒューゴは俺のせいで、父さんみたいな狩人になることに強い憧れを持ってるんだ」
「ジョルジュのせいで?」
何の関係があるのだろう、と尋ねると、ジョルジュは苦い顔をした。
ジョルジュは長男で、生まれた頃から後継ぎとして決まっていた。でも、狩りの腕は、すでにヒューゴの方が、ジョルジュより優れている。狩りの腕が優れている人間が、この村ではとても偉い人となるらしい。だからダミアンおじさんは、村の人々から一目置かれる存在になっている。
そのため、その後継ぎのジョルジュがいまいち頼りないことが、ヒューゴにとって我慢できないことらしい。ダミアンおじさんのように、強くてかっこいい狩人になること。そうすれば頼りないジョルジュを飛び越えて、この村で一番偉い人になれる。そうやって簡単な図式で考えているらしい。
……年齢的に考えれば、まあおかしなことでもないよね。むしろ後継ぎじゃないからって腐っちゃうわけじゃなくて、下剋上を果たそうとしている辺り、偉いと思うんだけどなあ。
「でも、そのせいで、狩りの技術が無い男には、随分と酷い態度を取るようになってしまったんだ」
変なプライドが付いてしまったらしい。ダミアンおじさんは当然ながら狩りの腕前だけで人を判断するような人間ではないが、ヒューゴは狩りの腕前に執着しすぎるあまり、それを基準に人を判断してしまうらしい。
つまり、ジョルジュは自分より下だし、マルタンなんてもってのほからしい。脳筋っぽくて分かりやすいとは思うが、それであんな態度を取るようになってしまうのは良くない。誰もが腕力だけの世界で生きてはいないのだ。
地味にサーラおばさんとダミアンおじさんの悩みごとでもあるらしいという話を聞いているうちに、サロメたちの家の方角と、マルタンやロジーヌの家の方角との分かれ道にやってきた。そこで会話を打ち切り、バイバイして、私はマルタンと二人でマルタンの家へと向かった。
マルタンの家は私の家より大きかったが、サロメたちの家よりは小さかった。何に使うのかよくわからない器具が幾つか置いてあって、動物たちの独特な匂いがした。少し経てばそれにも慣れたのでそんなに気になるものではなかったが、家の周りには牛やヤギが柵の中をお散歩していたし、それを見回るための犬もいて、なんだか賑やかな印象を受けた。物置小屋の方には藁が山ほど積んであるのが見えた。
家の中に入ると、家の中の作りは私の家とそう大きく変わりはなかった。すぐにリビングとキッチンが兼用になった広い部屋があり、恐らく扉の向こうには寝室があるのだろう。部屋数としてはこちらの方が多そうだが、大きく変わった様子はない。マルタンは私を椅子に座らせると、手早く昼食の準備をしてくれた。
「さ、食べよう」
「わあ、美味しそう!」
採れたての牛乳と、パンと、バターと、目玉焼き。最高のコンビに大喜びしてパクついた後は、二人でチョークと木切れを持って家から飛び出した。
黒板のようなものはないが、どうやら丁度良い木の板があるらしい。この板にお手本となる文字をチョークで書いて、あとは木切れでひたすら反復練習。木の板が汚れても、木切れが折れても、どちらもこのまま薪として利用できるため、どれだけ書いても特に問題ないそうだ。
元々言語を学ぶのは苦手ではなかったので、すんなりと頭の中に入ってくるのが面白かった。そのうちに、マルタンに先生になってもらって、覚えた文字を使って単語を地面に書いてみた。自分の名前や、マルタンの名前、マリアンヌの名前を覚えた後は、簡単な日常でよく使う単語を練習し始めた。
「ねえ、マルタン。今日の収穫式って、収穫したものを領主におさめるための式だったんだよね? だったら、あの黒いフードの人たちは、領主のそばにいる、手下みたいな人たちなの?」
「手下って……。あれは領主様お付きの騎士団さ」
「騎士団? どうして騎士団が領主への献上物を取りに来るの? 騎士団は、領主の近くを守ってなきゃいけなくない?」
騎士団という言葉のイメージとはあまりそぐわない恰好をした人たちだったのに、あれが騎士団なのか、と私は先ほどの光景を思い出しながら首を傾げた。しかしマルタンも詳しくは知らないらしく、言葉を濁した。
「別に、今日来ていた人たちだけしか騎士団員がいないわけじゃない。もっとたくさんいるはずだから、その人たちが領主様のお近くを守っていらっしゃるんだろう」
「ふーん? それにしても、領主にどうして収穫物を渡さなきゃいけないの? 領主はどこに住んで、何をしている人なのか、マルタンは知ってる?」
「レノ、『領主様』だ」
マルタンは私の言葉遣いを注意しながらも、うーん、と考え込んだ。
「詳しくは僕も知らないけど、街の北の方角に、領主様の城があるって話は聞いたことがある。どちらにせよ、僕たちなんかが行ける場所じゃないさ」
「それはそうだけどさあ。何か理由があって、大事な食料を納めてるんじゃないの? 大地はすべて領主様のものって、そりゃあ領地支配的にはそうだろうけど、本当に領主様が土地を豊かにしてくれてるわけじゃないでしょ?」
「レノ……お願いだから、絶対に、今後はそんなことを人前で言うんじゃないぞ」
慌てたように私の口を抑えつけた後、マルタンはきょろきょろと周りを見渡した。そばにいるのは牛やヤギくらいで、他に何の気配もないことを確認して、マルタンはほっと胸を撫でおろしていた。
「領主様は僕たちにとって、絶対的な存在なんだ。国教でもそうやって教えられているだろう?」
「領教? そんなのがあるの?」
そうだった、こいつは何も知らないんだった、と言わんばかりの顔でマルタンは私を見た。
領教とは、領主様を絶対とした宗教らしい。まあ、要は普通の宗教の、神様を領主様にすり替えたようなものだ。領主様が大地を豊かにして、領主様が人々のために獣を地に解き放つ。全ては領主様のおかげなのだから、その頂いた力の一部をお返しする。領主様に常に感謝し、自分に正直に、隣人に優しく生きていこう。そういう感じのものらしい。
「ふーん。マルタンはその教えを、誰から聞いたの?」
「親だよ。親から子へ、受け継がれていくものなんだ。だからまさか、レノにその知識が無いとは思ってもみなかったよ……」
頭が良いのか、世間知らずなのか、時折分からなくなるな、とマルタンは私を心配そうな目で見た。
……ふーむ。領主が神様みたいな扱い、かぁ。具体的に本当に大地を豊かにしてくれたりはしないだろうけど、政を執り行って、領地を守ってくれてると思えば、確かに日々の生活は領主様のおかげといっても間違ってはないかもしれない。領境の壁らしきものは見当たらないが、こんなにもだだっ広くて見晴らしのよい農地だ。ここにごろつきが今まで一度も入ってきていないあたり、領主の力はきちんと届いていると思ってもいいのかもしれない。……単純に、ここが田舎過ぎるという可能性も無くはないけど。
「そういえば、どうしてマルタンは先生のところで勉強しようと思ったの?」
「え? 何、突然」
「だって。その話、聞けば聞くほど、収穫に有利なことをすべきっていう教えに聞こえるよ。それこそ、さっきのヒューゴの狩りが出来る男が偉いって話に繋がるよ」
ヒューゴの名前を出すと、マルタンは不機嫌そうな顔をした。大人っぽく見えていたが、案外年相応な一面もあるんだと思いながらも、私は言葉を続けた。
「マルタンはその教えを受けてもなお、どうして先生の元で勉強することにこだわるの?」
キノコとか、薬草に関しての知識だけならば、教え通りの動きになるだろう。だが、マルタンはそれ以上を望んでいる。文字を覚えて、きっとこのままいけば本を読めるようになったり、計算ができるようにまでなるだろう。それを覚えたところで、この村の中にいる限り、活用するところはほとんどない。
「……僕に兄さんがいるのは知っているね?」
「うん、この間、会った人だよね」
「兄さんはもうすぐこの村を守る自警団に入るはずだ」
「自警団?」
「村の治安を守る若い男たちのことだ。村の人たちに認められた腕っぷしが良くて、人当たりの良い人が選ばれる。それに、兄さんは選ばれてるんだ。次の春には一人前の男として認めらえて、自警団に入ることになっている」
マルタンはそう言いながら、上から文字を書きまくって随分と白くなった木の板を撫でた。なんかそんなこと言ってたっけ、と私は初対面の時の記憶を探った。
「僕は昔から、あまり身体を動かすのが得意じゃない。そういうのは、全部兄さんが得意だった。だから、兄さんが力でこの村を守るなら、僕は頭でこの村を守りたいと思ったんだ。だから、例えば兄さんがケガしたらすぐに治療できるように、薬草について詳しくなりたくて、先生に色々教えてもらいに行ってたんだ。……ある日、今の僕の考えを先生に話したことがある。その時、先生は言ったんだ」
今のままじゃダメだ、と。
「頭で村を守るなら、もっと賢くならなければならない。外の世界を知り、どうやって振る舞っていくのが正解なのか、学ばなければならない。腕っぷしではなく頭だけで村を支えていくとは、そういうことなんだって。僕は街に出たこともないから、先生の話は分からないことが多かったけど、でもなんとなく、このままじゃダメなんだと思ったんだ」
先生、子供相手になかなかキツイこと言うのね。正論っちゃ正論なんだけども。
「だから僕は、ひとまず村の外に出ても……街に出ても大丈夫なように、読み書きができるようになりたいんだ。だから、いつかはこの村を出ていくよ。でも、必ず戻ってくる。そして兄さんと、……そして村のみんなと。この村を守っていきたいんだ」
「そっか」
「そのためには勉強も必要だし、お金も必要なんだ。街で働くには読み書きが最低限出来なければ話にならないって、先生が言っていたし、そもそも街で働くためには街に住まなきゃいけないから……とにかく、今は僕、お金を貯めて、精いっぱい勉強することを目標にしてる」
マルタンの瞳には、強い意志の火が灯っていた。まだまだ幼いというのに、素晴らしい目標である。私は尊敬の念を込めてマルタンをじっと見つめた。
「すごいね、マルタン。偉いと思うし、マルタンなら出来る気がする。マルタン、頭良いもん」
「レノはどうして先生のもとで学ぼうと思ったんだ?」
同じ目標を持っているんじゃないか、とマルタンが期待したようにこちらを見た。だが残念ながら私には、マルタンほど明確な目標たる目標は特にない。ただ、今後のことを考えて、動いているだけだ。
「わたし、母さんと二人で暮らしているでしょ? 男手もないし、このままのんびり村で生きていけるか、不安なの。だから、もし万が一、何かが起こったとしても。もしわたしがきちんと色んな知識を持っていたら飢え死にすることもないだろうし、街に行っても雇ってもらえるかもしれない。だから一応、学だけつけておこうって。その程度のきっかけだよ」
「……レノはその程度っていうけど。同じことをリアムが出来るとは思えない。レノはもう十分すぎるほど立派な目標を持って行動してると思うよ」
卑下するような私の言葉に、マルタンは呆れた様子でそう言った。
まあ、とりあえず、私とマルタンの具体的な目標は一緒だ。読み書きできるようになること。先生のもとで、少しでも多くのことを吸収すること。そして、何より金策を考えること。
「ねえ、マルタン。例えば葡萄酒とかって作れないの?」
こういう風土で出来そうな新規開拓事業となると……なんだろう? ぱっと思いつくのは、加工品の精度を上げたり、もしくは新しい名産品を作ることくらいか。今度行商人が来るときにはクッキーを山ほど作って売りつけるつもりではいるが、そんなのは付け焼刃に過ぎない。一大産業となるものがあれば、村も自分も裕福になれると思うんだが。
「……レノ。レノは知らないかもしれないけど、それぞれの家で作っていいものは領主様によって決められてるんだよ」
「えっ!? 何それ、初めて聞いた! どういうこと?」
マルタンによれば、例えばサロメの家が農家をやめて酪農を始めたり、逆にマルタンの家が酪農をやめて農家を始めると、犯罪行為になってしまうらしい。お手伝い、というのがギリギリ容認される範疇で、新しく開業するのは絶望的らしい。
……まあ、確かに産業に偏りが出来たら困るもんね。牛を育てる人がいなくても、野菜を育てる人がいなくても、どっちも困ってしまう。大切なのはバランスだ。マルタンのように頭を使う人間と、ヒューゴのように肉体を使う人間といるように、これはどちらが偉いとかすごいとかではなく、どちらも村という集団には必要な存在だということだ。……私のクッキー売買はセーフなのかな? アウトなのかな?
そうこうしているうちに、ロジェが帰ってきた。本格的な収穫祭はこの後、夜に向けてワイワイ行われるらしい。昼食を兼ねた懇親会のようなものは終わり、今はすっかり夕暮れになっている。
ロジェはまだ一人前とされているわけではないので、夜の参加はできないとのこと。私とマルタンが仲良く勉強しているのを見て、ロジェは生暖かい笑みを浮かべていた。なんとなく居心地が悪くなって、同時にふと気付いた。ロジェが帰ってきているということは、母もきっと帰っているだろう。
ということで、マルタンとロジェとバイバイして、家路へと急ぐ。私に立派な目標はないけど、母さんと二人、仲良く平和に安全に暮らしていけれる環境を作ることが、目下最大の目標かな?
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