第16話 子供だけで川で遊んではいけません
心臓がドキドキと音を立てている。一体、自分の身に何が起きたのか、全く理解できなかった。目の前にあるのは、ただの川。先ほどまで私を飲み込もうとしていたのが嘘のように、一番最初にここに来た時に見た光景と同じように、穏やかに川のせせらぎを私に楽しませていた。もちろん私はヒーリング効果だ! などと喜んでいる余裕もなく、茫然とそれを眺めていることしかできなかった。
どれくらい時が経ったのかは分からないが、遠くで声が聞こえてきたことで、私は我に返った。振り返ると、そこにはマルタンのお兄さんがこっちに向かって走ってきていた。木々に隠れて見えにくいが、どうやらヒューゴやマルタンも一緒にいるらしい。
「レノちゃん! 生きてる!」
マルタン兄は私を指さして、大声を出した。マルタン兄の少し後ろを走っているらしいヒューゴとマルタンの歓声が聞こえた。
あっという間にマルタン兄は駆け寄ってきて、さっと私を抱き上げた。ぜえぜえと息をつくヒューゴやマルタンと違い、マルタン兄は本格的に鍛えているのか、ほとんど息を弾ませていなかった。
「痛いところは?」
どうしてここにマルタン兄がいるのだろう。私は不思議に思いながらも、首を横に振ろうとして、ズキンと頭に痛みが走って呻いた。そうだ、頭を岩に打ったんだ。思わず側頭部を抑えると、ぬるりとした感触があった。
「横のところが少し切れてるね……マルタン! 切り傷と擦り傷が多い。準備をしておいてくれ」
「はい、兄さん」
マルタン兄の長い脚で走ったため、あっという間にサロメたちのところへと到着した。川辺から少し離れたところに焚火を起こし、リアムとジョルジュはそこで温まるように身を寄せ合っていて、サロメが濡れた服を干していた。
「レノ!」
弾かれたようにジョルジュが声を上げた。それを聞いて、サロメとリアムも顔を上げて私たちを見た。ジョルジュは信じられないといった様子だったし、サロメとリアムは泣きながら私の名前を呼んだ。完全に私は絶望視されていたのだろう。そりゃあそうだ。普通、子供が一人流されて、結構な時間が経ってしまえば、もうどうしようもない。川は簡単に命を落としてしまうような、危険な場所なのだ。
「サロメ、レノの着替えを取ってきてくれ。身体が随分と冷えているから、早く着替えないと」
マルタン兄がそう言ったことで、私は自分の状況に気付いた。寒さでがくがくと震えているのだ。そういえば頭は痛いし、ところどころで打ったりすりむいたりしたのだろう、マルタン兄の見立て通り、至るところがズキズキと痛んだ。
「熱も出てくるかもしれないな……マルタン、そういう薬も作れるか?」
「今は持ってきてないけど、大丈夫。すぐ準備できるから、ちょっと森に入ってくる」
マルタンは適応力のある返事をしていたのだが、マルタン兄の表情は曇った。
「悪いが、誰かマルタンについていけるやつはいるか? 一人で森に入るのはダメだ」
「僕、行ける!」
ジョルジュが立候補した。マルタン兄はジョルジュの様子を見て、すっかり体力が回復していると判断したらしく、頼む、と言った。マルタンとジョルジュはすぐに森の中へと入っていく。そうこうしているうちにサロメが服を持ってきた。
「ロジェ。これがレノの着替えよ」
「ああ、助かるよ」
ロジェ……マルタン兄の名前らしい。ずっと心の中でお兄さんって呼んでたんだけど、これだとまるでマルタンと結婚した感が出てるように感じるから、次から私もロジェって呼んだ方がいいかな……て、あれ? 待って!
「ま、待って!」
にゅっと伸びてきた、ロジェのがっしりとした腕を私は慌てて掴んだ。されるがままにされそうになっていたが、気付いたのだ。ロジェのこの手は、明らかに私から服を脱がせようという意思がこもっていることに。
「どうした?」
「ぬ、脱ぐの!?」
「いつまでも濡れた服のままだと風邪引くだろ?」
「そ、そっか……いや、待ってってば! 着替えくらい自分でできるよ!」
私が納得したと思ったのか、ロジェが私の服の裾を掴んだので、私は脱がされまいと慌ててロジェの腕に抱き着いた。これを脱がされてしまうと、ここで私はパンツのみのほぼ全裸姿になってしまうのだ。いやそれが恥ずかしいとかそういうのももちろんあるが、それよりもまずいことがある。胸にある、痕がみんなに見えてしまうのだ。誰にも見せないと母と約束したばかりだというのに、さすがにそれはまずい。
「ロジェ。レノは女の子よ」
「……ああ、そうか」
不思議そうにロジェは首を傾げていたが、サロメが苦笑しながらそう言うと、ロジェはやっと納得したように頷いた。そして小さく笑う。
「こんなに小さくても、心は立派な女性っていうことか」
レノは早熟だな、とロジェは笑い、再び私を抱き上げた。視界が高くなったことで、周囲が良く見えた。リアムは焚火に当たっているし、サロメはロジェの隣で苦笑いをしていて、ヒューゴだけは残念そうにもほっとしたようにも見える顔で真っ赤になっていた。
「向こうの茂みだったら、誰にも見えないよ。あっちに行こうか」
「ありがとう、ロジェ」
「どういたしまして、お姫様」
ロジェは冗談交じりにそう言って、私を茂みに降ろしてくれた。着替えも手渡してくれたので、私は手早く着替えようと裾に手をかけた。
「………ん?」
濡れた服は体にぴったりと張り付いて、重い。脱ぐには力が必要だ。でも、なかなか手に力が入らなかった。どうやら自分が思っているよりも疲弊してしまっているらしい。とはいえ、誰かに着替えを手伝ってもらうわけにはいかない。ふんぬ! と私は必死に張り付いた服を脱ごうと奮闘した。
「……やっぱりな」
半分ほど脱いでいたため、視界が悪い。前から声がしたが、声の主を確認する前に、ずぼっと下から上へ服を脱がされた。慌てて胸元を隠すと、目の前に立っていたロジェが苦笑した。
「大丈夫、僕はサロメのおむつを替えた経験もあるんだ。こういうのには慣れてるから、気にしないでくれると僕もありがたいんだけど」
お前の裸になんか興味ねえよ、と遠回しに言われてしまって、それはそれで微妙な気持ちになる。いや幼女の裸に何か性的なものを感じられても大変困るので、そういう紳士的な態度は助かるのだが、私もそういう意味で胸を隠しているわけではない。
「はい、手を出して」
ロジェは持っていた清潔な布で私の身体を簡単に拭った。身体が冷え切っているせいか、ロジェの手が熱く感じられたので、私も早々に焚火のそばであったまった方が良いのだということはハッキリと認識した。
「レノ?」
胸元を隠して黙っている私を不審に思ったのか、ロジェは私を呼んだ。私は少し躊躇った後、仕方なく手を出した。布で私の胸元も拭ってくれているロジェが、やっと、なぜ私が胸元を隠していたのかに気付いたらしい。あ、と小さな声が上がったのが聞こえて、私はため息をついた。
「これは……今できた傷、じゃないね?」
「うん。生まれた時からあるの」
「そっか。これが見られたくなかったのか……」
痕を見られてはいけない。母にそう言われていたので、見られた時にどうなるかとかなり緊張していたのだが、ロジェは特に何の反応も見せなかった。どうやら、この痕の意味を知らないらしい。単純に私が身体の傷を見られたくなかったから隠していたのだと思ったらしく、ロジェは安心させるように私に微笑みかけてくれた。
「大丈夫。このことは絶対に秘密にするから」
「うん……」
一体、誰に対して、母は見られてはいけないのだと言ったのだろう。そして、この痕は、一体どういう意味を持つのだろう。少なくとも、その答えをロジェは知っていそうにない。なんだか肩透かしを食らった気分でいるうちに、あれよあれよという間に私はロジェに服を着せてもらっていた。
再び抱き上げられ、焚火の方へと戻る。燃え盛る火があったかい。ほっと息をついていると、リアムが心配そうに私を見てきていることに気付いたので、安心させるようににっこりと笑っておいた。
やがて、マルタンとジョルジュが戻ってきた。マルタンの手には籠があり、薬草らしき葉っぱががいくつか入っているのが見える。マルタンはジョルジュに葉っぱを川で洗ったり、刻んだりする役割を依頼すると、すぐに手持ちの薬の方をロジェに手渡した。そして、自分も今拾ってきた方の薬作りに向かう。
ロジェは手渡された薬をまじまじと観察していたが、すぐに私の隣にやってきて、膝をつき、すりむいて傷だらけになっている私の手足をその大きな手で撫でた。
「少し染みるだろうが、我慢できるか?」
透き通った水色の瞳で見つめられて、私はこっくりと頷いた。ねばねばしていそうなそれをロジェが指ですくって、私の傷跡にこすりつける。ぴりりとした痛みが走って、私は思わず奥歯を噛み締めた。
「……よく、無事だった。あそこまで自力で泳いだなんて、本当にレノはすごい子だよ。ほとんど奇跡だ」
治療をしながら、ロジェが私の気を逸らすように話しかけてきた。私は痛みに顔をしかめながら、曖昧に頷いた。
「何がなんだか、よくわからないの。とにかく必死で。私も死んじゃうかと思って、すごく怖かった」
本音を零せば、ロジェは優しく微笑んだ。そして、薬をさわっていない方の手で、よしよしと私の頭を撫でた。
「ヒューゴが血相を変えてうちに飛び込んできた時は、本当にもうダメだと思ってた」
ロジェとマルタンがここに来た理由が判明した。どうやらジョルジュがリアムを助け出している頃、ヒューゴはとにかく大人を呼ぶために村へと走ったらしい。ちょうど手が空いていて、すぐに来てくれそうだったのがロジェだったのだ。
ロジェはヒューゴの話を聞くなり、マルタンに薬の準備を指示して、一目散に森へ向かったということだった。
「魚獲りは昔からこの時期特有の行事だし、魚自体、この時期にしか食べられない貴重な食材で、資源だ。だから魚獲りを禁止するつもりはないけど……次からは、必ず大人と一緒に行くことを義務付けないとね」
以前から川での水難事故はあったらしい。一年に一度しかこのような形で魚獲りをしないので、微妙に対応を流されてきていたところをロジェも気にはしていたようだった。良い機会だし、安全のためにもいろんなルールを決めていけたらいいね、と話すロジェがすごく頼もしく見えて、私は全幅の信頼を置こうと心の中で決めた。っていうか、やっぱり昔から水難事故あったんだよね?! やっぱり釣り道具一式作らないと危なくない!?
ちょうど火を起こしていることもあるし、時間も時間なので、獲った魚で昼食にすることになった。
思ったよりも魚をいっぱい獲ってくれていたらしくて、器の中には魚がいっぱい泳いでいた。その中から一人一匹分取り出して、近くの枝をナイフで加工して串にして、それに刺して火で炙った。サロメとヒューゴが火の番をして、ジョルジュとマルタンとロジェが私のために薬を作ってくれた。塗り薬と、飲み薬だ。私はありがたくそれを受け取って、塗り薬は身体を清潔にしてから寝る前に塗ること、そして飲み薬は食後に飲むようにという指示にまじめな顔で頷いた。
香ばしい匂いが漂い始め、焼けた魚が刺さった串が一人一匹ずつ配られた。ヒューゴやロジェは豪快にかぶりついている。サロメも少し躊躇しながらも、身にかぶりついていた。皆の食べ方を盗み見ながら、私も見様見真似でかぶりついてみる。
「う、」
苦い。どうやら間違って、内臓の部分にかぶりついてしまったようだ。行儀悪いのは分かっていても、吐き出さずにはいられない。ぺっぺっと口の中の苦いところを吐き出していると、ヒューゴがにやりと笑った。
「お子ちゃまなレノムシは、魚の食べ方もわかんねーのか?」
「だって、初めて食べるんだもん。食べ方なんて分かんないよ」
「そうなのか?」
きょとんとしたのはロジェだった。そうなのです、と頷いてみせると、ロジェはこちら側から食べると内臓にかぶりつくことはないよ、と教えてくれた。それと、背骨に気を付けること、小骨があるからあまり大口でバリバリ食べないことを注意点として教えてくれた。面倒見の良いロジェに私は完全に懐いて、にこにこと教えに従うように食べた。
ヒューゴはそれを見るなり、見るからに面白くなさそうに不機嫌になっていたが、ぱくりとかぶりついた先がつい先ほど私が食べたところと同じ内臓部分だったらしく、顔をしかめてぺっぺっと吐き出していたので、みんなで笑った。
水が綺麗だからか、はたまた旬の魚だからか、そのまま焼いて食べても十分にジューシーで美味しかった。油の乗っている魚ほど美味しいものはないと改めて感じる。出来ることならばここに塩を振って、塩焼きとして食べたいところだが、贅沢は言えない立場だ。本来ならば森で採った果実を昼食とするところだったはずだ。だが私が川に流されて体力を失っているから、精を付けるためにも、こうやってきちんとした食事をしようという流れになったんだろう。文句なんて言ってる場合じゃない。
「ねえねえ、ヒューゴ」
「あん?」
「大人の男の人は、魚も生で食べたりするの?」
私の頭の中には、成人男性が狩りの日に生肉を食べていた映像が流れていた。もしかすると、魚もそのまま食べたりするのかもしれない。醤油とわさびがあればぜひともご相伴にあずかりたいところだ。そんな風に思いながらも尋ねてみると、ヒューゴは何言ってんだこいつ? という顔で私を見た。
「んなわけねえだろ。大人の男は、魚獲りなんてしねえよ。狩るのは野生の動物だけだっつーの」
「そうなの?」
「魚獲りは俺たち子供の仕事だ。ま、森での狩りの練習みたいなもんだ」
「ふぅん」
なんだ、生で食べないのか。お刺身への道が閉ざされて、私は残念な気持ちでまた魚にかぶりついた。もうほとんど食べるところがない。ほとんど骨になった魚を見つめてもぐもぐと口を動かしていると、マルタンが私に赤い実を差し出して来た。
「ほら、これを食べるといい。そのあとに薬を飲むんだ」
三粒ほど渡されたが、私は一粒だけ手に取って、あとはマルタンに返した。これも母との約束だ。私はこれを一粒しか食べちゃいけないのだ。
口の中に放り込んで、奥歯ですりつぶす。と同時に劇的に酸っぱい味が口の中に広がった。すぐに身体がぽかぽかとしてくる。だが、今日はいつもと少し感じ方が違った。ぶわっと身体の熱が上がった感覚は同じだが、全身の血の巡りが活性化され、さっきまでの寒気が嘘みたいに消えていった。あの綺麗な石に力を叩きこんでから、薄くなっていた身体の中にあった力の流れのような感覚が、再び蘇ってくる。うまく説明できないが、疲弊した身体に力が戻ってくるような感覚だった。以前のような熱っぽい感覚というよりかは、まるでお昼ご飯のあとにうとうとしてしまうような、そんなぽかぽかと心地よい充足感があった。
その後、私とリアムとサロメは焚火の近くで強制的に一休みすることとなった。その代わり、ロジェが魚獲りに参加してくれることとなって。ジョルジュとヒューゴ、そしてロジェは三人とも上半身裸で元気よく川の中へと入って行った。
三人が魚を次々とゲットしていく様子を眺めながら、私はころんと横になった。ロジェの着替えを枕にして良いと言われていたので、お言葉に甘えさせてもらう。
「……レノ、ごめんね。僕のせいで……」
すぐ近くから、消え入りそうな声が聞こえた。顔を上げると、リアムが泣きそうな顔で焚火を見つめている姿が見えた。
「大丈夫だよ、リアム。この通り、私は今ここにいるし、元気なんだから」
あ、そういえば、と私はポケットから黄色い石を取り出した。リアムに差し出して、にっこりと笑う。
「これ、忘れてたけど、ちゃんと無事だよ」
てっきり喜んでくれるかと思ったのだが、石を見て、リアムはついに泣いてしまった。ど、どうして、と私が焦っていると、サロメが仕方なさそうにリアムを抱きしめて、よしよしと頭を撫でた。
「ご、ごめん、リアム。私、何かしたかな……!?」
困惑しながらそう尋ねると、サロメが苦笑した。
「リアムはレノに申し訳ない気持ちでいっぱいなのよ。リアムがその石を拾おうとしたせいで、レノは川に流されちゃったんでしょう?」
どうやらこの石がトラウマを刺激するらしい。どうするべきか悩んでいると、リアムがしゃくりあげながらも言った。
「それ、レノに、あげる」
「え? くれるの?」
「だって、それ、綺麗だし、でも、僕が欲しがったから、レノは、……うわああん!」
ああ……。思い出してまた怖くなって、リアムはサロメの胸で泣き始めてしまった。サロメは宥めるようにリアムの背中を撫でて、大丈夫だからね、と声をかけている。まるでお母さんだ。
しかし、どうしたものか。この石を触ると、変なことが起きる。しかもリアムには起こらなかったところを見ると、もしかすると私にだけ変なことが起きるのかもしれない。ただ、この石に私は命を救われたというところもある。一体何がどうなって私が助かったのかは今でも良く分からないが、それでもこの石によくわからずに身体に流れる力を叩きこんだことで助かったことだけは、なんとなく理解している。命の恩人であるこの石を再び川に投げ捨てるのも如何ともしがたく、私は再びそれをポケットにしまった。まぁ、お守り代わりに持ち歩いても、罰は当たらないだろう。
自分が思っていたよりも疲れ果てていたのか、気付けばリアムの泣き声を子守唄に眠ってしまっていたらしい。そろそろ夕暮れだという頃にサロメに起こされて、やっと目を覚ました。食事を採ってあの赤い実を食べて、少し仮眠をとったことで身体は多少回復してくれていた。森から降りる程度の体力は回復していそうなことに安心して、私は自分の荷物を背中に背負った。
ロジェが抱えていこうかと言ってくれたが、それは丁重にお断りしておいた。男連中は重たそうな魚の山を持ち帰る仕事があるのだ。私を抱えている場合ではない。むしろ私がみんなの着替えを籠に入れて背負って歩かなきゃいけないくらいだというのに。どこまでも優しいロジェに尊敬のまなざしを送っていると、ふと、隣から私よりも熱い視線をロジェに送っている人がいることに気付いた。
……サロメだ。もしかして、サロメって、ロジェのことを好きだったりする? 姉御気質で、いつも先頭に立って仕切ってくれていたサロメが、今やうっとりとロジェのことを見つめている。そういえば、ロジェが姿を見せてから、やたらとしおらしくしているような気もする。あんなにもヒューゴやジョルジュには、まるでお尻を蹴りあげるように世話をしているサロメだというのに。
まあ、年ごろの女の子だったら、こうやって頼りがいのある年上のロジェのことを気になったりするものだろう。みんな若いねぇ。すっかり自分が老けてしまったような気分になったが、私はまだ三歳児で、そういうのは始まってすらいないことに気付いて、何とも言えない気持ちになった。
森から戻った後は、配布された魚を持って家に帰った。泥を吐かせた方が良いと思い、一晩川で汲んだ水の中に漬けておこうよ、と母に進言したが、それは当たり前のように断られた。どうやら一日水の中に置いておくと、ストレスを強く感じて、骨になってしまうらしい。あの深海魚みたいなグロテスクな魚が桶いっぱいに泳ぐことになると思うとぞっとして、私はおとなしく下処理を手伝った。塩漬けにするのと、開いて天日干しにするのと二種類作るらしい。メンタル激弱魚とこれからは呼ぼうと心に誓った。
「初めての川遊びはどうだった? 楽しかった?」
母がいつものように、今日一日あったことを聞くために私に声をかけてくれた。森の中で一度休んだとはいえ、すっかりへとへとになっている私は、身体の拭き合いっこをさっさと終わらせて寝る準備を進めていた。
「うん、楽しかったのは楽しかったんだけど……」
一応、今日あったことは話しておいた方が良いかな? 私はそう考えて、今日一日あったことを母に打ち明けた。川に流されたこと、変な石と出会い、奇妙な体験をしたこと、でもそのおかげで命が助かったこと、ロジェに痕を見られてしまったこと。
話を聞いているうちに、母の顔色がどんどん悪くなっていくのが見えたので、私はあまり母の顔を見られないでいた。蒙古斑のこともそうだ。二人だけの秘密だよ、と約束したのに、すぐにその約束を破ってしまった。川禁止令が出てもおかしくないだろう。母が顔を青くしながらも、真剣な表情でこちらに手を伸ばして来たので、私は咄嗟にぎゅっと目をつぶった。怒られると思ったからだ。
「……無事で本当によかったわ………」
ぎゅっと抱き寄せられる感触に、私はゆっくりと目を開いた。どうやら母は怒っているのではなく、とんでもなく心配してくれたから、顔色が悪くなっていたらしい。
「ごめんね、母さん、約束破っちゃって……」
「そんなこと。もちろんあの約束は大事な約束よ。だからこれからはもっと気を付けなきゃいけないけど……それよりも今は、母さん、レノが今無事でここに居てくれることに、すごくほっとしてるの」
「し、心配かけてごめん……」
しかし、本当にあの力は、なんだったんだろう。石に何かが吸い込まれたり、身体の中を何かが流れていたり。無我夢中だったが、確かに奇妙な感覚がしたのは覚えている。モーゼもそうだ。物理的にはあり得ない、超常現象。
「母さん。あのさ、もしかして私って、不思議な力があったりするの?」
もはや考えられるのは超能力者とか、異能力者とか、魔法使いとか、その程度だ。もしかして、私はそういう能力を持ってる、特別な人間だったりするのだろうか? そう思うと、なんだかワクワクしてきた。
期待に満ちた目で母を見上げる。きっと母も、この現象に驚いたり、喜んだり、何かしらプラスの反応を返してくれると、勝手に思っていた。だから、驚いた。母の表情が、何かを恐れるように強張っていたのだ。
「……レノ。もうひとつだけ、母さんと新しい約束してくれる?」
母のその言葉には、不穏な匂いがした。母は真剣な表情で、その青色の瞳に私を映した。
「……レノが不思議な力で、なんとか助かったというのは、母さんと二人だけの秘密にしてほしいの。……レノは、魔法使いの素質があるわ。でも、それは絶対に隠さないといけないことなの。レノ、約束できる?」
魔法使いだと母から言われて、こんなにも複雑な気持ちになるなんて、夢にも思わなかった。どうして隠さないといけないのだろう。……魔女狩りとか、そういうのが流行している時代なのかもしれない。魔法を使って色々なことが便利になって超ハッピーなのでは、と一瞬だけバラ色の未来を思い描いていた私は、がっかりした。
「約束、出来るよ。絶対秘密にするね」
「ええ、レノは良い子ね……絶対に秘密。約束よ」
母は私に何度もそうしっかりと言い聞かせた。母が真剣な表情でそう言うたび、私の中で魔女狩り説がどんどん濃厚になっていった。
今日は大変だったんだから、早く休んだ方が良いと言われ、私は母によってベッドに寝かされた。そういえば、なんだか身体がぽかぽかどころか、結構暑い気がする。食後の体温上昇どころではない。もしかすると、疲労から発熱してしまっているのかもしれない。
どうやら母もそれに気付いているらしく、私の頭に濡れた布を置いてくれた。ひんやりとしていて気持ち良い。
「母さん、ありがと……」
「……そういえば、レノ。その不思議な石は今、どこにあるの?」
母に問われ、私は戸棚に仕舞ってあると話した。いつも出掛ける時に首からかけている麻布袋だ。危険物だから取り上げられるのかと思っていたが、レノがまた危険な目に遭った時に助けてくれるかもしれないからいつも身につけておきなさい、と言われた。
その後、もう寝るのよ、と母は寝室から出て行った。うとうととした意識の中、戸棚が開く音が聞こえてくる。どんな石なのか、母が確認しているのだろう。
「………レノも、……やっぱり……だからチャーリーは………」
ぼそぼそと独り言が聞こえてきたような気がしたが、その言葉の意味を考えるよりも前に、あっという間に意識は暗闇へと沈んでいった。
翌日、起きてもまだ気だるさが残っていたので、一日お休みさせてもらうことになった。一日中ゴロゴロする経験なんて、赤ちゃんの時以来なので、どうしたら良いのか分からず、本当に文字通り一日寝ることになった。
ただ、夕方、心配したサロメたちがお見舞いに来てくれたのは嬉しかった。




